The Spirit in the Bottle

旧「小覇王の徒然はてな別館」です。movie,comics & more…!!!

神は己の中にあり 沈黙−サイレンス−

 これまで実話であることを謳った超常ホラー映画等の感想ではしつこいぐらいに「フィクションの題材としては超常現象は大好きだけど実在するものとしては全く信じていない」というようなことを書いてきた。これは読む人に対して「僕はこういうスタンスですよ」と明らかにするためでもあるが、自分自身で自身のスタンスを再確認するためでもある。そりゃ小さころ(といっても中学生ぐらいまで)は信じていたこともあったのだが、今は完全に懐疑的。でもそういう態度で映画が楽しめないかといったら全くそんなことはない。
 これは宗教(ここでいう宗教は神宗教)でも同様で、僕は積極的に無宗教であろうと努力している。実家は浄土真宗でもしかしたら僕も自分の知らぬ間に檀家扱いされているかもしれないが、基本的にはどの宗教も信じていない。実家は神棚があって正月はそこにお供え物をし、お盆には寺(の墓場)に行き、クリスマスはケーキを食べるような節操のない(ある意味日本の典型のような)家庭だったのだけど(極めつけは両親は日本共産党支持者である)、逆に特定の宗教を押し付けられることもなかったのでその点では良かったと思う。この無宗教であろう、というのは逆に「他の人の宗教はできるだけ尊重しよう」という意味でもあって、自分は信じないけれど、信じている人をバカにしたりはしないように(努力)している。
 そんな宗教心のない僕だから、はっきり言って強い信仰心を持つ人の心というのは理解し難くはある。でもそこにロマンを感じたりをすることもあるわけで、今回はそんな神への信仰とロマンの物語でもある。遠藤周作の小説をマーティン・スコセッシが監督した「沈黙−サイレンス−」を観賞。

 17世紀中頃、ポルトガルリスボンに日本で宣教に従事していたフェレイラ神父が拷問にあって棄教した、という知らせが届く。棄教の知らせが信じられないフェレイラ神父の二人の弟子、ロドリゴとガルペは真実を確かめ、また日本での宣教のために日本へ赴くとを決めた。マカオで棄教した日本の漂流民であるキチジローの手引で長崎から日本に入国する二人。そこでは弾圧に負けず幕府に見つからないように信仰を続けるキリシタンたちがいた。二人は潜伏し、二人を匿う村人たちに儀礼を施しながらフェレイラの消息を辿ろうとする。やがて幕府の手が村に伸び、彼らをかくまったモキチやイチゾウは信仰を捨てなかったため拷問によって殺される。二人はふた手に別れフェレイラを探す。やがてロドリゴはキチジローの裏切りで幕府に捕まり棄教を迫られる。頑なにそれを拒むロドリゴだったが、やがて彼のために拷問にあうキリシタンや、棄教して今は沢野忠庵と日本名を名乗るフェレイラと出会い揺さぶられる。なぜこれほどひどい目にあっているのに神は救いをもたらさないのか。そして決断の時が…

 原作は遠藤周作が1966年に発表した小説で、日本国内のみならず世界20ヶ国語以上に翻訳されていて、20世紀の、キリスト教文学の最高傑作とも言われるそうだ。僕は遠藤周作というとまず竹中直人のものまねとかが思い浮かんでしまうのだが、遠藤周作自身キリスト教徒としての強い想いとそれ故に信仰に揺れた時期とがあってそれらがこの小説には込められているという。
 小説のモデルは実際にあった出来事で、フェレイラ神父が棄教したのは1633年。この時信仰を捨てずに殉教したのが、天正少年遣欧使節で有名な中浦ジュリアン天正少年遣欧使節の4人もその後帰国して禁教令が出る中で様々な人生を送っている)。ロドリゴ神父のモデルはジュゼッペ・キアラでやはり棄教して岡田三右衛門なる日本名を名乗る事になったのも史実通り。
 一般に現在「隠れキリシタン」というと「江戸時代に弾圧を逃れて密かに信仰を貫いたキリシタン」というイメージであるが、厳密には「カクレキリシタン(学術用語としては全部カタカナ)」は明治以降禁教令が解かれ、欧米の宣教師がやってきてもカトリックに戻ること無く江戸時代を通じて行われてきたもはやカトリックのものとは別の独自の信仰、教えが長い時を経て変わってしまったり、本来隠れ蓑のはずだった菩薩信仰(観音菩薩をマリア像にに見立てていた)などが混じったもの、を貫いた人々のことを指す用語なのだそう。現在でも一定数いるらしい。後は「踏み絵」も本来は「絵踏み」といって絵踏みのために用意したキリスト画などのことを「踏み絵」という。

 映画はフェレイラが長崎で信徒の壮絶な拷問を見せられるシーンから始まる。貼り付けにしたキリシタンに温泉の熱湯をかける。崩れ落ちるフェレイラ。フェレイラを演じているのはリーアム・ニースン。後述するがガルペ神父をアダム・ドライヴァーが演じていることもあり、堕ちたジェダイという言葉が脳裏をよぎる。「スターウォーズ」とは逆ではあるのだが。
 主人公のロドリゴを演じるのは「アメイジングスパイダーマン」シリーズ」のアンドリュー・ガーフィールド。彼のまるで少女漫画にでも出てきそうな風貌、そして33歳とは思えぬ童顔からある意味彼は理想を多い求める人の象徴である。その純粋さ故に苦しみもがく。
 もう一人のガルペにはアダム・ドライヴァー。「フォースの覚醒」では堕ちたジェダイカイロ・レンを演じていたが、ここでは最後まで信仰を貫くき結果として死を遂げる(あれを殉教とまでいえるのかはちょっとわからない)。「フォースの覚醒」の感想では「特にへんてつもないイケメン」とか書いたけど、よく見ると結構ユニークなルックスで、純粋そうなガーフィルドに比べると柔軟に、いざというときのサバイバル能力もありそうに見える(とはいえ一部のシーンで彼のほうが信仰に凝り固まってると見受けられる部分もあるが)。裸になるシーンも有るのだが、あれですね、結構ひょろっとしたタイプでアンガールズの3人目ッて感じ(ひょろっとした長身で特徴的な容貌の人を見るとすぐアンガールズの3人目って形容してしまう)。日本が舞台の物語のため主要となる外国人キャストはこの3人(後はイエズス会のヴァリニャーノ神父でキアラン・ハインズが出ている)だけ。実際に当時宣教師やキリシタンの間で使われていた言葉はポルトガル語だろけどそこは英語を基本に時々ポルトガル語の単語(パライソとかパードレとか)が混じるという形。通辞以外でも農民や武士が英語ペラペラなのはまあ映画としての都合。
 日本側のキャストは通辞に浅野忠信。名前こそないただの通辞(通訳)だが、きちんとキャラクターとして独立していている。
 原作における遠藤周作の分身とでも言えるのがキチジローで、演じているのは窪塚洋介。キチジローは家族が棄教せず焼き殺されたなか一人だけ生き残ることを決めた人物で、その後も何度も絵踏しては生きながらえ、ロドリゴの前に現れる。ユダのような人物と言われるが、ある意味彼を通して神はロドリゴに語りかけるような存在。何度も転向を繰り返し、最も信心が薄い人物のように思われた彼が最後の最後で見せかけの棄教をしていても実は一番しっかり信仰心を持っていたのではないかと思わせる。神は己の中にあり。
 そしてイッセー尾形演じる井上筑後守。この井上という人物は一応実在の人物で、元キリシタンという説もあり遠藤周作の原作ではその説を採用しているそうだ。つまり実は彼もフェレイラと同等の人物である。映画ではその部分が語られないが、その分純粋悪のような悪役としての魅力にあふれる。拷問や処刑など極悪なことをしておきながら、顔色一つ変えず、自分の行為を正当化するのに弁舌爽やか。イッセー尾形はここ最近の作品ならばタランティーノの「イングロリアス・バスターズ」におけるクリストフ・ヴァルツのランダ大佐、「ジャンゴ」のサミュエル・L.ジャクソンの奴隷頭スティーブンに匹敵する存在感のある悪役だろう。しかも死なないし反省することもない!彼の怪演を観るためだけでも観賞の価値はあると思う。
 その他、キリシタンとして小松菜奈加瀬亮が夫婦役として、最初にロドリゴが匿われる村の農民として塚本晋也などが出ている。個人的には片桐はいりが出てきてアダム・ドライヴァーとユニークなルックスのツーショットが観られたり、あるいはキリシタン弾圧の役人として菅田俊が出ていて、アンドリュー・ガーフィールドと並んだ時に「仮面ライダーZXとスパイダーマンだ!」とか変な部分で楽しめた部分もありました。
 後は、これは海外の人が観てどう思うのかは分からないのだけど、牢番としてちょっとだけ出ている青木崇高が一瞬の登場でも非常にチャーミングで強い印象を残したのだった。

