The Spirit in the Bottle

旧「小覇王の徒然はてな別館」です。movie,comics & more…!!!

J×W=G ジョーカーJOKER

 およそ半年のご無沙汰でした。気づけば今年ももう終盤。ブログ更新数はわずか3回、しかもそのうち映画の感想はひとつだけ(それも去年の鑑賞分をまとめてというもの)、という体たらく。とはいえこの後今年観た分とか年末に向けてちょっとづつ更新したいと思います。

 というわけでまずは「ジョーカー」。ご存知DCコミックスバットマン」の超有名ヴィラン、主人公バットマンのネメシス、「犯罪界の道化王子」の異名を持つ名悪役ジョーカーのその誕生譚です。で、この映画僕が観たのはもう公開1ヶ月近く経ってからで、主人公の背景となる社会的な部分についてはもうかなり論評が出揃ってると思うのでそこら辺はあまり触れずあえてコミックスとの関わりに付いて軽く書きたいと思います(以上ですます調終了)。

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  • 物語

 1980年代初頭のゴッサム・シティ。政治は腐敗し貧富の差は拡大街全体が疲労困憊している。アーサー・フレックは母親と同居しながらコメディアンを目指し売れないピエロをしている。彼には脳の損傷により感情が高ぶると状況に関係なく笑いの発作に襲われる症状があった。

 その日も楽器店の閉店セールでピエロの営業をしていたが不良どもに看板を奪われ暴行を受ける。そして看板代や損害を弁償しろと言われる。落ち込むアーサーに同僚のランドルが自衛のためと拳銃を渡す。通っていたカウンセリングも市の福祉予算削減により薬の処方と主に終了。しかし小児病棟の営業中に拳銃を落とし、首を宣告される。その帰り電車の中で女性に絡むウェイン産業のビジネスマンを笑って暴行を受けたアーサーは思わず拳銃で3人を撃ち殺しその場を逃亡する。しかしこの出来事によってアーサーは妙な高揚感を覚える。やがてピエロ姿の自警者がエリートビジネスマンを殺害したこの事件はゴッサムの貧者の英雄として象徴的存在となるがアーサーは同じアパートのシングルマザーとも懇意になりコメディアンとしての舞台にもあがり総てがうまくいくかと思われた。

 母親のペニーはかつてウェイン邸のメイドとして働いていたためその伝手でトーマス・ウェインに手紙を出すが、その手紙を読んだアーサーは自分がトーマスとペニーの間の子だと知る。密かにウェイン邸を尋ねたアーサーはトーマスの息子ブルースと出会うが執事に追い払われる。やっと会えたトーマスにも邪険に扱われたアーサーは母の入院記録を求めてアーカムを訪れるがそこで見たものによって彼の世界は崩れていく・・・・・・

  •  ジョーカーのJ

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 本作は特定の原作を底本にしているわけではなく映画オリジナルの物語。映画としても過去のバットマンシリーズや現在展開中のDCEUとも世界観は異なるこの一本だけの作品として成立している。僕は最初にこの作品の予告編を見た時に「ああこれは原作とキャラクターの知名度を借りた全く別の作品だな」と思ったし、実際監督のトッド・フィリップスはそれに近い発言もしているので事前には「一本の作品、社会派のサスペンスとしてはともかくアメコミ映画としてはあんまりな感じになりそう」と思っていた。実際原作である「バットマン」との関わりは主にウェイン一家との関わりを除いて最小限にとどめているといっていいが、それでもきっちり原作の設定を前提にうまく映画に活かしている。

 ジョーカーはバットマンが1939年に「ディテクティブコミックス」27号でデビューした翌年1940年の「バットマン」誌1号でデビュー。やはり同号でデビューしたキャットウーマンと並ぶバットマンの最も古いヴィランである。キャットウーマンが「時には敵、時には味方、恋人だった事もあったかな?」(by峰不二子)な相手なのに対して、不倶戴天の宿敵といっていいだろう。当初はデビュー直後に死ぬ予定だったがそのキャラクターの強さを買われ生き延びた。その後約80年間時代に合わせて変化しつつもバットマンの一番の敵としてゴッサム・シティの市民を震え上がらせ続けている。

 そのオリジンは一定しない。もちろんバットマンの物語はじめDCユニバース自体が何度かリセットしたりしているのだが他のキャラクターに比べてもそのプロフィールは不明だ。一応定番のものとして「レッドフードというタキシードとマントに赤い覆面をかぶった強盗がバットマンとの格闘の末科学廃液のタンクに落とされ白い肌に緑の髪、常に引きつった笑いの表情のジョーカーとなった」というものがある。ただじゃあそのレッドフードは何者か?というとそこは不明なのである。アラン・ムーアの「キリング・ジョーク」では売れないコメディアンとして描かれ(この設定は今回の作品にも強く影響を与えているのは間違いない)、1989年のバットマンではギャング幹部のジャック・ネイピア(ジャック・ニコルソン)とされ、バットマンとの格闘の化学薬品のタンクに落ちてジョーカーとなった、という部分が使われた。

 過去のバットマン映画とは関わりがないとは書いたが、映像的な部分で影響は当然あって、今回のジョーカーに一番近いのは「ダークナイト」のジョーカーだろう。劇中では明確には判然としないが肌が白いのが漂白された変化ではなく自分でメイクしているというのは「ダークナイト」のヒース・レジャーのジョーカーを彷彿させる。

 で、今回のジョーカーだが、実は僕はあまりジョーカーのオリジンには興味が無い。というのもジョーカーは特定の人格を持った人間というよりも抽象的な悪の概念を実体化したものという風に捉えているからだ。設定でこそ彼は超能力も何も持たない普通の人間だが寧ろそれ故に悪魔が実体化したような存在なのだ*1。これは他のバットマンヴィランとくらべても確かでペンギンならオズワルド・コブルポット、キャットウーマンならセリーナ・カイルと本名とその都度多少の変更はあるものの、詳細な一定のプロフィールが設定されているのに対してジョーカーは本名も経歴も不明のままである。本作のジョーカーはジャック・ネイピア(1989年の映画以来ジョーカーの本名として使用される事が多い)ではなくアーサー・フレックという新たな名前が用いられ、これまでのジョーカーとは別のものとなっている。

 本作でアーサーはピエロの姿で殺人を犯し、それがゴッサムの現状を象徴する出来事となり、テレビのトークショーに出て鮮烈なデビューを果たす。ただ実は本作には構造上の問題があって、劇中でもいくつかの出来事がアーサーの妄想・幻覚と明らかになるが、それだけでなく劇中本編がまるまる幻覚かも知れない可能性がある。一部を除いて劇中ほとんどアーサーの視点から外れるシーンがなく、最後はアーカムで自分語りをするアーサーが描かれる。

 悪魔的であるジョーカーは個人というより概念とも言える。TVドラマの「ゴッサム」ではジョーカーそのものは登場しないがレッドフードやジェローム(ジョーカーっぽい人)の狂気が街に伝染していく表現があるが、もしかしたらアーサーも後のジョーカーそのものというよりはジョーカーを生み出す根源の一つというだけかもしれない(バットマンのデビューとバットマンとレッドフードの絡みでジョーカーが誕生するとすれば実際にヴィランとしてジョーカーが活躍するのは本作の20年後ぐらいということになる)。

 アーサーは実はトーマスの隠し子どころ母親とも血が繋がっていない養子そして義父に虐待されていたことが明らかになるが、ここに至ってこのジョーカーも本質は「誰でもない」ことが分かる。ジョーカーは「誰でもない」が「誰でもなり得る」のだ。

 演じたのはホアキン・フェニックスリヴァー・フェニックスの弟で自身も子役からずっと活躍してきた。本作ではあて書きだったそうだが、独自のジョーカーを見事に演じており、ジョーカーのメイクをしていない部分でもジョーカー的な雰囲気はまとっている。過去のジョーカーの中ではやはりヒース・レジャーのジョーカーに近いが寧ろ「マシニスト」あたりでクリスチャン・ベールを思い浮かべたりしたのでやはりバットマンとジョーカーは紙一重*2ホアキンはとにかくダメ人間を演じさせたら天下一で、それは現実的な役柄にとどまらない。ローマ皇帝を演じてさえ「この人本当にダメ人間ぽくて心配」という感情を抱いてしまう。ましてや今回は一応コミックスの映画化。それなのに心配するレベルのダメ人間ぶりは相変わらずだったので凄かった(あくまで演技の話であってプライベートは知りませんよ)。多分設定上は30歳前後で実際のホアキンの年齢より大分下だと思うのだが、それでも精神的な若さとでも生活の苦労による疲れが上手く表現されていた。

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  • ウェインのW

 本作は単独で完結しており、昨今のアメコミ映画では当然のこととされている外への広がりは持たないが、ほぼ唯一コミックスとの関係を保っているのがウェイン家の面々である。トーマスとマーサのウェイン夫妻。そしてのちにバットマンとなる少年ブルース、一家に仕える執事アルフレッド・ペニーワース。過去の映画作品でも(主役のブルースはもちろん他も)登場済みのキャラクターでしかし毎回悲劇に合う。大体において家族で観劇した後にクライムアレイで襲われて幼いブルースは目の前で両親を殺される。その復讐心からのちにバットマンとなる。いわば物語の根源となる出来事だ。

