The Spirit in the Bottle

旧「小覇王の徒然はてな別館」です。movie,comics & more…!!!

あるホビットの休暇の記録 ホビット 決戦のゆくえ


 いよいよ最終決戦!「思いがけない冒険」から2年(予想したよりは全然早い)、「ロード・オブ・ザ・リング」の前日譚でもある「ホビットの冒険」も最後です。前作の感想ではアメリカ公開が2014年12月なので日本公開は2015年春ぐらいかな、等と書いたのですが、もう公開!なんとこの作品アメリカより日本の方が公開早いんですね(日本は12月13日、アメリカは17日)。ただ、今年2月に3部作の2作目「竜に奪われた王国」の公開があったばかりなので個人的にはもうちょっと間を置いても良かったかな、という気はします。一昔前はハリウッド大作で日本のほうが公開早いとか思いもしなかったですけど(アイアンマン3もたしかそうでした)。大体、アメリカで興行が終わって、諸外国で公開して、最後の一稼ぎを日本で!というパターンが多かったんですよね。それにヘタすれば日米どころか東京と地方でも公開時期に大きな差があったりしたものです。閑話休題
 というわけで、待望の最終作「ホビット 決戦のゆくえ」を観賞。

物語

 はなれ山に巣食うスマウグはついに目覚めました。ドワーフたちをよこしたのが湖の町の連中だと思ったスマウグは町を攻撃します。町は一瞬にして燃え上がり人々は逃げ惑います。町の責任者である統領も住人を放って己の宝だけを持ちだそうとしていました。しかしきびしい声音のひとバルドだけは違います。バルドは一人弓矢を持ってスマウグに立ち向かいました。矢も尽き弓も壊れ、絶対絶命と思われたその時バルドの息子バインが黒い矢を持って来ました。バルドはその矢をつがえスマウグのただひとつの急所左の胸の鱗のない部分を狙い放ちました。哀れ邪悪な竜スマウグは街の真ん中に落ちてその屍を晒しました。エスガロスは滅びましたが、バルドは生き残ったのです。
 生き残った人々はバルドを新しい統領にしようとしますがそれよりも先に街の復興と当座の生活を考えなければなりません。バルドたちははなれ山へ向かいました。町の麓にはかつて栄えた町の廃墟が残っているし、ドワーフの遺産から分前をもらいそれを街の復興に当てようと思ったからです。そしてエルフの一団もやってきました。
 しかしドワーフたちは、特にトーリンは町の人々が自分たちの宝を狙っていると考えていました。ドワーフの偉大な勇者トーリン・オーケンシールドもすっかり竜の病に取り憑かれてしまったのです。彼はアーケン石を探させました。しかしそれはすでに忍びの者ビルボ・バギンズが持っていたのです。ビルボはトーリンがアーケン石を手にい入れたらますます傲慢になると考え、彼には渡しませんでした。そしてその夜、ビルボはドワーフの陣を抜け出しバルドとエルフの王スランドゥイル、そして灰色のガンダルフのもとへ行き、アーケン石を渡します。
 翌日、バルドはアーケン石と引き換えに戦争の回避と宝の一部を望みました。しかしトーリンは怒り戦争もじさぬ覚悟です。やがて、エルフと人間の連合軍のもとにくろがね山からトーリンのいとこであるダインの軍がやってきます。一触即発!しかしそこにアゾグ率いる邪悪なオーク軍もやってきたのです。五軍の戦の始まりです!

