The Spirit in the Bottle

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新たに紡げ!爆炎と血の神話 マッドマックス 怒りのデス・ロード


 ついに公開された「マッドマックス 怒りのデス・ロード」!「マッドマックス・サンダードーム」以来30年ぶりの「マッドマックス」シリーズ新作です。調子に乗ってすでに2回観てきましたよ!WHAT A LOVELY DAY!

 実際の続編としての企画が動き出したのは2003年。しかしそこから紆余曲折。撮影寸前まで行ってイラク戦争などで頓挫し、その間にメル・ギブソンが離脱。代わりにマックス役に抜擢されたトム・ハーディシャーリーズ・セロンが加わって撮影が始まったとされるのが2013年。それから2年やっと完成品が観れた。そして出来上がった作品はまさに「神話」というにふさわしい原初の興奮、爆炎と血煙にまみれた新しい時代の「マッドマックス」だった!「マッドマックス 怒りのデス・ロード」観賞。

物語

 文明が崩壊した未来世界…荒野を彷徨う元警官のマックスはウォーボーイズ軍団に捕まり、水を管理することで人を支配する狂気の神イモータン・ジョーの砦シタデルに置いてウォーボーイズたちに血液を供給する輸血袋としての役割を負わされる。
 シタデルではジョー大隊長・女戦士フュリオサが友好都市ガスタウンへの遠征を任された。しかしフュリオサの狙いはジョーの5人の妻〜妻とは名ばかりの子を生むために集められた若い女たち〜とともに自分の故郷「緑の地」への逃亡だった。事態を察知したイモータン・ジョーは怒り狂い自らフュリオサの乗るウォーリグを追いかける。ウォーボーイズ〜イモータン・ジョーを神と崇め彼のために死ぬことを望みとする先行き短い青年たち〜の一人ニュークスは輸血袋を同行させることで追手の一団に加わる。その輸血袋=マックスをクルマの先に掲げ、フュリオサを追いかけるニュークス。他の暴虐の集団も加わる中、大嵐が襲いかかる。果たしてフュリオサ一行、そしてマックスはこの狂気の時代を生き残ることができるのか?

 原題は「MADMAX FURY ROAD」で邦題の「怒りのデス・ロード」だともう「デス=死」まで加わってお腹いっぱいだが、これ単に怒りと言うよりおそらくフュリオサにかけたタイトルなのでそのままのカタカナ邦題でよかったんじゃないかなあとも思ったりした。
 作品はマックスの独白から始まる。タイトルの入り方もこれまでとは違い新しいシリーズの始まりを予感させる。過去のシリーズ「マッドマックス」「マッドマックス2」「マッドマックス サンダードーム」3作を見ていなくてもなんの問題もないが(元々一作ごとに全然話が異なるシリーズでもある)、それでも過去作、特に「サンダードーム」からの引用というか共通する要素が見受けられる。

