The Spirit in the Bottle

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地獄の創世記! キングコング:髑髏島の巨神

 さて、キングコングである。僕的には怪獣と言った場合ゴジラに勝るとも劣らない存在。大好きなキャラクターで、やはりオリジナルの1933年版「キング・コング」は今でもそれこそ過去に何回も当ブログで取り上げた「荒野の七人」「大脱走」などと並んでよく見る映画の一つ。そんなキングコングが装いも新たに再登場。それも最初から2014年の「GODZILLA ゴジラ」と同じ世界観であり、将来的にゴジラと戦うことを決定づけられた通称「モンスターバース(MonsterVerse)」作品の一つとして。必然的にオリジナルに比べ変更点も多く、オリジナルをこよなく愛する僕としては期待半分不安半分で観に行ったのだった。「キングコング 髑髏島の巨神」を観賞。

物語

 1944年南太平洋。とある島に不時着した日本軍とアメリカ軍のパイロット。出会った途端に激しい殺し合いをする二人であったが、その前に巨大な手が襲いかかる…
 1973年、アメリカがベトナムからの完全撤退を決定したその頃、地球観測衛星ランドサットが謎の島を発見する。その島は巨大な暴風圏に囲まれていたため漂流や不時着以外ではこれまで辿りつけなかった未知の島。政府の特務機関モナーク。その一人ランダはこの島の探索のための許可を上院議員に取り付ける。遅かれ早かれソ連もこの島の存在に気付くだろう。そこに何があるかは分からないがソ連に後れを取ってはいけない…
 その島〜髑髏島の探索隊にはランドサットとモナークのメンバーの他にパッカード大佐率いる米陸軍ヘリ部隊が輸送を命じられた。ランダは島の探索のために元SASでサバイバルの達人コンラッドを雇い入れる。また民間人カメラマンとして女性カメラマンウィーバーがいた。
 島を取り囲む嵐を乗り越えるとそこは手付かずの自然が残る風光明媚な美しい島が。早速サイズミックという地質調査のための爆弾を投下。その振動で地層密度を調べるのだ。モナークブルックスが島の地下に広大な空間が広がっていることを認めたその時、巨大な猿が現れ、次々とヘリを攻撃していくのだった。この島はまだ人類が挑戦するには早すぎた…

 原題は「KONG:SKULL ISLAND」で邦題もほぼそれに準じているが原題にない「キング」の称号をすでに付けてしまっている(巨神というのも盛りすぎとは思う)。僕がこの作品を観る前に知っていたのは

  • 舞台が1970年代であること
  • コングの設定がおよそ30mでしかし、まだまだ成長中の若者であるということ
  • コングはほぼ直立で動き、ナックルウォークはしないこと
  • 将来的にコングとゴジラは対決するすること(ただゴジラと対決する個体が今回出てくるコングかは不明

 といったあたりの情報。原題で「キング」をつけていないのはなにか意味があるのかな?と思ったのでいくら「コング」だけでは物足りないとはいえこの時点で「キングコング」としてしまうには勇み足過ぎないか?などと思ったのだった。個人的には怪獣王であるゴジラとの対決に際して「キング」の称号が付いてどちらが怪獣王に相応しいか争う、という意味もあるのではないかと思った*1。まあ結果として劇中で何度も「髑髏島の王、神」という触れ方はされるので現時点での「キング」付きの邦題も特に問題はないだろう(あるいは予定されている「GODZILLA VS KONG」でもコングとだけタイトルになっているのでこの「モンスターバース」ではあえてキング抜きのコングが正式名称なのかもしれない)。
 僕はこの作品を2回観て、一回目は割りと1933年のオリジナル「キング・コング」の新しいリメイク、コング主演単独作品として観た。その点で言うと正直イマイチである。ただ二回目はモンスターバースの中の一作、すでに「GODZILLA」が前作として在り、さらに後続の作品も複数控えているという視点で見直した。やはりこの2つのどちらの視点で観るかで感想も変わってくると思う。

 僕が最初に劇場で観た実写映画が1984年の「ゴジラ」である、というのは何度か書いたと思うのだが、それ以前にまだ小学校に入る前だと思ったが、親戚の家で見たのが1933年の「キング・コング」だった。小さなテレビ(持ち運べるようなやつだったので10インチもなかったと思う)で、しかも白黒の作品。子供が見て退屈しないはずがないのだが、僕はその面白さにやられてしまった。この記憶の中の面白さは割りと盛られていて、後年改めて「キング・コング」を見なおした時に、もちろん面白いけれど、あれ?こんな感じだっけ?という部分もあったりしたのだが、それ以来キングコングに関してはオリジナル原理主義者である。というかいま見ても屈指の面白さで戦前の映画とは思えないテンポの良さ。きちんとキャラクターとして確立されたコングの造形や動き。ティラノサウルスとの死闘、ラストのエンパイアステートビルでの戦闘機との対決と見せ場だらけだといっても過言ではない。
 なので僕の中では1933年の「キング・コング」とその忠実なリメイクである2005年のピーター・ジャクソン監督の「キング・コング」は自分の映画史のなかでも不動の地位を占めている。
 今回の「髑髏島の巨神」の解説や感想を読むと、「ただのゴリラじゃないのが良かった」とか「きちんと怪獣映画になっている」といった意見が多く見受けられて、要するに「人類の兵器なんか効きやしねえぜ!」という感じのもの。1998年のエメリッヒ版「GODZILLA」があっさり通常兵器で倒されてしまったことに対する批判にも似ているのだが、僕としてはその部分でゴジラとコングは明確に違うのだ、と言いたい。
 ゴジラのデビューは1954年、コングは1933年とおよそ20年の開きがあるが、この間に第2次世界大戦という人類が見た地獄があり、さらに原爆、水爆といった核兵器の脅威が存在することでゴジラとコングが同じ怪獣と言ってもその存在価値は大きく違う。水爆によって目覚め、人類の通常兵器はほぼ通用せず、大都市東京を焼け野原にする怪獣ゴジラはいわば「黙示録の怪獣」。人類が自分の手に負えない、自ら自分たちを滅ぼしてしまいかねない科学力を手に入れたことに対する警句みたいなものがある。
 コングは違う。手付かずの大自然で王として君臨していた巨大猿はやがて外部からやってきた人間に捕らえられて大都会に連れてこられる。暴れだして都会をパニックに陥れるものの、最後は人類の科学力(戦闘機)の前に敗れる。キングコングはいわば「創世記の怪獣」。まだこの時期は怪獣(大自然)と人類が対等に戦える存在であった。
 だから、ゴジラの文脈での「怪獣」の意味合いで、それ以前の「怪獣」のパイオニアであるコングを語り、そうじゃないから良かった、悪かったというのはちょっとコングに酷ではないか、と思うのだ。
 単なる巨大ゴリラじゃないのが良かった、というのも理解はできるものの個人的(ゴリラ大好き)にはゴリラであることと怪獣として格好いいことは矛盾しないので、この意見にもちょっと与し難い。もちろんオリジナルもまたそれよりずっとゴリラに近い描写であったPJ版にしても単なる巨大ゴリラではないのだが、そのゴリラっぽさはコングの重要なファクターだ。今回のコングは全体的なフォルムは足が短く腕が長いというゴリラやオリジナルのコングに近いものなのだが、全く直立二足歩行をし、ナックルウォークはせず、前かがみになることも殆ど無い。ほとんど前かがみ状態でナックルウォークで移動していたPJ版とは大きな違いだ(オリジナルはその中間ぐらい。前かがみの二足歩行だが急ぎの時はナックルウォークになる)。あの体型なら時と場合によってはナックルウォークしたほうがいいと思うのだがなあ。ナックルウォークによって怪獣としての威厳が損なわれるみたいなことも個人的には全く思わないです。むしろ格好良さが増す!(ただPJ版はその点で確かにゴリラに寄り過ぎたと言えるし、設定はそのままに常に前かがみになった結果、全体としてオリジナルより小さく感じてしまうという欠点はあった)
 これらの見解の相違はおそらく最初に触れたキングコングがオリジナルの「キング・コング」か、ゴジラと戦った「キングコング対ゴジラ」か、という違いも大きいのではないかと思う。これまで正式なライセンスのもと作られたキングコング映画は1933年のオリジナル「キング・コング」とその続編の「コングの復讐」、その次が東宝の1962年の「キングコング対ゴジラ」と67年「キングコングの逆襲」(この2つは正続の関係なし)。そして76年にディノ・デ・ラウレンティスが製作した「キングコング」とその続編でメスのレディコングが登場する「キングコング2」。2005年のPJ版「キング・コング」と今回のレジェンダリー版「キングコング 髑髏島の巨神」の計8本となる。意外と少ないし、いずれも2本以上シリーズが続かない。もちろんその影に膨大な類似作品が存在し(「クイーン・コング」劇場で観たな)、あるいは「猿人ジョー・ヤング」やそのリメイク「マイティ・ジョー」のようなコングの遺伝子を受け継ぐ巨大ゴリラ映画もあったりするのだが。
 東宝制作による「キングコング対ゴジラ」は僕も大好きな作品だが(以前筋肉映画ベストテンでランクインさせた)、ここでのコングはゴジラ(体長50m)と戦う都合上45mという巨体(現時点で最大のコング)になり、ゴジラの放射熱線もへっちゃら、更に劇中で帯電して電撃を放つなど「対ゴジラ」仕様になっている。今回(というかモンスターバースのコング)の作品にも強い影響を与えているであろう「キングコング対ゴジラ」、ちなみに日本版では引き分けとされることが多いが海外版では明確にコングが勝った!という風になっているらしいです。
  
