何が「明日の男」に起きたのか? スーパーマン:ザ・ラスト・エピソード
僕は事あるごとに例えとしてバットマンを持ち出すことが多いぐらい、バットマンが大好きだ。実際、日本、アメリカその他全てを含めて全てのヒーローの中で一番好きなのはダントツでバットマンだろう。
でも!実はスーパーマンも好きなのである。バットマンが複雑で色々とひねくれてるのに対し、スーパーマンの魅力は一直線だ。あまりに一直線すぎて子供向け、とか品行方正すぎてつまらないとかいわれがちだが、それこそがスーパーマンの魅力である。そしてスーパーマンも決して単純な話ばかりではない。
と言うわけで久しぶりにスーパーマンの邦訳新作が出た。
スーパーマン:ザ・ラスト・エピソード (ShoPro Books)
- 作者: アラン・ムーア(作),カート・スワン、ほか(画),石川裕人
- 出版社/メーカー: 小学館集英社プロダクション
- 発売日: 2010/05/20
- メディア: 大型本
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さて本題。「スーパーマンの最後」というとまだ小プロ「X-MEN」に始まるブームの前に出版された「スーパーマンの最期」を思い出す。
スーパーマンの最期 (中公アメリカン・コミックス)
この本は注釈や登場人物の紹介など一切無く、そこに至るまでのストーリー紹介なども無く、限りなく不親切な代物だった。何でレックスとスーパーガールが一緒にいるのか(そしてスーパーガールはやられるとスライムみたいになるのはなぜなのか)とかジャスティス・リーグのメンバーって誰よ?とか不親切極まりない作品だった。とはいえスーパーマンとドゥームズデイの戦いと最後は迫力があったが。もっともここでの最後はすぐ次の号から復活へ向けて動き出していたけど。
ここで言うスーパーマンはいわゆるジョン・バーンの「マン・オブ・スティール」から始まる新生スーパーマン。それではそれ以前の1938年から始まるスーパーマンはどうなったのか、という答えが本作「WHAT HAPPENED TO THE MAN OF TOMORROW? 何が”明日の男”に起こったか?」である。
「インフィニティ・クライシス」*1というクロスオーバーイベントによって一旦全てのDCユニバースをリセットし、新たにDCユニバースを設定*2しなおすことにしたDCはそれまでのキャラクターに最終回を用意することにした。例えばバットマンなら「ダークナイト・リターンズ」。
もっとも歴史が古いスーパーヒーローであるスーパーマンの最終回を任されたのはご存知アラン・ムーア。この頃(1986)はまだアメリカではそれほど知名度は高くなく(「キリング・ジョーク」「ウォッチメン」以前)よく任せる気になったなあ。
とはいえアラン・ムーアは意外なことにスーパーマンの大ファンであったらしく、彼のスーパーマンは他の作品に比べると直球勝負。本作もヴィラン大集合で、見事に最後を締めている。
この後、スーパーマンはジョン・バーンの「マン・オブ・スティール」で生まれ変わる。能力は大幅に制限され、クラーク・ケントとスーパーマンの関係が逆転する。これまでのスーパーマンの正体として新聞記者(本作の時点ではニュースキャスター)クラーク・ケントを偽装している、という形から好青年クラークが仕事の合間にスーパーマンとしてボランティアをしている、という形に。後個人的に重要だと思うのはレックス・ルーサーで、それまでの悪の科学者からメトロポリスを牛耳るレックスコープの社長、という設定に変わったこと。悪のブルース・ウェインとも言える。
他にはアラン・ムーアが手がけたスーパーマンエピソードが2本収録。スワンプシングと共演した「ジャングル・ライン」と「キリング・ジョーク」にも収録されていたデイブ・ギボンズ作画の「他に何を望もう」。ギボンズの絵は読みやすく大好きでこれは後にアニメ「ジャスティス・リーグ」で映像化された。
さて、次はバットマンの最後だ。こちらはつい最近、2009年の話だ!
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*1:ROMAさんよりコメント欄にて指摘いただきました。仕切りなおしのきっかけになったイベントは「クライシス・オン・インファナイト・アースズ」の間違いでした。ここに訂正します。というか「インファナイト・クライシス」と「インフィニティ・ガントレット」がごっちゃになってた…
*2:もともとマーベルに比べるとDCは雑多すぎて設定の整合性が薄かった。キャプテン・マーベルなど他社由来のキャラクターも多い