 日本のキリスト教の歴史は(オカルト的な「キリストの墓が日本に!」的なのを除けば)1549年にフランシスコ・ザビエルによって宣教されたのが最初、とされる。そこから約半世紀は日本の歴史上でも最もキリスト教が受け入れられた時代であり、特に九州の一部はキリスト教王国の様相をなしていた。これには当時戦国時代で統制を取れる中央政府室町幕府や朝廷)が機能していなかったこと、群雄割拠の時代であり、各国の領主は外国との貿易(とりわけ鉄砲関連)に熱心だったことなども挙げられているだろう。ただ一部の大名はた単に実利だけでなく熱心なキリシタンとなり、大友宗麟小西行長高山右近などは熱心なキリシタンとして知られた大名である。特に大友宗麟キリシタンのための王国の建設を目指したこと、高山右近は秀吉の禁教令に従わず日本からマニラに追放されたことなどで外国でも有名である。
 劇中では「日本の風土にキリスト教は合わない」という人物がおり、似たような言説は今でも言われることがある。でも実際は決してそんなこともないわけで、キリスト教が日本で根付かなかったのは、ローマ帝国初期の皇帝が弾圧したのと同じように、日本の階級社会を脅かすと判断した権力者、豊臣秀吉や徳川将軍が弾圧したからに他ならない。
 映画では井上や通辞、あるいは「こっちも面倒くさいからさ、ちょこっと絵を踏んでそれで、終わりにしようや」みたいなことをいう役人など、一見すると日本側が寛容に理詰めで棄教を迫っているようにも見える。これが外国人が観てどう思うかはまた別なのだが、日本人が観て「棄教しないキリシタンや宣教師が悪い。自業自得」というような印象を持つものもいるかもしれないし、実際にツイッターなどで「キリスト教が悪い。やはり日本にはキリスト教は合わない」みたいな感想をしている人もいた。そりゃキリスト教にも古くはアレキサンドリアでの女性数学者ヒュパティアを虐殺した事件や、悪名高い十字軍、あるいは南米での布教など、虐殺する側に回った歴史もあるのだけれど、この件に関しちゃ純然たる被害者だと思う。初期の禁教令に関して「布教は日本を植民地化するための布石」みたいな意見もあるけれど、本気だったら禁教令が出ようと武力行使したと思うのでほぼ眉唾だと思う。日本をさして「沼」という表現が使われるがこれは日本の風土と言うより人の心のことなのだ。
 
 棄教したものの評価は哀れだ。キリスト教側からは裏切り者扱いされ、日本側でも棄教を迫っておきながら、最後まで信念を貫けなかったとして軽蔑もされたという。原作小説の「沈黙」は発表当時は棄教した側の立場を描いたことでカトリック教会から攻撃もされた。実際のフェレイラやキアラがどういう心情だったのかは想像する他ない。自身への拷問ではなく、すでに棄教を宣言したのに宣教師が棄教しない限り拷問が続き、自分の信念のために他のものが酷い目に合うのに耐え切れず棄教した、という描かれ方がされている。遠藤周作が救い上げたのはそういうどちらからも見放されたものたちだ。
 スコセッシは自身も経験なカトリックであり、キリストの生涯を描いた「最後の誘惑」を監督した後、やはり賛否両論の中カトリックの神父に渡されて原作と出会ったという。以来28年間映画化を模索し続けていた。主に台湾でロケが行われた本作はその執念ともいえる出来になっている。美しい風景と凄惨な拷問シーンは決してこれみよがしに強調されるわけではないが強い印象を残す。冒頭の熱泉をかける拷問やモキチたちに対する押し寄せる波を利用した拷問など、その美しい自然を利用した拷問もある。

 ちなみに本作「沈黙」はすでに1971年に日本で篠田正浩によって映画化されている。脚本には遠藤周作自身が関わっている。ここで面白いのはフェレイラを演じているのが丹波哲郎ということ。


 ほぼ同じシーンなんだけど、棄教して憑き物が落ちたように割りとさっぱりした趣もあるリーアム・ニーソンのフェレイラに対して、苦悩するキリストかラスプーチンかのような風貌の丹波哲郎のフェレイラ。日本版の方は口でロドリゴに棄教を勧めながら、信仰を貫くことを期待している風もある。見比べるのも一興。

 映画のチラシに記されていたもの。「長崎二十六聖人の殉教」が「江戸時代初期」ってなってるけど、これに関しては1597年の出来事だからおもいっきり豊臣政権(豊臣秀吉)による弾圧事件。確かに江戸時代のキリシタン弾圧は壮絶で過酷に過ぎたけれど、この発端ともいえるこの事件を江戸幕府のせいにされるのは良くない。悪いのは豊臣秀吉!なんどでも言っていいけど豊臣秀吉は過酷な重税、無意味な外征、理不尽な粛清と為政者としてやってはいけないことばかりやっているので日本史上でもまれに見る暴君!

 ラスト近く沈黙を破りロドリゴに語りかける神さまですが、是非そのシーンをサミュエル・L・ジャクソンに変えたMAD動画とか見たいです。

沈黙 (新潮文庫)

沈黙 (新潮文庫)

 明治維新を迎えて日本のキリスト教禁教は廃止されたが、すぐではない。最初は江戸時代の方針を貫いて禁教とし、出てきたキリシタンを弾圧したが、諸外国からの抗議によって禁教令は廃止されたのだ。結局この国を解き放つには過去幾つかの事例でそうだったように、外圧しかないのかもしれない。

白黒でよりソリッドに! マッドマックス 怒りのデス・ロードエディション

 2015年はもう「マッドマックス」の年と言ってよかったわけだけど、その時に僕が思ったのは「これは白黒にしたほうが効果的なんじゃないか?」ということ。複雑な情景というよりは極端に限られた色味の背景を舞台に繰り広げられたアクションは、カラーであるより白黒の方が逆にテーマを浮き彫りにし物語を引き立てるように思ったのだ。その感覚は決して間違いではなかったようで、監督のジョージ・ミラーモノクロームのものこそ本当に望んだバージョンであるとして白黒にした「マッドマックス」がソフト発売される事となった。その前にこのバージョンを是非劇場で!と公開されたのが本作。「マッドマックス怒りのデス・ロード<ブラック&クローム>エディション」を観賞。

 物語紹介などはオリジナル公開時のこちらを参照してください。

 まず僕が今回鑑賞した劇場は川崎のチネチッタ。そこの「LIVE ZOUND」という上映形態。例えば立川のシネマシティでの「爆音上映」などが話題となっているが、僕自身は基本的にあんまりそういうのを体験してこなかった。もちろん映画館の大画面大音量で、というのは基本としても、そういった付加価値的なものにあまり価値をおいてこなかったのだ。例えば映画の物語に合わせて座席が揺れたり風が吹いたりするMX4Dという上映形態などがあったりするが、あんまり興味はない。もちろん体験してみて「こりゃ凄え!」ってなる可能性もあるが、まず値段が高いので今のところ体験する気もない。IMAXにしても今はすっかりIMAX3Dという形式が普通だが、2Dの映画ならIMAXを選ぶこともあるが3D(特に字幕)はもうなるべく避けるようにしている。僕がメガネ装着者でメガネの上に更にメガネを掛けるのが辛いということもあるが、最近は頭痛までしてきて、まず映画を楽しめなくなっているからだ。通常の3Dならクリップ式のメガネを持っているのでそれほどでもないんだけどね。なのでそういう通常の上映以外の付加価値はあんまり興味がなかった。
 ただ、今回は事前に凄いと聞いていて、さらにこの「LIVE ZOUND」という上映は料金が通常と変わらないのである。だったら別に避ける必要もないわけで今回はこの「LIVE ZOUND」で観賞。
 実を言うとこれまでにも新作映画でこの「LIVE ZOUND」という上映を体験したことはあった。ただその時は「ちょっと他より大音量だけど特に凄くは感じないな」という感じだった。ただ今回は違った。
 もちろんこれまでのものは新作映画だったのでその鑑賞が初めてだったり唯一だったりして他と比べていない、ということはあり、それに対して今回は過去にIMAX含む7〜8回劇場で観た作品なのでその点で比較で凄さを感じやすいと言う部分もある。後はこの「マッドマックス」を前に新しいサラウンドスピーカーを導入したとのことなのでその点でも以前とは違うのかしれない。
  いや凄かった!