 これまでは物語の発端となる出来事であったウェイン夫妻の殺害事件だが、本作ではクライマックスの一つである。例えば映画「ダークナイト」で公開前にハーヴィー・デントが登場することは知られていてそれがトゥーフェイスに変貌するかどうか秘密にされていたかどうかちょっと記憶が曖昧なのだが、秘密だったとしてもデントが登場した時点である程度コミックスの設定を知っている客は「劇中でトゥーフェイスになるのかな?」とサスペンスを抱く。映画「アメイジングスパイダーマン」シリーズでもグウェン・ステーシーが登場すれば客は「死ぬのかな?」と思ってしまう。本作ではウェイン夫妻の殺害事件が知っている観客は「事件が起きるのかな?起きないのかな?」という興味をずっと持つことになる。もちろん知らなくても問題ないがこのへんはもう制作側が意図的に仕掛けていると思う。

 先述したように本作は単独で完結しているのでバットマンの誕生までは描かれない。だから「ジョーカーは誕生したがバットマンは生まれてこない」世界の物語かもしれない。ただやはりこの夫妻の殺害事件があった以上、バットマンは誕生するのであろう。この映画はもしかしたら本編全てがアーサーの妄想/幻覚の可能性がある、と書いたが、このウェイン夫妻殺害事件だけは確定事項だ。というのも僕が覚えている限りにおいてこの夫妻殺害シーンだけがアーサーの登場しないシーン。これまでにも描かれた飛び散るマーサの真珠のネックレスと言った描写受け継がれている。

 トーマス・ウェインはこれまでバットマンの世界における善性の象徴のような描き方をされていたが、本作では逆である。本作では理想に燃えゴッサムの改善を目指し市長に立候補する政治家、一方で尊大で庶民の貧困層の気持ちなど全く分からない男として描かれている。電車で女性に絡んで結果アーサーに射殺される3人はウェイン産業のエリートビジネスマンでありそのそのエリート特有の嫌らしい描写によってアーサーに殺されても致し方なし、と思わせる。一方で雇い主であるウェイン自体に悪印象を持つ。アーサーを「仮面を被った卑怯な自警者」と呼んだりするがこれがそのまま後の息子であるブルースが扮したバットマンに当てはまるのが皮肉なところ(狙ったセリフだろうけど)。

 トーマス自身はおそらく自身で意識していなくともやはり尊大な金持ちのお坊ちゃんなのだ。ウェイン家はゴッサム草創期からの金持ち一族でトーマスも産まれた時から金持ちのエリートである。彼自身の本業は医者だが、それ以外に血筋によってウェイン産業という一大コーポレーションのトップであるし、街はウェイン産業なしでは成り立たない。これがメトロポリスの大富豪レックス・ルーサーゴッサムブルース・ウェインの違いでもあり、設定に幅があるがレックス・ルーサーは自身の会社の名前が「レックスコープ」であることからも明らかなようにほぼ一代で築き上げた大企業家である*3のに対しウェイン家は200年近くに渡って受け継がれてきたものである。

 アーサーがウェイン邸を訪れた時に出会った少年がブルース・ウェイン、のちのバットマンであるが、この時点ではアーサーはもしかしたら弟かもしれないと思っている(他の人のブログなどでやはり本当に「アーサーとブルースは兄弟なのではないか?」と記したものもあったが個人的にはやはり他人だと思う)ブルースに優しく(とはいえ第三者が見たら不気味に思うレベル)で接するが執事に追い払われる。この執事やけに筋肉質でアーサーを明らかに見下した感じで追い払うので印象が悪いがクレジットをみるとやはりお馴染みアルフレッド・ペニーワースである。ちなみにアーサーの母親はペニーという名前でウェイン邸でメイドをしていた過去があるので、僕はてっきりブルースにおけるアルフレッドのような(育ての親としての)存在がアーサーにおけるペニーがいるのかな?と思ったのだがどうなのだろうか。

 トーマスとアルフレッドはこれまでの作品と違ってかなり本作での印象は悪いがこれがアーサーの歪んだ妄想を視点とした描写だからなのか、それとも人格者扱いされてきたキャラクターであっても見方を変えれば嫌な部分を持っているのだ、と捉えるのかは観る人次第といったところか。

 バットマンのオリジンとしてやはりこのウェイン夫妻殺害事件の設定はシンプルにして見事で色褪せないのだが、本作はジョーカーの物語であってバットマンの物語ではないのでその後はどうなるかわからない。ただジョーカーとバットマンはこれまで表と裏、卵が先か鶏が先か、その誕生においても互いに関連しているふうに描かれることが多かったが、本作でもジョーカーが引き起こした街のパニック状態がブルースに悲劇をもたらしたとも言えるのでやはりこの二人は一心同体である。

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 DCコミックスは多くの場合架空の都市が舞台として設定されていて、本作でも踏襲。きちんとゴッサム・シティが舞台である。時代は80年代初頭ぐらいに設定されている。ゴッサムは今ではアメリカ一の大犯罪都市として知られているが、ずっとそうだったわけではなく、登場した当初(最初期はニューヨークだった)の50年代は健全に発展した大都市としてヒーローチームの本拠地が置かれたり、60年代はヒッピー文化華やかな極彩色の都市として描かれたりしている(TVドラマの「バットマン」のゴッサムはその後のイメージと違いピーカンの晴れた描写が多い)。今のゴッサムのイメージが作られていったのは70年代で、「バットマン」そのものが原点回帰で初期の暗い雰囲気に戻ろうとしていた。東海岸を代表する犯罪都市であり、奇怪な姿の犯罪者が跳梁跋扈する闇世界。バットマンが孤軍奮闘するものの治安だけでなく経済的、政治的な問題も深刻な暗黒都市として描かれた。以降ゴシック建築とともにゴッサムのイメージが形作られる。同じNYがモデルのメトロポリスとは(それはスーパーマンバットマンのように)光と闇、表と裏のように対照的といえるだろう。さらにゴッサムにはウェイン家に代表されるような名家の存在があり貴族的存在として君臨する彼らは封建領主のようでもあり、本来アメリカではありえない貴族制度が存在するかのようである。

 本作では特に建築物などで個性を発揮することなく、やはりシカゴでロケをした「ダークナイト」のゴッサム同様リアルな描写が多い。主なロケ地はニューアーク。しかし「ダークナイト」がそうだったようにやはり70年代のコミックスのゴッサムもこんな感じだったのだ。

 コミックスからの登場する場所としてはモナークシアター(ウェイン一家がこの劇場で映画「ゾロ」を見た帰りに夫妻が殺害される)やアーカムが登場する。アーカムアサイラムは本作では「アーカム州立病院」と名を変え犯罪者以外の精神病患者も収容しているようである。

 本作の象徴的なロケ地となった階段やアパートの入り口のアーチとかやはりゴッサムも映画の主役といえるであろう。

  • J・W・G

 本作では色々な映画などのオマージュがある。世界観的なつながりはないがもちろん過去のバットマン映画も参照されているし彷彿とさせるシーンも有る。他にはマーティン・スコセッシ監督の「タクシー・ドライバー」「キング・オブ・コメディ」が分かりやすいところだろう。だからアーサーが憧れそして乗り越える(撃ち殺す)コメディアン兼テレビ司会者マレー・フランクリンをロバート・デ・ニーロが演じている。冒頭に出る丸っこいワーナー・ブラザーズのマークも70年代に実際に使われていたものだ。

 アーサーのキャラクター(というか母親との関係性)においては「サイコ」のノーマン・ベイツも連想した。今回のジョーカーそのものはヒースの影響が強いけれどジャック・ニコルソンの「カッコーの巣の上で」も影響を与えていそうだ。

 そしてこの記事のタイトルをジョーカー、ウェイン、ゴッサムの頭文字をとって「J・W・G」としたけれど殺人ピエロといえばジョン・ウェイン・ゲイシーである(奇しくも”ウェイン”のミドルネームが!)。アーサーがスタンダップコメディアンとして客前で披露するそのバーの名前が「The Pogo's Bar ポゴズバー」だがこのポゴという名前は連続殺人鬼ゲイシーが扮していたピエロの名前である。ピエロ恐怖症というものがあってゲイシーはその一因ともいわれている(といってもピエロ姿で殺人してたわけでないのだが)。ちなみに「ジョーカー」を観た同日にはしごしたスティーブン・キング原作の「IT」のピエロ姿の怪人ペニーワイズもゲイシーがモデルといわれている。ペニーってピエロっぽい響きなのかな?

 ピエロ/クラウンはメイクによって口元は常に笑っている。目元の涙メイクで常に泣いている。メイクによってその矛盾する表情を常に一緒に保っているが、実はそのメイクの下に泣いても笑ってもいない無表情の虚無、或いは怒りの感情を見つけた時、人は恐怖を感じるのだ(個人談)。

  しかしノーマン・ベイツもトラヴィス・ビックルジョン・ウェイン・ゲイシーもペニーワイズも、ジョーカーより後発のキャラクターなのに、そのジョーカーの最新作品に影響を与えているのだから不思議なものである。


Joker | Final Trailer | Experience It In IMAX®

 何度も言っている通り本作はこれまでの映画とも世界観と共有しないし、大ヒットしてるので今後どうなるか分からないが基本的には本作のみで完結する作品である。そしてアメコミ映画としての原作からの要素も最小限にとどめている。だから観る者の立場によって評価もブレるだろう。アメコミ映画として観るかサスペンス映画として観るか、或いは社会派映画として観るか。ただ、どの立場で観るにしろ肯定にしろ否定にしろ強い印象を持つことは間違いないだろう。必見である。Joker was here!