トム・ハーディとその幻影

 今回のタイトルロールであるマックス役はトム・ハーディメル・ギブソンは降板し結局のところ若々しいマックスが戻ってきた。観れば分かるがトム・ハーディのマックスはあんまりメル・ギブソンのマックスには似ていない。スタイルもスラリとバランスが良かったメル・ギブソンに比べるとちょっとずんぐりむっくりな感じもする。最も演技プランにしても佇まいにしても、あんまり似せようという気は監督にもハーディー自身にもなかったのではなかろうか。単にメル・ギブソンに似せるのが目的であったなら同じオーストラリア出身の俳優、ヒュー・ジャックマンとかラッセル・クロウとかのほうが合っている。これまでのマックスは左目と左足に怪我を負っていたが、新マックスは特に無し。しかし終盤で新たに怪我を負う。
 しかしトム・ハーディメル・ギブソンの一番の違いはやはりここに至るキャリアだろう。メル・ギブソンにとって「マッドマックス」は本格的な映画出演作であり、これによって世に出たと言える作品だが、トム・ハーディはすでに様々なキャリアを築いてこの作品に至った。だから旧シリーズのマックスは唯一無二のオリジナルであるのに対して、トム・ハーディの新マックスはオリジナルマックスはもちろんのことトム・ハーディのこれまで演じてきた役なども影響を与えているようにみえる。
 イモータン・ジョーの支配を支える軍団、ウォーボーイズは核戦争後の汚染された大気の中で生まれながりに病気を抱え、若くして死にゆく運命の者達である*1ジョーを神と崇め、ジョーのために戦って死ねば自分の霊が「英雄の館」に祀られていると信じている。北欧神話オーディンの戦士たちと靖国神社を合わせたような狂気の思想にどっぷり浸かったある意味被害者な彼らだが、僕は彼らを見て「スタートレック ディープ・スペース・ナイン」のドミニオンの兵士ジェムハダーを連想した。彼らは遺伝子操作で生み出され、生まれながらに戦うことを義務付けられた種族で自分たちを創りだした創設者を崇拝している。寿命は短く、更に薬(ケトラセルホワイト)によって管理され、自由意思がない。そしてウォーボーイズのそのスキンヘッドに色白(というか白く塗ってる)の体から更に連想したのが、「スタートレック・ネメシス」でトム・ハーディが演じたピカード艦長のクローン、シンゾン(映画デビュー作)。この頃は今と違って細面の色白だったが(役もあるだろうけどまだ若かったからね)、シンゾンは言ってみればウォーボーイズと同等の存在とも言えるだろう。
 また、トム・ハーディといえば最近では「ダークナイト ライジング」のヴィラン、ベインだろう。もしかしたら多くの人にとってトム・ハーディという役者を認知した作品かもしれない(僕の場合、先の「ネメシス」で知って以来ご無沙汰で、「インセプション」で久々に見た、という感じ)。プロレスラーのような体格、口元には外気呼吸が出来ず薬を吸うための特殊なマスク。このルックスは今回の映画ではイモータン・ジョーやその息子であるリクタス・エレクタスを彷彿とさせる。リクタス役のネイサン・ジョーンズは実際の元プロレスラーだ*2シンゾンを彷彿とさせるウォーボーイズ、ベインを連想させる(かもしれない)ジョーとリクタス。今回のマックスは過去の自分の幻影と戦う役とも言える。
 幻影といえばマックスは幾度も少女の幻影に悩まされる。この少女が何者なのか、劇中では説明されない。暴走族に殺されたマックスの子供かそれとも流浪の旅を続ける間に出会った集落で、しかし助けることの出来なかった少女か。おそらく後者だと思われるが(他にもマックスが助けられなかったと思われる人物の幻影も少し現れる)、この少女の幻影がマックスの荒野での方針となる。最終的にマックスはこの少女の幻影に促され、己の生きる道を見出す。
 