 音で座席は揺れるし、足元のズボンの裾ははためくし、なんだか風ではないが音圧というか質量を伴った音が顔に迫ってくるような感覚。音楽も効果音も真に迫っていた。これはちょっと他では味わえない体験。ただチネチッタのこの「LIVE ZOUND」上映には作品に合わせて主に3種類の方法があって


だそうです(上記のツイートから幾つか続く物を参照)。
 当然その作品にあった音響というものがあるわけで、どの作品でも今回のやり方がベストというわけではないんだろうけど、とにかく凄い体験でした。単に音楽の使用法とかそういう部分以外で音響についても考えさせれた。

 さて、音響部分以外でこの「ブラック&クローム」がどうだったかといえば、個人的にはこのバージョンがカラーより良かったです。基本的にはカラー作品としての「マッドマックスFR」をそのままモノクロに変換しただけで、特に編集だとかで変更はないのだと思う。それ故に白黒になって分かりにくくなった部分もあるのだけれど、全体としてはより画像が先鋭化して単に映像部分だけでなく物語のテーマとしても際立つこととなったのではないかと思う。「マッドマックスFR」のイメージカラーは砂漠や岩肌、燃え上がる爆炎といったところから赤や黄色、オレンジを思い浮かべる人も多いと思う。それは赤錆を連想させ、荒廃した世界にピッタリだとは思うけれど、暖色なので同時に温かみも感じてしまう。それがモノクロになることで画面全体が陰影が浮き上がってソリッドな印象へ変えた。

 また、目の周りを黒く塗ったウォーボーイズやいざというときの目から上を黒くしたフュリオサ、あるいは眼力を発揮するイモータンジョーのメイクなど一部のキャラクターの目を白黒は強調する。
 また特に序盤に多く見られた少しコマ数を落としてチャカチャカした動きは白黒になることで昔のサイレント映画のような感覚を強め、他のシーンの動きと差が際立つ。やはり中盤の砂嵐のシーンも個人的には白黒の方が迫力があってよかったと思う。

 もちろん分かりづらくなった部分もある。キャラクターとして人気を集めたドゥーフ・ウォリアー(盲目のギター野郎)の一連のシーンは白黒になり彼の赤い服やギターのネック先から吹き出す炎といったギミックがわかりづらく、また音響が良くなったことで逆に彼のギター演奏は埋没してしまったかもしれない。
 音響に驚かされた本作だけど、逆に邪魔なものもあった。これは僕がこの「マッドマックスFR」を大好きで劇場でも家でも何回も観て、もう物語の展開はもちろん、セリフもほとんど覚えてるような状態だったからかも知れないが(実は家で鑑賞するときも英語音声を日本語字幕もない状態で見てる事が多い)、音楽や効果音はともかく、もうセリフは無くても十分だったんじゃないか、と思ったりした。本作は元々そんなにセリフが多い映画ではないのだが、セリフを無音にし、どうしても必要な箇所は本当にサイレント映画のように別画面で映す、とかそういう風にしても良かった、と思ったのだった。もちろんそんなことをしたらシーンが間延びしてしまう可能性もあるのであるが。
 後はせっかくの「ブラック&クローム」なのに日本語字幕がちょっと黄色がかっていて、せっかくの「ブラック&クローム」を邪魔してしまうのだ。いっそ字幕無しバージョンでの上映でも良かったかも*1
 物語内容については今更書かないけれど、ちょっと思ったのは字幕のこと。邦題の「怒りのデス・ロード」は良い(あえて言うなら「デス・ロード」の「・(中黒)」は要らない。2単語までなら中黒なしの方がスッキリして良いと思う)。ただ劇中でニュークスが「I'm gonna die.historic on the Fury Road.」というセリフが「死ぬ時はデス・ロードで派手に散る」となってるのが以前から気になってはいた。文意の「フューリーロードの歴史になる」が「デス・ロードで派手に散る」になっているのはまあ良い。原題の「Fury Road」に当たるから「デス・ロード」としたのだろうがここではニュークスがはっきり「フューリーロード」って言ってるのが聞こえるんだよね。固有名詞を別のカタカナ単語にするのは聴覚と視覚が一致しないため鑑賞していて非常に居心地が悪い。ここは普通に「フューリーロード」にするか、もし邦題に合わせるなら「怒りの道」とでもしたほうが良かったと思う。同様に「War Rig」も「ウォータンク」になったりしていて多少の違和感もあるのだが、こちらはそれほどはっきり耳に聞こえてこないのでまだ良し。
 後はやはり固有名詞の問題でイモータン・ジョーの二人の仲間、「The Bullet Farmer」と「The Peaple Eater」。それぞれ「武器将軍」と「人食い男爵」と訳されている。原語では「弾薬畑の農夫」とただの「人食い」なわけで日本語で勝手に「将軍」とか「男爵」とか称号を付加しているわけで、個人的にはこれもどうかと思う。映画ファンは割りと海外のオリジナルをそのまま持ってくることを好み、余計なローカライズを嫌う傾向があるのだけれど、なぜか「マッドマックス」では好意的に受け入れられてるのが不思議。英語でもこの二人の名前は決して格好良くはないわけで、あえてその格好良さを感じないネーミングにしているのはわけがあるのでは?とも思うのでここも単にそのままカタカナにするか、直訳でよかったと思う。

 というわけで、もう来週にはソフトが発売されてしまうのだけど、個人的にはこの「ブラック&クローム」こそ真のポテンシャルを発揮したバージョンだと思うので、もし機会があるなら是非劇場で泣きの一回を!
ミスト コレクターズ・エディション [DVD]

ミスト コレクターズ・エディション [DVD]

カラーで公開されたのに監督の意向(本当に望んだバージョン)でモノクロ版も発表、発売した作品といえばスティーブン・キング原作、フランク・ダラボン監督の「ミスト」。こちらも白黒になったことでよりテーマが浮き彫りになった作品といえましょう。日本ではDVDの「コレクターエディション」のみ収録のようです(発売時に買ったよ!)

*1:何度も言っているようにこれは何回も作品を見て内容を把握しているものの意見。初見で同様のことが言えるかは分からない

忍者、動物、宇宙人。振り回されて人間は辛いよ! 動物戦隊ジュウオウジャーVSニンニンジャー 未来からのメッセージfrom スーパー戦隊

 自分の生まれ故郷は福島県喜多方市で(育ちは福島市)、江戸時代には会津藩だったところ。小さい頃から白虎隊の悲劇などを聞かされてきて、そのせいか現在はすっかり東軍&佐幕派で、大河ドラマで幕末や関ヶ原の戦い大坂の陣などが舞台になるともっぱら徳川方として肩入れすることが多い。そんな僕ではあるが、昨年は三谷幸喜脚本の「真田丸」にドはまりしてしまい、2016年限定で西軍&豊臣贔屓になりました。主人公の真田信繁*1はもちろん、石田三成も普段は嫌いな人物だがドラマでは魅力的だったし、なんといっても秀頼様!中川大志くん演じる秀頼様が凛々しすぎてその眩しさに毎回してやらえておりました。もしも真田信繁たちの言うとおり秀頼様が前線に立っていれば、単に兵士の戦意が高揚するというだけでなく、もう行くところ味方の負傷兵の傷は癒え、敵兵は寝返り、歩いた土地には花が咲き乱れ、荒れた土地も一気に回復し、戦に勝利たことでありましょう!本放送で負けたとしても再放送では!総集編では!と希望をつなぎましたが、結局歴史はくつがえりませんでした*2。今年は同じ赤備え!井伊直政の養母井伊直虎を主人公にした「おんな城主直虎」。本来の自分に戻り徳川方を応援したいと思います(織田有楽斎並みの変わり身の早さ)。
 で、そんな日曜日の夜の顔、大河ドラマ真田丸」で忍者の棟梁こと出浦昌相演じた寺島進は同時期に日曜日の朝の顔、スーパー戦隊シリーズ動物戦隊ジュウオウジャー」で主人公の叔父森真理夫を演じていたのでありました。両方共準レギュラーぐらいの出演で毎回出ていたわけではないですし、決して出演時も出番が多いわけではないですが、ほぼ同時期の大河とスーパー戦隊の掛け持ちはさぞ大変だったことでしょう。そんな忍者とも動物とも縁が深い寺島進も出演したスーパー戦隊VSシリーズ最新作「動物戦隊ジュウオウジャーVSニンニンジャー 未来からのメッセージfrom スーパー戦隊」を観賞。