 最初の二部の感想はこちら。
 まず、観た人で驚いたのはスマウグが冒頭であっけなく退場したことではないでしょうか。前作の最後でエスガロスへ飛び断ち、絶望感満載で終わりましたが、まさかの冒頭10分(ぐらい)でした。これ原作でも結構あっけなくて、そこで終わるなら前作はスマウグの最後まで描いても良かったんじゃないか、などとも思ったんですが、それだと、物語が完全に五軍の戦のみで展開されちゃうんで多分冒頭にメリハリの有るアクションを持ってきたのは正解だったんだろうと思います。後はスマウグが死ぬことでアゾグたちサウロンに与するものたちが最後の戦争を仕掛けることになるのですね(悪の世界にも派閥はあるのです)。後はスマウグの声(とモーションキャプチャー)を担当しているのはベネディクト・カンバーバッチなのですが、彼はまた別に死人使い(その正体はサウロン)も担当しています。同じ人物が悪の二大巨頭を演じることで悪のバトンが受け渡されたことを意味するのかもしれません。
 原題は「The Battle of the Five Armies」で最後の戦いの「五軍の戦」を表しています。観た人の間では、どう数えて五軍となるのか分からない、という人も多かったのですが、原作では人間、エルフ、ドワーフVSゴブリン、オオカミ(アクマイヌ、ワーグ)という図式ですね。原作ではゴブリンはオークと同一ですが、映画では別種族(アゾグたちはオーク)となっています。映画と原作で一番扱いが違うのはワーグで映画ではアゾグとその息子ボルグが騎乗しているものぐらいしか出てきませんが、オークとワーグは主従関係ではなく平等な悪の連合なのです。また実写化した際のリアリティの問題か、映画では動物たちが直接喋りませんね。ワーグもそうですが、トーリンの伝言をダインに伝えた大鴉のロアーク、クライマックスでやってくる大鷲(グワイヒア)など動物たちが言葉を話し、登場人物と対等に対話しますがその辺が映画ではないため、どうしてもまるで使い魔や単なる乗り物扱いに見えてしまったりするところがちょっと残念ですね。

 何度も書いていますが、この「ホビット」は「ロード・オブ・ザ・リング」が原作である「指輪物語」を原作通り3部作として作られたのに比べると、元々一冊の物語を3部作として映画化しています。「ロード・オブ・ザ・リング」はかなり原作に忠実丁寧な物語ですがそれでも原作の情報量が膨大なため、泣く泣く削った部分が多くあります。逆に「ホビット」は原作にはない要素、「指輪物語」や「追補編」で語られた後から判明した要素や映画オリジナルの部分なども加えられました。また元々3部作でないものを3部作にした以上その分け方にもセンスが問われます。先述した通り、もしかしたらスマウグが倒れたところまでで2部としても良かったんじゃないかとも思いますが、そうするとちょっとメリハリは無くなってしまったかも。
 また、原作刊行時と違って我々にはすでに「ロード・オブ・ザ・リング」3部作、つまり中つ国でこのあと起きる歴史上重大な事件をすでに知っています。そのことで映画は「指輪物語」を「ホビット」の続編でなく、「ホビット」が「指輪物語」の前日譚という意識を強く持っていることとなります。つまり児童書としてかなりほのぼのとした雰囲気を保っている原作に比べると「ホビット」はサウロンの暗躍や後述するサルマンの活躍が後の「ロード・オブ・ザ・リング」を連想させ、ちょっと暗く重くなっていますね。また同じ3部作にしたということで各作品はそれぞれ相対する部分も有ります。この辺はピーター・ジャクソン監督が狙ったところだと思います。
 「王の帰還」では一つの指輪の魔力に取り憑かれたフロドとゴクリ、そして権力欲に取り憑かれたゴンドールの執政デネソールなどが描かれましたが、「決戦のゆくえ」では「竜の病」と呼ばれる金の魔力に取り憑かれたトーリンが描かれます。トーリンほどではありませんが他のドワーフも同様ですし、またやはりエルフの王スランドゥイルもはなれ山に残されたエルフの秘宝に執心していたりします。ただ、ビルボの立場は全体としてフロドと同様でありながらどちらかと言うとサム、メリー、ピピンの3人に近いような気がします。
 原作通りトーリン、フィーリ、キーリがこの「五軍の戦い」で死亡します。キーリには映画オリジナルとしてエルフのタウリエルとのロマンスが描かれましたがそれは叶うこと無く悲恋となりました。レゴラスも最後はアラゴルン*1と出会うことを暗示しつつ……