サンダードーム

 本作はシリーズとしては4作目だが、時系列的には単純に「サンダードーム」の後の出来事なのか、あるいは直接関係ないリメイクなのかは判断に苦しむところ(核戦争後45年後というマックスの容姿を考えると明らかにおかしい設定や、殺されたマックスの子供が幻影の中で「パパ」と言っているところから1のまだ赤子だった子供の設定とは異なっている可能性があることなど)。それでも(一般にあまり出来が良いとは言われない)「サンダードーム」とはシリーズとして密接につながっている。「サンダードーム」のマスター・ブラスターのキャラクターは「怒りのデス・ロード」ではイモータン・ジョーの不肖の息子コーパス・コロッサスとリクタス・エレクタスの兄弟を彷彿とさせる。マスターは日本神話における少彦名命、主役に知慧を与える小さき神でもあるわけだが、ここでも頭が良いが下半身が萎え小人であるコーパスと筋骨隆々の大男だが知能は幼児並みというリクタスの組み合わせはマスター・ブラスターからの流用だろう。そして身体を白く塗り、目の周りを黒くパンダのように塗るニュークスはじめウォーボーイズはやはり「サンダードーム」のスクルールースの外見の流用だろう。スクルールースは「スクリュー(ネジ)」が「ルーズ(緩い)」で「ネジの緩いやつ」というちょっとバカにしたあだ名なのだが、この辺のぶっ飛んだ感じはウォーボーイズにも受け継がれている。
 例えばTVシリーズ、「ウルトラマン」では前作「ウルトラQ」から桜井浩子が出演、そして「ウルトラセブン」には「ウルトラマン」から毒蝮三太夫石井伊吉)が出演したようにキャストの一部をスライド出演させることで(世界は違っても)シリーズとしての連続性を持たせる試みがある。ブルース・スペンス演じる2で出てきたジャイロ・キャプテンが「サンダードーム」でやはりブルース・スペンス演じるほぼ同じ役柄でしかし別人のジェデダイアとして出てきたことで2と「サンダードーム」に連続性が保たれた部分もある。本作の「サンダードーム」のキャラクターから「怒りのデス・ロード」への流用も時代が経っているので役者こそ違うけれど、似たような効果を狙ったのではないかと推察する。
 「サンダードーム」は元々が別の企画だった、ジョージ・ミラーの相棒で制作のバイロンケネディがロケハン中に事故で亡くなってしまった、オーストラリアだけではなくアメリカ資本が入っているため最初からアメリカ(及び全世界)公開を視野に入れていたため結果としてぬるくなった、など様々な理由も相まって今では評価が低いが(先日の轟音上映でも上映されたのは1と2だけだったし司会の玉袋筋太郎も「サンダード−ム」はいいや、みたいなオチとして使っていた)、それでも世界観としてマッドマックス、あるいはそれに影響された作品世界として確立されたのは「サンダードーム」があればこそ。「サンダードーム」では巨大なセットでの撮影がロケではなく逆にスタジオ撮影に見えてしまいそれがこじんまりとした印象を与えてしまったのかもしれない。本作ではその辺は解消されています。
 今回の「怒りのデス・ロード」も世界観は「サンダードーム」の延長線上にある。作品のテンポは本作、荒廃した雰囲気は2にはかなわないものの、これを気に再評価されればいいなと思う。