 本作はメイン舞台が1973年だが、1944年の南太平洋における日本とアメリカの空戦から幕を開ける。ここで共に墜落したパイロット同士が無言で殺し合うのは「太平洋の地獄」。ただ、日本兵が腰に日本刀をぶら下げ、それをスクっと抜いて立ち向かってくるさまは割りとトンデモ日本描写の一つ、という感じがしてスタート時点から良い意味で「あ、この映画はまともじゃないな」と思わせてくれる。もちろんコングはじめ怪獣が出てくるわけだから、まともじゃないのはわかっているのだけれど、いわゆる人間ドラマの部分でもどちらかと言うと「キル・ビル」に近い世界観じゃないのかと思ったりしたのだった(そういやあの映画も「サンダ対ガイラ」の影響受けてるんだっけ?)。実際の戦闘機乗りが日本刀所持して戦闘機に乗ったりしたのかは分からないけれど、刀の銘なんかから支給された物と言うよりは結構な業物という感じだった。
 1973年が舞台ということで時期的には1976年版の「キングコング」を彷彿とさせる。ベトナム戦争が終わり、パッカード大佐(サミュエル・L.ジャクソン)はその憤懣やるかたない想いをこの髑髏島にぶつけている。ヘリの船隊が髑髏島に辿り着き、サイズミックを落とし、髑髏島を爆撃していくさまはまさに「地獄の黙示録」(コンラッドとマーロウの名は「地獄の黙示録」の原作「闇の奥」を書いたジョセフ・コンラッドと登場人物マーロウからの引用だろう。ちなみにPJ版でも船員のジミーが読んでいる本が「闇の奥」である)。ちなみに今回ギラーミン版の2作に関しては見返していないので、もしかしたら本作と強く関連ある部分もあるかもしれないけれど、確認できないのであまり触れません。
 主人公であるコングの造形に関しては個人的にはPJ版のほうが好きです。今回はどちらかと言えば粗暴・粗野な印象が強い。ただ、初登場(ヘリ撃滅大作戦)の時はかなり人相が悪いのだが、物語の進行とともに徐々に魅力的になってくる。これは最初は観客がどちらかと言えばパッカードやコンラッドと言った人間側の視点でコングを観るのに対して中盤以降はコングに肩入れした状態で映画を観るからではないかと思う。具体的に造形も演出として最初と後半では違うような気もするんだけれど、気のせいかどうか。直立でのっしのっし歩くのは個人的にあまり好きではないというのは先に書いた通り。ゴリラというよりはイエティやビッグフット(有名なパターソン・ギムリン・フィルム)などの雪男を彷彿とさせる動き。ただスカルクローラー他相手の格闘シーンは良かったです。大蛸リバーデビルとのシーンは官能的ですらある。コングのゴジラにはない動きとしてそこは巨大とはいえ類人猿なので賢くて道具を使うところである。クライマックスでは漂流船の鎖のついたスクリューを武器として使う。おお!片腕カンフーと空とぶギロチン!
 オリジナルでのティランノサウルスとの死闘はクライマックスのスカイクローラーとの死闘である程度再現されていて顎をガクガクいわせる描写も健在。ただ、オリジナルは殺した後で生死を確認するためにガクガクさせるのに対してPJ版は倒してと思ったら実は生きててしょうがなくとどめを刺すために顎をガクガクさせる。今回は中盤でガクガクさせるも最終的には口の中に手を突っ込んで内臓ごと引き釣り出すというブルータルな倒しっぷり。スカルクローラーがティランノサウルスと違って大自然の中で生きるための競争相手と言うよりは、より邪悪な意志を体現するモンスターとして設定されているので、この倒し方もコングが残酷!という印象にはならない。
 コングとゴジラの大きな違いのもう一つは、コングは人間と交流できるキャラクターということである。ゴジラもいくつかの作品でそれっぽい描写がないでもないが(個人的に好きなのは「ゴジラVSキングギドラ」で戦争中にゴジラの前身ゴジラザウルスに偶然救われた土屋嘉男がゴジラと見つめ合うが、ゴジラは一瞬にやっとし(たように見える)、その直後放射熱線で土屋嘉男をビルごとふっとばすシーン)、そこはコングにはかなわない。きちんと人類の一人一人を区別する。オリジナルのコングとアン、ドリスコルの三角関係は設定としても見事だと思う。本作ではオリジナルのように特定の女性に惚れたがためにどうにかなる物語ではないが、ウィーバーがスケル・バッファロー(巨大な水牛)を助けようとしたため、コングがそれに報いようとする感じ。一方で部下をコングに殺されたパッカードはコングを殺すことを邁進し突き進む。いくらマーロウやコンラッドに「コングを殺したらスカルクローラーに立ち向かう者がいなくなる」と言われても聞く耳を持たない。パッカードの中ではコングとベトナムが一体となっていて、これを討ち果たさないと全てが無駄になる、と言う思いでもあるのだろう。パッカードは最初の方は割りと理解のある軍人という感じだが、徐々にコングに固執する凶気を覗かせる。コングの方もそれを察しているようで不倶戴天の敵となる。

 それに比べるとオリジナルではドリスコルにあたるのであろうがコンラッドは割りと陰が薄い。トム・ヒドルストンが演じているから訳ありっぽい格好良さではあるのだが、あくまで物語を順調に進めるための都合の良いコマという感じはする。
 オリジナルのカール・デナムにあたるのが、ジョン・グッドマン演じるランダで、彼はいろいろ謎を引っ張りつつあっさり亡くなってしまったのは残念。またモナークからはランダの他に地質学者のブルックスと生物学者のサンが同行するが、一部で話題になっていたのがサン。中国出身の女優ジン・ティエンが演じているが、見事なまでに何もしない。役に立たない代わりに足も引っ張らない。最後まで死なない。徹頭徹尾お人形さん。一説には中国共産党幹部の令嬢でそれ故にコネで出演したのだとか*2の噂も耳に挟んだけれどどうなのかしら?死なないのはまだいいんだけど、劇中全然汚れないのよね。元々色白の美人なんだろうけど、ウィーバー役のブリー・ラーソンがそれなりにジャングルで汚れて、でもそこが魅力となっているのに比べると、最初から最後までビシッと美貌を維持。添え物なら添え物でいいんだけど、妙に気になる女性ではありました。

髑髏島とスカルアイランド

 オリジナルのスカルアイランド(以降、髑髏島と言ったら本作の舞台を指し、オリジナル版及びPJ版の髑髏島を指す場合はスカルアイランドと書く)はインドネシアの領域に在り、島民の原語もニアス島(インドネシアの実在の島)のものに近いとされ、実際船長がある程度会話に成功している。つまり島そのものは完全に孤立していたわけではなかった(島の中にある壁によってコングや恐竜がいる世界とは隔絶していたが)。PJ版では壁を築いた民族と1933年当時島に住んでいる民族は別という設定。尚PJ版のスカルアイランドは映画の後、数度の探索が行われたが、発見から15年後海に沈むこととなる(この設定は「コングの復讐」を受け継いでいるのだろう)。インドネシアで類人猿といえばゴリラでなくオランウータンなのだが、巨大なオランウータンといえば「ジャングル・ブック」のキングルーイである。コングとルーイを結びつけたSF考証みたいなのって何かないのかな?
 本作の髑髏島はこれまでとかなり設定を変更していて、場所もインドネシアでなく南太平洋。島の住民は海岸近くの僅かな部分に生活していたスカルアイランドと違ってどちらかと言えば島の中央部の開けたところに居住地を作っている。攻撃的だった島民もどちらかと言えば親切になりマーロウによれば言語を介さず会話する人たちということとなる。コングの脅威から生贄を捧げることで村を守っていたオリジナル版と違って、スカル・クローラーの魔の手から守ってくれるコングを神として崇めているという設定。住民が温和になり、生贄とかもなくなっているので従来のスカルアイランドのイメージとは大分違う。
 続編で登場する予定のモスラにそれと関連してインファント島が登場するかはまだ分からないのだけれど、本作の髑髏島にはインファント島のイメージもあるのではないか?と思ったりした。本作では地球の地下に巨大な空間がある「地球空洞説」が採用されていて、髑髏島にはその出入口となっている穴がある。スカルクローラーはそこから出てくる。ランダたちモナークの目的もそこに住んでいるであろう古代の支配者たち(ゴジラ)なのだが、その辺は本作ではまだ詳細は明かされない。
 この髑髏島に1944年に不時着したのがマーロウとグンペイで敵対していた者同士最初は殺しあうが、自分たちがちっぽけと思える存在=コングの出現によって争いを止め親友となる。本編はそこから30年後のことであり、すでにグンペイは死亡。マーロウが島にやってきたコンラッドたちと出会い、島について詳細を語る。マーロウ役はジョン・C・ライリー。1944年の時にはまだ美青年と言っていい容姿だったが(二回目観たら鼻のあたりがライリーによく似てる)、30年で容姿はワイルドに。人は魔境で30年間サバイバルすると美青年でもジョン・C・ライリーになる!*3
 登場するモンスターは巨大ナナフシや竹林に擬態する巨大蜘蛛、翼竜系のサイコ・バルチャーなどが登場。普通に通常の大きさの鹿なども出てくるが生態系はどうなっているのだろう?コングの最大の敵となるのがスカルクローラーでオリジナルでドリスコルがコングから逃れて崖の穴に逃れた時に襲いかかってくる前足しかないトカゲが元になっている。顔のデザインは「エヴァンゲリオン」の第3使徒サキエルなども参考にされているのだそう。複数匹登場し、クライマックスはその中でもとびきり大きい個体と対決。これまでのティランノサウルスやV-レックスと違って生存競争というよりは明確にコングや島の住人を狙っている邪悪な存在として描かれているのが特色。このスカルクローラーは地底に棲む怪獣でコングたち髑髏島の他の巨大生物とも出自が異なるようだ。「GODZILLA」のムートー(M.U.T.O.)と近い存在。「M.U.T.O.(未確認巨大陸生生命体)」という単語は巨大生物全体を指す単語として今回も登場する。

軍平とオマージュ

 今回はまず日本語吹替版を観て、二度目を字幕版で観賞。コンラッドGacktウィーバー佐々木希、パッカードの部隊の一人に真壁刀義、と言ったあたりがいわゆるタレント吹替。佐々木希(結婚おめでとうございます)が下手じゃないけどなんか癖があるな、ッて感じではあったけど、特に文句を言うほどダメではなかったです。
 冒頭登場するMIYAVI演じる日本兵の名はグンペイ・イカリ(碇軍平)。吹替では「グンペイ」だが字幕では「ガンペイ」となっている(ノベライズでは漢字で「軍平」)。確かにジョン・C・ライリーのマーロウの発音は「ガンペイ」に近い感じではあったのだが、日本人の名前をローマ字で書いた「Gunpei(クレジット表記)」なら表記は「グンペイ」だろう。「gun」は確かに英語発音だと「ガン」だけどこれは固有名詞だし。またこの名前は日本のゲームクリエイターで「ゲーム&ウォッチ」や「ゲームボーイ」を開発した横井軍平氏にちなんだものだという(碇はエヴァンゲリオン碇シンジから)。遺作がそのものずばり「グンペイ」と言うタイトルのゲームであるし、その辺を考えたらこれは「グンペイ」としなければ間違いなのではないか?
 と言うかですね。観る側にとっちゃオマージュとかはとりあえずどうでもいいのだけれど、グンペイならグンペイで、ガンペイならガンペイで、字幕と吹替、更にはパンフなどの表記を統一してもらわないと困るのですよ(少なくともオフィシャルのものは)。もちろんツイッター上で、軍平が自分の名前をローマ字で教えたけれど、結局マーロウはガンペイで覚えてしまってそれが直ることはなかった、みたいな考察をしている人がいたみたいにそういう裏設定があったりするのかもしれないが少なくとも劇中ではあんまり関係なかったしなあ。ちなみに字幕版の翻訳はアンゼたかし氏で監修が町山智浩氏。
 オマージュといえば、この映画いわゆるオマージュ・引用が多い。それは観ている側としては楽しい部分でもあったりもするのだけれど、なんかこの映画では消化(昇華)しきれていないというか、まんまそのものを出してしまうものが多くてちょっと食傷気味ではあった。映像なら「地獄の黙示録」や「太平洋の地獄」「片腕カンフーと空とぶギロチン」といった具合。もちろん「キング・コング」からも引用されている。また登場人物の名前もコンラッド、マーロウ、碇軍平と言った感じでそのものをまんま持ってきてしまうのはちょっと気恥ずかしい。モンスターバースでは先の「GODZILLA」も渡辺謙演じる芹沢猪四郎博士(「ゴジラ」の登場人物芹沢大助博士と監督の本多猪四郎から)とか出てきてそのあからさま具合が妙に恥ずかしかったのだが、このあからさまさこそがモンスターバースの特徴なのだろうか。
 監督はジョーダン・ヴォート・ロヴァーツと言う人でヒゲを蓄えたワイルドな容貌の御仁だが本作が初のメジャー大作。

KONG Will return.

