The Spirit in the Bottle

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不殺VS弱肉強食決着! るろうに剣心 伝説の最期編

 前後編の後編!前編は公開されて比較的すぐ観て感想を上げたけれど、後編は逆に中々観れず、結局2ヶ月空いてしまった。「るろうに剣心 伝説の最期編」を観賞。

物語

 明治新政府を転覆せんと謀る志々雄一派。その秘密兵器鉄甲船「煉獄」から囚われた神谷薫を助け出そうたした剣心は薫と共に海に投げ出される。岸に流れ着いた剣心を救ったのは師匠・飛天御剣流の伝承者比古清十郎だった。自分の甘さを指摘されるもそこで奥義を授かろうとする剣心。
 一方志々雄は東京沿岸に到着。明治政府の重鎮伊藤博文に手打ちの条件として剣心を捕まえ、かつての人斬りの実態を公表、その上で明治政府の手で剣心を処刑することを約束させる。一気に指名手配となった剣心。
 薫も無事が分かり奥義を授かった剣心。一人東京へ向かうのであったが、そこに剣心を倒し最強の名を欲するかつての御庭番衆お頭四乃森蒼紫が迫る!

 前作(1作目)&前編「京都大火編」の感想はこちら。

 前編「京都大火編」と今回の「伝説の最期編」はそれほど間をおかず公開されており、その気になれば2本まとめて見ることも可能。にも関わらずここまで僕が観賞が遅れたのは、もちろん自分のスケジュール的な理由もあるけれど、先に観た人の評判があまり良くなかったということも大きい。「京都大火編」はかなり評判が良かったのだが、その反動か展開としても原作と異なりオリジナル要素が多いこちらはあまり良い評価を聞かなかったのだ。そんなこんなでここまで遅れてしまった。とはいえ事前に覚悟していたよりはずっと楽しめたし、漏れ聞いていたおかしいとされるシーンについても何とか自分なりに消化できると思う。ただ一点どうしても許せない部分はあったのだけれど。

 まずは前回最後に登場した謎の男福山雅治はやはり比古清十郎。ここで傷ついた、同時にこの時点では大事な人(薫)を失ったという意味で原作人誅編の展開に近い、剣心をカウンセリングしながら奥義を伝授する。ここでの修行は物語上は当然「比古清十郎>緋村剣心」なのであろうけれど、アクションを見てるとやはり剣心役の佐藤健がリードしているように感じる。福山雅治だって当然運動神経悪いわけじゃないんだろうけれど。その上でここはもうちょっと剣心が打ち込んで比古清十郎はそれを受ける、という殺陣に徹したほうが良かったとも思う。物語的には原作のこの場面に関連する幾つか。例えばまずは「九頭龍閃」を伝授してその次に九頭龍閃を打ち破る神速の抜刀術飛天御剣流の奥義「天翔龍閃」を見せる、と言った流れや、その際の比古清十郎が天翔龍閃を食らって死んだか?と思いきや「逆刃刀・真打」の目貫が緩んでいたため威力が軽減されて比古清十郎が「持ち主の意を汲むいい刀だ」みたいなことをいうシーンは再現して欲しかった。後は原作とちょっと流れが変わるのでそのまんまは無理だけれど、比古清十郎が剣心が明治になってからの10年どこで何をしていたかを本人でなく薫や弥彦から聞こうとするシーン。これは薫は無理でも弥彦や巻町操なら可能であったと思う。弥彦なんて実写版ではそのくらいしかやることないんだからさあ。
 福山雅治演じる比古清十郎は前半で退場する。キャラとの絡みもほぼ剣心とだけだがそれでも強い印象を残す。個人的には原作の葵屋襲撃における十本刀・破軍乙の不二との「超人対巨人」も見たかったけど、まあこれは真っ先に削られて致し方ない部分ではあるので仕方はないでしょう。
 主な登場人物はもちろん前作から続投。武井咲の神谷薫は今回はアクションを一切しないけれど、病院のベッドから抜けだして外を出歩くシーンがとても美しかった。
 物語は京都から再び東京へ舞台を移すけれど、物語としてのアレンジには特に不満はなし。短い時間で明治政府の欺瞞を表現するにはむしろ良かったと思う。途中でいったん剣心が神谷道場に帰るシーンがあるんだけれど、原作京都編のラストシーン、神谷道場の正門を前に「ただいま」を言うシーンが印象深いのでどうせなら最後まで神谷道場は取っておいた方が個人的には良かった。志々雄が伊藤博文と会談するシーンがあるが、ここでちゃんと志々雄真実が伊藤博文に「幕末に何人殺した?」と言及する場面がある。伊藤博文はご存知日本の初代内閣総理大臣で近代日本の礎を築いた偉人だが、1909年にハルビン安重根に暗殺され、安重根は韓国では英雄扱いされている。これに対して日本政府は「安重根はテロリスト」と声明を出したりしているが、被害者である伊藤博文もテロリスト出身なんだよね。しかもおそらくその前科は安重根なんて及びもつかないくらい重い。英国公使館の焼き討ちや自らの手による暗殺も行っている。安重根の行為の是非はここでは論じないが*1、テロリストと英雄は紙一重、それは伊藤博文も剣心も志々雄も、赤報隊新選組も御庭番も一歩間違えればすべてが同じ穴のむじなであることを示す。伊藤博文を演じているのは小澤征悦