女戦士フュリオサと役者たち

 マックスは基本的に世紀末の荒野では人と関わりを避けて生きている。映画の構造としてもマックスは揉め事のあるところに現るが最初は積極的に関わろうとはしない。直接復讐が動機となる1作目にしても、それまではむしろ親友のグースが殺されても警察を辞めるにとどまる。2でも当初はあくまでガソリン目当ての取引にすぎない。それがやがて自分からトレーラーの運転手を志願する。この変化が見どころだ。本質的にマックスは「シェーン」や「木枯し紋次郎」のようなヒーローといえる。それでは実質的に物語を動かす主人公は誰か?
 今回はそれが女戦士であるフュリオサといえるだろう。「FURIOSA」という名前は明らかに「FURIOUS=猛烈」から来ており、さらに原題の「FURY ROAD」の「FURY=憤怒」も彼女のための形容詞かもしれない。そのくらい彼女は格好良く実質的な主人公とも言える。
 フュリオサは坊主に片手。しかしシャーリーズ・セロンが演じているだけあって元は余程の美女であったことを伺わせる。というかこの状態でも十分美人だけれど。劇中では明らかにされないが、フュリオサは緑の地から攫われ、その後おそらくイモータン・ジョーの妻のひとりとして子を生むことを課せられる。しかしワザとかそうでないか、左腕を失う事態となり、妻から戦士へと生き方を変える。自分を殺しやがてジョーの信頼を得て武装トレーラー、ウォーリグの運転を任されるに至ってジョーの5人の妻を逃がすため計画を実行する。
 マックスのセリフが少ないが(いつものこと)、それにしたって会話をすればすぐに解決するような事態でも会話をセず、初会合は壮絶に殴りあう事となる。その後は少ないが会話をし、苦難を共にすることで、最終的にはほぼ会話なしのアイコンタクトで互いの意思の疎通ができる様になり、ラストのまったく会話がない別れへと至る。この会話がなかったことから暴力的に始まるマックスとフュリオサの出会いがやがて会話なしでも意思の疎通が成り立つレベルに発展していく過程が素晴らしい。これが特に恋愛感情とは関係ない友情であるところも。本作の実質的な主人公はフュリオサだが(だからといってもちろんマックスがおざなりというわけではない)、その女性主人公としての魅力は十分描かれているといえるだろう。
 イモータン・ジョーから逃れる5人の妻は皆、世紀末の世には似つかわしくない若く健康的な美人。彼女らは他から連れて来られた者もいればジョーの本拠地シタデルで生まれ育ったものいるだろう。皆モデルのような美人だが、きちんと個性が描かれている。ジョーの子供を宿した妊婦で5人のリーダー格でもあるスプレンディドを演じるのは「トランスフォーマー/ダークサイド・ムーン」のカーミラことロージー・ハンティントン=ホワイトリー。「ダークサイド・ムーン」でもメガトロンを口八丁で仲間割れさせた手腕を見せたが、ここでもリーダーとして頑張っている。時折見せる表情がキャメロン・ディアスぽくも有り、正直「ダークサイド・ムーン」では記号的な美人の域を出ていなかったが、本作では強く印象づけられた。彼女の赤ん坊はジョーの望む健康体であったがこれはコーパスとリクタスの兄弟が頭脳と肉体のバランスが取れないのに対してジョーの望む子供はその両方が優れているものだったのだろう。ジョーの妻を取り返す、という行動も、女たちをそれなりに愛しているからとか性的な欲求から、と言うより自分の子供を産ませる、という一点に集中しているのが中々に気持ち悪い。シタデルではジョーの一族以外はウォーボーイズは戦闘、母乳生産のために太らされている女性たち、そして子産み女である妻たちと一人の人間に一つの役割しか与えられておらず、それ以外の生き方が許されないところなどが人間というより蟻(など真社会性の生物)の社会を想起させてゾッとする。妻たちはウォーボーイズたちにもジョーの大事なものとしては認識させられていてもあくまで「子産み女」と呼ばれ役割でしか認識させられていない。
 スプレンディド以外の女性はスプレンディドと似た容姿ながら時々ドキッとするセリフを放つアビー・リー、一番若くおそらくシタデルで生まれ育った外界を知らないフラジールドリュー・バリモアに(容姿も行動も)似たところを見せるケイパブル、そして一番小柄ながら活動的で銃器の扱いをできるトーストがいる。アビー・リー鉄騎の女と絆を深め、フラジールはあまりの苦難に戻ろうともする(ここで彼女が見せた行動が最後に見事活かされるところが素晴らしい)。
 トーストを演じているのはゾーイ・クラヴィッツで「X-MEN:ファースト・ジェネレーション」でエンジェル・サルバドールを演じた。父親レニー・クラヴィッツ父親は「ハンガー・ゲーム」シリーズのシナとして出ているので親子で革命の物語に出演していることに(「ハンガー・ゲームFINAL」の感想はもうちょっと待って!)。その「X-MEN」シリーズで共演しビースト役ででいたのがニュークスのニコラス・ホルト。ウォーボーイズの味噌っかすというわけでもないのだが結果としてジョーに見捨てられ、ケイパブルと仲を深めることでフュリオサたちの仲間となる。その辺他のウォーボーイズ(スリットなど)と比べてもニュークスの人懐っこさは独特で演じているニコラス・ホルトによるところが大きそう。ケイパブルはドリュー・バリモアを彷彿とさせる雰囲気なのでダメンズを思わず保護する行動も説得力溢れる。ケイパブルは赤毛で途中ゴーグルを頭に乗っけるシーンが有るんだけれどそこは「北斗の拳」のバットを思わせますね。
 後半から登場する「鉄騎の女」たちはフュリオサの故郷の生き残りで一人をのぞいて老婆ばかりだが、これがまた見事に魅力的。バイクと銃を操り、でも同じ世紀末の集団でもどこか人間としての理性を保っている。彼らが突然帰ってきたフュリオサたちのために戦うシーンは言い方は変だけど「侠気」溢れるところ。
 

