The Spirit in the Bottle

旧「小覇王の徒然はてな別館」です。movie,comics & more…!!!

混沌英雄神話 バットマンVSスーパーマン ジャスティスの誕生

 今回の記事は劇場公開終了後、ソフト発売前の空白期間という中途半端な時期の感想であり、途中まで書いた記事が消えると言うアクシデントを経たことで著しく熱意に欠けたものとなっていることをご了承ください。
 今、映画史上に残る壮大なプロジェクトとして躍進を続けるマーベルスタジオによるマーベル・シネマティック・ユニバース(MCU)だけれど、それではアメリカン・コミックスのもう一方の雄、DCコミックスはどうしているかというと、その答えがバットマンとスーパーマンが共演する「マン・オブ・スティール」とその続編である。映画におけるDCユニバース作品(DCエクステンデッド・ユニバースというそう略称はDCEU)、ザック・スナイダー監督「バットマンVSスーパーマン ジャスティスの誕生(以下BVS)」を鑑賞。一応ね3回観ました。

物語

 スーパーマンの登場とゾッド将軍との戦いから2年、スーパーマンは恋人ロイス・レーンをテロ組織から救出したが、そこには別の集団によってテロリストたちが惨殺され、その責任がスーパーマンにあるのでは?という疑惑がかけられた。
 一方ゴッサムシティでは町の守護者バットマンの自警行為が過激化し、スーパーマンクラーク・ケントが警戒。バットマンブルース・ウェインも2年前にメトロポリスで自社の人員に多大な被害を受けたことでスーパーマンを許せないでいた。
 メトロポリスの若き企業家レックス・ルーサーはスーパーマンらクリプトン星人に影響を及ぼす放射性鉱物クリプトナイトを見つけ、その塊の国内への輸入を上院議員らに許可を得ようとする。ブルースは追っていたテロリストからルーサーへの足がかりを見つけ、彼の主催するパーティーへ。そこへは取材に来たクラークも。三者三様の思惑が交わる……

 前作の感想はこちら。

 かつてマーベルコミックスが自社のキャラクターを実写化する際、別々の映画会社にその都度権利を分けていたので、なかなか実写映画でのクロスオーバーができなかったと言われていた。一方でDCコミックスは1950年代からワーナー・ブラザーズの子会社となっていて、必然的にその映画化は全てワーナー作品となる。だから一時期は実写映画で本格的なクロスオーバー作品が作られるならDCのほうが先だろう、と言われていたのだが、結果としてマーベルに先を越される結果となった。
 マーベルコミックスMCUとして実写映画版マーベルユニバースを大成功させる一方、DCもその構想を持ちながら今まで実現しなかった。もちろん、実写作品に限ってもすでに映像化作品のクロスオーバーはこれまでもあって、アニメの「ジャステス・リーグ」はもちろん、TVシリーズ「ヤング・スーパーマンSMALLVILLE)」でもフラッシュやサイボーグ、アクアマン(となる少年たち)との共演があったり、スペシャルドラマとしてスーパーマンバットマンワンダーウーマン抜きの「ジャステス・リーグ」が作られたりした。このドラマではフラッシュが仕事が早すぎて逆にサボっているように見えてすぐクビになるダメ社会人になっていたりする。現在はTVシリーズ「ARROW」を中心に「フラッシュ」や「レジェンド・オブ・トゥモロー」などが同じ世界観を共有するTV版DCユニバースを構築している。ただ、それが映画となるとかなり難しかったようだ。一時はライアン・レイノルズ主演の「グリーン・ランタン」が映画版DCユニバースの始めとなる作品とか噂されていて、あの作品自体の出来はともかく、作品の雰囲気や大風呂敷を広げた世界観はそれに相応しいと思っていたのだが、興行的に振るわず作品自体が1作で終わりとなった。
 アメコミの2大出版社といえばDCとマーベルだが、単にアメコミの2大ヒーローといった場合スーパーマンバットマン、とDCのヒーローが1,2フィニッシュを決めるだろう。1938年に生まれたスーパーマンはすべての元祖となるスーパーヒーローであり、翌年に生まれた常人ヒーローであるバットマンはその対比として完璧だ。スーパーマンの光とバットマンの闇。ここに女性スーパーヒーローの代表となるワンダーウーマンを加えてこの3人は全てのスーパーヒーローの雛形となった。
 有名すぎるDCコミックスの3大ヒーローだが、逆にいうとこの3人が偉大すぎるからこそそのクロスオーバーが難しかったとも考えられそうだ。ここ10年でもスーパーマンは「スーパーマン リターンズ」、バットマンは「ダークナイト」トリロジー。ワンダーウーマンも映画化こそまだだが、TVシリーズはずっと企画が上がっては消えていた。この3人が突出しているからどうせなら単独シリーズとして作りたいという思惑があったのではないか?