 以前も述べたが四乃森蒼紫は本来なら1作目の「武田観柳編」で出てくるキャラクター。ただ映画ではすべて鵜堂刃衛に変わったため登場はなかった。それゆえ、剣心とのドラマが殆ど無く、ただ「幕末最強」の名を得るために剣心を追う、というちょっと原作に比べると動機が薄いキャラとなっている。それでも映画を観ているうちはその辺は全く気になることはない。というのも演じる伊勢谷友介がその辺の細かいことを有耶無耶にするだけの迫力を備えているからで、葵屋がらみでなければかなり唐突であるその出番も全然いいと思う。まさかクライマックスの志々雄VS剣心戦で原作通り左之助とともに乱入するとは思わなかったのだが(志々雄が2人を見て発する「お前誰だ?!」のセリフは緊張の中のちょっとした笑えるシーン)、これもまた良し!
 クライマックス直前の神木隆之介の瀬田宗次郎との戦いはちょっと前作ほどの迫力はなく、あくまで志々雄戦への序曲、という感じ。また左之助は原作通り悠久山安慈とタイマンを張るがこれが二重の極みも救世も関係ないスラップスティックなバトルに。「キリシタンの次は破戒僧かよ」みたいなことを左之助が言うがこのセリフからも分かる通りこの安慈戦は1作目の戌亥番神戦の再現。一応悠久山安慈和尚による志々雄一派それぞれの参加理由なども語られたりするが、ほとんどコメディシーンである。悠久山安慈を演じるのは丸山智己
 十本刀ははっきりって無用の長物で一応それらしいキャラが出ているのだがほとんど脇役で、実写版においては無理に「十本刀」という名称やキャラを使わなくても良かったんじゃないかと思う。前作の「刀狩りの張」以外は「天剣の宗次郎」「明王の安慈」ぐらいしか機能していなくて「百識の方治」は後述するようにこの映画の最もダメな部分であるので無理にグループ名を使用しなくても良かったのではないか。
 映画のクライマックスは煉獄に乗り込んだ剣心と志々雄の対決にそこへ斎藤一、四乃森蒼紫、相楽左之助が次々と乱入し、しかしそれでも志々雄が一歩も引かない、という原作の流れを踏襲していて、このアクションは藤原竜也演じる志々雄や高橋メアリージュン演じる夜伽の由美とのドラマも相まって実に良かった。由美の最後や最後は体内発火で身体が炎に包まれ、「試合に勝って勝負に負けた」感を出しながら(文字通り)燃え尽きる志々雄とかはかなり原作を実写に移し変え、更に実写でしか出し得ない迫力を表現していた。
 ただ、最後大仰な音楽に合わせてスローモーションで船から脱出するシーンとかいかにも日本映画的なダサさであるとは思うけれど。

