楽園崩壊 チャイルド44/森に消えた子供たち
トム・ハーディ熱狂ロードは続く!というわけで「マッドマックス 怒りのデス・ロード」は日本でも大ヒットしてるみたいですね。ただ拡がりを見せるとそれと比例して頓珍漢な評論も出てくるもので、特にリンクはしないけど「イモータン・ジョーとフュリオサは昔恋愛関係にあって、しかもフュリオサの方がジョーを好きだった」とか「マックスとフュリオサが恋愛関係(この場合は肉体関係ということか)にならないのはマックスがインポテンツだから」とかどう観たらそういう解釈になるの?という評論*1なんかも出てきて「ブレイクするということはバカに見つかること」という有吉弘行の名言が思い出されます。
さてトム・ハーディ。「マッドマックス」に合わせてか偶然か、同時期に主演作が何本か公開されている。今回はそんな中の一本。「チャイルド44 森に消えた子供たち」を観賞。
物語
1953年ソ連。孤児として育ち戦争で英雄となったレオ・デミドフはソ連国家保安省の捜査員として国内のスパイ摘発を任としていた。スパイ容疑の獣医師ブロツキーを追ってとある農家へ行きブロツキーを捕らえるが、部下のワシーリーが見せしめとして農夫婦を銃殺してしまう。無意味な殺しに腹を立てワシーリーを殴るレオ。後には幼い姉妹が残された。
レオの親友で部下でもあるアレクセイの息子が線路脇の森で遺体で発見。アレクセイは殺されたと主張するが、当時のソ連では猟奇殺人が起きるはずは無いと一蹴、事故死とされる。同じ頃レオの妻で教師であるライーサがブロツキーの死の前の証言でスパイであるという疑いが掛かる。レオはライーサをかばった結果左遷されてヴォルスクで民警となることに。
ヴォルスクでもアレクセイの息子と似た遺体が見つかり、レオは連続殺人と確信。上司であるネステロフ将軍に協力を仰ぎモスクワで再び調査を始める。やがて似た事件が多数あり、どうやらロスコフがその中心であるようだ。レオたちは確信に迫っていくが…
原作は2008年に発表されたトム・ロブ・スミスの同名小説。小説ではあるが実際の事件をモデルにしていて、後述するが「ロストフの吸血鬼」アンドレイ・チカチーロの事件を元にしている。ただ、僕は原作は読んでいないし、舞台が1953年となっていたので「ソ連の連続殺人といえばチカチーロだけど、時代が違うので別の知られていない事件でもあるのかな?」という感じで臨んだ。
監督はスウェーデン出身のダニエル・エズピノーザという人でキャストもイギリスのトム・ハーディ、ゲイリー・オールドマン、監督と同じスウェーデンのジョエル・キナマン、ノオミ・ラパス、オーストラリアのジェイソン・クラーク、フランスのヴァンサン・カッセルと国際色豊か。ロシアを舞台にしたアメリカ映画だけど主要キャストにアメリカ人もロシア人もいないのは不思議。ソ連が舞台だけど英語の物語で、スラブ訛りぽい英語で会話が行われるのはちょっと変に思ったりもするけれど、アラブ訛りの英語劇だった「デビルズ・ダブル」よりは違和感は少なかったかな。
実際にあった犯罪を元にしたサスペンス、しかも事件が起きた時の直接犯罪者と関係ない、捜査陣側の政治的な事情などのせいで捜査が遅れたり手詰まりになったりする、という点ではイーストウッドの「チェンジリング」、ポン・ジュノの「殺人の追憶」などを想起させる。ただこの映画のモデルになったチカチーロ事件は映画の舞台である1953年より大分後の1978年から1990年にかけて行われたもの。これをあえてスターリン時代の末期に持ってくることで意図的な事件の改変も行われている。