スーパーマン


 前作「マン・オブ・スティール」は僕としては「自分の理想とするスーパーマンとは違う」というような理由で評価は低めであった。映画、コミックス、アニメ、ドラマといったこれまでに作られたスーパーマン作品が自分の中で築き上げた理想のスーパーマンザック・スナイダーの思い描くスーパーマンはかなり差があったからだ。ただ、本作は2作目であり観る側のこちらもすでにザックのスーパーマン観は了承して臨んでいるわけで今更そこに文句を言うつもりはない。映画はブルース・ウェインの両親の死から始まるが、やはり全体としては主役はスーパーマンである。
 スーパーマンクラーク・ケントとして新聞記者を務める一方、スーパーマンとしての責務も果たしており一部からは賞賛を受けるが一方で全ての原因として憎むものもいる。
 ザックの描くスーパーマンの問題点(とあえていってしまおう)のひとつはスーパーマンの飛行に全く優雅さが欠けるところであろう。全部弾丸系。ふわっと浮き上がって飛行を楽しむみたいな描写が皆無。クリストファー・リーブその他のスーパーマンなら女性ならずとも抱きかかえられて一緒に空の旅を愉しみたいとか思うけれど、ヘンリー・カヴィルのスーパーマンには抱き抱えられたくないもの。ただこの常に切羽詰まっているような余裕のないスーパーマンにはあっている描写で逆にいうとスーパーマンがもっと飛行を愉しめばあの世界も余裕あるものとなったりするんじゃなかろうか。
 ヘンリー・カヴィル自身は前作に比べるとユーモアも感じられるようになって、前作より断然良いです。この前の主演作「コードネーム・U.N.C.L.E.」におけるナポレオン・ソロの大人の余裕たっぷりのカヴィルが最高に良かったので、次あたりはもっとその辺の魅力もスーパマンに取り込んで欲しいですね。
 
 ロイス・レーンペリー・ホワイトも再び登場。次々超人が登場する中でちょっとロイスの影は薄いか。最初の中東かアフリカと思われる地域での取材で出てくる実はCIAの局員だったカメラマンがジミー・オルセンという説もあるそうだが、ちょっとジミー・オルセンのキャラクターとは違いすぎて信じたくない。
 カル・エルの実父ジョー・エルは今回は登場しないが養父ジョナサン・ケントはスーパーマンの見る幻影として登場。助けられ役としてのヒロインとしてはマーサ・ケントの方が印象深いかも。こっちはブルースにとってもヒロインだしね。

