レッツ!かいじゅう踊り! かいじゅうたちのいるところ
かいじゅうおどりをはじめよう!ガオ〜!
モーリス・センダック原作、スパイク・ジョーンズ監督作品「かいじゅうたちのいるところ Where the Wild Things Are」を鑑賞。とても待ちわびた作品
原作の絵本は僕も大好きで子供の頃によく読んだ。これと「三びきのやぎのがらがらどん」が大好きで逆に「もちもちの木」は絵が怖くて嫌いだった。
原作は黙読すれば5分もかからず読み終わるぐらい短い話なので、オリジナルのエピソードをどこまで上手く盛り込めるかが重要。
絵本の方は現実的に解釈すると主人公マックスのうたた寝の夢、なんだけど(スープがまだ冷めてないことからもごく短い時間の出来事であることが分かる)映画の方はその辺を上手くぼかしてファンタジーとして成立させている。
原作のマックスはただやんちゃなだけで家庭環境とかが抜け落ちているけど(絵本なんだからそれで正解)その分世界中のすべての男の子が自己投影できる。子供は皆暴君。物語なんてあってないようなものだがそれでいいのだ。だって夢なんだもの。意味不明だってオチが無くたって夢ってそういうもの。
後はやっぱり「かいじゅう」たちの造形が最高。いわゆるゴジラとかの東宝怪獣と比べると身長は人間より少しでかいぐらいだし、姿も二足歩行で直立,そのまんま牛や山羊の顔のものもいる。でも魅力的。これ(Wild Things)を「かいじゅう」と訳したのは秀逸。これが「かいぶつ」とか「かいじん」とかだったらここまで親しみはもてなかったんじゃなかろうか*1。
これを実写化するとしたら着ぐるみしかないだろうね。
- 作者: モーリス・センダック,じんぐうてるお,Maurice Sendak
- 出版社/メーカー: 冨山房
- 発売日: 1975/12/05
- メディア: ハードカバー
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映画の方はマックス少年の描写に力を入れている。空想好きで物語を語るのが大好き。年頃の姉に相手にされないのをすねたり、母親に恋人ができているのが気に入らなかったり。原作ではそれこそ暴君だったマックスに理由を与えている。そういった出来事がマックスが暴れるきっかけ。
で、原作との大きな違いはそこからでいつのまにか部屋ににょきにょき木が生えてきて、という展開なのだが映画の方は家を飛び出して思わず船に飛び乗る、という流れだ。
何日も漂流し流れ着いた島でマックスはかいじゅうたちに出会う。かいじゅうたちには一人一人名前と性格付けがされている。リーダー格はキャロルというかいじゅう。なぜか暴れている彼に同調したマックスは王様を名乗って受け入れられる。最初の勅令は
「かいじゅうおどりをはじめよう!」
キャロルの恋人、KWも現れマックスはかいじゅうたちと楽しく暮らすがやがてその生活にもほころびが見え始める・・・
この作品、最初の試写では評判が悪かったため一部作り直したらしいのだが、多分少しホラーなところがあるからだろう。かいじゅうたちの口癖「(マックスを)食べたい」が本気ではないかと思わせる描写。アレキサンダー(かいじゅうの中では一番小柄な山羊顔)が「(マックスが王様じゃないことを)キャロルには言うな」といった後のマックスの心理はよく判る。
原作だと単に飽きた(寂しくなった)マックスがかいじゅうたちの制止を振り切って帰るのだが名台詞
「おねがい、いかないで。おれたちは たべちゃいたいほどおまえが すきなんだ。
たべてやるからいかないで」
はこのときのもの。映画ではマックスがかいじゅうたちに見送られながら雄たけびを上げてあとにする。
再び何日も漂流し家へと帰るマックス。母親が暖かく出迎えてくれるのだった。映画の方は夢なのか現実なのか、曖昧だけど*2。
個人的には今年見た中で早くもナンバー1*3。後はもしお子さんがいる人は是非連れて行って欲しい。
1983年のディズニーによるCGアニメのテストフィルム。
後は余談だけど、上映前の予告編で「バレンタインデー」という作品が流れたのだが、ジェシカ・ビール、ジェシカ・アルバ、ジェニファー・ガーナー、クイーン・ラティファと言った女傑ぞろいなのに男をぶちのめすシーンが無いのは残念!というか折角そろえておきながらラブコメにするなんて製作者は何をしてるんだ!
香港(バリー・ウォンとか)だったら休憩時間でもう一本アクション映画を撮ってるぞ!
ガオ!