物語

 キャンプを楽しむジュウオウジャーの面々。そこへ突然ニンニンジャー顔襲い掛かる。どうやらジュウオウジャーを妖怪と間違えているようなのだが、聞く耳を持たない。互いの巨大ロボバトルにまで発展し、ジュウオウレッド風切大和とアカニンジャー伊賀崎天晴は他の仲間から外れ、タイマンへ。一歩も引かない二人を止めたのは忍者の格好をした子供。彼は未来から来た天晴の子供で伊賀崎快晴。快晴によると明日ジュウオウジャーニンニンジャーが全面対決の末、両者とも全滅、それによって40年以上続いてきたスーパー戦隊の歴史が終わってしまったという。事態を察して休戦する大和と天晴。しかし仲間たちはそれぞれ操とキンちゃんを人質に決闘の準備を。そしてこの戦いの裏にはデスガリアンの存在が…スーパー戦隊の明日はどっちだ?!

 スーパー戦隊VSシリーズは、元はオリジナルビデオ作品として始まって、近年は劇場公開されてもいるシリーズ。その年の戦隊と前年の戦隊が共演するイベント企画である。タイトルに「VS」とあるように毎回一度は両戦隊が激突するのも売りだ。似たような仮面ライダーのクロスオーバーイベントが毎回僅かな矛盾が気になって100%楽しめないことも多いのだが、その点このVSシリーズはそんなことを気にする必要はないくらいおおらかな世界観。毎回「互いに気づいていないかもしれないけど同じ世界なんだよ!」という感じ。これはライダーと違って対象となる児童の年齢層が更に低いというのもあるだろうけど、この強引さが逆に些細な矛盾点をキにさせない力強さを生んでいる。今回も観ている時には幾つか気になる点がないでもなかったけれど、全体としてはそんな小さなことは気にしない忍タリティ溢れる作品でした。(そして後述するが観ながら「あれ?おかしくねえか?」と思ったりもしたところがあるのだが、見事にその想いはエンディングで昇華されるのだった)

 冒頭に「真田丸」のことを書いたけれど、今回の作品は幾つかいろんな作品のパロディがあるような気もして、ニンニンジャーがアトリエ・モリに侵入し操を拉致する際、森真理夫(寺島進)が僅かな殺気を察知して、彫刻刀を手裏剣のごとく投げるシーンがあるのだけれど、これは出浦様だ!と思いましたね。後はニンニンジャーをだますファンシーな格好のルンルンというデスガリアンが登場するのだが、このルンルンは「花の子ルンルン」でもあるし、同時に「プリキュア」シリーズで毎回出てくるぬいぐるみっぽいマスコットキャラのパロディなのかなとか思ったりもした。
 冒頭ではキャンプを楽しむジュウオウジャー。久々にジューマンの姿で羽根を伸ばす姿が見られるが(この姿のままニンニンジャー初顔合わせするので妖怪と言われてしまう)、ここでセラさん(サメのジューマン)が服を着たまま川で泳いでいるのだが、そこは(スケベな意味ではなく)脱いだほうが良いのでは?とかサメなのに淡水で泳いで大丈夫?とか思ったりした。が、これはそもそも陸上で二足歩行してる時点で些細な事だったね。

 物語の時期的にはまだクバルさんがデスガリアンの幹部として健在なので2016年12月のはじめぐらいだろうか。
 何しろ登場人物が皆一癖も二癖もある人物ばかりなので、必然的に大和が大変苦労することに。ジュウオウジャーのジューマンの面々もみなやはりどこか人間とは違っているし、ニンニンジャーの面々でも一番やっかいな天晴とのタッグが多い。操はいつもの用にうつ気味だし。皆オレがオレが系のキャラクターばかりなので大和の心労は絶えない。天晴はにわかに信じがたい未来から来た自分の息子、という快晴の説明をあっさり受け入れるし、何しろTVの時から人間的な成長が殆ど無いので真面目な大和には辛かっただろう。凪あたりとのコンビだったら良かったのにね。しかも大和はさんざん翻弄されて、でも根っからの良心的な若者だからそのイライラを爆発させることもない。そんな「常識人は辛いよ」な作品でもある。
 今回は特に前年のニンニンジャーにキャラクターとしての成長は特に見られない。がそこがニンニンジャーの良い所な気もする。成長して分別のつく天晴やイージーさんなんて見たくないもの(とはいえTVシリーズの頃はこいつらの性格に振り回されていたが)。凪や霞さんは元から大人だしね。

 さて、快晴。「明日、両戦隊が死亡し、戦隊の歴史も終わる未来から来たのになんで天晴の息子が生まれてるんだ?」とは誰もが思う疑問。僕もずっと思いながら見ていた。ただもうそこは下手なツッコミも野暮なのかな?とも思って別に矛盾があってもいいよ、ぐらいに思っていた。しかしラストその疑問を大和が口に出す。答えは簡単。
すでに天晴は結婚していて奥さんは妊娠中!
 これはびっくり。劇中でも誰も知らず、旋風(天晴と風花のお父さん)や風花ちゃんも知らされてなかった一大事。TVシリーズでそんなの匂わせるエピソードとか無かったよね?天晴の空気の読まなさというか周りのことをほっといて自分の道を進む姿は相変わらず。ただ、だからこそ快晴の存在をあっさり受け入れられたんだなあ、とは思う。もっともそんなことなくても天晴はあっさり信じたような気もするけどね。

 一応40作品目記念作品。なので歴代レッドが出てきます。その中でリードを取るのは「超獣戦隊ライブマン」のレッドファルコン。これは同じ猛禽類モチーフのレッドということもあるだろう。声もちゃんと嶋大輔です。
 恒例の新戦隊は最初から9人体制スタートという異色のスーパー戦隊宇宙戦隊キュウレンジャー」。ジュウオウバードの代わりにデスガリアンを蹴散らす。例によってジュウオウジャーたちとの顔合わせはなし。
 最近は一名の追加戦士はもちろん複数の追加戦士も当たり前になってきて「獣電戦隊キョウリュウジャー」は最終的に10人の大所帯。ただ、最初から9人というのは初めてで、タイトルにも「キュウレンジャー」となってるところをみると逆に追加戦士はないのだろうか?といってもいわゆる人間の戦士はいつもの様に5人で後はロボットだったり宇宙人だったりで人間態がない模様。これは「特命戦隊ゴーバスターズ」のゴーバスターズとバディロイドまで含めて一つのチームってのの発展形なのかなって思う。それよりもメイン舞台が地球でなく未来の宇宙であるって方が新機軸すぎて大丈夫か?って思ったりするが、そこはスーパー戦隊。毎回新戦隊発表の時には不安になってもいざ始まれば全然OK!になるでしょう*3

 TVの方はもうクライマックス。ジニスはめっちゃ強かったが果たしてどうなるジュウオウジャー!ということで後はTVで座して待て。
この星を…なめるなよ!
忍ぶどころか、暴れるぜ!

最後に「真田丸」の画像を!

大坂戦隊ロウニンジャー!