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バットマン:キリングジョーク 完全版 (ShoPro books)

バットマン:キリングジョーク 完全版 (ShoPro books)

 
  • 関連記事

susahadeth52623.hatenablog.com 

*1:DCユニバースはもちろんバットマンの登場人物でも超人はたくさんいます。

*2:1989年「バットマン」でもバットマン役のマイケル・キートンがジョーカーを演じてもおかしくなかった。

*3:ヤング・スーパマンなどでは父親の事業を受け継いだ形になるがそれでもレックス自身が自身の才覚で会社を大きくしていったのは間違いない。

カイゲン令下の日本

 例によってお久しぶりでございました。前回更新してから2ヶ月。3月は電気のない生活を久しぶりに満喫し(月の電気代わずか600円!)、4月もなんだかぼーっと生きていました。

 そんな中、世の中は新元号が発表され、「平成最後の~」とか「平成を振り返る」系の番組ばかりになってしまい、消極的天皇制反対主義者*1の自分としては何を大騒ぎしているのやら、と冷ややかに見ていたりします(制度としての天皇制には反対ですが、今の天皇東宮、皇族の方々には特に嫌悪感情はなく、寧ろ好感さえ持ってます。がそれとこれとはまた別の話)。

 元号という制度そのものは中々面白いので残したっていいのですが、残すなら今の一世一元でなく、昔のように吉事、凶事あるごとに頻繁に変えよう!派。もちろん公的な場での使用は禁止の方向で。そもそもが元号なんて珍しい亀が出現しためでたい!天災が続いた不安だ!で変えるようなものなんですよ。平成は改元が合った1989年=平成元年は分かりますが、それ以外は全く分かりませんね。例えば阪神淡路大震災オウム真理教事件が起きた1995年は印象深い年ですがそれが平成何年なのかと言われればパッとは思いつきません。特にここ十年ぐらいはもうほぼ西暦だけで生きているので今が平成何年なのか分からないです(もちろん計算すれば出てくるよ)。ここ数年の退位の話題でどうやら今年が平成30年らしいというのはかろうじて認識していますが、まあそんなもの。僕は極端な例としても大部分の人が日常では西暦をメインにしている人がほとんどでしょうし、国際的な仕事をしている人なら尚更でしょう。旧暦とかと共に公的書類や機関での使用はやめてあくまで儀礼や祭事用にするべきだと思います。

 ちなみに今コレを書いている時点で4月30日の夜なのでブログアップする頃にはもう新元号の「令和」になってるかもしれませんが、この元号自体は特にいいとも悪いとも思いません。「令」の文字には今は「令嬢」などで使われる「うるわし、美しい」などの意味と「命令、指令」などの意味がありますが、前者の意味だそうです。ただ殆どの場合現在は前者の古典的な使い方はしない漢字ですし、穿った見方をすれば本当の狙いは「国民に命令する」という意味を持たせ、古典的な意味でその表面を覆っているのかなあ、などと思ってしまいます。他にはラ行から始まるのは言いにくい気がするなあ、とは思いますが、まあどっちにしろもう日常では使わないし。

 でもその選定過程には疑問が大有りで一世一元の現在、そして民主主義国家であるはずの今の日本でこの後特に何事も無ければ20年30年とわたって使うであろう元号(当然その使用期間には単に首相が代替わりする、というだけではない政権交代もあるでしょう。なければ逆に問題)を時の政権が自分たちの想いを乗せて制定し発表するというのはかなり逸脱した行為だと思います。また「令和」は史上初日本の古典である「萬葉集」から採用された二文字ですが(歌ではなく序文に当たる部分であり、さらにその文章の元ネタは漢籍だそうですが)、これもルール違反だと思います。もちろん明確に漢籍から採用するべし、という法律があるわけでもないのですが何しろ余程のことがなければ新天皇は死後*2、もしくは今回と同じように譲位後に令和天皇諡号が送られ歴史的にはそう呼ばれるわけです。それを勝手に時の政府が自己の思いを乗せ制定し、それでもまだこれまでのルールに則って決められたのなら良いですが、首相が勝手に「国書からが良い」などと言い、決められた名で呼ばれるのは自分なら我慢できませんね。そもそも元号が中国から来た制度なのだから中国に倣うのがそんなに嫌なら元号なんて廃止すればいいんですよ。

 一世一元になったのは明治からなので実に浅い歴史しか無いのですが、その「明治」はいくつかの候補の中からくじで決められたといいます(明治維新の王政復古は元を倒し漢民族の王朝を建てた中国の明王朝を規範とし、明治は「明王朝の治世」を意味している、なんて俗説もあります)。現在日本が国民主権の国家であるなら少なくともいくつかの候補の中から国民投票で選ぶ、ぐらいしたっていいと思うのですが天皇の退位表明から一年以上間があったというのにこの時期になったこと。事前の候補などが一切国民に知らされなかったこの不透明さは正直この国の後進性を象徴する出来事であったと思います。選定過程を秘密にして何の問題があるのか。実際に使用される一ヶ月前に決まったわけですがなぜもっと早く決められなかったのか。そして決まった後で30年間秘密とか言いながら後からボロボロ情報が漏れてくる(おそらくは官邸側からの意図的なリーク)のも情けないところ。「令和」の他にも候補だった元号案が分かりましたが、どうも他の候補案と令和は対等ではなく「平成」の時にそうだったと言われているように暗にすでに政府が良しとした「令和」に導くための疑似餌だったような気もします。個人的には明治同様くじで決めるのが長く使うというなら一番良かったと思うのですが。

 そしてこの改元フィーバーで菅官房長官が「令和おじさん」と呼ばれて持て囃されたり、政権支持率が上昇したりしています。新元号発表の時の官房長官が一躍注目を浴びるのは平成の時の小渕氏、のちの小渕首相の時でも起きたことなので事前に分かっていたことですが、それまで記者会見などで記者を恫喝した男である菅氏をこんなことで持ち上げるのはどうかと思いますし、数々の疑獄がある安倍政権がまるでリセットしたかのように支持率がアップしたりというのは正直日本国民は朝三暮四のサル並みかと思ったりします。

 現状まるで新時代が始まったかのようなフィーバーぶりですが、正直何も変わらないどころかどんどん悪くなっていると思います。それでもまあ30年続いた一時代が終わることは確かなので節目ではあると思いますが。しかし今後が良くなるか悪くなるかは有権者次第。

 1月2月に観た映画のリストと簡易感想を書こうと思いその枕として元号騒動について書き始めたら思いの外長くなってしまったので、独立した記事にしました。映画についてはまた後日記事をあげます。それではまた。

明日は「アベンジャーズ エンドゲーム」観ます。

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*1:積極的に廃止しろとも思わないが、現行の制度(女性天皇及び女系天皇を認めず、かつ新宮家創設もしない)で後継者がいなくなった時点ですみやかに共和制に移行しよう派

*2:前述の通り自分は天皇制には反対の立場ですので天皇皇室といえども一般の人に対するそれと変わらぬ言葉遣いをします

Gの残光 11月12月に観た映画(2018年の忘れ物)

 新年明けて2019年ももう2ヶ月が経過。皆さんいかがお過ごしでしょうか?この間僕はというと寒さに震えていたり、「GODZILA:King Of Monsters」の新しい予告編を繰り返し見ていたり、ドラクエ6をプレイしていたり*1、胸が痛くなって「死ぬのかな」と思いつつ痛みに慣れたり(数日寝た結果治りました)要するに布団にくるまって寝ていた2ヶ月でした。あったくなってきたんでそろそろブログ更新。とりあえず今回は2018年の残務整理。年内に記事を上げたのは2018年10月までだったので、11、12月に観た映画です。それではまずはリストから(例によって順番は公開順で自分が観た順とは異なります)

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2018年11月

2018年12月

  というわけでなんだかんだ週1~2ぐらいの感じで観てはいるのですね(複数回観てるのも4本ほど)。続いて簡易感想。ちゃんと記事書いたのは(もうほとんど無いけど)リンクの方もご参考に。

2018年11月

  • ヴェノム

 アメコミ版「ど根性ガエル」或いは「寄生獣」。元はスパイダーマンの敵キャラであったヴェノムを主人公としてフィーチャー。シリアスと見せかけてわりとコメディライクな作品。ちょっとどっちつかずな印象も。やっぱり映画の方はスパイダーマンがいない世界(MCUともアメスパともリンクしていない)でその敵キャラのオリジンを描くという物語なのでちょっとつらかったのも確か。エンディング後のおまけシーンでクレタス・キャサディ=カーネイジ?をウディ・ハレルソンが演じてたので続編あるならそのへんは楽しみかな。

 イギリスのバンドQUEENを描いたノンフィクション。2018年最も話題になった作品。僕も何回も劇場に足を運んだ。もしかしたらまだやってるところもあるのかな。アカデミー賞も主演男優賞で最優秀賞を獲ったみたいです。おめでとう。とはいえ監督のブライアン・シンガーは途中で降板、少年への性的虐待疑惑で多分もう商業映画は撮れないでしょう。好きな映画監督だっただけに残念ですが、致し方ない。映画はそしてきちんとブライアン・シンガーの色が出ているのも皮肉なところ。 

susahadeth52623.hatenablog.com

ボヘミアン・ラプソディ(オリジナル・サウンドトラック)

ボヘミアン・ラプソディ(オリジナル・サウンドトラック)

 

 アニメのゴジラ第3弾。前作で脳筋ブラックホール第3惑星人が退場して、X星人との宗教バトル。前回、前々回にも増してアクションがない。怪獣プロレスはやらない方針だったらしいですが、さすがに動かなすぎるだろ。何のためのアニメーションなのか?物語はいいんですよ。別に全面肯定ではないですが、宗教的なマインドゲームが中心でもソレはソレで形而上のモスラやギドラも興味深くはありました。ただどうせなら宗教バトルの末に実体がなく物理攻撃が効かなかったギドラに実体が現れ、ソレをゴジラが倒すとかそういう展開が欲しかった。 

  • A GHOST STORY/ア・ゴースト・ストーリー

 淡々ファンタジー

Ost: a Ghost Story

Ost: a Ghost Story

 