 さて、どうしても許せないところについて。それは「百識の方治」が出てくるすべてのシーン。原作のキャラでも特に僕はこのキャラクターが好きでそれだけに思い入れもあるのだけれど、この二部作では結局、ただ騒々しいだけのキャラクターに成り下がってしまった。とにかく方治に関しては演出・脚本・配役全てに置いて間違っていると思う。演じる滝藤賢一に特に含むところはないけれど、全くこのキャラの良さを出していない。だって左之助VS安慈戦で安慈がキャラクター解説するところで喋ってないのにうざいんだもの方治。また先に安慈戦が1作目の戌亥番神戦の再現、と書いたが、その後ガトリング砲を撃つ方治のシーンが挟まれるのでおそらく製作者の中ではこの方治は武田観柳と同質のキャラとして認識されているのだろうが、全然違うんだよ!しかもこの方治、志々雄戦の途中でいなくなるしな……とにかく方治に関しては一切褒める気は起きません。
 ラストは事前に聞いていた「サムライたちに敬礼!」というわけがわからん物で終りを迎える。しかし江戸時代の身分制だとおそらく純粋な侍なんて弥彦ぐらいな物で後はいわゆる身分の上では武士になれない人たちばっかりだぞ。ただ、ここでこの号令を発するのは伊藤博文なのだが、この「概念としてのサムライ」というのはおそらく明治維新の原動力であった下級武士やそれ以下の身分であった者達が制度としては壊したものの憧れつつあった物であろう。明治維新は一応の四民平等を謳ったが、富国強兵という流れの中でおそらく「武士道」的なものの、その最もブラックな部分が国家の基本理念として残ってしまった。その行き着く先が太平洋戦争における惨敗であったわけで、先のテロリスト=伊藤博文に言及した部分と併せるともしかしたら明治政府の今後を暗示した皮肉であったのかもと最大限好意的な解釈。
 あ、あとなぜ志々雄一派に警察じゃなく軍が対処しないのか?という疑問(原作より志々雄一派の軍事行動は拡大している)については、いくつか理由を推察することも出来て、ひとつは軍を出すとそれが犯罪やテロリズムでは無く戦争と認知されて諸外国に付け入る隙を与えるため、あくまで国内の犯罪事案として警察が処理した、と捉えるといいと思う。また時代設定的に西南戦争が終わった後で、設立したばかりの平民を徴兵して構成された軍は弱体化していたのかもしれない。西南戦争士族反乱に対して平民で構成された軍が立ち向かう、という構図もあったのだけれど、結局勝利の決め手となったのは旧幕府軍会津藩士などを中心に構成された警視庁の抜刀隊が投入されたことだった。さきごろ「警視庁が選ぶ100大事件」みたいな物が発表されたけれどその中には西南戦争が第9位で選ばれている。この時期(明治11年)実質的な武力としては軍と警察の境目は曖昧だし、軍よりも警察のほうが上回っていたのかもしれない。

警視庁が選んだ大事件ランキング100 (別冊宝島 2210)

警視庁が選んだ大事件ランキング100 (別冊宝島 2210)

 ラストは日常を取り戻した神谷道場。門下生も帰ってきて再び道場が運営されている。ちなみにこの門下生の中に和田崇太郎という人がいて彼はNHKEテレの「Rの法則」の出演者ソウタロウですね。彼の出ている番組内コントの「半沢くん」というドラマ「半沢直樹」のパロディコントが超面白かったので機会があれば是非見ていただきたい。僕は元ネタの「半沢直樹」は全く見ていないけれど爆笑したよ。
 原作はこの後「人誅編」へと続くがさすがに実写映画はこれで終了だろう。個人的に映画版の左之助はかなり好きなので青木崇高主演のスピンオフなんかは観たい気もするけどね。事前に評判を聞いて覚悟していた内容よりは全然良かったです。あとこの映画だと演出(大友啓史)はダメだけどアクション(谷垣健治)は最高!みたいな意見も聞くんだけど、この辺はバランスであってどっちかだけが良い悪いとは必ずしも言えないと思う。例えば志々雄真実の最後はアクションと演出が一体となった凄みが出ていたし、逆に刑場での乱闘は演出的にもアクション的にもイマイチだった。それでもこういう剣戟アクションが定期的に作られるといいと思う。おろ。

*1:実は戦前の日本では安重根の行為はその人柄もあって義挙としてある程度支持されていたりする。またやるなら山県有朋にしとけよ、とかは思う(個人的に山県有朋が嫌いなだけ)