格好いい…

*1:大坂の陣近くで従来の真田幸村に解明したけれど個人的には最後まで信繁で通して欲しかった

*2:大蔵卿局の無能ぶりが印象深いが淀殿と秀頼様を思うことからくる無能だからこそたちが悪い

*3:この辺ライダーが作品によって出来不出来(というか僕の好き嫌い)が激しいのと違って戦隊は平均的に楽しめる事が多い

終わりよければ全て良し! バイオハザード ザ・ファイナル

 2017年の1月ももう後半。1日に「ローグ・ワン」(2回目)を観てからまだ全然新作を劇場では観てないわけですが(ジュウオウジャーVS。ニンニンジャー観ました!)、後半は話題作が続々公開されるのでいっぱい観る予定ではあります。そしてその前に年末に見た映画の感想を。「バイオハザード:ザ・ファイナル」を観賞。

物語

 人類のほとんどが死滅した世界。アリスはアンブレラのレッドクイーンから48時間以内に抗ウィルス剤を散布しなければ全人類が全滅することを告げられ、それを阻止するため、すべての始まりの地ラクーン・シティーへと向かう。途中でアイザックス博士に襲われるがラクーンシティーに辿り着いたアリスはクレアと再会。人類を救うため再びハイブへの侵入を試みる……

 一応ね、シリーズ全作品劇場で鑑賞しているわけですよ。それで、前作あたりはもうワーストに選ぶくらい正直つまんなくて、さすがにもう劇場鑑賞はいいかな…と思ってたんですが、これで最後!ってアナウンスされてるじゃないですか。そうすると最後まで付き合ってみるか、ということで初日に観賞。シリーズは2作目、3作目こそ違う監督が担当したりしていたけれど、後半はほぼポール・W・S・アンダーソンの独占市場。さらにこのシリーズの撮影を通して主演のミラ・ジョヴォヴィッチと監督が結婚してしまったものだから、「いかに自分の嫁を魅力的に描写するか」に尽力したシリーズだったりもする。そして日本での日曜洋画劇場でのヘヴィーローテーション!いやもともと日本のゲームが原作だから日本で売れないことにはどうしようもないのは分かるけど、ちょっと放送し過ぎだよ!というぐらい定番となっていて食傷気味であった。あれだね、TV局が映画製作に携わることの功罪ってあって、それはおいておくとしても例えば日テレの「金曜ロードSHOW!」ならジブリ名探偵コナンルパン三世なんかは日テレが関わってるから放送回数が多くなるのは分かる。テレ朝でも「相棒」なんかは同様。でも別に「バイオハザード」シリーズってテレ朝関わってないですよね?
 で本作。これが以外なことに面白かったのです。前作の最後、ホワイトハウスのウェスカーに招かれて、建物の周りをモンスターがうじゃうじゃしてる状態で「さあ!最終決戦だ!」みたいな終わり方をしたんだけど、この辺はあっさり無かったことに。アリスたちはワシントンD.C.でウェスカーの罠に嵌って全滅。アリスはその唯一の生き残りという具合。一応ゾンビ(正確には口から触手みたいなの出すのはゾンビじゃないんだっけ?)も出てくるけれど、もうゾンビ映画というよりは「ゾンビも普通に出てくるアクション映画」という感じ。ドラゴンみたいなモンスターも出てきます。
 前半の廃墟のワシントンからロードムービーを経て(途中装甲車バトルあり)ラクーンシティーに着いてからは1作目を踏襲。全部で6作ある実写映画シリーズのうち予襲復讐として最低限見ておいたほうがいいのは1作目だけで十分だと思う。

 物語的にはこれまでもクローンだったことが示唆されていたアリスの正体が明かされ、手際よくこれまでの謎解きが進んでいく。アリスは元々アンブレラの創始者であるマーカス博士の娘アリシアのクローン。アリシアは細胞が異常な早さで老化する「プロジェリア」という病気を患っていて、その対処法として開発されたのがT-ウィルスであった。T-ウィルスの危険さを指摘したマーカス博士は共同創始者であるアイザックスに殺されたが、現在ではアリシアもアンブレラの最高責任者である。アリスは生物学的なコピー、そしてレッドクイーンはアリシアの記憶を受け継いだ人工知能であり、若くして老婆となったアリシアの過去と未来がレッドクイーンとアリスであった。アリシアはもちろんミラ・ジョヴォヴィッチが演じているが、さらに今回のレッドクイーンはミラと監督のポール・W・S・アンダーソンの娘であるエヴァ・アンダーソンが演じていて、もちろん単なる親バカ、家族愛からのキャスティングと見ることもできるが、その辺でもアリスとレッドクイーンがアリシアの過去と未来という設定を補完していると思う。
 途中で生き残っている人間たちと合流。お馴染みのクレア(アリ・ラーター!生きてた!)と再会する。ここで日本からローラが出演。元々派手な顔立ちだけど、英語のセリフも違和感なく目立ちすぎず地味すぎず、きちんと印象を残してあっさり退場するのでこの手の出演では良く出来たほうだと思う。
 ハイブに侵入してからは「バイオハザード1」を踏襲した展開に。レーザービームによるサイコロステーキ製造機なんかも再登場。
 全体としてシリーズの中でも面白く、特に前作とは格段に良くなっていたのだけれど、時々変な演出があるのも見どころといえば見どころ。アリスとアイザックスが対峙するときに、目に入った小道具で攻撃する、それに対向する、みたいなのを実際に行う前にシミュレーションするところがある。これは例えば「シャーロック・ホームズ」や「捜査官X」なんかであったような演出なのだけれど、ご丁寧にこれを何度もやる。小道具が3つアレば3つ全部見せる。監督正気か?と思わず叫びそうになったぐらい。
 アイザックス博士は二人いてオリジナルとクローン。共にイアン・グレンが演じていて過去に出てきたアイザックスも(特に3)クローン。クローンのほうが自分がオリジナルと信じてたのに!、みたいな部分はありがちではあるが良いアクセント。
 そしてシリーズきっての木偶の坊ウェスカーは今回も木偶の坊。ゲームの方のウェスカーの出来の悪いコスプレみたいな格好で何度も出てきたウェスカーだが、今回は輪をかけて特に何もせず。もはや人間なのかロボットなのかと言うレベル。レッドクイーンはアンブレラの幹部を攻撃できないようにプログラミングされていて、もうお分かりですね、オチは「ロボコップ」です。アリシアにウェスカーは解雇され、それによってレッドクイーンにやられます。
 
 一応、原題から「THE:FINAL CHAPTER」となっているし、物語的にもこれで本当に終わりっぽい感じ(続けようと思えば続けられる終わり方ではあるが)。あんな乱暴に抗ウィルス剤を撒いただけで、一気に事態が終息するのはご都合主義に思えるし、全人類が5,000人切った状態からの復興は難しそうとかいろいろ思うところはあるけれどとりあえずシリーズを追いかけてきた身には満足できる最後かと。

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シリーズ前作。

 とりあえず、ポール・W・S・アンダーソンとミラ・ジョヴォヴィッチ夫妻にはご苦労様、と言いたい。監督は次は普通にミラ・ジョヴォヴィッチ主演のラブコメでも撮ってください(この人フィルモグラフィーはほとんどSFやホラー、スペクタクル大作とかだけど、普通にラブコメとかのほうが合ってると思う)。

星屑の義士団 ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー

遠い昔 はるかかなたの銀河系で…

エピソード4 新たなる希望

時は内乱の嵐が吹き荒れるさなか凶悪な銀河帝国の支配に対し反乱軍の宇宙艦隊は秘密基地から奇襲攻撃を仕掛け、初めての勝利を手にした。
その戦闘の間に、反乱軍のスパイは帝国の究極兵器に関する秘密の設計図を盗み出すことに成功した。それは「デス・スター」と呼ばれ惑星を丸ごと粉砕できる破壊力を兼ね備えた恐るべき武装宇宙要塞だった。
邪悪な帝国の手先どもに追われながらも、レイア姫は自らの宇宙船を駆って、盗みだした設計図を携え故郷の星への道を急いでいた。この設計図こそが、人民を救い再び銀河に自由を取り戻すための鍵となるのだ・・・
(DVD「スターウォーズエピソード4新たなる希望」日本語吹替版オープニングクロールより)

