The Spirit in the Bottle

旧「小覇王の徒然はてな別館」です。movie,comics & more…!!!

マッドマックス 怒りのデス・ロードを舗装じゃなかった補完します


 前回の記事を書いた後、色々書き忘れたことや思い出したことがあって、はじめは追記の形にしようと思ったんだけど、思いの外長くなりそうなので、新しく記事にします。とりあえず脈絡なく箇条書き的につらつらと。

  • 映画はマックスの独白から始まり、そこで元警官だったことが言及される。劇中では出てこないが今回の映画は「世界が崩壊してから45年後…」という設定であり、トム・ハーディのマックスの容姿からすると明らかにおかしい。旧シリーズのことを考慮しないとしても仮に20歳現役警官の時に世界が崩壊してもマックスは65歳以上ということになってしまう。これはメル・ギブソンが引き続きマックスを演じる予定だった時の名残なのか(それでもちょっとおかしい気もする)。あるいは世界の崩壊は必ずしも一気に来たわけでなく、核戦争後もしばらくは(科学技術等の文明はともかく)人々は秩序ある社会を築いていて、その中で警官をやっていたことがある、ということなのか。ただ核戦争後は季節感も無くなり、年数の数え方も曖昧になっているという線も考えられる。一方でそういう矛盾が逆に神話としての力強さを補完しているとも思うので、気にはなるけどそれで「設定に矛盾があるからダメ」とかでは全然ないです。いずれにしろわざわざ警官だったと告白するのはおそらくマックスにとってこの世紀末の世に置いても自分の倫理観の基礎となるものが警官だったというアイデンティティーから来ることによるのではないか。
  • 劇中ではフュリオサが「緑の地」生まれで、フラジールがシタデル生まれだったことなどが判明してるので、おそらくフュリオサは核戦争後に生まれた最初の世代あたりとなるのではないのだろうか。ちなみに役者の年齢だけで言うとシャーリーズ・セロンが1975年生まれでマックス役のトム・ハーディ(1977年同期の星!)より年上なのでこの辺もちょっと矛盾は出てくる。
  • イモータン・ジョーは核戦争前は軍の英雄で大佐だったということだが、そもそもジョー・ムーアという本名のムーアも「荒地」という意味じゃなかったっけ?ジョーはボスにも関わらず、自ら出張るあたり悪役としても素晴らしいが、多分あの世界ではああいう時に自分で行動し常に力を見せつけていないと部下の求心力が持たないのかもしれない。その辺は友好団体の長でもある人食い男爵も武器将軍も同様でまあ痴話喧嘩に巻き込まれたとかぼやきながらも銃が撃ちたくてたまらない武器将軍はともかく、物資の消費にうるさい人食い男爵なんかも億劫でも自分で前線に立たないといけないのだろう。
  • この作品シリーズとしては30年ぶりということで、当然過去作を見ていなくても全然楽しめるのであるが、優れたシリーズ作品の在り方として「旧作を見ていなくても楽しめるが見ていればもっと楽しめる」という部分もきちんと構築されている。最初の記事では主に「サンダードーム」からの引用を書いたが、もちろん1、2作目からも引用はされていて、例えばフュリオサの裏切り、妻たちの逃亡に気づいたイモータン・ジョーが妻たちの隔離部屋(核シェルターか何かか?)へ向かった時に出てくるジョーにライフルを向ける老婆は、「マッドマックス」でジェシーを守ろうとしてトーカッターにライフルを向けるおばさんからだろう。その時の彼女の上方には「私達は物じゃない」と書かれているのが秀逸。またこのシーンでは妻たちは比較的恵まれた生活をしているものの、しかし「隔離され自由ではない」というのがなんの説明セリフもなく、しかし簡潔に描写されているのが素晴らしい。
  • マッドマックス2」からのビジュアル的な引用は最初のチェイスが一段落して、マックスが気絶したニュークスを担ぎながらフュリオサたちと初めてちゃんと顔を合わせるシーン。このニュークスを担いでいるマックスは2でトレーラートラックを探しウェズたちに殺されたグループの生き残った男性を助けたマックスがパッパガーロの防御性集落に届けるシーン。日本では生頼範義の描いたポスターでも印象の強いシーンからの引用だと思う。