バットマン


 映画は映像化されたものとしては何度目かのトーマス&マーサ・ウェインの死から始まり(ちなみに父親であるトーマス・ウェインを演じているのはザックの「ウォッチメン」でコメディアンを演じていたジェフリー・ディーン・モーガンでありトレードマークであるヒゲも生やしたままなのでとても強そう)、前作のクライマックス、スーパーマンとゾッド将軍の戦いに巻き込まれるウェイン・エンタープライズのビルから社員を救い出そうとするブルースのシーンにつながる。前作の時点ではクライマックスの戦いがそれほど911をイメージしているとは思わなかったのだが、本作では明確に911をイメージしているだろう。また過去の戦闘に巻き込まれて被害に遭い、残された者がその原因となった主人公を憎むという展開は「ガメラ3」を思わせる。
 同じ大爆発&大破壊でも例えばマイケル・ベイなんかだと「今回も派手にやってるなー。たーまやー!」という感じであんまりそこに劇中では出てこない犠牲者の存在を感じ取ることはないのだけれど、ザックの場合「主役たちが派手にやりあっているその見えないところで何十人も犠牲になっている……」とか思ってしまう。これが娯楽作品の監督としてどちらが良いのかは判然としないのだけど。ただ、その辺の見えない被害者の存在が感じられるのは製作のクリストファー・ノーランの影響もあるのかもしれないけれど、はっきり言えばザックは人の生死の描き方としては雑(ウォッチメンのザック独自の描写に顕著)。また例によって無意味なザック擁護の代わりにもはやヘイト(憎しみ)と言っていいノーラン批判(批判でもないな)があったりしたのだが、何度も言うように褒めるにしろ貶すにしろそれはザックに向けてでなければおかしいと思う。
 
 過去のバットマンの映画化作品ではどちらかというとブルースの父親トーマスとの絆が描かれてきたが*1本作ではどちらかと言えば母親との関係が重視される。これはスーパーマンの方でクラークの母マーサ・ケントとブルースの母マーサ・ウェインがともにマーサという名前である事による。このマーサかぶりが1940年代当時のコミックスにおいて偶然なのか狙ったのかは分からないが、本作ではともすれば収集のつかなくなりそうな展開に有無を言わせぬ力強い説得力を与えている。「スパイダーマン」の最初の読み切りの時、なぜスタン・リーがピーターをわざわざ叔父夫婦に育てられる孤児として描いたのか不思議だったりしたのだが、よく考えると元祖スーパーヒーローのスーパーマンバットマンからして孤児なのだな。というかスーパーヒーローは孤児が多い……
 バットマンについてはすでに活動して20年ということが語られていて、確かに演じるベン・アフレックの年齢から言ってもそれぐらい経っていても不思議ではないのだが、やはり 劇中ではこの2年ぐらいで急に出てきたコスチューム姿の自警者という印象になってしまう。やはり間にアフレック版の「バットマン」を一作製作しておくべきだったのではないかなあ。多分これまでもゴッサムの守護者として活動してきたが、スーパーマンの登場を受けたここ2年ぐらいで急に過激化した、ということなんだと思うが。
 またゴッサムシティがメトロポリスと並ぶもう一つの舞台として出てくるが、ちょっとメトロポリスとの位置関係がよくわからない。最初に観た時は独立した都市ではなくメトロポリス内の一区画なのかな、とも思ったけれどやはり基本的には別都市のよう。ただ凄い近いぽいです。原作だとニューヨークを挟む形で存在するんだっけかな。まあ、ゴッサムメトロポリスも元々はニューヨークの異名だったのだがそれぞれニューヨークの明るい面、暗い面と特化して独立した感じなのだけれど(たしか初期のコミックスでは共にニューヨークそのものが舞台ではなかったか)。