という話です。

 ルーカスフィルムがディズニーに売却されたことで再始動したスター・ウォーズ作品の第2弾。前回はナンバリング作品ということで新たなる三部作の1作目「エピソード7」であったが、本作はスピンオフとしてこれまで概要だけは知らされていたが、具体的に映像化されなかった物語を映画化。「エピソード4」の直前、その最初の部分のオープニングクロールを映像化したものである。「エピソード3」から約20年後、銀河帝国が一番勢力を伸ばしていた頃だが、その崩壊のきっかけとなった出来事、SWの世界は我々の世界で言うような年号や西暦のようなものがなく、EP4のヤヴィンの戦いを1年としてその何年後とか何年前とかいう感じで時代を計算すると思ったけれど(これはあくまで我々が判断する材料で多分ちゃんとした紀元があるのだとはおもうけれど)、本当にEP4直前の物語である。「エピソード3.5」と言うよりは「エピソード3.9」と言う感じ。
 僕は以前も「フォーズの覚醒」の感想で書いた通り、それほど熱狂的なスターウォーズファンというわけではない。もちろん普通に好きでひと通りチェックしているし、旧三部作は間に合わなかったけれど、新三部作は全部劇場で鑑賞しているし、なんならソフトも持っているのだけれど、でもやはり他のSFシリーズ、例えば「スタートレック」であるとか「猿の惑星」とかと比べるとランキングではそれほど上位には来ない感じ。ただシリーズそのものに強い思い入れはない一方で映画史の中でSWが果たした役割は大きいと思っていて、それゆえにこのシリーズだけはジョージ・ルーカスがまさに神のように君臨してファンの言葉など無視して自分の好きなように作って欲しかったと思ったりする。その意味ではこのディズニー製作の新展開はルーカスが直接関わってないこともあってそういう意味でのモチベーションは下がるのだが、それでも直接「EP4」につながる作品なので「フォースの覚醒」よりは古いSWファンにもアピールする部分は多そうだ。
 一応スターウォーズではあるけれど、スピンオフなのでスカイウォーカーの血脈に関する要素は殆ど無い。従来のキャラクターが一部登場する程度。フォースも広く信じられているけれど、ジェダイ騎士団はすでに無く、フォースが使われることはない。逆にジェダイがいないから、一般人の間でこの時期ジェダイとフォースがどういう風に思われていたかなんかを類推することはできるのだけれど。
 監督は「モンスターズ」「GODZILLA」のギャレス・エドワーズ。元々歴史ものの再現映像みたいな者を撮っていた人なので割りと本筋に近いかもしれない。ただ、本作は再撮影が多くあって、その部分はエドワーズ演出ではないなんてことも聞くけれど。
 シリーズとしての作品の立ち位置はやはり日本のSFシリーズ「機動戦士ガンダム」と比べると分かりやすいと思う。富野由悠季監督の手がけた宇宙世紀を舞台にしたガンダムのうち最初の「機動戦士ガンダム」の劇場3部作を「プリクエル3部作(EP1〜3)」、「機動戦士Zガンダム」「機動戦士ガンダムZZ」「機動戦士ガンダム逆襲のシャア」を「オリジナル3部作(EP4〜6)」に比定して*1同じ宇宙世紀の物語ではあるものの富野監督以外が手がけTVシリーズでなくOVAとして発表された「0080ポケット中の戦争」「0083STARDUST MEMORY」「第08MS小隊」なんかが今回の「ローグ・ワン」はじめとする「スター・ウォーズ・ストーリー」にあたると思う。これらのOVA作品では作品の重要なテーマであるニュータイプが語られないが本作でもジェダイやフォースについて具体的に描かれないのも似ているところだろう。

 で、これらのOVAシリーズって当時最新の技術を駆使して過去の出来事を描くということで物語・劇中の歴史的な部分はともかく、演出やデザインで妙な違和感を感じてしまったものだった。モビルスーツなどのディティールの細かさやアクションシーンのテンポの良さ、カット割りといった部分が「過去の話なのに未来(Zガンダムとか)よりも進んでる!」と言う違和感。まあこの辺はアニメだからどうとでもなるのだが、本作にも似た違和感はある。これがEP4の30年〜20年前ぐらいを描いたEP1〜3の時は時代がさかのぼりすぎていてあんまりそんな違和感は無かったんだけど、今回はEP4直前の物語ということでちょっとその辺も気になったりした。
 EP4は他の作品に比べるとまだ1970年代後半のアメリカの風俗が銀河にも影響を与えているというか、反乱同盟軍の服装とか髪型とかちょっと70年代味あふれるのだけれど、その辺は上手く再現している。反乱同盟軍の幹部会議とかかなり70年代風。またデス・スター内部の操作盤とかも当時の物っぽさを再現。一方で設計図のデータが収まってるスカリフのシタデルなんかは今風と言う感じだったけれど。
 後はやはりアクションシーン。これはどうしようもないことだけど、アクションやそこにおけるカット割りなどはどうしても現代風。多分劇場で「ローグ・ワン」を観て、続けて自宅で「新たなる希望」を見たという人も多いと思うんだけど、そうするとやっぱりアクション部分ではかなり時代の差を感じてしまう。特にスカリフの攻防戦はかなり大掛かりな地上戦、空中戦、宇宙戦があるので、どこかゆっくりしたEP4とはちょっと趣が異なる。SW世界の歴史ではヤヴィンの戦いの方が重要度は高いけど、戦闘の規模は今回のスカリフの戦いの方が上に見えてしまうのはどうなんだろうとちょっと思ってしまった。
 で、前半にあるジェダでのシーンでは中東を思わせる町並みにAT-STが現れたりするのでまたぞろ「メタルギアソリッド」の4の冒頭を思い出したりしてしまった。最近はいろんな映画から「MGS」の影響を感じることは少なくないのだけれど、まさかスターウォーズでそれを感じるとは思わなかったなあ。

 物語は銀河帝国が成立してしばらくしたあたりから始まり、15年を経て本編となる。この過去のシーンがあって、そこから一気にメインとなる時代に飛ぶ、という手法もこれまでのSWでは無かったはず。これもスピンオフだからこそ可能な方法。ここでは帝国の技術者だったゲイレン・アーソとその娘であるジン・アーソの過去が描かれる。ジンが主役となるので「フォースの覚醒」に続き女性主人公。デス・スター自体は時系列的には「EP2」でその計画が出てきて、今回やっと完成するわけで約20年がかり。で「新たなる希望」で反乱軍に破壊され、「ジェダイの帰還」では第二デス・スターが急ピッチで建造されて完成間近となっていた。第ニデス・スターの建造スピードからすると最初のデス・スターに何年かかってるんだよ!とか思ったものだが、今回の物語を加味すると実際に建造が始まってからもなかなかうまく行かず、ゲイレンを技術責任者として迎えてやっと具体的に動き出したものの、あえてゲイレンは時間をかけたのかもしれない。
 ジンを育てたソウ・ゲレラは過激派の反乱軍という感じで現在は反乱同盟軍からも距離を取っている存在。彼と連絡を取るべくジンを仲介者として物語は動き出す。
 反乱軍の仲間は主に裏仕事(銀河帝国の圧政に対抗し銀河に自由を取り戻すためとはいえ、綺麗事だけでは革命もできず表に出せない仕事を手がけている)を中心に活動していたキャシアン。銀河帝国パイロットだったがゲイレンに共感し、情報を携え脱走してきたボーディー。帝国の戦闘ドロイドだったが再プログラミングされたことで反乱軍の頼もしい味方となったK-2SO、ジェダで仲間となった盲目の武道の達人チアルートと傭兵スタイルのベイズのコンビが中心となる。
 この中でK-2SOは「アイアン・ジャイアント」を思わせるちょっと宮崎駿天空の城ラピュタ」のロボットも連想させ魅力的。演じているのはアラン・テュディックで、多分声だけでなくモーション・キャプチャーか何かで動きも演じている。
 一番世間的に話題なのはチアルートを演じたドニー・イェンだろう。座頭市を思わせる盲目の武術の達人。アメリカ映画での出番というと「ブレイド2」のスノーマン(ヴァンパイアの特殊部隊の凄腕)を思わせる。彼はジェダという惑星のジェダイ寺院の守護者、という役割だったが帝国の成立とジェダイ迫害によって追われたという感じなのだろう。深くフォースを信じているがおそらく彼自身にジェダイの才能はなく、ジェダイ騎士ではなく一民間人の立場でジェダイ寺院のボディーガードをやっていた、という感じだろうか。ジェダイ騎士になるには結構血統主義で小さい頃から修行しなければならないのだが、そのいろんな条件に当てはまらなかったのだろう(盲目であることが先天的か後天的なものかは分からないがそれ自体は特に関係ないと思う)。ただジェダイでなくとも凄腕はいるわけで(ボバ・フェットやグリーバス将軍とかね)、ジェダイでないものがたどり着ける体術の最高峰がドニーさんという感じだろうか。相棒のベイズはチアルートとは対照的な重銃火器を装備していて、おそらく共和国時代はどこかの傭兵部隊に所属していたと思われる。装備もちょっとマンダロア兵を思わせる。最初このチアン・ウェン演じるベイズはあんまり喋らないのかなあ、と思ったのだけれどこれが結構喋って存在感を示す。
 個人的に今回一番好きなキャラクターは元帝国のパイロットだったボーディー。ギョロッとした目も魅力的。
 演じた役者は亡くなっているが、いわゆるアーカイブ出演というのかCGを使って出ているのがグランド・モフ・ターキンのピーター・カッシング。同様にレイア姫も若いキャリー・フィッシャーの姿で出てくる。キャリー・フィッシャーの方はこの撮影時はまだ存命で(彼女のエピソード8の出演部分は全て撮影済みだそう)、本人も了承済みなんだろうけど、ピーター・カッシングの方は完全にCGで再現した形での出演なので、素直に喜んでいいのかちょっと微妙なところ。顔を映さずに声だけ、とかそういう感じにはできなかったのかなあ、とも思う。