  • 「サンダードーム」といえば出てくる子どもたちが向かう場所は「トゥモローランド」だったりするのだが、現在同時期公開の「トゥモローランド」はまだ観れていない。ていうかこのまま「アベンジャーズ:エイジ・オブ・ウルトロン」に移行したいので観ないかも。ただこの時期「ハンガー・ゲーム」と「マッドマックス」に挟まれ、しかも内容はよく知らないけれどちょっと暗めの予告編だったので勝手に「トゥモローランド」もディストピアものなのかな?って思っちゃってる自分がいたりする。
  • 主人公なのにマックスがあんまり活躍しないとか、V8インターセプターがすぐ退場したとか主人公としてのマックス及びメカの扱いに疑問というか不満がある意見も見られたが、これはまあ、いつものことである。シリーズ中でもインターセプターがちゃんと活躍したのって1ぐらいのもので、2中盤で大破してしまうし。ただ本作では改造されたインターセプターをマックスが何度も「オレの愛車だ!」と言うシーンがあったりするので、最終的に大破するとしても一時的にでもマックスが取り戻して運転するシーンがあっても良かったかもしれない。
  • マックスが活躍しない、と言うのはバットマンの映画で「バットマンの出番が少ない」という不満と同様で、バットマンは闇に潜んで悪を討つヒーローなので基本的には忍んで隠れてという活動がメインになる。そして出てくる悪役は「オレを見ろ!」な奴らばかりになるので構造上悪役のほうが目立つのは仕方がないのだ。同様にマックスも基本的には揉め事には立ち入らない主義。それでも根本的には困っている人を見つけたら放っては置けない人なのだが、口数も少ないし構造上もフュリオサを助ける人なのでフュリオサを補佐する立場の描写になるのは必然。そして悪役は皆「オレがオレが!」ばかり。
  • マックスとフュリオサたちの出会いではマックスがもっとちゃんと会話をすればスムーズに行ったのに、とも思うが(別にあの猿轡、喋れないわけじゃないしね)ここであえて具体的な会話をして互いの立場を表明しないことが二人の関係性を語る上で生きてくる。最初は殴り合い、そして中盤の狙撃のためにフュリオサにライフル渡し肩を預けるシーン。ここで二人の関係が確立されたといってもいい名シーンだと思う。「007」の初期作品(ロシアより愛をこめて、かゴールドフィンガー)でも似たようなシーンがあったと思うのだが、単に銃を安定させるために肩を貸すというだけでなく、まだ信用ならない相手に銃を渡し背中を向けるわけだから、最後の別れにもつながる無言の中にも信頼が確立されたシーンだろう。
  • この前にはマックスが弾を無駄にしてトーストにもう弾が無くなる、と言われるシーンもあり、見栄をはらず自分より腕が確かだと思えば躊躇せず銃をフュリオサに預けるマックスの侠気ぶりも発揮されている。
  • マックスの描かれない活躍シーンに武器将軍を倒して銃や弾薬を奪って帰ってくる、というのがあるのだが、アソコも具体的に描かれないからこそ、マックスの底力を感じさせてよかったなあ。マックスは確かに格好わるいシーンも多く完全無欠なヒーローではないのだが、その格好わるいシーンがあるからこそ次の格好いい行動が光る。こういうのは向こうの映画はうまくて、スネーク・プリスケンもジェームズ・ボンドも冷静に振り返ると格好悪いと思うシーンや行動も多く、でも最後は凄く格好いいというところに落ち着く。フュリオサは集団を束ねる指導者、統率者として王的立場となるキャラクターであるが、マックスは流れの救世主なのである。
  • そういえば5人の妻の中での最年少フラジールを演じたコートニー・イートンは撮影当時16歳だったということだけれど、清水富美加ちゃんを彷彿とさせます。かわいい。
  • 「マッドマックス」のもっとも有名なフォロワー作品といえば「北斗の拳」なのだが、今ではそのフォロワーにとどまらず、こちらはこちらで確固たる地位を築いている。それで、逆に今度の作品に影響を与えた部分なんかもあるような気もしないでもない。ニュークスと親しくなるケイパブルが赤毛でゴーグルを付けるシーンがあるがそこでバットを思い出したり。鉄騎の女の老婆が植物の種を未来への希望として語るシーンなんかはミスミの爺さんを思わせる。そういやミスミの爺さん殺したスペードはウェズのキャラの流用なんだよね。
  • 北斗の拳」といえば個人的にはラオウとか南斗六聖拳あたりの話よりジャッカルとか牙一族の話を実写化して欲しい。というか今回の「怒りのデス・ロード」の物語を最初にきいた時に連想したのは牙一族南斗水鳥拳レイの妹アイリだったりする。アイリって単に美貌だけだとユリアとマミヤより美人だけれどかなり悲惨な生い立ちを辿った人である。実はユリアは(マミヤ、アイリ、リンと比べれば)あんまり悲惨って程でもないよね。「北斗の拳」語りに入るとまた長くなるのでここで終了。
  • そういえば僕が最初に鑑賞した時に思ったのは「これはこれでもちろん凄いけど、白黒のサイレントにしたら面白そう」というもの。特に嵐の中のシーンなど逆に白黒サイレントでこそより迫力も増し神話的になるのでは?と思ったりした。そうしたらやはり間違ってはいないようで、こんな記事が。