 二回目はリメイクではなく「GODZILLA」から続くモンスターバースの一作として観て、その点ではとても面白かったです。本編で世界観として語られたのは、モナークが「M.U.T.O.」探索のための組織であり、54年に核実験に偽装して怪獣(ゴジラ)を殺す作戦が立てられたが上手くいかなかったことぐらい。どちらも「GODZILLA」で説明されたものから特に進展はない。ただ、全て(エンドクレジット)が終わった後にコンラッドウィーバーブルックスとサンから語られるのが古代に実在した怪獣たち。背びれのある直立するトカゲのようなもの、巨大な蝶、巨大な翼竜、そして三つ首の龍…「元々地上は彼らの物。問題は彼らが奪い返すまでどのくらいの猶予があるか」
 というわけで、モンスターバースの次回作は「GODZILLA:KING OF MONSTERS」でずばり「怪獣王ゴジラ」これは最初の「ゴジラ」の海外公開版タイトルですね。そしてモスララドンキングギドラが登場する。前作の時点で次はモスララドンキングギドラが出てくる、とは言われていたのだけれど、実際のものとして見ると格別。この3体が登場するということは実質的に「三大怪獣地球最大の決戦」のリメイクともいえるわけで、例えば金星人だとか小美人だとかの要素が引き継がれるのかも興味深いところ。その後で「GODZILLA VS KONG」が控えている。
 予定されている続編には本作の登場人物も再び登場するとも言われているが、時代は再び現代になるはずで40年以上経っていることになるからどうなるのか。その辺も愉しみだ。

キングコング:髑髏島の巨神 メイキングブック

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キングコング 髑髏島の巨神

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 ちなみにノベライズには映画では出てこないマーロウとグンペイの凄い良いシーンが書かれている。このシーンが実際に撮影されたのかどうかは分からない(脚本にはあるのだろうか?)。でももし撮影済みなら是非ソフト発売の際に特典映像として収録して欲しいし、なんならこのシーンを組み込んだスペシャルエディションとかで発売して欲しい。
 
髑髏島でともに暮らすようになって7年目。スカルクローラーによって島民に甚大な被害が出たその夜グンペイ(ノベライズでは軍平)がマーロウに尋ねる。
「一番おそろしい瞬間ってなんだった?」
「今日は相当やばかったな。お前は?」
沈黙。
「ここではじめて俺たちが会った日だ」
「はじめてコングを見たときか」
「違う。俺が一番怖かった瞬間は、やつが現れる直前、危うく親友を殺しかけたときだ」
キングコング 髑髏島の巨神 (竹書房文庫)

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*1:ちなみに「GODZILLA」の次回作で登場予定のキングギドラも一般にはアメリカではギドラとだけ呼ばれていて、これは「キングコング」に配慮した(王といえばキングコングただ一人!)ものとも言われている

*2:製作したレジェンダリーピクチャーズは現在中国の大連万龍グループの傘下

*3:ラスト彼は30年ぶりに妻のもとに帰るのだが、奥さんよく分かったなと思わないでもない

SING SONG KONG SING/シング

 3月ももう終わり。3月下旬はゴリラだぜコングだぜ。と言う具合でゴリラをこよなく愛する僕としては楽しい映画が連続公開。他の映画を差し置いて「キングコング」と「SING/シング」を何回も観ている感じです。人類はペンギンとゴリラと猫を崇めつつ、この地球の片隅でひっそり生かさせてもらっている立場なのです。地球の主権を人類は海はペンギン、ユーラシアは猫、アフリカはゴリラに明け渡すべき!猫を、ゴリラを、そしてペンギンを讃えよ!
 と、程よく電波入ったところで本題。まずは動物が歌って踊る「SING/シング」の感想です。

物語

 子供の頃、舞台に魅せられたコアラのバスター・ムーンはおとなになって今や劇場の支配人だが、劇場は閑古鳥が鳴いている。なんとかかつての勢いを取り戻そうと一般人の歌唱オーディションを開催する。秘書のミス・クローリーのミスで賞金は二桁多く10万ドルと記されたチラシを見た歌に覚えのある市民たちが劇場に駆けつける。選ばれたのはゴリラの少年ジョニー、彼氏と一緒に出たものの一人だけ選ばれたヤマアラシのロッカーアッシュ、25人の子豚の母親で専業主婦のブタロジータ楽天家のブタグンター、そして欲張りで自己中心的、自信家でもあるネズミのマイク。そして引込み事案でオーディションに失敗したものの裏方として雇われたゾウのミーナ、それぞれ複雑な事情を抱える身だ。
 予算を獲得するため、バスターは友人エディの祖母で憧れのスターだったナナ・ヌードルマンを招いてリハーサルを行うことに。しかしその場で賞金10万ドルが1000ドル弱しかないことが露見し大変なことに…

 本作は「ミニオンズ」「ペット」などのイルミネーション・エンターテインメント。とにかく狂騒的というか、割りとぶっ壊れた内容なのが魅力。その代表が「ミニオンズ」だったりするのだが、本作冒頭では「ILLUMINATION」のロゴの下でミニオンが歌うとその歌声で「ILLUMINATION ENTERTAINMENT」の「ILLUMINATION」部分の「MIN」「ION」つまり「「MINION」部分が壊れるという始まり方が初お目見え。今後しばらくはこれが定番となるんでしょうか。「ミニオンズ」関連次回作は「怪盗グルー」第3弾。「怪盗グルーとミニオン大脱走」が待機中。

 イルミネーションの動物ものだと前作の「ペット」が合ったわけだけど、アレは人間に飼われているペットたちの人間がいない間の物語。今回は動物たちが服を着て人間同様の日常生活を送っている世界の物語ということでアニメやカトゥーンの設定としては決して珍しい世界観ではないが、近年だと昨年のディズニーの「ズートピア」が一番近いだろうか。ただ、「ズートピア」が(物語部分の社会性は置いといても)、哺乳類に限定して、更に家畜やペット、霊長類が基本的にいない世界で更に肉食獣と草食獣の間に見えない軋轢があるという設定などかなり作りこまれていて、結果として、どうしてああいう世界になったのか?といったSF的な考証をしたくなるのに対して、「SING」はもっとおおらか。漠然と人間以外の全ての動物が人間のような生活をしている、という世界観。ペンギンや鶏といった鳥類もいればミス・クローリーのような爬虫類もいる。更にはかたつむりや蜘蛛、イカや金魚といった者達まで普通に市民として暮らしている世界。物語的にも「この動物は現実における〇〇人の比喩」みたいな見方はほぼ出来ないだろう。
 ちなみに僕はほとんど見なかったのだけど、今季(2017年1〜3月)は「けものフレンズ」というアニメが大好評だったようです。でも個人的には日本のアニメとかでよくある、ほぼ人間の姿に耳と尻尾、肉球つきの手をつけただけのような動物擬人化より「ズートピア」「SING」みたいなガッツリ動物が立って喋る方が全然イケる。日本のだと「メイプルタウン物語」とか。どっちがケモナーとしてより重傷なのか……

 映画を観る前は本作がミュージカルなのか、それとも単に劇中でパフォーマンスするシーンが多い映画なのか分からなかったのだが、本作は厳密にはミュージカルではない。会話形式で地のシーンで歌ったりすることはなく、歌うシーンはちゃんと劇中でも歌っている、という形式。ただ、パフォーマンスシーンは多く、ノリに合わせてテンポよく進む様はミュージカルぽくはある。

 キャラクターは「ミニオンズ」や「ペット」ほど壊れていないが、それでも通常の人間が演じる物語だったら大げさに過ぎるような部分も動物が演じることで違和感なく、更に大げさになっている。
 僕が「SING」を見て最初に連想したのはジャック・ブラック主演の「スクール・オブ・ロック」。ジャック・ブラック演じるダメ人間のロッカーが教員になりすまし音楽的才能にあふれる小学生をだまくらかしてバンドを組んでコンテストに出場を目論む、という物語。バスターとブラックの立ち位置やミーナとトミカの素晴らしい歌唱力を持っているけれど人前で歌うのに躊躇してしまい実力を発揮できないキャラクターなど。「子どもと動物」というヒット要素のうち、「オレは子供で動物だから大丈夫」とブラックは言ったらしいが、その動物の部分に特化したのが本作「SING」といえようか。
 全部のキャラクターが素敵だけれど、個人的イチオシはロジータとマイクで、ロジータは生活に疲れた専業主婦。25人の子豚の母親で、その世話だけで毎日が終わってしまうことに疑問を感じている。この子豚たちは多分25つ子で、普通ブタは一回の出産で10数頭生まれるらしいのでブタとしても多分異例なことなのだと思う(現実のブタの例を出しても意味がないかもしれないが劇中でもベビーシッターを雇おうとして子供の人数を告げたら電話を切られるシーンがあるので、あの世界のブタの家庭でも25頭の子豚というのは異例なのではないか?)。
 ロジータは理系の人である。家を開けるために一晩で家事のオートメーション化を計り実現、いわゆるピタゴラスイッチ形式で子供と夫の世話を自動化する。更に覚えられないダンスのために床に足の動きやフォーメーションを図式化したものを敷いたりする発想は、建築設計とか機械工学を学習していたのではないか、と思わせるに十分で、そんな本来ならキャリアウーマンとなっていたかもしれない女性が結婚と出産・育児(なんといっても25頭だ)のため専業主婦になった、という背景を連想する。実際、崩壊した劇場を再建する際にほんの一瞬だがロジータが陣頭指揮を執っている描写がある。
 マイクは小さなネズミだが、自信満々の嫌な野郎で、それは最後まで変わらない。喘息のヒヒを恐喝するという登場の仕方をし、熊のギャングからカード勝負のインチキで大金をせしめる。結局コレが原因となって大変なことになるのだが、一応マイクもミーナの歌に感動するみたいな部分もあるが、最後はギャングに追われ、恋人?のネズミに助けられるシーンがあるがそれが最後でエピローグで登場しないので今頃なぞの行方不明者となっているかもしれない。でもそんなマイクの歌う「マイ・ウェイ」が最高にいいんだよなあ。悔しいが歌の実力と人格は関係ないのです。
 他にやはりゴリラのジョニーに触れなければなるまい。家庭はファミリービジネスとして強盗を生業としている犯罪一家。ジョニーも見張りや逃走用ドライバーを担当したりしている。でも心優しいジョニーは歌手を夢見ていてギャングになる気は毛頭なく…このジョニーの心優しさはまさに理想のゴリラ。父親の強さ(刑務所の鉄格子を壁ごと破壊)を兼ね備えた立派なシルバーバックになるでしょう。シルバーバックになりたい人生だった。

 本作は「ズートピア」と違ってSF的な見方は出来ない、と書いたけれど、ちょっと気になったのが刑務所のシーン。ジョニーが自分のミスで捕まった父親に面会に行くシーンが二度ほどあるのだが、ここでジョニーと父親以外の受刑者と面会者はほぼ異種族同士なのだ。この映画ではブタはブタと結婚するし、ゾウの家族はゾウだし、ゴリラの息子はゴリラなのだが、ここでは異種族同士の面会ばかり。日本だと関係者の接見を除くと面会は家族だけが許されていると思ったはずだが、アメリカではどうなのだろう(架空世界だが、ほぼアメリカ準拠のはずだ)?もしかしたらこの世界では異種族感恋愛はご法度なのか?いやそれなら面会も無理だよな?とかちょっとだけそんなことを思ってしまった。
 

 今回は字幕版と吹替版両方観賞。原語ではマシュー・マコノヒーリース・ウィザースプーンスカーレット・ヨハンソンなどが声を当てて、実際に歌っている(バスターは歌わない)。それぞれ素晴らしい歌声&パフォーマンス。普段はアニメ映画は日本語吹替版を優先するが、歌のシーンも多いし、しかもそれがオリジナルでなく既存のポップスだったりするので、字幕で原語のパフォーマンスを堪能するのも良いだろう。
 しかし!吹替版も負けてはいない。ウッチャンナンチャン内村光良坂本真綾長澤まさみと言った面々を揃えている。しかもパフォーマンスの部分も吹き替えているのだ。ウッチャンは普通に上手いし、長澤まさみも良かった。坂本真綾は全く問題なし。マイク役の山寺宏一は普通にオリジナルのセス・マクファーレンを超えていたようにも思う。一番タレント吹替と言う感じなのはグンター役のトレンディエンジェル斎藤さんだろう。元々グンターがパフォーマンスメンバーでは一人だけ背後の事情が描かれてなく、でも常に楽天家と言うキャラクターなのでふざけた演技も許容範囲で、しかも斎藤さんが予想以上に上手だったので坂本真綾とのパフォーマンスも申し分なかったです。ジョニー役は歌手スキマスイッチ大橋卓弥で、僕はこの人の歌手活動はあんまり知らないんだけど、本業だけあって歌は申し分なし。通常のセリフ部分はちょっとたどたどしかったけど、それはジョニーの初々しさにつながっていて良かったと思います。
 吹替版でのパフォーマンスは映画オリジナルの楽曲は日本語で、既存の楽曲で元々日本語カバーのないものに関しては英語で、と言った感じだろうか。一大オーディションのシーンなんかでは基本日本語になっていたが。マイクの歌う「マイ・ウェイ」なんかはご存知布施明のカバーがあるのでそれに準じたものになっていて、英語同様の替え歌になっている。ミュージカルや歌ものの洋画吹替版の場合、ディズニーなどを除くと歌部分はオリジナルのまま字幕観賞になる、というのが多いのだが(歌まで吹き替える、となると更に手間がかかる)、本作は英語歌詞の部分でも吹替。細かい差異だが、やはり通常の会話と歌に入ってからの違和感が解消されるので本作みたいな形式は画期的。字幕も吹替もパフォーマンスの部分でそれぞれの違いはもちろんあるが、両方共素晴らしいのでその違いも含めて堪能して欲しい。
 この手のファミリーアニメ映画は最近では吹替が多くスクリーンを占めてしまい、映画ファンからは文句を言われることも多いのだが、僕は基本的にこういう作品は子供が楽しめる吹替版の方が多くなるのは間違っていないと思う。本作に関しては字幕版も吹替版も同じくらいの規模で公開されているので、都合に合わせて好きな方を選択して欲しい。で、字幕を観たら吹替も、吹替版を観たら字幕も、と二度観てもらうと嬉しい。その価値はある。

シング-オリジナル・サウンドトラック

シング-オリジナル・サウンドトラック

 ちなみにこの映画の素晴らしさに観た後「SINGKONG(SINGとキングコングの合体)週間だ!」とか呟いたんですが、「SINGKONG」ってインドネシアあたりの言葉で「キャッサバ(芋の一種)」を指すらしいです。SING!KONG!SONG!