 演じるベン・アフレックは過去にデアデビルを演じていて、スーパーヒーローとしてはこれが2本目ということになるがデアデビルにしてもバットマンにしても顔の下半分を出すタイプのマスクは彼の四角いアゴにピッタリだと思う。そしてベン・アフレックといえば実はスーパーマンも演じているのだな。厳密には1950年代のTVドラマ「スーパーマン」でスーパーマンを演じたジョージ・リーブスを「ハリウッドランド」という作品で演じたのだ。ジョージ・リーブスはこのスーパーマンのイメージが強すぎて不遇の死を遂げるのだが、当然劇中でもスーパーマンの格好をするシーンが存在し、ここでのアフレックのスーパーマン姿はよく似合っていた。コミックスだと長方形の四角い顔なのでアゴに特徴のあるベン・アフレックは結構ヒーロー向きなのだ。多分(間接的とはいえ)スーパーマンバットマンの両方を演じた俳優としては唯一なんじゃないかな?と思うのだが、本作のブルース・ウェインではちょっとアゴがしゅっとしたというか痩せた感じもした。まさCG修正ではないとは思うけど、ハンサム度は増したが、マスクのヒーローとしてはもっとアゴを強調したほうが、とか思った。
 そのバットマンのコスチュームはこれまでのラバー製のボディスーツと言うよりはコミックスに近いタイツっぽい仕上がりで個人的には鎧系より好き。スーパーマンとの一騎打ちでは「ダークナイト・リターンズ(DKR)」オマージュと思われる特殊装甲のスーツも。今回直接的なストーリーには「DKR」は関係ないけれど画作りの部分ではかなりDKR色は強いです。もう今更ザック・スナイダー監督に拠る「DKR」はいらないね。フランク・ミラーの「DKR」発表後バットマンの映像化作品は大なり小なりその影響下にあるのだけれど、そろそろバットマンを「DKR」の呪縛から解き放ってほしいと思う。画作りの面ではこの「BVS」がここまでやり遂げたのだから。
 バットマン側の人物としてはアルフレッド・ペニーワースが出ていて演じるのはジェレミー・アイアンズ。これまでのアルフレッド役者と比べてもかなり若がっていて、ブルースとの関係も擬似親子というよりは義兄弟と言った感じに。いろいろメカニックも担当している。今回は基本的にはバットケイヴでサポートと言う従来の役割をそれほど逸脱はしていないのだが、普通に強そう。次のバットマン映画では犯罪組織への潜入捜査ぐらいはして欲しい勢い。アルフレッドもああ見えて元軍人(それも特殊部隊?)の舞台出身のシェイクスピア俳優、といういろんな設定背負っているので。
 メカニックといえば今回はバットモービルとバットウィングが登場。バットモービルは「ダークナイト」トリロジーのタンブラーぽい部分も残したデザインだが、バットウィングはがっつりコウモリ(というかバットシグナル)のシルエットを残したデザインなのが嬉しい。
 そういやクレジットではバットマンの原案にボブ・ケインだけでなく「with Bill Finger」とビル・フィンガーの名前もきちんと出ていた。「ダークナイト ライジング」ではまだボブ・ケイン単独クレジットだったと思うのでこれが初かな。ビル・フィンガーが初期のバットマンボブ・ケインとともにストーリーや設定を固めた人です。

ワンダーウーマン


 基本的にはタイトル通りバットマンとスーパーマンの出会いと対立、融和の物語なのだが、事前に出るらしいよ、と言われていたのがワンダーウーマン。メインというほど物語には関わってこないがゲストというには活躍しすぎ、という感じで登場。ワンダーウーマンは1941年にデビュー。原作者のウィリアム・モールトン・マーストンは心理学者で嘘発見器を発明(そのものではないんだったかな)した人でもある。異星人であるスーパーマンと常人であるバットマン。そこに加わる第三のヒーローはギリシア神話を由来とするスーパーヒロイン。本名はダイアナ・プリンスでスーパーマンに匹敵する身体能力に超能力、更には不老の存在でもある。マーベルだとソーが近いのか。
 本作ではレックス・ルーサーのもとにある自分の過去のデータを処分するべく暗躍しブルースに近づく。ダイアナがらみのシーン全体的に謎の女スパイと言うイメージでもあり、過去のDC映画だとキャットウーマンに近い感じ。実際パーティーなどでブルースと出会うシーンは「バットマン・リターンズ」や「ダークナイト ライジング」のキャットウーマン登場シーンを匂わせている。70年代に作られたリンダ・カーター主演のTVドラマシリーズだと第1シーズンはWW2が舞台になっていて、その後第2シーズンから現代を舞台に展開するのだが、レックス・ルーサーの持っていた資料だと100年前の第一次世界大戦の時点ですでに活躍していたがその後姿を消したという。世界大戦で人類に幻滅してその後のさらなる地獄を見なくて済んだか。
 演じるガル・ガドットはカーデシア人みたいな名前だけどとにかく格好良くて「ワイルド・スピード」シリーズ(MAX以降)に出演してた。トム・クルーズ&キャメロン・ディアスの「ナイト&デイ」にも出てたらしいんだけどちょっと思い出せず。もう映画のバランスを壊すぐらいクライマックスで活躍するので見どころではあると思う。スーパーマンとの絡みはほとんどなくクライマックスで「あんた誰?」状態だったりするのだが。
 他にもフラッシュとアクアマン、サイボーグがルーサーの持っている資料映像として登場。それぞれ今後の映画化が控えている。フラッシュはTVドラマの方も展開中で正体は同じバリー・アレンだが、映画はまた別物で演じるのはエズラ・ミラー。また未来の彼は時空を越えてブルースに警告を与えた。アクアマンはサモア系のレスラーみたいな雰囲気のジェイソン・モモアでどうやらクールカットのアクアマンではなく、ロン毛にヒゲの方のアクアマンとなるようだ。サイボーグもその誕生が簡単に描かれている。スーパーマン含めDCEUでの超人類はメタヒューマンと呼称されルーサーは彼らに対抗する人類の代表みたいな意識もあるようだ。