 J・K・ローリング原作「ハリー・ポッター」シリーズのスピンオフ第2弾。今回もローリング脚本でスタッフ・キャストはほぼそのまま。前作がわりと単体として完成されてたのと比べると今回は大河ドラマ的な流れの一片というか、続編への含みを多く残して終わります。物語的にもかなり暗めです。ちょっとクリーデンスのあたりとか描写が雑になってる気もしますが、観客側がある程度あの世界の知識があるのを逆手に取った展開などもあり面白かったです。今回タイトルロールにもなっている黒い魔法使い、グリンデルバルトのクライマックスの演説シーンは圧倒されます。ダンブルドアの若いころとしてジュード・ロウも出演。

 

  • ヘレディタリー/継承

 顔が怖い映画。顔は怖いが映画そのものは世間で言うほど怖くはなかったかな。

ヘレディタリー 継承 [Blu-ray]

ヘレディタリー 継承 [Blu-ray]

 

 チャイコフスキーのバレエ「くるみ割り人形」を原作としたファンタジー映画。僕は知らなかったのだが、もともとバレエ「くるみ割り人形」には童話の原作があってちゃんと物語がある代物だったのですな。映画は「アリス・イン・ワンダーランド」系の作品だがわりと色々狂っていて面白かったです。主演のクララ役、マッケンジー・フォイが美少女。「インターステラー」に出てた時はまだそばかすの残る幼さで利発そうだけど特に美少女という感じではなかったけれど、今回は神々しいほどに美しい。彼女の動く姿だけでも観る価値はあります。 

 

2018年12月

来る

 ごった煮オカルト映画。多分「ヴァン・ヘルシング」と同じ世界の物語(違)。

来る

来る

 

susahadeth52623.hatenablog.com

 「来る」「ヘレディタリー/継承」「A GHOST STORY/ア・ゴースト・ストーリー」「ヴェノム」の4本まとめての感想記事。

 原作は「ナイトメアー・ビフォア・クリスマス」にも影響を与えたスース博士の古典的童話。緑の怪人グリンチがクリスマスを盗む映画。過去にはジム・キャリー主演で実写映画化もされていますね。今回グリンチの声を演じているのはベネディクト・カンバーバッチさん、なのだけど僕は吹替で観たので大泉洋でした。原作付きだけあって、イルミネーション作品としてはおとなしめ。爆笑というよりはクスっと笑う感じ。オチがグリンチが村人に素直になって受け入れられてめでたしめでたしってなるのはまあ分かるんだけど、それでもクリスマスをぶち壊してめでたしめでたしになってほしいと思ったりしました。あの村の住人は全員病気です。 

 そんな「グリンチ」の同時上映。待望のミニオン最新作。「怪盗グルーのミニオン大脱走」の挿入か、或いはあの時脱走するの忘れたのか、ミニオンが刑務所を脱走する短編。一応日本語吹替でしたがほぼセリフは無いです。癒やし。

  • メアリーの総て

 昨年の僕のナンバーワン作品。「フランケンシュタイン」を描いたメアリー・シェリーの物語。映画を観て、「フランケンシュタイン」を読んで欲しい。そこに尽きます。  

susahadeth52623.hatenablog.com

メアリーの総て [Blu-ray]

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フランケンシュタイン (創元推理文庫 (532‐1))

フランケンシュタイン (創元推理文庫 (532‐1))

 

 ゲームのキャラクターたちがゲームセンター閉店後になると電源を通して交流してたよ、って物語の第2弾。前作はレトロゲームの悪役(を演じている)ラルフが別のゲームでヒーローをやろうとして混乱を招きつつ、バグ扱いされてた少女ペネロペと友情を深めるという物語であったが、今回はゲーセンを飛び越えてインターネットの中へ。個人的にはもうちょっとレトロゲームのできれば実在するゲームのキャラクターたちとの絡みが見たかったのでちょっと飛躍し過ぎのような気がしてちょっと残念。ただ、その辺を取り払えば映画自体は面白かったです。劇中複雑なのはゲームのキャラクターという設定上、おっさんと少女の友情をどこまで外見で分かる部分で捉えていいのか、ということ。前回悪役としての自分に意義を見出したラルフはすっかり保守おじさんとなっていたりするが一方でペネロペとの友情への想いはちょっと気持ち悪いぐらい。クライマックスで出てくるラルフをコピーした量産バグはラルフのペネロペへの妄執を具体化したようでかなり気持ち悪かった。一方で自分のゲームを捨ててネット上のより過激なレースゲームに鞍替えしてしまうペネロペは無責任のような気もする。

 新しいキャラクターのシャンクは超格好いいです。ディズニーのパロディも多いのだけど、逆にディズニー好きな人は賛否分かれそうな。メリダの扱いなあ。

シュガー・ラッシュ:オンライン(オリジナル・サウンドトラック)

シュガー・ラッシュ:オンライン(オリジナル・サウンドトラック)

 

 

 平成という元号は12月31日で終わるうのではなく4月いっぱい続くので前作で終わり!と思っていたシリーズも一応続いて今度こそ最終作。もちろん名を変えてまだ続くでしょうけどね。新しい仮面ライダー仮面ライダージオウ」は平成仮面ライダー20周年作品というわけで「仮面ライダーディケイド」同様平成ライダー全てをつなぐ作品。とはいえパラレルワールドものだった「ディケイド」と違ってタイムトラベルをテーマにしている。本作はそんな「ジオウ」と前作「仮面ライダービルド」を中心に「仮面ライダー電王」のデンライナーがつなぐ、という形。仮面ライダーファンがイマジンへの願いとして実際の仮面ライダーと会いたい、と想いそれがかなった世界ということでちょっとメタ的な構造も持つ。カズミンを見て「音也じゃないよね?」と言われるような俳優ネタとか。あ、カズミンの活躍が予想外に多かったのは嬉しかったです。

 一番のサプライズは電王パートでの佐藤健の登場。多分この20年の平成ライダー出演者では(活躍する者はたくさんいるけど)、オダギリジョーに次ぐ活躍、ブレイクをしているのは佐藤健だろう(その次が菅田将暉あたり)。「電王」は作品人気からシリーズは長く続いたが、途中から佐藤健は出演しなくなってしまった。もうこの手の作品には出ないのかな?と思ったところで今回の出演ですよ。もちろん野上良太郎として。ただその出演シーンはほぼウラタロスが憑依したスーツにメガネのウラ良太郎として。そこはちょっと残念だったけど、これはもしかしたらその前まで出ていたNHK朝ドラの「半分、青い。」ということで青いウラタロス憑依だったのかな?

 ライダー映画としての完成度は前作「「平成ジェネレーションズFINAL」の方が高いと思うけれどイベント映画としてはよく出来ていたと思います。 

仮面ライダー平成ジェネレーションズ FOREVER メドレー D.A. RE-BUILD MIX

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 さて、次は2019年の1,2月に観た映画だ!

*1:資格マニアのごとく全部の職業をマスターさせた結果、全員が勇者かパラディンという徳の高いパーティーとなったが戦闘はほぼ肉弾戦でダークドレアムも撃破するぐらいの感じに

新年のご挨拶

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新年あけましておめでとうございます!

 今年の干支は亥(イノシシ)。とりあえず猪のキャラって何かいたかな?ってレベルだったのでいきなり「レイザーバック」から。
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 神様なのできっとめでたい乙事主。
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「HUNTER X HUNTER」からはこの人。現在は抜けてるけど(後ついでに来年の干支である子も)。

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 現在の十二支ん、亥はこの人です。
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イノシシに会ったら逃げろ! 

レイザーバック  DVD

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もののけ姫 [Blu-ray]

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HUNTER X HUNTER30 (ジャンプコミックス)

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 今年もよろしくお願いします。

 

猛獣?総進撃! 2018年映画ベストテン!

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ヒャッハー!!!

 野生じゃかなわなくても服を着て文明に触れると熊より兎のほうが性質が悪い!とパディントン(声はシンケンレッド松坂桃李くん)と今年のマスコットの座を争い卑怯な手で出し抜いたピーターラビットさん(声はゴセイレッド、千葉雄大くん)。その喜びの様子です。

 というわけでもう気づいたら大晦日!寒さにやられ、年明けてからにしようかな、とか思ったけれども一応挙げましょう!スー*1の選ぶ「2018年映画ベストテン!」

昨年のベストはこちら。 

susahadeth52623.hatenablog.com

  1. メアリーの総て
  2. ボヘミアン・ラプソディ
  3. ピーターラビット
  4. ブラックパンサー
  5. レッド・スパロー
  6. パディントン2
  7. グレイテスト・ショーマン
  8. 累-かさね-
  9. オンリー・ザ・ブレイブ
  10. アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー

 今年はあんまり映画は観れていないのだけど、それでもまあ週一ぐらいの感じでは観てはいます。感想は全然追いついていないけれどなんとか映画ライフを送れてはいます。観た映画もほとんどはメジャーなものばかりなので必然的にベストとして選ぶ映画も特に自分の個性は出てないかもしれないけれど、まあその分誰が観ても楽しめる映画ばかりになっているんじゃないかと。正月休みのお供選びの参考にでもしていただけると幸いです。 

  • メアリーの総て 

 一年に一本ぐらいは出てくる「オレの映画」。まだやってるので観て!「フランケンシュタイン」も読んで! 

フランケンシュタイン (創元推理文庫 (532‐1))

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フランケンシュタイン対地底怪獣(バラゴン)

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 「フランケンシュタイン」違い。

 今年一番多く劇場で観た映画。細部を詰めるとそりゃ色々粗い部分もある作品だけど、これに関しちゃそういう理詰めの批評を物ともしない社会現象、ムーブメントだと思います。こっちもまだやってますね。みんな観ようぜ!「地獄へ道づれ」だ!