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 イルミネーションの前作。本当の前作「ペット」は独立した感想記事書いてません。スマン!

「SING」同様動物が人間同様の活躍をする世界の物語。雰囲気は全然違うけどね。
 SING!

xXxは家族だぜ! トリプルX:再起動

 テレビ東京の「午後のロードショー」で「ワイルド・スピード」一挙放送(といっても3作目まで)!と言う企画をしているので、これまでなんとなくテレビでやっててもながら見でイマイチ内容を把握していなかったこのシリーズを新作「ワイルド・スピード ICE BREAK」公開までにシリーズを復習しようかと思っています。ほぼ何も知らない状態で「SKY MISSION」は観たからそこまでの6作だ!
 この「ワイルド・スピード」シリーズといえば主演のヴィン・ディーゼルで、シリーズの本数から言っても「リディック」シリーズと並んで彼のライフワークともいえるだろう。そんなヴィン・ディーゼルが一躍大スターとなった作品といえば「リディック(ピッチ・ブラック)」「ワイルド・スピード」両作と並ぶのが「トリプルX」でその最新作が今年公開。「トリプルX:再起動」を観賞。観たのは一ヶ月ぐらい前でもうそろそろ公開も終わりそうなんだけど、とにかくスカッとする作品なので是非観て欲しい。

物語

 NSAのギボンズ人工衛星の落下という手段によって殺された。人工衛星を自在に操るという「パンドラの箱」を使用した作戦と思われたが、その事件についての会議の最中、賊が侵入し「パンドラの箱」を奪い去る。NSAのマルケはかつてギボンズが作った「xXx(トリプルX)」を再び組織する。最初に起用されたのは最初のXであるザンダー・ケイジだ。ザンダーは一癖も二癖もある仲間を招集し「パンドラの箱」を奪ったジャン一味に挑む。しかしその過程で別の真実が見えてきて…

 原題は「xXx:Return of Xander Cage」で「ザンダー・ケイジの帰還」。シリーズ一作目は僕も劇場で観たと記憶するが、その後の2作目「トリプルXネクスト・レベル(2005)」はヴィン・ディーゼルは出演せず、アイス・キューブが主演。これが興行的に失敗したため(僕もレンタルで見たと思う)、シリーズ打ち止め状態だった。それが10年以上経って再びヴィン・ディーゼルを迎えて復活。文字通り「ザンダー・ケイジの帰還」となった。
 ストーリーは単純明快。「パンドラの箱」という分かりやすい名前の装置をマクガフィンとしてこれの取り合いをメインとする。この「パンドラの箱」は地球の衛星軌道上にある人工衛星を国関係なく自在に操る、というものだが、その「自在に」の部分も「任意の地上に人工衛星を落とす」という分かりやすいもの。ストーリーで悩むことは一切ない。
 というかですね。多分この映画こんなアクションシーンが撮りたいな、ってのが先にあって、各アクションシーンを上手くつなげるのを目的としてストーリーが考えだされたのではないかと思うレベルで単純明快。物語に関しては観客(というかこの場合僕)がこうなるだろうな、と予想すると見事にその通りに進行する。映画を観る時に、物語を予想しながら観るのは別段ふつうのコトだが、いつもならその予想を裏切られたことに対して快感を覚えるのだが、今回は別。全く自分の思った通りに進行するので逆にストレスが皆無。気持ちいいほどストレス無く観れました
 これはその単純な物語を凄いアクションが補完してくれているので、その意味では前回書いたような「ミュージカルの手法」のミュージカル部分をアクションに置き換えた物と同質かもしれない。
 キャスト的にも冷たい表情の悪そうな奴はやっぱり悪いやつだし、笑顔が素敵な奴はやっぱり良い奴だったというわかり易さ。後述するけれどドニー・イェントニー・ジャーの出演が今作の目玉であるのだけれど、もうこの二人最初の登場シーンで素敵な笑顔を見せてくれるので、(物語上悪人じゃなかったと判明するのはもっと後だが)この時点で「ああこの人達悪いやつじゃないな」と思ったらやっぱりそうだった、という安心仕様。
 キャストも主演のヴィン・ディーゼルはじめ、味方の側は多種多様な人種・嗜好の持ち主を集めているのに、悪い奴はいかにもWASPといった風情のエリート白人だったり強面で融通のきかないタイプの軍人だったり。この現在を反映したわかり易さ(同時に色んな意味でストレスがない)が映画の魅力となる。

 ヴィン・ディーセル演じるザンダーはエクストリームスポーツの第一人者で、とにかく危険なアクションが大好きという役柄。性格的には反体制で我が道を行くタイプだが映画の中では体制側に付いてしまうということでジョン・カーペンターの「ニューヨーク1997」「エスケープ・フロム・LA」のスネーク・プリスケンに近い*1。このザンダーの基本的には体制嫌いだし、普段は孤独だけど仲間は家族として大事にするというキャラクターはそれこそリディックやドムに通じるものがあるし、なんなら「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー」で声を担当したグルートもこのヴィン・ディーゼルキャラに含めたっていい。強面だけどどこか人懐っこいヴィン・ディーゼルの容姿もこの路線のキャラクターづくりに一役買っているだろう。タイトルに偽りなく全編にわたってこのザンダーのキャラクターでもって映画を引っ張っている。
 ドニー・イェンは「パンドラの箱」を奪う犯罪グループのリーダー、ジャンを演じている。映画としてもザンダーのライバルでありザンダーとは心理戦も行う。が!実は彼はこの10年の間にギボンズのもとで活動したトリプルXであり、彼自身の確固とした目的があって動いていた人物。後半はザンダーと競いつつ共闘。たしかヴィン・ディーゼルとドニーさんが直接格闘するシーンは無かったと思うんだけど、代わりに波乗りしたり敵基地まで競争したりする。先述したけど、もう最初から笑顔が全開で悪人要素が感じられないのですよ。一応ジャン一味の中でも最後まで真意が不明ということになっているんだけど。
 他にジャン一味としてデンマーク生まれのインド人女優ディーピカー・パードゥコーン峰不二子的な魅力で一応ヒロインと言っていいのか。後はジャン一味の戦闘員としてトニー・ジャーマイケル・ビスピントニー・ジャーは「マッハ!」などで主演したタイの至宝。今回は脇役だけどその分気負うこと無くとにかく元気いっぱいと言う感じで好演。ハリウッド映画はこれが初なのかな?と思ったら「ワイルド・スピード SKY MISSION」にも出ていた模様。」覚えてないぞ!見なおさなきゃ!マイケル・ビスピンは現役の総合格闘家ということで僕は初めて知ったのだけど、ジャン一味の中では目立たないものの隠し味的な活躍を見せる。

 ジャン一味に立ち向かう(すぐ共闘するけど)、トリプルXチーム(紹介順逆にしたからジャン一味が主役みたいになっちゃった)はザンダーの他にアフリカで密猟者を懲らしめているアデル(ルビー・ローズ)にDJをやっていて口八丁手八丁のモテモテ男ニックにクリス・ウー。ルビー・ローズはパンク娘で銃火器の取り扱いが得意なスナイパー。クリス・ウーはEXOという中国と韓屋で活躍するグループの一員らしいです。他に常に自暴自棄的なドライバー(特攻野郎Aチームのクレイジーモンキーみたいな感じ)テニソンにロリー・マッキャン。
 そして最初はNSA側の職員だけど一緒に活動していくうちにxXxの仲間となっていくメガネ娘ベッキーにニーナ・ドブレフ。一番一般人だけどオタクな部分で変人ででもかわいいタイプ。とにかく味方として出てくるキャラが人種もキャラクターも色とりどり。この辺は古臭いタイプのアクション映画じゃなくてきちんと21世紀の作品になっていると思う。
 そして!本当に危機一髪の時に登場するのはアイス・キューブ!「トリプルXネクスト・レベル」の主人公ダリアス・ストーン!この「エクスペンダブルズ2」でのチャック・ノリスのような装いで登場するのが、不遇な2作目の主人公というのが泣けるじゃありませんか!これだけは僕も読めなかったよ。同時に「xXxは家族だぜ!」という映画のテーマもより強く。

 映画の冒頭ではサミュエル・L.ジャクソン叔父貴がもう叔父貴以外の何者でもない感じで登場して新人スカウト(スカウト相手はネイマール!)に勤しんでいる。その直後に人工衛星が落ちてきて強い印象を残して退場するのだが、いや、もうこの時点で死んだなんて露ほども信じなかったですよ。悪馬尻直次郎曰く「主人公てのは殺されても姿を見せない時は生きてるものと相場が決まってらあな!」(byあばしり一家)てなもんですよ。そして案の定ラストは生きてて(ネイマールも!)姿を見せるのである。なぜか意味ありげに片目をサングラス状にしたメガネをかけて(特に隻眼になったとかではない模様)たりしたけれど、これは「キャプテン・アメリカ:ウィンター・ソルジャー」でのニック・フューリーへのオマージュか。

 アウトローたちによる擬似家族の強い絆、というのは「ワイルド・スピード」でもみられて、ちょっとしたあこがれでもある(現実にはこういう擬似家族が犯罪行為に走るととてつもなく残酷な結果をもたらすことが多々ある)。本作ではその多幸感が半端無く観終わった後の満足感は物語の単純明快さもあってとにかく元気になれる。こういう映画も必要なのだ。
 xXxは家族だぜ!

トリプルX [Blu-ray]

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トリプルX:再起動

トリプルX:再起動

トリプルX~オリジナル・サウンドトラック

トリプルX~オリジナル・サウンドトラック

  • アーティスト: サントラ,オービタル,4LYN,ネリーFEAT.トーヤ,リル・ウェイン,N.E.R.D.FEAT.ケリス&プシャ T,パスター・トロイ FEAT.ミス・ジェイド,ビッグ・タイマーズ,ミスター・チークス FEAT.ミッシー・エリオット&P.ディディー,ポスタボーイ FEAT.ラシャド,ダニ・スティーヴンソン
  • 出版社/メーカー: ユニバーサル インターナショナル
  • 発売日: 2002/09/25
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 WWEでのジ・アンダーテイカーのトリビュートソングとしてこのサントラアルバムの中のギャヴィン・ロスデイルの「Adrenaline」が使われていて何度も聴いてたなあ。

*1:ワイルド・スピード新作にもカート・ラッセル出演んするね!