イモータン・ジョー軍団

 ナイトライダー、トーカッター。ヒューマンガスにウェズ、そしてアウンティ・エンティティー。シリーズには魅力的な極悪非道な悪役が登場したが、本作ではイモータン・ジョーがまずその筆頭に。演じるのはトーカッターでもあるヒュー・キース・バーンでもう素顔とかは全然分からないんだけど、目の演技だけで狂気を完全に演じている。妻たちが逃げたとわかる時のドタバタした走り方や、ニュークスを激励した後あっという間に失敗するニュークスを見ての「マヌケめ」の一言とかはトーカッターを彷彿とさせる。
 最初にイモータン・ジョーのビジュアルを見た時は肉体的にもマッチョで格好いい感じすらしたのだが、実際に見るとそこは演じるヒュー・キース・バーンが68歳というそこそこ高齢だけあってヒューマンガスのような肉体美を誇るわけではない(そこはリクタスの役目)。しかしヒュー・キース・バーンは32歳でトーカッターを演じたわけで30越えの凶悪暴走族。日本の暴走族は高校生とかがメインで二十歳になろうと言う頃には「もう半端してらんねえな」って感じで引退するものだが、海の向こうの大陸の暴走族はさすがレベルが違う。成人を越えてからが本番です。劇中で出てこない設定によると彼は文明有りし頃はジョー・ムーア大佐という軍人で地下水源を支配し、自分を神と崇めさせることでシタデルに王国を築いた。身体は皮膚病でただれていて、その衰えた身体を肉体を模した透明アーマーでカバーしている。悪役ではあるがイモータン・ジョーとマックスの間には何の因縁もなく、会話もない。そこがやはりフュリオサの物語であると思わせる。
 度々登場するコーパスとリクタスの兄弟は「サンダードーム」のマスター・ブラスターを連想させるとは先に書いた。リクタスは死ぬが、コーパスはそのまま(というか自由に歩けない)生きてラストを迎える。コーパスはなんとなくシレッと新政権でもブレインとして生き延びる気がするね。

 そしてジョーの軍団で異彩を放つのは、やはりドラムワゴンに乗りジョー軍団の軍楽を奏でるドゥーフウォリアーだろう。巨大なアンプを積み、背面には4人のドラムス(和太鼓っぽい感じ)隊を引き連れ、自身はゴムひもに吊られながらギターをかき鳴らす。明らかに常人ではなくパンフによると盲目の奇形児として生まれたとあるが、あるいはギターのためだけにジョーによって目を潰された人、とも言えそうだ。ある意味で彼もジョーの築いた社会で一つの役割のみに徹することを強いられた人、とも言える。ギターの先から炎を出したりするが直接戦闘に参加することはなく(マックスの邪魔はしてた?)最後はそのギターがイモータン・ジョーの紋章とともに戦闘を締めます。

 イモータン・ジョーとウォーボーイズだけで十分狂気度MAXではあるのだけれど、より狂気というか変態度を増しているのが、ジョーの友好団体の長であるガスタウンの「人食い男爵」と弾薬畑の「武器将軍」。いずれも英語名は「THE PEOPLE EATER」と「THE BULLET FARMER」で日本語役には色々乗っけたりかなり意訳ではあるんだけど、この二人がかなり危ない。共にジョーの配下と言うよりは義兄弟の契りを結んだ弟分という感じでジョーには従いつつ対等に口を利く。それぞれガソリンなど燃料や自動車の材料を管理するガスタウンと、武器・弾薬を製造管理する弾薬畑の管理を任されている。人食い男爵は自分ではまともに歩くことも出来ないような肥満体で足も象皮病のようになっている。遠征で失った部品や燃料を計算して気にするのだが、彼はなぜか乳首部分が開いたスーツを着用してしかもすきあらばそこをいじるのでちょっと子供には見せられないキャラクターである。
 武器将軍は差し歯代わりに弾丸を仕込んでいるような戦闘狂で単独でウォーリグにせまる。結局マックスが倒すのはこの二人である。
 このへんの見た目の変態度が高いキャラクターは「砂の惑星デューン」を連想します。
 