Bohemian Rhapsody (The Original Soundtrack)

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そしてここから動物映画4連発だ!野生は弱肉強食!強い順に並べるぜ! 

 兎の皮を被った任侠映画。軍拡とは血反吐を吐きながら繰り広げられる悲しいマラソンなのだ。兎に核のボタンをもたせたら地球は早々に滅びるであろう。軍備拡張が幸せを生むことはないと教えてくれます。

 ワカンダ・フォーエヴァー!

 今年のMCU映画はとにかく大変。 

 赤い雀の淡々スパイ映画。

  喋る熊さん映画第2弾。とにかく丁寧に作られてるので素直に出来がいいと思える映画です。ハッピー。 

 今年後半に「ボヘミアン・ラプソディ」がなければ今年の音楽関連映画といえばこの一本ということでもっと上位だったかも。象も出ます。

  • 累-かさね- 

  今年の邦画では1位。土屋太鳳と芳根京子の演技合戦が見どころ。実際の舞台「サロメ」も見たい! 

映画『累-かさね-』オリジナル・サウンドトラック

映画『累-かさね-』オリジナル・サウンドトラック

 

 実録映画。とにかくクライマックスまで実に楽しい映画なので、事実とはいえ(事実だからこそ)唐突な悲劇が悲しい。

オンリー・ザ・ブレイブ [Blu-ray]

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 大アンハッピーエンド映画。正直、これ一本では評価は難しいです。次の「アベンジャーズ4」によってこちらの評価もまた変わるかもしれません。

 来年は1980年代を舞台にした過去編 「キャプテン・マーベル」から始まって「アベンジャーズ4」「スパイダーマン ファン・フロム・ホーム」と続きます。過去編やちょっと特殊な立ち位置のスパイダーマンで「アベンジャーズ」を挟む形なのでまだまだ安心できない!

 ちなみに「キャプテン・マーベル」の一ヶ月後にはDCのキャプテン・マーベル「シャザム!」が待っているのでキャプテン・マーベルはしごも出来るかもよ?DCEUはサモア出身のプロレスラーみたいな「アクアマン」もあるよ。

 他に面白かったのだと「アンダー・ザ・シルバーレイク」とか「シェイプ・オブ・ウォーター」とか。邦画もわりと多く観た年で大体は良かったですね。特に腹が立つほどつまらなかった!というのも無かったのでいい年だったのかな。とまあ、今年は簡易バージョンという感じでこんな感じです。

そこへ突然来年の干支が!

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兎をぶっ飛ばすウリボウさん*2(十二支んの猪の子供なので)。

HUNTER×HUNTER 36 (ジャンプコミックス)

HUNTER×HUNTER 36 (ジャンプコミックス)

 

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あまりのことに唖然とするブライアン・メイさんとロジャー・テイラーさん。

それでは良いお年を!

 来年は怪獣大戦争です。


Godzilla: King of the Monsters - Official Trailer 1

*1:ツイッターの方でも「小覇王」というHNやめてみました。簡単に「スー」と呼んでください

*2:ゴンさん、多分来年は出番なさそう

創造主、汝の名は女 メアリーの総て

 そして今ふたたび、幸運を祈りつつわたしは醜いわが子を世におくりだす。この子供にわたしは愛着を持っている。幸福だった日々が生みだしたものだから。あのころ、死や悲しみはわたしの心に真実のこだまを持たないただの言葉にすぎなかった。いくつかのページには、わたしがひとりぼっちでなかったころの、散歩や馬車の旅や会話の数々が語られている。伴侶であったあの人に、二度とこの世で会うことはない。でもそれはわたしのひとりごと。こうした連想に読者のみなさんには何のかかわりもないのだから。(創元推理文庫メアリ・シェリー作、森下弓子訳「フランケンシュタイン1831年版のまえがきより)

 多少なりとも読書をする人なら「生涯で一番夢中になった本」というのが存在すると思うのだが、僕の場合、それがメアリー・シェリーの「フランケンシュタイン あるいは現代のプロメテウス」だ。1818年に当時若干18歳の女性によって書かれたこの小説はこの200年間の間に様々な影響を文学史だけでなく映画史や演劇史、そして科学史にまで影響を与えてきた。今年は刊行200周年。そんな僕の最も大好きな小説の作家、メアリー・シェリーの伝記映画「メアリーの総て」を観賞。

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物語

 メアリー・ウルストンクラフト・ゴドウィンは著名な思想家の両親の元に生まれる。しかし女権運動家のメアリー・ウルストンクラフトはメアリーを産んだ際に産褥熱で死亡。父親であるウィリアム・ゴドウィンは再婚したが、連れ子のクレアとは仲が良かったものの、継母との折り合いは悪い。そんな、メアリーがスコットランドバクスター家で出会ったのは売り出し中の詩人パーシー・ビッシュ・シェリー。情熱的なシェリーとメアリーは惹かれ合う。

 スコットランドから戻ったメアリー。シェリーも追うようにゴドウィン家に現れ、ウィリアムの弟子として授業料を払い通うようになる。再び燃え上がる恋の炎。しかしシェリーには結婚して5年になる妻と子供がいた。それでも交際を続ける二人に父親が反対。二人は駆け落ちをするのだった。そこにはクレアもいた。

 しかし理想の生活は上手くいかずすぐに生活に困窮するようになる。そんな中メアリーはクララという子供を産むがシェリーの借金取りから逃亡する無理の末クララは死亡。悲しむメアリーにクレアがバイロン卿のスイスの屋敷に招待されたという。クレアはバイロン卿の愛人となっていた。3人はバイロン卿の元を訪ねディオダディ荘を訪れる。メアリーとシェリー、クレア、そしてバイロン卿とその主治医ポリドリの奇妙な生活が始まった…

  僕が「フランケンシュタイン」を読んだのは高校生の時。当時フランシス・コッポラ監督による「ブラム・ストーカーの原作に忠実に映像化した」という謳い文句で作られた「ドラキュラ」があって、その流れで様々なクラシックモンスターを現代の最新技術で特にホラーという形を取らず文芸作品として映画化する、というムーヴがあった。コッポラ製作、ケネス・ブラナー監督の「フランケンシュタイン(1994)」もその1つ。怪物役をロバート・デ・ニーロが演じたのも話題となった。「ドラキュラ」にしてもこの「フランケンシュタイン」にしても真に原作に忠実というわけではなかったが、それまでのボリス・カーロフフランケンシュタインの怪物のイメージから離れ、きちんと原作通り知的な存在として登場したのは画期的なことであった。

 で、この時に映画にあわせたカバーで出版された角川文庫の「フランケンシュタイン」が僕の読んだ最初*1。以来何度も愛読する作品となっている(以降、原作からの引用は創元推理文庫の森下弓子訳からのものとなります。またメアリー・シェリーの表記は「メアリ・シェリー」が多いですが映画に合わせ「メアリー」表記にします)。

 今回の映画を「フランケンシュタイン」創作秘話としてみた場合メインとなるのはバイロン邸における「ディオダィ荘の怪談会議」*2なのであるが、この映画でも確かに重要なパートではあるが、より重要視されているのはそこに至る経緯であるといえる。まずはメアリーの両親について述べなければならない。

 メアリーの父ウィリアム・ゴドウィンは当時としては急進的な無政府主義者で「政治的正義」などの著作で知られる。婚姻という制度にも反対する立場を採ったが、恋人のメアリー・ウルストンクラフトが妊娠したため子供を私生児にしないため結婚することとなる。これまでの主張を違え教会での結婚を選択したことは多くの支持者を失望させた。しかしメアリーは娘を産んだ11日後産褥熱で死亡する。この娘がメアリー・シェリーである。

 メアリー・ウルストンクラフトは社会思想家で特に女権運動家として知られる。その著作は「女性の権利と擁護」として知られる。娘と違い恋多き人物であったが、最後に結婚し子供を産んで亡くなる。メアリー・シェリーにはその生まれながらにして母親の死がセットとなっていて、そのことはおそらく彼女の人生観にも大きな影響を与えているだろう。また両親の著作にも影響を受けていて父ウィリアム・ゴドウィンのゴシック小説「ケイレブ・ウィリアムス」は「自分の育てたものに追われる」という「追うものと追われるもの」の関係は「フランケンシュタイン」にも強く影響を与えているだろう。事実「フランケンシュタイン」は「政治的正義」「ケイレブ・ウィリアムス」の書名を掲げてウィリム・ゴドウィンに捧げられている。

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 そんな両親のもとに生まれたわけだからメアリー・シェリー(と書いているがこの名前は匿名で出版された「フランケンシュタイン」が第二版でメアリーの名前を出した時にシェリーと結婚していたからでこの映画の中、そして実際に「フランケンシュタイン」を執筆、出版した時は一貫して「メアリー・ウルストンクラフト・ゴドウィン」である)も文学的素養豊かだったのは間違いなく、パーシー・シェリーとの出会いがなくても何らかの形で世に出た可能性は高い。この時期のイギリスの女性作家というと「高慢と偏見」のジェーン・オースティンが有名で、「ジェーン・エア」や「嵐が丘」などのブロンテ姉妹が生まれたのはちょうどメアリーが「フランケンシュタイン」を執筆している時期だったりする。彼女たちに比べると今日、作家としてのメアリー・シェリーの名声は劣るが(実質「フランケンシュタイン」だけの人ではある)、その影響は彼女らに勝るとも劣らない。「クリムゾン・ピーク」では主人公の女性がメアリー・シェリーが好きだと公言することで変人扱いされている、という描写がありましたね。