最初が最後のピーク? ラ・ラ・ランド

 今年のアカデミー賞で話題になった作品。僕も「ミュージカルでエマ・ストーン主演なら観ないわけには行くまい」とは思っていたのだが、なんだかどうにも観る機会を逸してしまい、かなり遅れてしまった。ただ正直予告編を見た限りではあまり自分の好みではないな、という思いがあってそれで足が遠のいたのも事実。でも観ました。その上であえて言いますとやはり僕好みの作品では無かったです。エマ・ストーンライアン・ゴズリング主演、デミアン・チャゼル監督「ラ・ラ・ランド」を観賞。

物語

 ロサンゼルス。オーディションに落ち続けている女優志望のミアとピアノの腕は確かだが自身のジャズへのこだわりのため何事もうまくいかないセブが出会った。最初の出会いは最悪だったが、やがて(紆余曲折あって)恋に落ちる。
 ミアは自分で脚本を書いて一人芝居の舞台を計画、セブも自身の音楽性とは合わないが旧友のキースの誘いを受けて彼のバンドに参加する。生活は豊かになったがやがて二人の生活はすれ違うように…

 監督デミアン・チャゼルの前作「セッション」は実はまだ見ていないのだが(場外の評論家による乱闘はちょっと読んだ)、こちらもやはり予告編を見た限りだと僕好みではなさそう、という感じ。予告編で観た「ラ・ラ・ランド」の印象は「理詰めで作られていてあんまり感情に訴えてこなさそう」というもの。もちろん映画のミュージカルなんて歌と踊りとカメラワークとが複雑に作用しているわけで、きっちり絵コンテや編集、カメラワークを計算して作られているはずで、その意味では全てのミュージカル映画は理詰めであるはずなのだが、なんだか音楽のエモーショナルな部分が感じられなかった。
 ストーリーは単純。ショービジネスを舞台に才能はあるけれど恵まれない男女が出会い、恋に落ち、葛藤する。確かに一つの映画としてはペラッペラだが、それは別にいいのだ。「ムーラン・ルージュ」だって突き詰めれば同じような話だ。ミュージカル映画においてはむしろ複雑な物語は邪魔でしかない場合もある。強力な音楽があればそこで歌い上げられる感情の訴えによって単純なストーリーは単純さ故に力強さを増す。
 しかしこの「ラ・ラ・ランド」はミュージカルとしての音楽性もイマイチだと思う。音楽そのものは良かった。セブによって何度も奏でられるメロディーは多少飽きが来るものの作品のテーマとして機能している。ただミュージカルナンバーとしては良かったのは冒頭ロサンゼルスのハイウェイで起きるモブによるナンバーと、その後のミアとルームメイトによるナンバー。この2つがピークであとは盛り下がる一方。記憶が確かならふたり以上の掛け合いで行われる楽曲はセブが自分の部屋でピアノを弾き語りするシーンが最後で、その後にミアがオーディションで自分語りをする曲があるだけ、両方共バラードなため映画としての盛り上がりに欠ける。最初のハイウェイのシーンなんて「この感じで最後までテンションが続くのなら期待できる!」と思ったんですよ。でもここがピーク。タイトルの「ラ・ラ・ランド(LA LA LAND)」はロサンゼルスの別名であると同時に「現実離れした世界、精神状態」という意味を持つ言葉だそうで、最初の高速道路の渋滞と暑さから(季節は冬なんだけどロサンゼルスなので)逃れるようにモブの人たちが歌い踊るシーンなんてまさにこのタイトルに相応しい始まりだったんだけどなあ。あるいは音楽性はイマイチでも、通常の作品のような社会性を帯び、ミュージカルでなく普通の劇映画として優れている、という場合もあるだろう。
 主人公二人もスタート地点で「嫌なやつ」として始まっているので、感情移入するまで時間がかかる。特にセブは自身の理想とするジャズ、ジャズバーなどにこだわっていて他の音楽を見下しているフシがあるのでキツい。ミュージカルではない(劇中でも演奏しているシーン)がパーティーの80年代カバーバンドによるa-haの「テイク・オン・ミー」だったり、あるいはキースのバンドによるライブシーンが音楽の盛り上がりとは別に「不本意に嫌々やってる音楽」という位置づけのため辛い。ミアの映画・俳優としての視点もジャズほどではないしろ「過去を理想とし、現在はダメ」という価値観があったりする。後述するが「幻想のハリウッド」という感じだ。
 あとこの映画の欠点はドラマ部分とミュージカル部分があまり一致していなくて普通の台詞のやりとりでドラマを進行させた後、締めで歌も、ッて感じになってる部分がある。何度かあるミアとセブの口論シーンなんてその口論を掛け合いで歌として魅せてくれよ!と思うのだが普通にドラマとして演出されてしまう。そこで歌わないでどうする?

 映画を事前に見る前に話題になってたと思われるのが映画館でのシーン。セブがミアを「理由なき反抗」のリバイバル上映に誘うのだが、ミアは当日に恋人(この時点ではまだミアとセブは付き合っていない)との食事があったため遅れる。すでに上映の始まっている映画館でミアは一番前スクリーン前に立ちセブの姿を探す。このシーンが「映画館のマナーが悪い」みたいな感じで話題になっていたのだが、僕はここはそんなに気にならなかった。実際の上映環境は分からないけれど、アメリカ映画で出てくる映画館シーンってわりとうるさいしマナーが悪いイメージもあるし、その意味ではここで描かれてるのはまだ全然マシではないか。他の客もそんなにうるさくしないイメージ。後はミュージカルなんて言ってみれば全ての状況が主演二人に奉仕するためにあるようなものなのである。だからこの二人が劇的な出会いをするために他の客が割りを食うくらいは普通。なんならここで勢い良く抱き合って他の客が拍手するぐらいあっても良かった。なのでその後の(理由なき反抗のロケ地でもある)グリフィス天文台に忍び込む(でいいんだよね?)シーンも気にならず。ただ、映画館で「理由なき反抗」の上映中にフィルムが焼け付いてしまったり、その後その映画館が潰れている描写なんかは少しイラッとした。
 ラストは5年後。二人はそれぞれ成功しているが今は別れており、ミアは結婚して子供もいる。夫とふと立ち寄った店がセブの店で、ここでセブが客であるミアを見て、例のテーマ曲を演奏する。あれもう終わり?予告編であったシーン(出会い頭と思われる二人が勢い良くキスするシーン)、無かったよ、などと思って嫌な予感。やめてよ、結婚して夫も近くにいる場面でもしかしたらアレが起きるの?とか思ってたら、そこからキスから始まってすでに観たシーンの、でも全てが上手くいったであろうIFの世界を見せられる。なんだろういきなり時間改変SFに突入したのかと思ってしまった。音楽の力は凄い!と言ったってそこまでじゃねえだろ(特にセブの楽曲は)!ここでも歌はない。なんならこのシーンにエンドクレジットかぶせていればまだましだったなあ、と思うのだけれど。その後再び現実に戻り二人はアイコンタクトだけして別れる。そして終わり。

 僕は映画を観ながら最近の作品では「バードマン」を連想した。あれも巧みな技術を駆使し、映像的には優れていたが、テクニカルすぎてイマイチ感情に訴えてこない作品だった。「ラ・ラ・ランド」も映像的に凄いシーンもあるけれど、全然ぴんとこない感じ。
 あるいはやはり「バードマン」もそうだが、アメリカ出身でない監督が虚構溢れるブロードウェイやラスベガスのショーなど幻想のショービジネスを舞台にした映画を創り出すことがある。オランダ出身のポール・バーホーベンによる「ショーガール」とか。この「ラ・ラ・ランド」も描かれているハリウッドは実際のものというより「古きよき幻想のハリウッド」という気がしたが、このチャゼル監督アメリカ出身なのだな。パリで脚本無しでロケする映画、なんて実際ありえるのか?と思うし。香港映画なら脚本ないって言われても「だろうね」って思って気にならないけど。
 僕はミュージカル映画というジャンルをこよなく愛するけれど、それはすべての作品を全面肯定するものではない。最後の大花火というか盛り上がりに欠ける構成はミュージカルとしては欠点だと思うし、音楽によって物語が補完できていない。正直僕はダメでした。
 最も僕はミュージカル映画好きと言っても最初が「ウェスト・サイド物語」と「サウンド・オブ・ミュージック」(両方共ロバート・ワイズ監督だ!)が出発点で、実はこの2作は一般にアメリカミュージカル映画の黄金期と言われる50年代の作品とはかなり趣が異なる作品。そして60年代の作品を出発点としている僕はその50年代の作品は結構苦手である。「ラ・ラ・ランド」は多分に50年代の作品を意識していると思わしき演出・描写も多く、その点で僕と合わない作品ではあったのだ。僕がつらつら書いたミュージカル映画とはこうあるべきだ!みたいなのもあくまでオレ基準なのでいや違う!と言われればそれまでだしね。
 いっその事、スマートフォンを出すのをやめて、微妙に年代を特定させないようにすれば良かったのになあ、と思う。十数年後、あるいは何十年も経てば分からないけれど、現時点でスマホって特に強く現代を意識させちゃう小道具だと思うので、こういう作品ではなるべく劇中で出さないほうが良いと思う。

ラ・ラ・ランド-オリジナル・サウンドトラック

ラ・ラ・ランド-オリジナル・サウンドトラック

 音楽は(映画の中での構成を気にしなければ)良かったです。本人たちが歌っているのも吉。
 映画は僕には合わなかったけれど、これは監督の思い描くミュージカルと僕の好きなミュージカルのタイプがかなり違う、つまり出来不出来よりも相性の問題も大きいとは思う。

あと、フロック・オブ・シーガルズの「I Ran (So far Away)」バカにすんじゃねえよ最高にかっこいいじゃねえか!(聖闘士星矢のアメリカでの放送で主題歌になってたらしいのだけど詳しいこと不明)。
フロック・オブ・シーガルズ~ベスト

フロック・オブ・シーガルズ~ベスト

 ここ最近エマ・ストーン出演作品があまり楽しめなくてツラい…(エマ・ストーン自体はいつも良いんですけどね)

”死の天使”映画の傑作! ザ・コンサルタント

 例えば僕の好きな映画にトム・クルーズの「アウトロー」があって、また感想書けなかったけど、キアヌ・リーヴスの「ジョン・ウィック」、デンゼル・ワシントンの「イコライザー」なども大好きなアクション映画だ。これらはチョットとした共通点があって、それは

  1. 一見普通の人が、
  2. 実は超凄腕で、
  3. 過去はあんまり明らかにならないが
  4. 独自の価値観で悪党をぶちのめす!