まず、世代的にチカチーロの父親の経歴が犯人の経歴に流用されているようだ。犯人はドイツの捕虜になった過去から資本主義勢力のスパイと劇中でされたが、これはチカチーロの父親がドイツ軍に降伏し収容所で過ごしたことで裏切り者扱いされたこと等に拠る。ドイツ絡みといえば「ロストフの吸血鬼」というチカチーロのアダ名がこちらでは「ロストフの狼男」とされ、これはナチス・ドイツが第二次世界大戦末期にドイツの連合軍占領地に置いてゲリラ活動をするために組織した「ヴェアヴォルフ=狼男」を想起させる。一方でヴラドという犯人の名前はヴラド2世=ドラキュラを想起させることが容易だ。
舞台を1953年のスターリン時代の末期にして、体制・捜査側の怠慢がスターリン独裁時代だからこそ、と誤解されるような部分はちょっと気になるところ。実際に事件が起きたのは完全にスターリン時代が終わり20年以上経った78年からソ連ももう終わろうかという90年にかけて。フルシチョフのスターリン批判もとっくの昔になっていて、それでも「連続殺人は資本主義社会の弊害であり理想的な社会主義国家では起きない」という幻想が捜査を邪魔した。この「連続殺人は資本主義社会の弊害」というのは10分の1ぐらいは当たっていて、切り裂きジャック事件は産業革命で貧富の差が広がるロンドンで起きたし、マルクスはそういうイギリスの社会を想定して「資本論」や「共産党宣言」を執筆した。ただ、高度に発展した資本主義社会が次なる段階として社会主義になるというのが基本であり、ソ連の場合は残念ながらそれには当てはまらないといったところか。劇中ではスパイだけでなく同性愛者が罰せられるシーンなんかも登場している(これはチカチーロの代わりに捕まって勾留中に自殺した同性愛者をモデルにしていると思われる)。
映画自体はミステリーと言うよりは社会派ヨリのサスペンスと言う感じで、後述するような実際のチカチーロ事件が簡略化されているので犯人を追い詰める要素も薄い。主人公レオと犯人ヴラドは同年代でともに孤児として育ち、しかし戦争で明暗が別れた対照的な人物として描かれているがそういう対比がある意味で「王子と乞食」的というか、一歩間違えばレオも同じ道を歩んだのではないか、という思いを抱かせる。トム・ハーディもマックスとはぜんぜん違う苦悩する演技で魅せてくれ、キャストも豪華ではあるが華やかな感じではない。とはいえ地味というとまた違うかな。
チカチーロの事件は先の「連続殺人はソ連では起きない」といった捜査側の先入観や官僚的体質の他に、チカチーロの血液型と体液が一致しない体質だったこと、被害者が成人/未成年、少年/少女とバラバラだったこと(映画では少年のみ)、そして犯行現場が広範囲に渡り特定が難しかったことなどが逮捕が遅れた原因となった。
僕がこの事件を知ったのは「羊たちの沈黙」やロバート・K・レスラーによる「FBI心理捜査官」などでサイコ・サスペンスブームが起きた時に発行されたデアゴスティーニの「マーダー・ケース・ブック」によってで。主に裁判時におけるチカチーロのルックスに衝撃を受けた。実際に犯行を行っていた時期はメガネにもじゃもじゃヘアの冴えないルックスだったのだが、裁判の時のスキンヘッドにギョロ目という強面のルックスに変貌し裁判での奇矯で印象を強く残した。映画は裁判まで行かない(というか捕まらず死んでしまう)ので一般的なチカチーロのイメージとは少し違うかも。
ちなみに僕はこのチカチーロの事件をマイケル・キートン主演で映画化してほしいと常々思っていて、でもそのほとんどは裁判の時のイメージであるなあ。ちなみにジョエル・キナマンとゲイリー・オールドマンはリメイク版「ロボコップ」で共演してますね。
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結局のところ、どのような社会でもまったく犯罪が起きない社会などなく、完璧な楽園などは無い。楽園は必ず崩壊するのだ。そしていつも犠牲になるのは子どもや弱い者なのである。
*1:女性誌のHPでAV監督が女性に向けて書いているという体裁なんだから驚きます