 映画でメアリーを演じているのはエル・ファニング。現在残っているメアリ・シェリーの肖像画やその残された作品を見るとエル・ファニングはあまりに幼いようにも思えるが、実際に18歳の少女が書いたことを思えばほぼ同年代の役柄を演じた事となる。今の感覚だとおかしくなるが、パーシーも当時19歳で結婚して5年目とかだったし、医者であるジョン・ポリドリはディオダディ荘の怪談会議当時21歳だった。バイロン卿だけは少し年長だがそれでも28歳と皆若い才能の集まりだったのだ。映画は伝記映画の例に漏れず、必ずしも史実に忠実というわけではないが、それでも当時のメアリーの周囲に起きた「死と出産」はほぼその通りである。特にメアリー自身の生誕とそれによる母の死亡は始まりでもある。映画ではメアリーの最初の娘とその死亡がシェリーの借金取りからの逃亡が原因のように描かれているが実際は不明。そして映画では描かれないがディオダディ荘に向かう前に、1816年の1月には息子を出産している(ウィリアム。1819年に死亡)。シェリーとの正式な結婚の後(「フランケンシュタイン」出版前(執筆中?))には娘クレアラを出産しているがこのクレアラは翌年、1818年「フランケンシュタイン」出版後に生後一年で死亡している。結局二人の間の子供ので成人まで成長したのはウィリアム死亡後に生まれたパーシー・フローレンスだけであり、いくら当時は出産がまだまだ危険な行為で、子供の死亡率も高かったとはいえ、この時期の多くの「死と出産」がメアリーに強い影響を与えたことは想像に難くない。ここにシェリーの妻ハリエットや異父姉ファニーの自殺なども関わってくる。そして僕は、今回の映画を観るまで知らなかったのであるが、この時期の彼ら(父親のゴドウィンやシェリー)らは名こそ売れていたが経済的には困窮していたらしい。バイロン卿こそヨーロッパでも有数の金持ちであったが。

 映画で重要な役割を果たすのは血の繋がらない姉妹(年齢的には同年)であるクレアである。父ゴドウィンの後妻の連れ子であるクレアは故に文学的才能を受け継ぐことはなかったが、彼女がバイロン卿の愛人となったことでメアリーたちとバイロン卿の間に接点が生まれる。どちらかというと他の4人(メアリー、、パーシー、バイロン、ポリドリ)と比べて教養のない女性という扱いで一段下に見られているが、どちらかと言えばクレアの方が当時の(中流階級の)女性の平均像でもあるのだろう。ここではベル・パウリーが演じている。ちなみにクレアはフルネームをクレア・クレアモントというのだが、この名前を聞くと80年代から90年代にかけて「X-MEN」の原作を担当し、一番に人気の作品に押し上げたライター、クリス・クレアモントを連想するのです。

 そしてパーシー・ビッシュ・シェリー!この映画だけ観ると相当なダメ男だが実際はどうだったんだろう?自由恋愛を標榜しているが、どちらかというと今、恋愛工学などと言っているクズに近い気がする。ただ、妻子がありながらメアリーと交際、駆け落ちし妻ハリエットが自殺したその直後にメアリーと結婚しているところからもかなり男女関係にルーズな男だったのは間違いなさそうだ。映画ではそんなプロフィールから想像できる異常にダメな男をダグラス・ブースが演じている。彼は「高慢と偏見とゾンビ」にも出ていましたね(といって何の役だったのか思い出せない)。

  • ディダディ荘の怪談会議

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 映画の中盤でメアリーとパーシー、クレアはディオダディ荘にやってくる。出迎えるバイロン卿。ここでバイロンは唐突にパーシーにキスをする。単なる挨拶のようにも思えるが、これはバイロンバイセクシャル両性愛者といわれていることにもよるのだろう。映画では特にその辺説明はされないが、ポリドリも主治医というよりは同性の恋人だった。ポリドリについては後述するが、ポリドリを演じているのが「ボヘミアン・ラプソディ」ではロジャー・テイラーを演じていたベン・テイラーだったので、バイロンがまるでフレディ・マーキュリーのように思えてしまった。とはいえ「ボヘミアン・ラプソディ」でもポールがフレディにキスするシーン、この「メアリーの総て」でのバイロンがパーシーにキスするシーンは劇中では唐突でありそれなりに重要だが、特に男性同士によるキスをセンセーショナルに描こう、という感じはしなかった。登場人物のセクシャリティがそういうものであればこれが自然でしょ、という感じ。

 バイロンはこれまた強烈な人物で、この人はこの人で伝記映画が何本作られても足りないほどである。男性も女性も同等に見下している感じでそれ故に才能だけには忠実に、男女関係なく賞賛できる器の大きさも持つ人物。

 そしてこのディダディ荘において長期に渡り雨が降り続いたことで、暇つぶしにそれぞれ怪談話をつくろうじゃないか!とバイロン卿が持ちかけたことが「フランケンシュタイン」誕生のきっかけとなる。この経緯は「フランケンシュタイン」の1831年の第3版のまえがきで書かれていて、ある夜メアリーはある科学者が自分の創造した者の前にひざまずく姿を夢に見る。科学者はその横たわる創造物に命の火花を注ぐ。創造物はぎこちない半生命的な動きを見せる。己の行動に恐怖した科学者はしかし、放っておけば命の火花はすぐに枯れ動かなくなるだろう、と信じて眠りにつくが目を覚ますとあの創造物がベッドの脇に立ち物思わしげな目でこちらを見ている・・・

 そんな風景を夢に見たメアリーはイメージが途切れぬ内に書き始める。「11月のとあるわびしい夜のこと・・・」

 映画はあくまでメアリー・シェリーの伝記映画であり「フランケンシュタイン」創作秘話ではあるものの、「フランケンシュタイン」そのものの映像は出てこない。唯一、このメアリーが悪夢に見たという科学者が創造物を誕生させるシーンだけが映像化されている。「フランケンシュタイン」は北極探検のさなかにある青年ウォルトンの姉への手紙から始まり、その手紙の中でウォルトンが見つけたヴィクター・フランケンシュタインなる男性の告白、更にその告白の中でビクターが怪物から打ち明けられる独白、という入れ子構造をとっている。メアリーが最初に書き始めたという「11月のとあるわびしい夜のこと・・・」という一節はその中のビクターの告白に入ってからの5章目、まさにビクターが怪物に命を吹き込もうとしたその章の冒頭部分であり、メアリーがこの悪夢に見たヴィジョンを形にするところからこの小説が創造されたのがよく分かる。ちなみに「フランケンシュタイン」における怪物の創造というとそのきっかけとして電気が使用されることが多く1931年の「フランケンシュタイン」では雷、1994年の「フランケンシュタイン」では電気ウナギをその電気パワーの源として使用しているが実は原作劇中には電気によって怪物に命が宿った、という直接的な描写は無い。生命の火花を吹き込む「生命の機械」とあるだけ。SF小説の元祖ともされる「フランケンシュタイン」ではあるが実はその具体的な描写はほとんどないのだった。ただやはりヒントは「まえがき」にあって、バイロンとパーシーがガルヴァーニ電流について、それによって死者の蘇りも可能だろう、ということを話していたと書いている。これがヒントになっているのだろう。

  • メアリーとポリドリ

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 僕が個人的にこの映画で良かったのはジョン・ポリドリの描写。ポリドリはこの「ディオダディ荘の怪談会議」に置いてメアリーとともにきちんと作品を形にした。結局詩人であったシェリーとバイロンは小説という形には出来なかったのだ。ポリドリの「吸血鬼」はアイデアバイロンによるものともされ、実際最初はバイロンの著書として出版されたのだが、紛れも無くポリドリのもの。そこで出てくる吸血鬼ルスヴン卿は明らかにバイロンをモデルとして描いているが、この作品によって東欧の醜い化け物だったヴァンパイアは貴族的な美男子というイメージに生まれ変わった。このポリドリの「吸血鬼」を発端として通俗的な「吸血鬼ヴァーニー或いは血の饗宴」やレ・ファニュの「吸血鬼カーミラ」を産み、決定版としてブラム・ストーカーの「ドラキュラ」に至るのだ。正直文学作品としては「カーミラ」や「ドラキュラ」と比べると相当劣るようだが、それでも吸血鬼という一大ジャンルの祖であることは間違いない。

 そんな偉大な作品の著者ポリドリであるが、彼は前述の通りバイロン卿の同性の恋人か、少なくとも彼自身がバイロン卿に同性愛的な好意を向けていたことは間違いないようで、それゆえに才能の部分でバイロンに認められているシェリーに対し嫉妬していた、と語られることが多い。映画ではバイロンシェリーというわがままな詩人に翻弄される立場としてメアリーと自分を同じ立場の人間として共感しているような描写が大きい。彼はある意味でシェリー以上にメアリーの「フランケンシュタイン」の理解者であるのだ。ポリドリだけではない。クレアもそうだ。彼女も結局バイロンからは真剣には想われていないことを知るが「フランケンシュタイン」の怪物に共感を示す。バイロンの評こそ無いが、シェリーは最初感心するも頓珍漢なことを言う。虐げられた者の共感はそうでないものには分かりにくい。しかし世の中の圧倒的多数は虐げられたことのある、或いは今まさに虐げられている人たちなのだ。

 ポリドリがその著書「吸血鬼」をバイロンの著書として出版されてしまったように、「フランケンシュタイン」も最初は匿名で出版された。詩人として有名だったシェリーの「序」が付き、ウィリアム・ゴドウィンに捧げられたことで最初はパーシー・シェリーがその著者と噂されたという。当時は女性作家は一般的ではなく有名な思想家や詩人がいてもその娘や妻に作品を作れるとは思われなかったのだ。結局著者名が明かされるのは1823年の第二版から。現在底本として流通しているのは第三版を元にしている。第二版までとは序盤に文体の改変があるようだが、物語面などでは大きな変更はない、としている。