という作品群。更に重要なのはその「一見普通の人」を名だたる大スターが演じているということ。無名の新人や名優だけど渋い系ではなく、もうスーパースター級の売れっ子が主演なのに、劇中ではそういうオーラを極力出さない作品。最近の作品で上記3作に準じるのだとウォン・ビンの「アジョシ」やライアン・ゴズリングの「ドライヴ」なども当てはまるかもしれない。
 そういった作品を僕は勝手に「死の天使」が出てくる作品と呼んでいるのだが、今回もそんな「死の天使」が活躍する作品。ベン・アフレック主演のアクション映画「ザ・コンサルタント」を観賞。TVでCMやってた時点では全く興味はなくて、映画の日にとりあえず何か観ようと思って消化試合のように観た作品ですが、現時点で今年1位です。

物語

 財務省の犯罪対策本部が追っているのはマフィアのマネーロンダリングを手がける会計コンサルタント。彼は後ろ姿だけは残しても決して正体を見せなかった。
 田舎町で公認会計事務所を構えるクリスチャン・ウルフ。彼は今日も愛想笑い一つせずに農場を営む老夫婦の税金対策を見事にやってのけた。その農場で遠距離から見事な射撃の腕を披露するウルフ。実は彼こそが財務省が追う「裏社会の会計コンサルタント」だったのだ。
 ウルフはハイテク義手や義足を扱う「リビング・ロボ社」からの依頼で使途不明金の調査を依頼される。ウルフはたった一晩で15年分の帳簿をチェックし、見事に洗い出す。しかしウルフは社長から解雇されてしまう。最初に使途不明金の存在を指摘したデイナが狙われ、ウルフも農場で狙われるが追手を返り討ちにする。
 ウルフは高機能自閉症スペクトラムであり、将来を心配する父親からありとあらゆる戦闘術を叩きこまれていたのだった。デイナを守るためロボ社の創立者ブラックバーンの屋敷に乗り込むウルフ。しかしそこにはブラックバーンが雇った凄腕ブラクストンが待ち構えていた…

 先ほど上げた「死の天使」作品のうち、最も神話性が高いのはキアヌの「ジョン・ウィック」だと思うのだけど、あの作品はもう半ば俳優としての存在がファンタジー化しているキアヌ・リーヴスに拠るところも大きいと思う。過去は断片的に語られるのみ。愛すべき女性は物語開始時点ではすでに亡く、形見の愛犬を殺されたという(悪役側から見れば)些細な理由で全滅させられる。敵対する組織の首領などは最初に相手がジョン・ウィックだと知った時点で怯え始め、途中では捕まえて殺す寸前まで言っても焦り続ける。最後もうダメだと分かった時点で開き直るが、どんなにジョン・ウィックが傷めつけられても最初のアドバンテージが動かない。またホテルのオーナーや死体を片付ける男(デヴィッド・パトリック・ケリー!)など存在自体がリアルと言うよりは半ば幽界に属しているようなキャラクターも多くリアルなアクション映画とファンタジーの境目のような作品だったと思う。
 この「ザ・コンサルタント」はそこまでファンタジーというわけではない。主人公ウルフの過去も丁寧に回想される。ウルフと同じような子供たちを集めた施設から始まって、母親が出て行くシーン。その後アジアの何処かの国でウルフとその弟に格闘技を習わせる父親。そしていじめっこに復讐させるシーン。こういうシーンが続くがただ回想というだけでなく、上手く伏線になっている。
 原題「THE ACCOUNTANT」はズバリ「会計士」なのだが、そのままでは訳してもカタカナ邦題もわかりづらいためか邦題は「ザ・コンサルタント」に「会計コンサルタント」から来ているのだろう。コンサルタントには会計以外のものもあるが、まあこれは悪くない邦題かな、と思う。
 主人公ウルフを演じるのはベン・アフレック。ご存知新バットマンに旧デアデビル。表情が豊かと言うよりは何考えてるかわからない茫洋とした演技をする印象だが、この人も紛うことなきスターであることは変わりない。もしもこれがベン・アフレックでなく他のたとえもっと演技がうまくても知名度の低い俳優が演じていたら映画自体の印象が大分変わるだろう。あのベン・アフレックが演じているからちょっとしたシーンも深み(というかおかしみ)が出ると言ってもいい。毎日同じルーティーンで同じ作業をするおかしさ、財務経理を検証する作業の前に同じマジックを何本も並べるシーンのおかしさ。秩序を乱されることに過剰に反応するも、いざ集中すると平気でホワイトボードからはみ出してガラス壁にどんどん書き出していくシーンの面白さ。ちょっとしたシーンが全て映画としての楽しさにつながっていく。もちろん脚本や演出も素晴らしいけれど、これらのシーンとか何よりベン・アフレックが演じているから面白さが倍加していると思う。

 ウルフのライバルにあたるブラクストンを演じるのはジョン・バーンサル。「ウォーキング・デッド」のショーンであり、(僕はまだ見ていないが)ドラマの方の「デアデビル」のパニッシャーである。ちなみにベン・アフレックは映画のデアデビルでもあるので歴代デアデビルと共演。このブラクストンが面白くて結果として言えば彼はウルフの弟である。回想シーンでは自閉症を患うウルフの唯一の友達と紹介され、ウルフ同様父親から戦闘訓練を受けていたものの、劇中には本編では全然登場しない。だから映画を観ながら色々予想を立てたりした。実はウルフはこの弟で、兄が死んでしまってその自責の念から兄に成り代わっているのではないか?とか。でも実際はライバルであったブラクストンこそ弟であった。ではこの兄弟はなにか仲違いをしたのか?と思ったらそういうこともないではないのだが、結局は「なんだよ、兄貴じゃん!」であっさり仲直り。これまで巻き添え食って死んだブラクストンの部下や、ブラクストンの雇い主であるブラックバーンならずとも「は?」となる展開だがそれがいい!この自分たちの中での確固たるルールが存在し、世間一般のルール(普通に法律だとか、雇い主のことを守るとか)は完全にその下に位置する価値観も愉快。現実にこんな兄弟が存在したら恐怖以外の何物でもないとは思うが、フィクションの中ではとても良い。

 ヒロインはアナ・ケンドリックで最初に登場した時は子供か!と思うぐらい小さく感じたのだが、一応恋愛っぽくならないでもないが、どちらかと言えば恋愛対象というよりも庇護すべき対象だったから守ったという意味合いが強い。このへんも「死の天使」作品に共通。
 他にJ・K・シモンズが財務省犯罪捜査部の局長を、シンシア・アダイ=ロビンソンがその部下としてウルフを探る役を演じている。どちらかと言うとこの二人を通してウルフの正体が観客に知らされている形なのだが、シモンズからロビンソンへ世代交代する過程も上手いと思う。
 後はジェフリー・タンバーがウルフの「裏の会計」としての師匠を演じている。この人は「ヘル・ボーイ」シリーズ2作でFBIのマニング局長を演じていて、印象としては「腹に一物抱えているけど、なんか憎めない人」。今回もそのイメージに違わずいわばウルフに「悪を指南」したわけだが、やはり憎めない。で、このジェフリー・タンバーが出てきた時、とっさに名前が思い出せなくて代わりに浮かんできたのがジョン・リスゴーだったのだが、直後にそのジョン・リスゴーも出てきてびっくりした。今回は一見良い人そうで実は……ッて感じなのだが、最終的には兄弟に振り回されたかわいそうな(でも別に同情はしない)人ってい印象に落ち着いたなあ。
 トム・クルーズの「アウトロー」は主人公に対すす設定説明が不足していたり、推理としての真実の解明より物語の進行を優先していて、「あれ?」と思うことが多く、それによって生まれる不親切な部分がある種の魅力であったりする(僕はその部分が好きだったが、やはりだから苦手だという人もいるだろう)。それに比べるとこの「ザ・コンサルタント」は結構かっちりパズルのピースが一処に当てはまっていく作品で最期のピースをはめて全体像を見た時に「ああ、これだったのか」と分かる理想的な造りをしているとも思う。

 アクション映画として見た場合、特に派手さは最後までないのだけれど、逆にその淡々としたアクションもウルフのキャラクターを上手く表現しているようで映画にあっている。
 そして最後まで見た時に分かるオチも見事。とにかく現時点で今年1位。オススメ!

Accountant - O.S.T.

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アウトロー [Blu-ray]

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アジョシ スペシャル・エディション(2枚組) [Blu-ray]

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ドライヴ [Blu-ray]

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「死の天使」映画群。次は「ジョン・ウィック2」だ!

サイケデリック・ウィザード! ドクター・ストレンジ

 昨年はマーベルの映画は3本。うち2本は20世紀FOXX-MENユニバースに所属する作品で(今年はウルヴァリンの最終作「LOGAN」が待機中!)、MCUは一本きり。どちらかというとDCコミックスのDCEUの作品のほうが勢いがあった気がする(ただ瞬間最大風力こそ凄かったけど、作品評価的にはまさにカオスな感じだったが)。その一本のMCU作品は「シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ」で、これは最高によく出来ていたけれど、これまでのシリーズの(地球での)集大成のような作品だったので、とっつきにくいと思った人もいるのではないか。もうMCUも13本めで、更にTVシリーズなどもあるので追いつけない、という人も多いと思う。そんな貴方に朗報!再び入門編というか、一から新しいヒーローの登場です!余計こんがらがるだけかも、という気もするけれどとりあえずMCU14本目、「ドクター・ストレンジ」を観賞。フェイズ3も2本目。マーベルのロゴタイトルも新しくなったよ!

物語

 神経外科医スティーヴン・ストレンジは今日も手術中に音楽をかけながら鼻歌交じりで難しい手術をやり遂げた。同僚の医者がさじを投げた患者も見事に手術成功させる天才だ。まさに神の腕を持つストレンジだが、性格は傲慢。自分勝手で派手好き。その日パーティーに出席するため雨の中、自動車を走らせていたストレンジは車の中で自分に見合う患者を選んでいた。一人の患者に興味をいだいたその時、事故を起こしてしまう。一命をとりとめたものの両手はボロボロ。リハビリで私生活レベルならなんとかなるもののもはやメスを握ることは出来ない。自分の唯一の拠り所を失いストレンジは自暴自棄になる。
 その時かつて決して歩けない状態から元気に復活した者の噂を聞き、その男のもとを訪れる。物理的手段に希望を失った彼が最後に望みを託したのは奇跡。ネパールはカトマンズにあるカマー・ダージこそストレンジの希望を叶えてくれるだろう。
 カマー・ダージを訪れたストレンジはそこでエンシェント・ワンと彼の弟子たちと出会う。エンシェント・ワンにもう一つの世界を見せられ弟子入りしたストレンジ。最初は戸惑いつつもメキメキと力をつけていく。しかしそんなエンシェント・ワンたちを狙う者がいた。かつての弟子カエシリウスだ。ストレンジが秘宝アガモットの目を手にとった時、カエシリウスが急襲する。一大魔術合戦が始まった!

 MCUフェイズ2の最後を飾ったのはちょっと小さな物語「アントマン」だったのだが、個人的にこの「アントマン」は増えすぎたMCU世界への再入門編だと思っている。だから多分意図的に1作目である「アイアンマン」と同じ要素が沢山見受けられた。天才科学者の社長ヒーロー(トニー・スターク&ハンク・ピム)VS会社を自分のものにしようとする幹部(オバディア・ステイン&ダレン・クロス)という構図や敵の力も主人公の技術に由来するところとか。ただ主人公のスコット・ラングはその相関図から自由だったのが特徴だったが、フェイズ1とフェイズ2は「アイアンマン」と「アントマン」で最初と最後を挟むことでひとつの結末を見たと思っている。
 フェイズ3はその最初から「シビル・ウォー」でユニバースの根底を覆す大騒動となったわけだが、逆に2本目はちょっとクールダウン。新しいヒーローで再び間口を広げる。「アントマン」と「アイアンマン」は人物相関図が似ているが、「ドクター・ストレンジ」は「アイアンマン」と主人公の設定が似ている。傲慢で自己中心的、天才肌で派手好きなヒゲのダンディ。ともに深手の重症を負い、その対策として力を獲得、それを活かすためにヒーローとなる。ただ違うのはアイアンマンが徹底的に物理的な存在だとすれば、ドクター・ストレンジは力の源に魔術を当てていること。
 個人的には今も評価が難しいのが「アイアンマン3」で、ここでは魔法の指輪をもつヴィラン、マンダリンが売れない役者が演じる傀儡、という設定にされてしまっていた。「マイティ・ソー」の神話的な世界観を経た上でならマンダリンも十分本来の設定で活躍できたと思うのだ。またここで魔術の要素を見せておくことは、この「ドクター・ストレンジ」へのちょうどいい伏線にも出来たのではないか、と思うと返す返すも惜しい。