 今回はまず日本語吹替版で観て、二回目を字幕版で観賞。吹替は概ねよく出来ていて、めまぐるしい戦闘アクションも多いので吹替版もオススメです。ちょっとの出番であるC-3POなんかもちゃんと岩崎ひろし。ただ、ダースベイダーの声が大平透ではないのであるな。大平透さんは2016年の4月に亡くなっていて、その少し前からTVアニメである「反乱者たち」では楠大典が担当していて、本作でもそのままベイダー卿の声をあてている。楠氏のこれまで担当した声は「TIGER & BUNNY」のロックバイソンだったり巨漢系のキャラクターが多いのだが、どうにもベイダー卿の今回の声には合っていなかった気がする。「反乱者たち」を観ていればまた別なのかもしれないが、映画のほうだとどうしても大平透さんの声の印象が強くて…。もちろん大平透さんはすでに亡くなっているので、声をサンプリングしろとか加工しろとかそういうことではなく、もっと話し方を寄せるか、銀河万丈玄田哲章みたいな重く低いけど魅力的な声をあてるって方法もあったんじゃないかなあ、とか思ったりした。

 原語ではオリジナルの声であるジェームズ・アール・ジョーンズが今回も担当していて、僕は字幕版の方はもうこのジェームズ・アール・ジョーンズの声を聴きに劇場へ足を運んだようなもんなんだけれど、安心してください。これがもう見事なまでに大平透の声。「大平透が蘇った!英語喋ってるけど!」と思ったぐらいだった。いやあ元々そっくりだったけど、ちょっと嬉しくなってしまった。
 ちなみに「スターウォーズ エピソード5 帝国の逆襲」と「コナン・ザ・グレート(1982年版)」は両方共ジェームズ・アール・ジョーンズがクライマックスで主人公(ルーク・スカイウォーカーシュワルツェネッガー演じるコナン)に対して「私がお前の父だ。親子で世界を支配しよう」みたいなことをいう映画なのだけれど、そこで呆然としてしまうのがルーク。躊躇なく首をはねるのがシュワ。

 身体の方のダース・ベイダーを演じているのはさすがにデヴィッド・プラウズでもセバスチャン・ショウでもヘイデン・クリステンセンでもなく別の人(複数?)が演じていて、「ガーディアンズ・オブ・ザ・ギャラクシー」でスターロードのウォークマンを取り上げた人らしいです。で、最後のライトセーバーで敵の銃撃を弾き飛ばす仕草もオリジナルに比べると、ちょっとアナキンよりというか素早い感じになってましたね。この直後にレイア姫のオルデラン船につながるのでちょっと違和感感じる人はいるかも。
 後はストームトルーパーがあのちょっとユーモラスなヘルメットをかぶってたくさん出てくるのだけれど、こいつらは概ねマヌケでEP4のマヌケで憎めない感じがつながるので良かったです。その分デス・トルーパーという黒尽くめの兵士が強くなっているけれど。エピソード3のクローン・トルーパーから20年でストームトルーパーは大分質が落ちたんだなあ。

 後は反乱同盟軍の提督としてモン・カラマリの人物が出てきます。ラダス提督。黒い体表の好戦的な頑固親父、と言う感じ。のちに英雄となる我らがアクバー提督と比べると大分付き合いが悪そう。SWのキャラクターではアクバー提督が大好き!というのは結構言っているんだけど、今回別のモン・カラマリのキャラクターが出てきたことで、単にアクバー提督のクリーチャーとしての造形が好きなだけでは無かった、ということが再発見出来ましたね。アクバー提督はモン・カラマリだから魅力的なわけではないのです。モン・カラマリであることも含め、アクバー提督だから魅力的なんですよ!ラダス提督もそれなりに魅力的だけど。一番の違いはきぐるみのアクバー提督に対してラダス提督はCGで表現されてることだろうなあ。

音楽はマイケル・ジアッキーノ。ジョン・ウィリアムズの各種テーマ曲も使用されているけれど、そうじゃない部分、ウィリアムズ手がけていない曲の変にウィリアムズっぽいところが、逆に偽物ぽく聞こえてしまって妙な居心地の悪さを感じてしまった。
ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー  オリジナル・サウンドトラック

ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー オリジナル・サウンドトラック

 物語の構造上、ここで活躍するキャラクターたちがその後の物語に出てこないのはわかっていて、つまり最後は全員死んで終わる、というのは予想ができたのだけれど、ドニーさんが出てることもあってか、「孫文の義士団」を思わせる造り。ジェダイでも正規の反乱軍でもない、歴史的には名も埋もれたローグ・ワンの面々を「星屑の義士団」と呼びたい。

 今後は2017年暮れに「エピソード8」が、そして次の年に若いころのハン・ソロを描くスピン・オフ(スター・ウォーズ・ストーリー)が、そして2019年に「エピソード9」で一応正伝は完結、といったところだろうか。まだまだ銀河の歴史は続く…

*1:F91」や「Vガンダム」が「EP7〜」と言う感じか

新年のご挨拶


無事あけました。おめでとうございます。
今年は映画観賞自体は減るかもしれませんが、その分感想はきっちり書けるように努力します。
今後も死なない程度に緩く更新していきますので、今年もよろしくお願いします。
以下、今年は酉年なのでそれっぽいものを。



ラストは南斗聖拳のこの人!(相手はケンさん)


じゃ!良い正月を!

今年は手堅い!小覇王のベストテン(&ワースト)映画2016!


今年のマスコットデッドプールさん。
 やあ!オレちゃんだよ!もう大晦日だけど、急いで今年のベストを発表するってさ。今年は全然観れてない&感想書けてないけど、一応やるらしいよ。前回までの観た映画のリストで大体予想も着く気がするけど、慣習だからね。テレビも紅白ぐらいしか観るのないしね。デップー行きまーす!
 