 そしてメアリーがいざ「フランケンシュタイン」を執筆するシーンは何度観ても涙が出てくる。これらは全てちゃんと小説「フランケンシュタイン」作中に出てくる文章である。

おれは死ぬ。今この身をさいなむ苦悩を二度と味わうこともなく、満たされず、かといって消すこともかなわぬ感情の餌食になることもなくなるのだ。おれを世におくりだした男は死んだ。これで自分がいなくなれば、われわれふたりの記憶さえすみやかに消えてゆくだろう。太陽も星ももはや見えず、頬に遊ぶ風を感じることもない。光も知覚も意識も失せた、その状態に自分は幸せを見いだすのだ。

 「フランケンシュタイン」を物語として知っている人は多いだろう。一昔前と違ってヴィクター・フランケンシュタインとその被造物をごっちゃにしてフランケンシュタインと呼んでいる人も、フランケンシュタインの怪物を物言わぬ怪力だけの存在と思っている人も少なくなったと思う。とはいえ、この執筆シーンの表現の美しさは原作小説「フランケンシュタイン」を読んでこそ。映画化された作品だけを観ていては「メアリーの総て」におけるここのシーンの良さは分からない。映画の後でもいいからぜひ小説を読んで欲しい。


Mary Shelley Official Trailer

 それにしても「フランケンシュタイン」に惹かれる人は女性が多い。原作者メアリー・シェリーが女性なのは当然として、この映画は監督のハイファ・アル=マンスールも脚本のエマ・ジェンセンもそれぞれ女性だ(プロデューサーや音楽も女性)。マンスール自身女性の活動が制限されているサウジアラビアで初の女性映画監督である。なるほどメアリーと通じるところも大きいだろう。日本に目を向けてもその翻訳を担当するのは皆女性だ(僕が最初に読んだ角川文庫版は訳者は男性だったが、現在主に入手しやすい創元推理文庫版、新潮文庫版、角川文庫版は全部女性訳者によるもの)。物語自体は深く物語に関わってくる女性はヴィクターの婚約者エリザベスぐらいしか登場しないにも関わらず、やはり女性はこの「死と誕生」の物語に何か心惹かれる物があるのだろう。

  ジェームズ・ホエール監督の「フランケンシュタイン」とその続編「フランケンシュタインの花嫁」。ボリス・カーロフのいわゆる首にボルトが刺さってて言葉も喋れない怪力の怪物、というイメージを広く定着させた「戦犯」でもあるのだが、それでも実はどの映像化よりも原作の精神を受け継いでいるようにも思う。作品評価は続編の「フランケンシュタインの花嫁」の方が高い。「~花嫁」冒頭はディオダディ荘からはじまりメアリー・シェリーその人が「物語には続きがある」と導入する役割を果たす。演じるのは本編で怪物の花嫁も演じるエルザ・ランチェスター

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  ケン・ラッセル監督のディオダディ荘の怪談会議そのものを映画化した作品。ただコチラはあくまでホラー映画として作られている。全体的に今回や、実際の史実に比べると登場人物(というか俳優)の年齢が高い。

 原作のその後を描いたという設定のコミックスの映画化である「アイ・フランケンシュタイン」感想記事。多少今回書いたことと重複しているとは思いますが。

 

「だがすぐに」と彼は悲しくもおごそかな情熱をこめて叫びました。「自分は死に、今感じることももう感じはしなくなる。燃えるようなこの苦悩ももうすぐ終わる。自分は意気揚々と火葬の山に登ってゆき、劫火の苦しみに凱歌をあげよう。大火の明かりはうすれゆき、自分の灰は風に乗り海へとさらわれてゆくだろう。わが魂は安らかに眠る、よしたとえものを思うとも、今のように思いはすまい。さらばだ」

 そう言うと彼は船室の窓から身をおどらせ。船のすぐそばに浮かぶ氷の塊におりたちました。そうしてやがて波に運ばれ、はるかな闇の中へ消えていってしまいました。 

フランケンシュタイン (創元推理文庫 (532‐1))

フランケンシュタイン (創元推理文庫 (532‐1))

 

 

 

*1:現在角川から出版されている「フランケンシュタイン」はこの時のものとは訳者が異なる別のもののようです

*2:Wikipediaでは「ディダディ荘の怪奇談義」とあり、「ディオダディ館の幽霊会議」「ディオダディ館の夜」などとも呼ばれる、とあるが僕はどこかで読んだ「怪談会議」という呼称が馴染んでいて好きなので正式かどうかは分からないがそう呼んでいる

とっても憑かれた 来る(他3本)

  さて、例によってたまった映画感想をいくつかまとめて。今回は「憑かれた」映画ということで。なんだか特に意識せずに似た感じの映画を連続で観たのでね。その中で一番おもしろかった作品を中心に。まずは「Oooh きっと来る きっと来る 季節は白く~」というわけで中島哲也監督作品「来る」から(主題歌は「feels like 'HEAVEN'(byHIIH)」ではございません!)

  • 来る

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 原作は澤村伊智の「ぼぎわんが、来る」。2015年の作品。「ぼぎわん」とは「ブギーマン」が日本の田舎で訛って伝わったものだそうで、映画劇中では結局なんなのかは明らかにされない。山の神のようにも幾人もの怨念が積み重なったもののようにもいかようにも解釈出来そうだ。

 この映画は主人公が妻夫木聡黒木華岡田准一と移り変わり、更にそこに小松菜奈松たか子青木崇高といった人物が脇を支える形。この主人公が移り変わるのはそもそも原作がそれぞれの主人公の一人称で繰り広げられる3つの短編が合わさって一つの長編となる形をとるものらしい。これが映画でも継承されてて、明確な3部作というわけではないけれど大体において3つに分けられ、それぞれ中心となる主人公が交代していく。

 ただね、映画としてそれが効果的かどうかはちょっと判断がつかなかった。というのも最初の二人、妻夫木聡黒木華の夫婦は両方共死ぬ形(それも凄惨な死)で退場するので主人公が死んだ!っていう衝撃を観客が受けるので「あれ?ここで終わりかな?」って思っちゃうんだよね。特に妻夫木聡の方はまだ時間があるのは分かるけど黒木華の方は観客の時間間隔が鈍ってくる頃なので。小説ならまだ続きがあるのが分かるけど。

 で、やはり最終的な主人公である岡田准一とそのパートナーである小松菜奈のコンビをもっと早く出して置くべきだと思った。物語本編とは直接関係なくてもいいから小さな心霊現象を解決するエピソードなんかを冒頭に置いて、本編に登場するのこそ遅れるけどこの人達が主人公だよ、と観客に提示しておくべきではないかと。これ「貞子vs伽椰子」の常磐経蔵(安藤政信)の時も思ったけど主人公(ヒーローといってもいい)はなるべく早く出すべきだと思う。ちなみに「貞子vs伽椰子」の数倍「来る」の出来はいいです。

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 映画はまず最初に妻夫木聡黒木華を連れて田舎に帰るところから始まる。祖父の13回忌で婚約者を紹介する妻夫木。この田舎が見事に悪い田舎。内に凝り固まっていて、おっさんは宴会で若い女性(といっても多分誰かの妻)に酔った(フリ?)で抱きついたりする。外に出たものの夢破れた者は管を巻く。これぞ地獄絵図。主人公の家族も外面は良いものの、黒木華がいないとこではよそ者の陰口を叩く。この冒頭の田舎が実は一番のホラー。なるほどこんなとこなら人ならざる者が誕生もするわなあ、と言う感じ。でももしかしたらここの描写を特に何も感じない観客もいるのかもしれない、と思うとそれが一番ホラーかも。

 続いて妻夫木、黒木の結婚式とマンション購入、出産といった幸せ描写が延々と続き、ここが僕にとってはかなり拷問だったので、そこまででかなりメンタルはやられて、実際の超常現象が頻発するようになると逆に心穏やかに臨めたりしました。

 見どころはまず妻夫木聡の空っぽぶり、彼が演じる田原夫婦の旦那は一件完璧な人間。東京の優秀な営業マンで外見も言動も爽やか。結婚してからは良い夫、良い父親を見せている。ただしそれは完全に外面で、家事・育児は妻任せ、そして疲れる妻の気持ちを慮ることが出来ない。普段の行いやブログでは完璧な父親を演じているが分かる人にはその空っぽさを見透かされている。「完璧な父親を演じている」と書いたが、多分本人は演じてる気すら無く実際の姿と外面が彼の中では矛盾がないと思えるのが更に空疎さを増す。

 かたや黒木華の妻は自身が毒親に育てられたため、自分が家庭を持つことに自信がない。そんな彼女がよりによって妻夫木聡と結婚してしまったことが運の尽き。生活に疲れ、人生に疲れ、おまけになんだかよく分からないものに憑かれる。不思議と疑問だったのは夫が死んだ後もあのマンションに住み続けてるところ。購入したとはいえローンがあるだろうし、売っちゃったほうが良いと思うのだが住み続ける。もちろん妻夫木が一括で払ってるので普通に住み続けたほうが安いとか、夫があんな死に方をした後なので買い手がつかないのかな、とかあるのかもしれない。が、個人的には後述の「A GHOST STORY」同様、その家に住み続けることがすでに超常現象なのかもしれない。