 伏線といえば、ドクター・ストレンジは名前だけはすでに登場済みで「キャプテン・アメリカ/ウィンター・ソルジャー」でシールド(実はヒドラ)のインサイト計画の対象者としてトニー・スタークやリベラル系の大学の学生などと並んで名前が挙がっていた。僕はてっきりもうこの時点でスーパーヒーロードクター・ストレンジとして活躍していて、今回の作品はその冒頭部分は過去なのかな、と思ったけれど、もちろん事故に遭う以前は多少過去だけれど、ヒーローのデビュー戦だった本編は「シビル・ウォー」の後の物語ということで「ウィンタ・ソルジャー」の時に名前が挙がっていたのはまだただの天才外科医スティーヴン・ストレンジとしてのようだ。今作の冒頭ではただ傲慢なだけの人物にしか見えないが、その歯に衣着せぬ物言いは危険分子扱いされたのか。ちなみに社交的であり、セレブのパーティーなどにも出席していたストレンジ。多分ヒーローとなる以前からトニー・スタークとは顔見知りだとは思うんだけど、互いに互いのことを「いけ好かないやつ」って思ってそうね。今後当然共演もあるでしょう。
 ちなみにきっかけとなる交通事故がトニーの時と違って100%ストレンジの自業自得というのは驚きましたね(その時見ていた患者のカルテはもしかしたら今後関わってくるのかもしれないが)
 ドクター・ストレンジを演じるのはベネディクト・カンバーバッチで、今や世界のセクシー俳優。「裏切りのサーカス」で観た時*1はやあ、個性的なルックスだなあ、という感じだったけれど、今や普通に美男子に見えるから不思議だ。現代を舞台にしたTVドラマシリーズ「SHERLOCK」のシャーロック・ホームズとしても知られていて、本作では本来スケジュールが「SHERLOCK」とバッティングして出演が無理だったのを、監督が「ストレンジにはベネさんじゃなきゃダメだ!ベネさんのスケジュールが空くまで撮影は延期!」となったという。その甲斐あってかコミックスのイメージも残したまま見事にドクター・ストレンジのキャラクターをスクリーンに刻んだ。
 とは言っても原作コミックスのドクター・ストレンジに関しては僕もよく知らない。もちろんマーベルでは重要なキャラクターで、多くの作品で登場するけれど、彼単独の作品はあまり知らないからだ。パンフレット等による解説を読むと今回の映画は長い歴史の中でいくつか語られたオリジンを上手くアレンジしているのだという。ちなみにDCコミックスにもヒューゴ・ストレンジというキャラクターがいて、通常マーベルとDCで同名のキャラが設定も似ていたりするのだけれど、こちらは真逆。バットマンの最古参のヴィランの一人でまさにマッドサイエンティストという感じ。TVシリーズ「GOTHAM」では顔で笑って目が笑ってない「ジュラシックパーク」シリーズのマッドサイエンティストでもあるB・D・ウォンが演じてます。
 今回の「ドクター・ストレンジ」はかなりデビューした時期の60〜70年代の雰囲気を残した作品となっている。他のマーベルの多くのキャラクター同様ドクター・ストレンジも1963年のシルバーエイジデビューなのだが、MCUに関して言えばキャプテン・アメリカを除く他のキャラクターは特にそのデビュー時期の雰囲気を残していないが、今回はかなり60〜70年代の有り体に言えばヒッピー文化の匂いを残している。エンシェント・ワンに最初に掌底をくらい幽体離脱のような状態に陥った時とか、極彩色に指先からまた手が生えてくるようなトリップしたような映像が続く。最後のドルマムゥとの無限に繰り返す対峙する宇宙も極彩色。とにかくサイケデリックである。

 他のキャストはストレンジの同僚でかつては恋人だったクリスティン・パーマーにレイチェル・マクアダムズ。この人はガイ・リッチー版の「シャーロック・ホームズ」でアイリーン・アドラーを演じた人で、その時はアイアンマン=ロバート・ダウニーJrのホームズに対してヒロイン(といっても一筋縄ではいかないタイプ)だったのだが、今度はTVの「SHERLOCK」のホームズを相手にすることに。と書いてて思ったのだが、今後アイアンマンとドクター・ストレンジが一緒に出てきたらホームズが揃うことになる。是非今後ジョニー・リー・ミラー(やはり現代を舞台にしたシャーロック・ホームズものであるTVシリーズ「エレメンタリー」のホームズを演じた)もMCUに参戦して三大ホームズ勢揃いして欲しい。ちなみにミラーとベネディクト・カンバーバッチは舞台の「フランケンシュタイン」でヴィクター・フランケンシュタインと怪物の両方を互いに交互に演じた間柄です。
 ストレンジの師匠になるエンシェント・ワンにはティルダ・スウィントン。坊主姿に黄色を基調とした僧俗という感じで華奢ながら神秘的に演じている。穏やかな中にも時に厳しさが垣間見えるのは見事だが、このキャラクターはコミックスでは東洋人の男性であり、ホワイトウォッシュだとか騒がれた。マンダリンしかり「白い神」ヘイムダルを黒人俳優にしたのもしかり、MCUたまにこういうことをしてしまう。原作を知らないので言われなきゃ気づかないし、それぞれキャストは最高なので映画としては素晴らしいのだが、ちょっと気になるところではある。
 ドクター・ストレンジの兄弟子であり、良き仲間でもあるモルド(コミックスでは「モルド公爵」)にキウェテル・イジョホー。茶目っ気もありつつ生真面目なモルドを演じていて、その生真面目さはやがて彼を蝕んでいく。コミックスでは悪役となるキャラで、本作でも最後にその片鱗を覗かせる。この辺は2がアレばそこで、あるいは他のMCU作品で続きが描かれるのか?予告編でもオチとして使われた「今どきだろ?」というWi-Fiパスワードは「SHAMBALLA」でヒマラヤにあるという黄金郷シャンバラを指してますね。

 個人的イチオシキャラクターはベネディクト・ウォン演じるウォンで一見とっつきにくそうで実は飄々として、実はモルドよりも融通がきくキャラクター。

 敵となるキャラクター、カエシリウスマッツ・ミケルセンが演じている。キャラクター的にはさほど個性の強いものではないが、演じるマッツ・ミケルセンの魅力でヴィランとして輝いている感じ。他部下にスコット・アドキンスがいます。

 極彩色のLSDでトリップしたような映像と並んで特徴的なのがビルが伸びたり曲がったりして変化していくもの。「インセプション」の夢の中を更に進化させたような映像が特徴的。いずれも「ドクター・ストレンジ」の世界観の象徴ともいえるだろう。

 MCUの他の作品との絡みは本作に限れば特に無し。ウォンがアベンジャーズの名を出して「彼らの戦いが物理的な世界の物とすれば、我々の戦いは精神的なもの」というような事を言うが(詳細忘れた)、直接的な言及はそれのみ。後はドクター・ストレンジが胸に下げるアガモットの目がインフィニティストーンの一つで「時間」を司るものであるらしいことが示唆される。作品の中では「マルチバース(多元宇宙)」の存在が言及されて、すわ!「X-MEN」とかもついに来るか!?と思ったりしたが、そういう意味での多元宇宙とはちょっと違って現実の世界に対して「アストラル次元」や「ミラー次元」「暗黒次元」など異なる物理法則で動いている世界がある、という感じ。これまではアスガルドなど神々の住む世界や様々な宇宙人が住む宇宙が登場したけれど、これらはあくまでMCUの現実である地球と地続きの同じ世界それに対してことなる次元を題材にした物語がこの「ドクター・ストレンジ」と言う形。

ドクター・ストレンジ:プレリュード (ShoPro Books)

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ドクター・ストレンジ:シーズンワン (ShoPro Books)

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Ost: Doctor Strange

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監督の前作。

MCUの前作。
 MCUだけど新しいヒーローということで過去作との関連は極力減らし新たなファンを獲得、と言う試みが成功したかはちょっと微妙かもしれないが(個人的に面白かったけれどキャストに助けられた部分は大きい気がする)、エンターテインメントとして十分面白かったです。あ、あと「スパイダーマン ホーム・カミング」に先駆けてMCUではニューヨークを根拠地とするMCU初のヒーローです(TVシリーズのデアデビル等除く)。まあ劇中時期的にはそんなに変わらないのだとは思うけれど。
 で、エンドクレジット後、恒例のお約束はソーとストレンジの会話。ロキの探索するソーにストレンジが協力する、というお話。
 というわけで、次は雷神ソーの3作目!「マイティ・ソーラグナロク」。「神々の黄昏」をタイトルの冠した更に神話色の強い作品になりそうです。すでにハルクが出るのは判明済みだが、ここにドクター・ストレンジも出てくるのだろうか。乞うご期待!

 スタン・リーも出てるよ!
EXCELSIOR!

*1:最初に観たのは多分「戦火の馬」なのだが、その時はまだ認識してなかった。ちなみにロキ(トム・ヒドルストン)の同僚軍人!

時代とガトリング マグニフィセント・セブン

 またブログ更新が滞っていました。いやそろそろ更新しようかなあとか思っていたところにアレな出来事が起きてどうにもやる気を失っていたのですが、それでもそろそろやる気を起こしましょう。まずは公開初日に観てもう、公開も終わりらしい「マグニフィセント・セブン」。ご存知「七人の侍」を西部劇リメイクした「荒野の七人」のリメイクです。

物語

 1879年アメリカ西部の町ローズ・クリーク。町はサクラメントに本拠地を持つ横暴な資本家ボーグによって崩壊の危機を迎えていた。金鉱のための本拠地にしようと企むボーグは保安官を買収し住民を追い出しにかかる。今や建前も捨てて堂々と反対派の住民を殺害する始末。夫を殺されたエマは町のためにガンマンを雇おうと決意する。
 アマドールシティ。委任執行官として賞金首を追うチザムは教も酒場で賞金首と彼に味方する荒くれ者どもを始末した。それを見てエマが彼にボーグから街を守る仕事を依頼する。チザムが集めたガンマンは7人。チザムに借金代わりの馬の代金を肩代わりされて仲間となったギャンブラーであるファラデー。南北戦争での南軍として戦ったグッドナイト・ロビショーと彼の相棒である東洋人ビリー。山里でハンターとして暮らすホーン。仲間になることと引き換えにチザムに見逃された賞金首バスケス。そしてチザムとコマンチ族の戦士レッドハーベスト。そこにチザムを加えた7人がローズ・クリークに向かう。しかしボーグは軍隊をも動かすような力を持っている。果たして彼らは街を守ることができるのか?