レックス・ルーサー マーシー・グレイブス ドゥームズデイ


 スーパーマンの宿敵レックス・ルーサーが登場。これまでの作品と比べてもかなり若い天才科学者兼経営者として登場し、クリプトナイトの国内持ち込みを巡って議会と対立する。演じるジェシー・アイゼンバーグはこれまでにもエキセントリックな天才役(感想書いてないけど「エージェント・ウルトラ」もそんな感じ)が多かったけど、本作もそんな感じで落ち着きのない陰謀家と言ったところ。ジェシー・アイゼンバーグヘンリー・カヴィルは共に1983年生まれであるけれど印象としてはカヴィルのほうが年長で設定は分からないが単純にスーパーマンとの対比では今までで最も若いルーサーだろう。基本的に本作はスーパーマンバットマン、そしてルーサーの三すくみの対立となっていて、互いに共通する部分もあれば激しく対立する部分もある。ホリー・ハンターの演じる上院議員とのちょっとマザコンちっくな一連のシーンはちょっとドキドキする。
 ルーサーの忠実な秘書であるマーシー・グレイブスはハーレイ・クイン同様ブルース・ティムのアニメ版「スーパーマン」のオリジナルキャラクターでそこから原作や他の作品に逆輸入された。アニメではルーサーの運転手兼ボディガードで企業家・メトロポリスの名士としてのルーサーだけでないヴィランとしてのルーサーの顔も知る人物。アニメでのハーレイ・クインとのキャットファイトシーンが最高に好きです。