 田原夫婦が共に死ぬと、主人公は岡田准一に交替。そして満を持して松たか子が姿を現す。この松たか子は沖縄のユタの血統を受け継ぐ霊能力者、とされるが、何気にものすごい影響力を持つ人。警察や政府の上層部と通じ、マンション周辺一帯を封鎖して大規模な除霊の儀式を行う。その方法は仏式の坊主もいれば神道の神主スタイルもいるし、ハングルが書かれた道具を使う韓国式の者達もいる。この霊能力ちゃんぽんぶりと大規模さで思い出したのは「ヴァン・ヘルシング」。あれはカトリックチベット仏教などが秘密裏に手を組んで魔物と戦う組織を作っていたが、もしやあれが現代まで続いているのでは?などと思った。とにかく大規模などんちゃん除霊が楽しい。ちなみにここではしゃいでる女子高生もきっちり巫女さんかなんかだったのですな。

 邦画の悪霊さんはわりと手当たり次第で大規模に襲うのはホラー映画としてはむしろ恐怖感を削ぐと個人的には思う。この映画も実際の超常現象部分は楽しめたけどそんなに怖いとは思わなかった。ただ超常現象外の部分が非常に怖く感じたのであった。「家族ホラー」としては次の「ヘレディタリー/継承」より良く出来たいたと思います。


岡田准一×黒木華×小松菜奈主演!映画「来る」予告

ぼぎわんが、来る (角川ホラー文庫)

ぼぎわんが、来る (角川ホラー文庫)

 
  • ヘレディタリー/継承

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 祖母の死をきっかけに次々と家族に不幸が降り注ぎ、実はそれはとある陰謀であった、と言う話。自分の解釈したところでいうと、祖母は悪魔崇拝のオカルトサークルを運営していて、自分の孫である男子ピーターにとある悪魔を宿らせようと画策。しかし娘である孫の母親アニーが息子と接触させなかったため一時断念。替わりに孫の妹である孫娘チャーリーに悪魔を借り宿させる。その後祖母が亡くなり孫娘は不慮の事故(これが単に事故なのか計画の内なのかは不明)で亡くなる。行き場をなくした悪魔をきちんと当初の予定通り男子たるピーターに宿らせるべき祖母の仲間たちがアニーに接触、降霊会などをさせる・・・と言う感じか。もちろんこれは全部観た後での解釈。まずはとにかく出てくる人物の顔が怖い。ピーター(演じるアレックス・ウルフはジュマンジ/ウェルカム・トゥ・ジャングル」でロック様になった人)こそ普通の少年だが、母親であるアニーや妹のチャーリーは怖い。アニー役のトニ・コレットは僕が観た中では最近だと「トリプルX:再起動」(対照的に全く頭を使わない映画だ)で悪役を演じていたが、もっとセクシーな美人という感じ。本作でも美人ではあるのだろうが、常に苦悩してるか怒鳴っているか、という感じなのでまず怖い。役柄的にもほぼすっぴんという感じなのだろうが、この容姿の怖さは単に素面だからなのか、何か特殊メイクを施しているのかどちらだろう?このアニーがまたミニチュアアーティストで、いろんな物をジオラマで再現しようとしたりするのがまた怖い。神(悪魔)は細部に宿る。

 そして妹チャーリー役の御面相。よく考えると彼女は途中で退場するし、悪魔が彼女に宿っていた(という僕の解釈)とはいえただただ不幸な少女、というだけなのだが、まるでこの映画の悪の元凶のような気さえしてしまう。演じるミリー・シャピロは確かに特徴的な容姿ではあるが当然普通の少女。こちらも多少は特殊メイクされているのか、と思うがどうなんだろう。

 一家の父親役がガブリエル・バーン(製作総指揮も)で一家の中では(血統に関係ないからか)一番普通の人なのだが、どうしてもこういう映画だと「エンド・オブ・デイズ」のサタン(燃えるおしっこ!)を思い出しちゃう。

 面白かったけど、世間で言うほど高評価ではないかな。特に斬新だとかは思いませんでした。「家族ホラー」としては先の「来る」の方がよく出来ていたと思うし、悪魔関連の「カルト(教団)ホラー」としてはロブ・ゾンビの「ロード・オブ・セイラム」の方が不条理な中にもユーモアがあって面白かったかな。

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  何に恐怖を感じるかは人それぞれなので僕が特に怖く感じなかったからといってそれはあくまで僕の感覚でしか無いわけだが(例えば僕は独身だが子供がいる人は「来る」も「へレディタリー」も違う見方をするだろう)、それでもやっぱり最近の映画でホラーとして怖いってのは殆ど無いなあ(音量や演出でびっくりすることはある)。


Hereditary - Trailer

  • A GHOST STORY ア・ゴースト・ストーリー

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 ルーニー・マーラケイシー・アフレックの夫婦。ある日ケイシーは自宅前で交通事故に遭い死亡。しかし白い布をかぶった幽霊となって帰宅。妻を見守るがやがて妻は家を売却して去る。幽霊はその家にいつづけ、やがて…

 ホラーじゃないです。ファンタジー映画なのだろうか。序盤かなり淡々としていて、カメラワークもほとんど無いのでちょっと辛い。画面比も3:4でちょっと小さかったし。成仏しそこねた幽霊は家に帰るが、今度はそこから離れられない。幽霊は人に憑くのか、家に憑くのか、土地に憑くのか?最初は妻という想い人、人に憑くかのように思う。だが妻が家を去り次の住人が住んでも幽霊は家を離れない(新住民をポルターガイスト現象で脅かして追い出すなど対応は妻とは異なる)。やがて家は取り壊され、そこにショッピングモールが出来るとモールをうろつく幽霊と成るか、あまりの変わりように絶望したのか身投げ。さて、それでは建物に憑いていたのか?今度は突然過去の西部開拓時代。ある一家がそこに家を建て定住しようとするがインディアンに襲撃され全滅してしまう。それを見守る幽霊。幽霊は土地に憑くのか?

 この幽霊はおそらくケイシー・アフレック演じる亡くなった夫、そのものではない。最初の入植者一家から代々積み重なった何かだ。幽霊自身が見る自分たち夫婦の会話。それは家に対して何か不吉なものを感じ、引っ越したいと訴える妻と家に愛着を持つ夫の会話。ポルターガイスト現象で脅すも結果として逆に夫妻は引っ越しを決めてしまう。その直後に夫は事故死。つまりこの土地、家に憑く何かがこの夫妻を引き留めようとして夫のほうを殺して引きとめようとしたのだと思う。幽霊は夫の幽霊ではあるがその何かとの融合体みたいなものなのであろう。

 とつらつら書いたけどホラーじゃないし、ショッキング描写も特に無いです。面白かったかも微妙で映画館じゃなかったら多分途中で脱落したかもしれない。妙に心には残るけど。


A GHOST STORY - Trailer (2017)

  • ヴェノム

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 最後はガラッと変わって「ヴェノム」。元は「スパイダーマン」のヴィランで実写映像化としては二回目。前回はサム・ライミの「スパイダーマン3」でほぼ原作に忠実にピーター・パーカーのコスチュームに憑いた宇宙からの寄生体がピーターに逆恨みした新聞記者エディ・ブロックに憑依、ピーターへの恨みで狙いが一致した二人はヴェノムとして復讐を為そうとする、というもの。サム・ライミは自身の少年時代に親しんだ60年代のスパイダーマンには深く思い入れがあったようだが、偉い人の要望で登場させたこの90年代にデビューしたキャラクターには全く興味がなかったようでわりと普通の悪役という感じ。今回はそのリベンジでもあるのだが、もともとは「アメイジングスパイダーマン」のスピンオフ企画。ただ今回はシリーズとしては終了したアメスパとも現在のMCUに参加しているトム・ホランドスパイダーマンとも世界観は共有していないようである。ということはつまりスパイダーマンのいない世界でスパイダーマンの悪役を主人公とした作品を作る、というわけでちょっと物足りないのもたしか。アメコミ映画の例に漏れず、最初の予告編は実にシリアスな感じだったが徐々にコメディっぽい部分も出てきて最終的にはわりと愉快な映画だった。トム・ハーディが「ダークナイトライジング」ベインに引き続きアメコミキャラクターを演じる。ややこしいことにベインはヴェノムという薬品を摂取している設定なのでごっちゃになりますね。

 ライミ版に比べると体格が最初から過剰なマッチョになっていたり、大げさに表現されていて楽しかったがやはりスパイディがおらず大元のオリジンがコミックスと異なるのでデザイン的にも胸の蜘蛛が無くなっていてただ黒いだけだったりするのが残念。あと、敵となる相手がやはりヴェノム同様シンビオートでヴェノムに対してより巨大でヴェノムより若干銀がかった黒という感じで「ブラックパンサー」のラストバトルでも思ったけど格闘ゲームの色違いキャラみたいな感じで違いが分かりづらいのが辛い。しかも戦うのは夜だし。もうここは設定大幅に変えていいから赤いアイツにして欲しい、とか思ったのだったけどアメコミ映画恒例のエンドクレジット後のアレで赤いアイツが出てきたのでそれは良いや!

 なんかとにかく変な映画。正直本編はイマイチであったがエンドクレジットやおまけ見ている内に愉快な気分になったのでOKです。個人的にはもしもシリーズ化が念頭にあったのならシリーズの2作目、3作目でヒーロー化しても1作目は悪役まっしぐらのピカレスク路線で良かった気もする。


VENOM Official Trailer #2 - Tom Hardy

 

ヴェノム:リーサル・プロテクター (ShoPro Books)

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ヴェノム [Explicit] (Music From The Motion Picture)

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 あ、あと「ヴェノム」公開時に「Godzilla King of the Monsters」の予告編(月の光)が流れて、日本版はオリジナルより短いんだけど、あれを大画面で観れるのは眼福でありました。新しいのも公開されて来年の5月までは死ねませんぜ。


Godzilla: King of the Monsters - Official Trailer 1