 オリジナル黒澤明監督による「七人の侍」は1954年の作品。「ゴジラ」や「東京物語」などと並んで50年代日本映画の黄金期を彩る作品の一つにして日本映画の最高傑作とも言われる作品だ*1。重厚で長大、社会性も批判性もあるけれど、まず何よりアクション映画として面白い作品。それまでの時代劇とは趣も違うこの作品はすぐに海外でも評価され、西部劇としてリメイクされた。
 1960年に西部劇リメイクされた「荒野の七人」は僕の大好きな作品で今でも頻繁に見返す作品。好きな作品というだけなら数多いけれど単純に一番多く見た作品は「荒野の七人」かもしれない。もちろん「七人の侍」も好きなのだけれど、白黒と長さがネックとなって頻繁に見返すとはいかない(といったってこの「荒野の七人」も2時間8分あるんだけれど)。「荒野の七人」に関しては過去何度か感想を書いていたりするのだけれど、とりあえず劇場で名画座という形で観た時のこちらを。

 作品は日本の「七人の侍」とは別にシリーズを重ね、最終的にはユル・ブリンナーも関係なくなっていくのだけれど、続編が4作、1998年からはTVシリーズ(映画とは無関係)も作られている。
 分かりやすく骨太なストーリー、オールスターを揃えられる設定。アクションも多く入れられる、とヒットの要因が揃ったこの作品を他の映画人が見逃すはずもなく、これまでも様々な「七人」物が作られてきたが、当然映画としてのリメイクも考えられていて、僕が最初にリメイクの噂を聞いたのは1997年頃か、ケビン・コスナーをクリス役にトム・クルーズチャーリー・シーンなどが噂として上がっていた気がする。最もこれはその時々の大スターを揃えて、という実現可能かどうかは度外視の噂であって、本当に当時どこまで進んでいたのかは定かではない。ただ、当時の噂のキャスティングでもすでにデンゼル・ワシントンイーサン・ホークは名前が挙がっていた気がする。
 監督は「イコライザー」でもデンゼル・ワシントンと組んだアントワーン・フークア。アクション作品のリメイクで馴染みの俳優と組んで、ということになる(イコライザーは元々はTVドラマ)。脚本は先に出来ていて、西部劇であることを条件に引き受けたとのこと(もしも現代劇だったり、中世ヨーロッパを舞台にした時代劇だったら引き受けなかったという)。

 さて、僕はなんといっても「荒野の七人」が大好きすぎるので、「荒野の七人」との比較でこの「マグニフィセント・セブン」を語るなら「面白かったけど、元の作品には遠く及ばない」という評価になってしまう。これはもうしょうがないことで、多分客観的に(「荒野の七人」に限らず)リメイク作品が本家の出来を超えたとしても、なかなか受け入れられないだろう。ただ一西部劇として観た場合は楽しく上手く現代に適合した作品になっていると思った。
 今回の「マグニフィセント・セブン」(これは「荒野の七人」の原題であり「七人の侍」が最初に海外公開された時のタイトルである)は比較的「七人の侍」に忠実だった「荒野の七人」に比べると大分アレンジがなされている。ぱっと見は時代劇(戦国時代の日本)を西部劇(開拓時代末期のアメリカ・メキシコ)に置き換えた「荒野の七人」の変化に比べれば同じ西部劇である今回はそんなに変化はなかろう、と思ってしまうのだけれど、「荒野の七人」は意外と設定や物語はオリジナルまんま。キャラクター設定のほうでアレンジはあるけれど(勘兵衛を主君として擬似的な君主と家臣の関係を築く侍と、あくまで横並びの対等な関係であるガンマンたちの違いとか)、大筋は野盗(野伏)に定期的に襲われてる村を守る、という点で一緒。村人が侍から若い女を隠したり、若い侍と村娘が恋仲になったり、百姓出身の侍が武士の酷さを訴えたり(「荒野の七人」だとその恋仲になるのと百姓出身が同一人物になっちゃうんだけど)するのも一緒。最後のセリフも一緒でまさに正統リメイク。それに比べると今回はかなりアレンジしてある。
 まず敵となるボーグのキャラクター。野盗であったカルベラと違い、資本家であるボーグはどちらかと言えば体制側である。野盗などというアウトローではない。アウトロー同士の戦いでもあった「荒野の七人」と比べ資本家ボーグと委任執行官チザムの戦いは(両者とも仲間にアウトローを含むが)体制側同士の戦いと言えそうだ。

 オリジナルの「荒野の七人」は1890年代(1892年というが詳細不明)が舞台で、今回は1879年が時代設定されている。約10年から15年の時代差があるのだけれど、この間に西部開拓時代は終焉を迎えていてガンマンというアウトローの時代も終りを迎える。「荒野の七人」ではチコがクリスたちに憧れを見せる一方でベテランのガンマンはもう自分たちの時代が終わりつつあることをほのめかす会話などがあるが、「マグニフィセント・セブン」はどちらかと言うと西部開拓時代まっただ中の時代なので、皆ガンマン=アウトローとして前向きな感じで明るいのが違いか。
 映画の中では南北戦争(1861〜1865)が重要な役割を果たしているのも違いで、多分「荒野の七人」の七人で南北戦争に従軍したものはいない。実在の人物ならワイアット・アープ(1848年生まれ)が「OKコラルの決闘」でカウボーイズと銃撃戦を起こすのが1881年。アープを基準として「荒野の七人」はその後、「マグニフィセント・セブン」はその前。「マグニフィセント・セブン」劇中ではチザムとグッドナイト、ホーン、そしてボーグが従軍者か。チザムとグッドナイトは南北戦争では敵味方だったが、今は仲間。一方でボーグとは南北戦争から因縁がある。「荒野の七人」は最初はアンソニー・クインが勘兵衛の役で南北戦争の敗残兵という設定だったらしく、より志村喬の勘兵衛に忠実な設定だったが、結果としてクインが降板、ユル・ブリンナーがクリス役となったことでもっと若き設定となった。
 物語のクライマックスではボーグ側がガトリングガンを出してくる。これによって人数の差はあれど、対等な銃撃戦だった戦いが一方的な殺戮となる。ガトリング砲は南北戦争中に開発された武器で、ある意味近代最初の大量殺戮兵器ともいえる。クランクを回転させるだけで何百発もの銃弾が連発されるこの兵器は兵士個人の能力に頼る時代の終わりを象徴する。明治維新後の日本を舞台に(時代設定はマグニフィセント・セブンとほぼ一緒)した「ラスト・サムライ」でも弓矢と刀で反乱を起こした武士に対してこのガトリングガンを持ち出すことでその銃撃の前にサムライたちは敗れ去り、古い時代を終わらせ新たな時代(それは必ずしも明るいものではなく恐怖と殺戮の時代でもある)の幕開けを象徴する小道具となったが、本作でもほぼ同様の役割を果たしているといえるだろう。

 リーダーであるチザムはデンゼル・ワシントン。先述の通り監督やキャストが決まる前に脚本は出来ていて、黒人であるデンゼル・ワシントンをキャストする前からチザムのキャラクターはある程度出来上がっていて、そこでは黒人という設定は無かったそうだ。これまでデンゼル・ワシントン主演映画の感想では何度か言っていると思うけれど、デンゼル・ワシントンはそれほど役柄から「黒人であること」を強く観客に意識させるタイプではない。今回もその例に漏れないのだけれど、それでも初登場シーンで荒くれ者が集う酒場にやってきた時に周囲のチザムに浴びせる視線は「黒人がこんなところに何のようだ?」という感じだろう。ラストのボーグとの会話もデンゼル・ワシントンが演じることにあたってある程度脚本を改定したのではないかと思う。チザムという名はリンカーン郡戦争(ビリー・ザ・キッドが活躍した事件)の重要人物ジョン・チザムが由来かなと思ったのだが、スペルが違う(Jhon ChisumとSam Chisolm)ので由来は不明。全身黒尽くめの格好はユル・ブリンナーのクリスを意識したものだろうか。この当時で黒人をリーダーとして担ぐのは異色も異色だったはずでその点でチザムこそ委任執行官という公僕だが、他はアウトロー気質が高い。
 スティーブ・マックィーンのヴィンに当たるのがクリス・プラットのファラデーだろうか。どちらかと言えば「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー」のスターロードに通じる飄々とした役柄。チームのムードメイカーとしても頑張っていたが、ただラストの死んだと見せかけて最後の一発を放つシーンは全然死にかけに見えなかったのはちょっとどうなのかという感じ。
 グッドナイト・ロビーショーとビリーのコンビはこの映画の最も見どころの一つだが、イーサン・ホーク演じるグッドナイトは南北戦争では南軍のスナイパーとして名を馳せながら現在はちょっとしたPTSD状態で普段はその弱さを隠して世俗にどっぷり浸かったような素振りをする。おそらく「荒野の七人」のハリーとリーを合わせたキャラクターだろう。ちなみにこのハリーとリーは「七人の侍」での菊千代と勝四郎をチコという一人のキャラに合体させたことで産まれた「荒野の七人」オリジナルのキャラ。ハリーはクリスが安いギャラで村を守るのに何か理由があるのだろうという世俗的なキャラで、一方ロバート・ヴォーンのリーは凄腕の賞金稼ぎだが今は逆に追われる身となり、また衰えていく自分の銃の腕に怯えているという役柄でもある。イーサン・ホークが見かけの世俗っぷりとその下に隠した怯えを上手く演じている。でもなんだか観てる最中ずっと嵐の二宮和也に見えてしょうがなかったです。
 東洋人ビリーはイ・ビョンホン。相棒グッドナイトがいることから孤高のイメージは薄いけれど登場シーンの対決やナイフ投げの達人という設定からも久蔵とブリットがオリジナル。ちなみに「ルパン三世」の五エ門は「七人の侍」の久蔵がモデルで、次元大介は「荒野の七人」のブリット、ジェームズ・コバーンがモデルだそうなので、元をたどると五エ門も次元もルーツは一緒!
 ビリーは一匹狼がグッドナイトと出会って相棒となった設定であるが、劇中ではむしろビリーがグッドナイトの保護者っぽい面を覗かせる。
 その他ホーンにヴィンセント・ドノフリオバスケスにマヌエル・ガルシア・ルルフォ、レッドハーベストにマーティン・センズメアーと新旧バランスよく揃えている。仲間になっていく経緯はちょっと弱い気もするのだが、そのへんは役者の魅力で持たせている感じか。個人的にはエマの付き添いとして出てくる街の若者テディ・Gを、なんならエマ自身を7人のひとりとしてカウントしても良かったのではないかと思ったりしたが。
 そのエマはヘイリー・ベネット。芯の強そうな未亡人を演じている。この「マグニフィセント・セブン」ではいわゆる恋愛要素がなく、ファラデーとエマがそうなるのかな、と思わせたりもしたが、最後までそういう展開にはならなかった。その上でエマの強さが際立つ。他の住人はテディ・Gをのぞいてほぼ目立たず。
 敵役のボーグにはピーター・サースガード。野盗ではなく資本家、という設定は独自であったが、実際ああいう「強盗貴族」は当時多くいたらしい。ただ!あえて無粋を承知で言わせてもらうと、僕が「荒野の七人」が大好きでなんなら「七人の侍」にも勝ると思っている部分はイーライ・ウォラック演じるカルベラの魅力が大きいと思っていて、その点でボーグは悪役の魅力としてカルベラに到底追いつくものでは無かった。

 オリジナルから大胆に削った要素もあれば、加わった要素もある。教会を舞台にしたシーンもそうで、初っ端から教会に火を付けられることでボーグの神をも恐れぬキャラクターが分かりやすくなっているし、また、神様はなぜ現在進行形で苦しんでいる者を助けてはくれないのか?みたいなテーマはこれまでになかったもので、その辺は「沈黙」とも共通するテーマと言える。何度も言うとおり僕は「荒野の七人」が大好きなのでそのリメイクに対して厳しい見方をしてしまうが、特に意識しなければ普通に優れた作品。人種構成が白人のみだった(チコのみメキシコ人、オライリーはメキシコとアイルランドのハーフ)「荒野の七人」に比べると黒人、インディアン、メキシコ人、東洋人まで揃えた「マグニフィセント・セブン」はバランスとりすぎだろ!と思わないでもないが21世紀にふさわしい西部劇となっているとは思う。残念ながらもう劇場公開は終わりだそうだが、ぜひ観て欲しい。

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 音楽はジェームズ・ホーナーとサイモン・フラングレン。ホーナーは「スタートレック2カーンの逆襲」「タイタニック」「アメイジングスパイダーマン」などを手がけたが本作の製作中に飛行機の事故で急逝(自家用機を運転中に墜落)。長年ホーナーと組んでアレンジなどを担当していたフラングレンが後を継いで完成させた。ホーナーに取っては本作が遺作か。
 エルマー・バーンスタインの「荒野の七人」のテーマ曲は、本編ではそれを元にしたっぽい旋律がちょっとあるかな?という程度なのだけど、最後のクレジットでバーンスタインのテーマ曲が流れます。

*1:全然関係ないが1954年には「ゴジラ」と「君の名は」「七人の侍」が興行成績を争い、2016年は「シン・ゴジラ」と「君の名は。」そして日本公開こそちょっとずれるが「マグニフィセント・セブン」が公開されるというのはなかなか興味深い。まあ「君の名は」と「君の名は。」は作品上ほとんど無関係なのだろうけど