 原作から外された描写も有ります。先ほどの言葉をしゃべる動物たちもそうですが、原作では湖の町の頭領は最後まで生き延びますが、映画ではスマウグの襲来から我先に逃げ出し、因果応報な感じで死んでしまいます。代わりに活躍?したのがオリジナルキャラクターであるアルフリドで、逃げる頭領に邪険にされそのお陰で生き残ったかと思えば、とたんにバルドに取り入り、しかし自分は働いたり戦おうとはせず、最後は女装して自分の命だけを守るため逃げようとしたキャラクターです。このキャラクターはおそらく「二つの塔」の蛇の舌グリマに対応するキャラクターですが、グリマがどこかサルマンの部下としてある種高潔な人物だったのに比べるとどこまでも下世話な卑怯者です。でも女装して戦場を逃げようとする姿をバルドに見とめがられた時の「臆病者め!」と言われた時の開き直って「臆病者だと?男が女装するのは勇気がいるんだ」の一言は名台詞である意味、このアルフリドが人間の最も人間らしいところを象徴していたと思います。
 個人的に原作にあって映画でなかった描写で残念だったのはビルボが密かにドワーフの元を離れてエレボールにアーケン石を渡しに行く時に見張り役だったボンフールとの会話のシーンですね。いかにもこの「ホビット」らしいドワーフホビットのユーモラスな会話(本作ではちょっと少なくなっている)なので是非残して欲しかったです。後はビヨルンの活躍もほんのちょっとだったのは残念。
 クリストファー・リーの白のサルマン、ケイト・ブランシェットガラドリエルの奥方、そしてヒューゴ・ウィーヴィングの裂け谷のエルロンド卿の3人が再び出てきたのも嬉しい悲鳴。灰色のガンダルフを救い出し、死人使いにサウロンの影を見ます。この時は一時的にガラドリエルが後に指輪の魅力に抗った時のような本性を見せる他、サルマンが杖でチャンバラをします。本人が殺陣までやっているのかはわかりませんが(御年92歳!*2)、おそらく「スターウォーズ」以来となる立ち回り。最後に再び力を失ったサウロンの飛び去った先を見る眼差しには後の野心も・・・!

 映画は145分と例によって長尺ですが全然長くは感じません。どころか短くさえ感じます。残された原作ももうそんなに長くはなく、オリジナルな部分も多いのですが、それでもなんとなく物足りない部分もあるのですね。それがもう中つ国の物語が完結してしまった淋しさなのか、何なのかはわかりません(個人て的には戦が終わって、ビルボがホビット庄に帰還するまで、そして帰還してからのエピローグをもっと長く描いて欲しかった気もします)。結局、「思いがけない冒険」が一番楽しかったかも。これは必ずしも激しい戦闘描写やアクションが映画として大事なのではなくただその世界観を丁寧に描写するだけでも成り立つということですね。
 多分SEE版なども発表されるとは思うのですが、僕は可能なら、「ロード・オブ・ザ・リング」への含みを排除した、あくまで児童書として書かれたもっと牧歌的な雰囲気の「ホビット」も観てみたい気がしますね。それでも「ロード・オブ・ザ・リング」3部作に続けて「ホビット」3部作をもここまでの作品にしたピーター・ジャクソン始めとしたスタッフ、キャストには本当に心からお礼を言いたいです。

 ラストを飾る主題歌はビリー・ボイド。そうあのピピンことペレグリン・トゥックです。最後は見事トゥック家のものとなりました。よく考えると映画のビルボ・バギンズ氏は全体としてフロド・バギンズの立ち位置でありながら、指輪の魔力に負けず、更にトーリンの竜の病をなんとかするために活躍する部分などはサム、そして戦争中にガンダルフにくっついてちょこまかしてる部分などはメリーと「ロード・オブ・ザ・リング」の4人のホビットを一身に集めたような部分もありますね。エピローグでは「思いがけない冒険」の冒頭同様イアン・ホルム老いたビルボを演じ「旅の仲間」へと続き、物語は見事繋がれました。There and Back Again...

 ビルボは冒険の記録を書き始めました。タイトルは「ゆきてかえりし物語 あるホビットの休暇の記録」。
「地面の穴に、ひとりのホビットが住んでいました……」
ホビットの冒険〈上〉 (岩波少年文庫)

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ホビットの冒険〈下〉 (岩波少年文庫)

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文庫 新版 指輪物語 全10巻セット (評論社文庫)

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これでおしまい*3

*1:通常の公開版では特に触れられませんでしたがアラゴルンはヌメノールという人間の中でも長命な人たちなのでこの時点でもすでにいたのです

*2:ちなみにマーベルマスター、スタン・リーとクリストファー・リーの二人のリーは同い年。ともに長生きしていただきたい

*3:といいつつまだ吹替版観ていないので観たらまた書くかも