白黒版『マッドマックス 怒りのデスロード』が9月発売予定の海外版ブルーレイに収録 - 目標毎日更新 カナザワ映画祭主宰者のメモ帳 白黒版『マッドマックス 怒りのデスロード』が9月発売予定の海外版ブルーレイに収録 - 目標毎日更新 カナザワ映画祭主宰者のメモ帳

サイレントではないけれど白黒版を連想したのは間違ってなかった!

  • 間違ってなかったといえば前回の感想ではウォーボーイズや彼らを支配する「英雄の館」の思想を、

北欧神話オーディンの戦士たちと靖国神社を合わせたような狂気の思想にどっぷり浸かったある意味被害者

と表現したが、実際にモデルの一つとなったのは日本の特攻隊だそうで、こう感じた僕の感覚も間違ってはいなかったのだな、と。

  • パンフレットは900円もするちょっと高価ではあるけれど、実に読み応えがあって、映画のサブテキスト/ガイドブックとしてもよく出来ていると思います。ただ、時折出てくる独特の表現は好き嫌いが分かれそう。そのほとんどはギンティ小林氏の文章で読んですぐ誰だか分かるのはさすがだが好き嫌いは分かれそうで僕個人はちょっと苦手。良く言えば個性が確立されている、悪く言えば映画秘宝のノリをそのまま何の断りもなく無関係のところに持ち込んでくる感じ。ただパンフ自体は映画秘宝出張版みたいな悪ノリだった「エクスペンダブルズ」シリーズのパンフに比べると抑制が効いてて良いです。ただウェズ役のヴァーノン・ウェルズのインタビューってあれ、15年ぐらい前(ムックから隔月刊の雑誌化してすぐあたり)の映画秘宝に載ってたインタビューの転載じゃないかなあ。突然「編集部調べ」「本誌独占インタビュー」と出てくるがこの場合の「編集部」とか「本誌」ってパンフの編集部じゃなくて映画秘宝のことじゃないかしら。
  • 「マッドマックス」を「貧者のスターウォーズ」といったのは2撮影のときのメル・ギブソンだが、アメリカもオーストラリアも入植して以降の人工的な国家でもあり(人工的でない国家などないのだが、ここでは便宜的に)、入植した人たちにとっては自前の神話を持たない。その代替として機能するのが西部劇だったりアメコミだったり警察物だったりするのだが、「スターウォーズ」も「スタートレック」も「マッドマックス」もそういう自前の神話を作り出すという意味合いもあるのだろう。ただ同じイギリスの植民地でも流刑地だったオーストラリアはやはりその表現もアメリカとは変わってくるのだ…!
  • スターウォーズ」といえばこの冬新作が公開されるわけだけど、この「怒りのデス・ロード」のテンポで、イモータン・ジョーのノリでジャバ・ザ・ハットの一代記を映像化して欲しい。惑星タトゥイーンで成り上がるまで。全盛期。銀河帝国の出現で地下に潜ってた頃、てな感じで。