 というわけで大晦日。急いでベストでございます。紅白観ながら書くよ。デップーも言っているように今年は映画観賞数が少ないし、感想もあんまり書いてないんですが、それでもおお!これは!って作品には出会えたりしたのでありました。まずはベストテン。

  1. シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ
  2. ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅
  3. デッドプール
  4. ズートピア
  5. 死霊館 エンフィールド事件
  6. パディントン
  7. ONE PIECE FILM GOLD
  8. トランボ ハリウッドに最も嫌われた男
  9. オデッセイ
  10. スーサイド・スクワッド

 今年は割りと大作の、家族で揃って見れるような作品が普通に面白かったですね。なんだかんだハリウッド大作はお金だけでなくて色んな意味できちっとしているのは多いのですよ。ベストテンに漏れた作品などで客観的に「凄え!」てのはあるんですけど、自分が好きかどうか、ってことに重きをおくとこんな感じのランキングに。逆に欠点だらけだけど「これは好き!」なんてのもあるわけで。
 では各作品ごとに簡単に振り返りましょう。

1位 シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ

 前作「キャプテン・アメリカ/ウィンター・ソルジャー」に引き続き一位。なんでしょう、この完成度は。今回はヒーロー同士に対決ということでもあり、キャップ単独主演タイトルでありながら、これまでの登場人物の多くが再登場。その多くは超人なため、脚本的にもアクションの見せ場的にもよほど上手くやらなければ混乱してしまうはずなのに、そんな混乱はほとんど見受けられません。物語やキャラクターもこれまでの積み重ねが魅力として伝わってくるのでシリーズとしても一本の作品としてもかなりの完成度を誇ると思います。
 MCUの作品としては今年はこれ一本だけですが、2017年は「ドクター・ストレンジ」「スパイダーマン ホーム・カミング」「ガーディンアズ・オブ・ギャラクシーVol.2」と公開されます。いずれも新ヒーローだったり関わりの薄いGotGだったりちょっと異色な作品が続くことに。まだまだマーベルの快進撃は続くのです。

2位 ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅

「ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅」オリジナル・サウンドトラック

「ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅」オリジナル・サウンドトラック

 ハリー・ポッターシリーズの新作。でも同じ世界であるけれど、時はさかのぼって1926年のニューヨーク。ハリー・ポッターより大人向けの、でも陽性のキャラクターたちが新しい魔法を魅せてくれました。こちらも「シビル・ウォー」に劣らない完成度。続編も3部作とかでなくもっと続く形で考えられているそうなので、今後も我々にマジックを見せてくれることでしょう。

3位 デッドプール

 20世紀FOXのマーベルシリーズ、X-MENの世界に属するアンチ・ヒーロー、デッドプールの紆余曲折を経ての大活躍。程よく肩の力の抜けた作品で、ライアン・レイノルズもやっと自分にあったアメコミヒーローと出会った。今後は2が予定されていて、でもX-MEN本体の方はもう完結してしまっているのだが、あんまりそのへん気にせず気楽にやって欲しい。「やる気のあるものはされ!」という「タモリ倶楽部」感覚で身守りたい。

4位 ズートピア

 もふもふ社会派映画。見かけに騙されるな!more than meets the eye!ある意味今年公開されたどの作品よりも一番社会派かもしれない。最近はピクサーよりもディズニー本体の作品のほうが出来が良くなっている気がしますね。

5位 死霊館 エンフィールド事件

 一応実際にイギリスで起きた事件を基にした「死霊館」シリーズ第2弾。長く淡々とした展開の割に飽きることはなく、エモーショナルな部分も多いのでホラー映画と言うよりは家族の絆を描いた映画といえるかも(もちろんホラー映画としても優れていると思います)。まあ、実際に起きたこととはいろいろ乖離した部分もあるのだけれど。

6位 パディントン

 そしてイギリスを舞台にした映画がもう一本。登場する人たちの多くがしゃべる熊ってところ自体にはそんなに価値をおかず普通にパディントンの人格(熊格)で判断してるところが良いですね。逆に敵役がその「しゃべる熊」ってところしか見ていないといえるわけで。お母さん役サリー・ホーキンス(「GODZILLA」で渡辺謙の助手だった人)がキュートでした。

7位 ONE PIECE FILM GOLD

 今年は邦画が大豊作と言われていて、そのうちの何本かは僕も観ているのだけど、その中では大ヒットだったのはこちら。多分数字的にはヒットしているけれど、評判としては「シン・ゴジラ」や「君の名は。」に隠れてしまったんじゃないだろうかって印象を受けるのだけど、こちらも完成度は高く、原作へのフィードバック要素はいまのところそんなにないんだけど逆に一本の映画として最高でした。

8位 トランボ ハリウッドに最も嫌われた男

ジョニーは戦場へ行った [DVD]

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 第二次世界大戦後の冷戦が始まる時代に赤狩りによって業界を追われた男、ダルトン・トランボを描いた作品。悲惨な時代を描いているはずなのに偉そうにしてる奴が大嫌いというトランボのキャラクターで映画そのものは暗くならないのも良い。メディアが権力におもねることの怖さを教えてくれます。ちなみに劇中で出てきたユル・ブリンナーのような容姿のクリスチャン・ベルケル演じるオットー・プレミンジャーは俳優としても活躍していて、1966年のTVシリーズ「バットマン」ではミスター・フリーズでありました。

9位 オデッセイ

 火星の鉄腕ダッシュ。深刻な事態だけど最後まで明るく、決定的に深刻にならない作風は良かったですね。マット・デイモンは天才役者(天才役を演じるkとが多い)の面目躍如!

スーサイド・スクワッド

 DCの悪役大集合。まあ欠点だらけですが、嫌いになれません。「マン・オブ・スティール」の時は監督のザック・スナイダーのヒーロー観、命の描写の雑さ、など受け入れがたい部分は多かったんですが、もう今となってはDCの混沌さ、闇鍋さがこのユニバースの特徴なんだな、と思って受け入れることにしました。MCUの完成度に対抗するには闇鍋しかない!というのはある意味正しい!
 DCEUは「ワンダーウーマン」と「ジャステス・リーグ」が2017年公開。「ワンダーウーマン」は第一次世界大戦が部隊の前日譚、「ジャステス・リーグ」は「BVS」を受けての物語です。

 惜しくもベストテンに漏れた作品は「スター・トレックBEYOND」「X-MENアポカリプス」「バットマンVSスーパーマン」「シン・ゴジラ」「この世界の片隅に」「キング・オブ・エジプト」などでしょうか。アメコミ映画の2作は世界観を共有する作品がランクインしたのであえて除きました。「X-MENアポカリプス」は評価が分かれてて大作としては今年一番ダメな映画という評価もあるみたいですが、この辺「X-MEN FC」からのファンと2000年の最初の「X-MEN」から見てきたファンとでちょっと意識が違ったりするのかもしれませんね。
 「バットマンVSスーパーマン」が「スーサイド・スクワッド」に負けた理由はレックス・ルーサーの秘書だったマーシー・グレイブスを劇中で殺しちゃったから!ザック許すまじ!
 「シン・ゴジラ」と「この世界の片隅に」は凄かったんですが、もっと言葉に出来ない部分で好きか嫌いか、と言われるとあんまり好きじゃないかも…ってなっちゃう作品でした。客観的に素晴らしいとは思うんですけどね。
 
 続いて、ベストアクションヒロイン!と思ったんだけど、今年はもうワンダーウーマン(ガル・ガドット)、ハーレイクイン(マーゴット・ロビー)、ネガソニック・ティーンエイジ・ウォーヘッド(ネガソニ子)とかアメコミヒロインだけでいっぱいいっぱいなので終わり!

 最後はワースト。例年最も他の人と自分の違いを痛感する部分かもしれませんね。世間で評判の作品がランクインしてしまう。

  1. 貞子VS伽椰子
  2. シークレット・オブ・モンスター
  3. ブレア・ウィッチ

「貞子VS伽椰子」は個人的に全く貞子&伽椰子という日本を代表するホラーキャラクターへのリスペクトが感じられませんでした。驚く部分はあったけれど怖いと思うところも無く。また登場する霊能力者のおばさんがこの上なく不快で(途中で悲惨な死に方をするとしても)許せない感じ。一方で玉城ティナ山本美月の両ヒロイン、途中から登場する安藤政信演じる常磐経蔵と盲目の少女珠緒というコンビは良かったので、最初からこのコンビを主役として早めに出せばよかったのに、とは思います。
「シークレット・オブ・モンスター」も扇情的なだけで結末と途中の物語がつながらない。特に意味のない余計なエロがある、と正直つまらなかった。
「ブレア・ウィッチ」はいまあの題材でPOVやる必要があるの?って思いましたね。何回か書いてますがあの世界観(ブレアの魔女伝説)を使った作品なら観たいけど。劇映画にしたほうが良かったのってのはあの物語(森に行って迷う話)を劇映画にしろってわけではなくてもっと初期構想の部分での話ですよ。

 さて、来年はまたアメコミ映画が多く公開されますね。とりあえず年明けは「ドクター・ストレンジ」。あとは「荒野の七人」のリメイク「マグニフィセント・セブン」が楽しみです!
 それではみなさんまた来年も宜しくお願いします。良いお年を!