 マーシーを演じるのはTAO。「ウルヴァリン:SAMURAI」でヒロインを演じていた。それに続くアメコミ映画出演となるわけだが、本作のスタイル抜群の冷徹な女秘書という役柄にはぴったりでもしかしたらこの映画で僕が一番好きなキャラかもしれない。で一回目観た時には単純に次回作が愉しみ、って思っていたのだが、ニ回目冷静に観るとマーシーはルーサーの人身御供に…ルーサー許すまじ!
 最終的に本作のラスボスとなる相手がドゥームズデイ。「スーパーマンの最後」で出てきた肉体的にはDCユニバースでも最強のモンスター。本作では前作でゾッド将軍たちが乗ってきた宇宙船にルーサーがアクセスし、クリプトンのデータベースからゾッド将軍の肉体を元に培養再生したクリプトンの最強生物という設定。復活の際にはルーサーの血液も使用しているためか、ルーサーのいうことは聞く感じに。前作のゾッド将軍といい今回のドゥームズデイといいいきなり強いキャラ出してくるなと思った。スーパーマンにもメタロとかトイマンとかいっぱい魅力的なヴィランはいるのに。というか最初はゾッド将軍の肉体を使用したビザロ(スーパーマンの劣化クローンとでも言うキャラクター)が出てくるのかな?とか思った。なんか映画だと肉弾戦ばかりやっているけど、意外とスーパーマンはそういうキャラクターよりミスターミックス(異次元世界の妖精みたいなキャラでスーパーマンをギャフンと言わせることに懸命なっている)とかのほうが好きです。ドゥームズデイは最初は「ロード・オブ・ザ・リング」に出てくるトロールという感じでまた魅力なくアレンジしたな、と思ったのだけれど途中から変化しコミックスに近い容姿に。
 で、スーパーマンヴィランとしてはドゥームズデイも前回のゾッド将軍も個人的にはあんまり好きではないんだけど、これがバットマンの敵としてはまた別。映画のバットマンはどうしても同じ人間キャラクターばかりが相手になってしまうことが多いんだけど(コミックスはもっと自由)、本作でいきなりバットマンの相手として超生物であるドゥームズデイを相手にしたことでバットマンの自由度はかなり高まったのではないだろうか。どうせなら今後展開するバットマンの新作でもジョーカーやトゥーフェイスとかばかりでなく、クレイフェイスとかキラークロックみたいなヴィランとも盛大に戦ってほしいですね。

 映画としてはかなり歪で(明らかに観客に説明されない必要なシーンが欠けてる気がする)、そりゃ「アベンジャーズ」の時点でも5作も作られて臨み、現在10作を越える作品数を誇るMCUに比べたら急ごしらえのクロスオーバーという感じは否めない。MCUが丁寧に作られたフルコースのフレンチだとすればこっちは闇鍋という感じ。ただ闇鍋にも闇鍋の魅力はあるし、その混沌とした感じは個人的に僕が思うDCコミックスの雰囲気に近い。全然練られていない世界観はそれゆえに神話的な有無を言わせぬ迫力もある。
 DCユニバースとしてはTVドラマの方も拡大しているがMCUの場合と違ってあくまで映画とTVは分けられて展開していくようだ(TVも全部が全部つながっているわけではない)。MCUも基本的には映画だけ追っかけていけば問題ないのだが、それでもやはり「エージェント・オブ・シールド」などで映画のサイドストーリーなどがあると気になるが、さすがにアメリカ本国とのタイムラグがあるので海外のファンには映画とTVが別なDCコミックスの展開のほうがありがたいかも。
 今後の展開としてはまずはDCコミックスの悪役がチームを作る「スーサイド・スクワッド」があり、ワンダーウーマン、フラッシュ、サイボーグ、アクアマンそしてバットマンのそれぞれの単独作が待機しており、その後で念願の「ジャスティスリーグ」が待っているのだろう。おそらく流れとしてはスーパマンの復活とマーシャン・マンハンター(火星のジョン・ジョーンズ)を巡る物語となるのではないかと思う。最終的にはダークサイドとの対決となるのかな?とも思うが(本作でも少しその暗示がある)、ただダークサイドにしてもブレイニアックにしてもすでにMCUの方で似たキャラクターであるサノスやウルトロンが映像化されているのは辛いところ(キャラクターのデビュー自体はDCの二人のほうが早いはず)。がやはりDCEUにとってもこの二人のヴィランはいずれ必ず登場するであろう。その時はもう思い切ったアレンジもいいかもね。

 すでにソフトの概要が出てしまった。
 個人的にザックのスーパーヒーロー観や演出には疑問も多いんですが、次への期待も込めて結論としては圧倒的に賛です。
 で、実はマーベルの「シビル・ウォー キャプテン・アメリカ」もかなり似た話だったりするのです……(以下続く‥かもしれない)

*1:これは物語の本編となる現在においてゴードンやアルフレッド、フォックスといった年配の支援者とブルースが擬似的な父息子関係を結んでいることからだろう