 今回はとにかくアクションが素晴らしいです。物語はまず絵コンテやイラストボードからはじめられたと言われるほどアクションに特化していて、しかも驚天動地の複雑なアクションの割に見てて、きちんと整理されていてこっちが混乱することがないのはおそらく、ジョージ・ミラーが「ハッピーフィート」などCGアニメを手がけたことも大きいのではないかと思う。カット割りやその他のテンポが「サンダードーム」の頃とは全然違っており、もちろん時代の流れもあれど、監督が70歳という年齢であることを考えると驚きでもある。
 後は凄惨な物語ではあるのだけれど、その凄惨な様子を具体的に描写しないところも大きい。実はこの映画は過度な人体損壊描写や女性が強姦される描写などがない。僕はあんまり「暴力描写こそ娯楽」みたいな意見には与したくないので、見せるところは見せるけど必要ない過剰な暴力までは見せない、というこの姿勢は評価したい。作られた世界に対して説明しないところも多いのだけど、決して「バカ大作」などではないのだ。
 公開前は男性団体が「フェミニズムすぎる」と抗議したというニュースなどを目にして「え?」って思ったのだけれど(女性団体が文句をつけることはあるかも、と思っていた)、案の定作品が公開されてからは「これは男のための映画、女子供はくるな」みたいな意見も目にしてうんざりした。「パシフィック・リム」とか「ガーディアンズ・オブ・ザ・ギャラクシー」の時とか定期的にこの手の輩が現れるのだけれど、特に今回はこの手の意見は「作品をきちんと見たのか?」ってところまで思い至って悲しくさせられます。「オレの映画」っていう個人的なカテゴリーはいいけど、「男のため」とか特定集団にカテゴライズしてそれ以外の属性をはじき出すような評価は百害あって一利無しだと思いますね。あと「この作品を楽しめない奴はおかしい」みたいな意見も作品の観客拡大になんの寄与もしないのでやめて欲しい。
 僕が好きな映画発のヒーローは「ニューヨーク1997」「エスケープ・フロム・LA」のスネーク・プリスケン、「ロボコップ」のマーフィー、そして「マッドマックス」のマックス・ロカタンスキーの3人なのだが、この3人はいずれも身体的にハンデを負う。「ロボコップ」のマーフィーがキリストを想起させるように描かれているのは有名だが、スネークもマックスも足を負傷し、引きずる。トム・ハーディの新マックスの場合、メル・ギブソンのマックスの特徴だった足を引きずる描写はない。しかし、幻影で頭を攻撃され、現実で頭を矢で狙われるがそれを手で防ぐ。一度死に、そしてよみがえる。その時にはマックスの左手には聖痕が刻まれる。世紀末救世主伝説としてのマックスはここに極まれり。新たな王・指導者はフュリオサだが、やはり救世主はマックスなのだ。

「マッドマックス 怒りのデス・ロード」オリジナル・サウンドトラック

「マッドマックス 怒りのデス・ロード」オリジナル・サウンドトラック

メイキング・オブ・マッドマックス 怒りのデス・ロ-ド

メイキング・オブ・マッドマックス 怒りのデス・ロ-ド

 本作はすでに続編が決まっていてタイトルは「MADMAX FURIOSA」。タイトルからシャーリーズ・セロンのフュリオサがよりフューチャーされた内容になりそう。これまでの3作は一作ごとに別の物語だったけれど、今度は直接「怒りのデス・ロード」から続く物語となるのだろうか。いずれにしろ「貧者のスターウォーズ」と呼ばれた路上の神話はまだ続くのだ。

*1:実際のところこれが本当なのか洗脳の結果なのか分からない。これまで実際に畳の上(比喩)で死んだウォーボーイがいたのだろうか?

*2:オーストラリア出身で、ずうっと刑務所にいた凶悪な男というギミックでWWEデビューしたがWWEのオーストラリア興行の際、ホームシックにかかってそのまま辞めてしまったという経歴。以降役者として「トロイ」や「トム・ヤン・クン」などで主に主人公の前に立ちふさがる巨漢として出演