The Spirit in the Bottle

旧「小覇王の徒然はてな別館」です。movie,comics & more…!!!

考える、けどまずは楽しい物語 ヘルプ 〜心がつなぐストーリー〜

 3月はかなりブログ更新が滞っていましたが、4月もどうなるかわかりません!劇場での映画鑑賞の感想以外微妙に書く気がしなくて、しかしその映画はあんまり観ていないという状態だったので間が空いてしまいました。それを払拭するかのように4月1日は3本はしご。「ウルトラマンサーガ」、「トロール・ハンター」そして今回の「ヘルプ 〜心がつなぐストーリー〜」を観てきました。本当は週一一本ぐらいで順調に見れるのがいいんだけど見れる日に一気にたくさん観る、という感じになってるなあ。

 映画「ヘルプ 〜心がつなぐストーリー〜」(以下「ヘルプ」)は僕の場合勿論、エマ・ストーンが出てるから、というのが一番の観るモチベーションだったのだけど、テレビでの宣伝とか見る限り人種問題をテーマにした社会派の作品で結構キツメのシリアスな映画かなあ、と思って覚悟していたのだが、映画そのものはとても楽しい作品だった!

物語

 1960年代初頭、ミシシッピー州ジャクソン。大学を卒業したスキーター(エマ・ストーン)は故郷に帰り作家としての経験を積むため地元の新聞社に就職、家庭欄のコラムを任される。家事の知識がない彼女が当てにしたのは自分の家でメイドとして働いていたコンスタンティン。しかしコンスタンティンはスキーターの帰郷を待たずして辞めており、彼女は友人エリザベスの家で働くメイド、エイビリーン(ヴィオラ・デイヴィス)を頼る。
 地元の女友達たちは既に結婚して子供もいる。自立した女性を目指すスキーターは変人扱い。しかし、ジャクソンの上流家庭は皆黒人のメイドを雇っており子育てはそのメイドたちに任せられるのだ。同級生のリーダー格、ヒリー(ブライス・ダラス・ハワード)は黒人と白人は同じトイレを使うべきではないと考え、各家庭の屋外にメイド用のトイレを作る活動をしていた。エリザベスも感化され屋外にトイレを設置。黙々と従うエイビリーン。
 ある時スキーターはメイド=ヘルプたちの証言をとって一冊の本にまとめることを思いつく。しかし南部では未だに黒人差別が激しく残り政治的な発言をすることは命に関わる。最初は断っていたエイビリーンだがやがてスキーターに協力する。嵐の日に屋内のトイレを使ったことでクビにされたミリー(オクタヴィア・スペンサー)はヒリーのウソによって誰にも雇われなくなったが彼女を雇ったのはヒリーの元彼と結婚したため仲間はずれにされていたシーリア(ジェシカ・チャステイン)。貧しい地域出身の彼女は黒人に対しても偏見なくミリーと友情を深めていく。やがてミリーもスキーターの本に手を貸す。
 二人以外は証言が足りなかったがある事件をきっかけにメイドたちが次々と口を開いていく・・・

 というわけで物語だけ書いていくと非常に重いシリアスな話。でもまずこの映画は楽しい。勿論社会派で考えさせるテーマを扱ってはいるがまず楽しい映画なのだ。上映時間は146分もあるが飽きることはない。登場するキャラクターがどれも個性的で共感ができる(あるいは敵として感情をぶつけられる)。
 エマ・ストーンは主人公の一人だがむしろ狂言回しで黒人メイド二人が実質的な主人公といえるだろう。感情を押し殺して仕事を頑張るエイビリーンと感情豊かなミリーの対照的なコンビが楽しい。特にミリーのエネルギッシュなキャラクターは最高。彼女が自分をクビにしたヒリーに対する復讐のため「特製パイ」をご馳走するシーンの「eat my shit!」はあくまで言葉の上で本当は入れていない(ヒリーには入っていると思わせてる)だけかと思ったが劇中描写を見るかぎりは本当に入れたっぽい・・・
 エマ・ストーンはあんまり田舎の1960年代ぽさは出しておらず、現代的ですらあるのだがそこが逆に「現代的価値観の持ち主である主人公が古い価値観の土地で奮闘する」物語としては生かされてたように思う。
 実はこの映画で積極的に悪役を務めている(エリザベスあたりは自分というものがあまりなく声の大きい人に影響されやすいだけに見える)ヒリーは「スパイダーマン3」でグウェン・ステーシーを演じているブライス・ダラス・ハワード。そしてエマ・ストーンは新しい「アメイジングスパイダーマン」でグウェン・ステーシーを演じているのですね。しかもMJへの鞘当てとしての登場だった「3」に比べると真正面からのピーターの恋人として。なので新旧グウェン対決なのですがこのヒリーが悪役としては最高。あとで詳しく述べるけど当時の(南部の)社会常識としては彼女は間違ってることをしてる気はさらさら無い。むしろ正当なことをしてるつもりなんだけど、それがどう見ても悪役のそれである。
 主要な黒人メイドである二人が魅力的なのは勿論だが意外と面白いのは各家庭に一人ぐらいの割合で存在する白人社会でのはぐれ者。主人公スキーター(彼女の本名はユージニア・スキーター・フェランだが家族以外はスキーターと呼ぶ)を筆頭にヒリーの母親である「大奥様」(シシー・スペイシク!「キャリー」で高校生を演じていたというのに今や認知症気味の老婆の役!)やミリーと友情を結ぶシーリアなど。特にシーリアは最初は美貌だけの馬鹿女なのかなと思わせて実は頭が空っぽの代わりに差別心も空っぽという実に気持ちのいい役だった。
 いっぽう白人の男たちはみんな同じようなルックスで空っぽ感が満載でしたな。

 この映画の舞台となっている1960年代の南部について。アメリカが奴隷制度を廃止したのは南北戦争後の1865年のことだが、差別は根強く残り特に南部では法律(劇中ではジム・クロウ法が出てくる)によって白人との待遇に法的な規定さえ定められていた。壁中でエイビリーンが語っているが黒人の女性たちは白人家庭でメイドをすることしか職業がなくそれが当たり前だと思っていた(彼女の母もメイドでありその前祖母にいたっては奴隷であった)。黒人は政治的権利を行使することも出来ず政治的な主張をすれば白人に殺されても文句は言えなかった。南北戦争の引き金になったとも言われるストウ夫人の「アンクル・トムの小屋」は黒人奴隷トムの不幸な人生を描いた物語だが、白人に従順なトムは黒人からは「アンクル・トム」が蔑称として使われる時もある。エイビリーンがトム(というかキング牧師)よりだとすればミリーはより戦闘的なマルコムXという感じだろうか(もちろんそこまで二人は両極端なわけではない)。
 ヒリーが劇中で「差別でなく区別よ」と言っていたように白人側は人種的な差別をそれが正義だと思っていたようだが、むしろ人種的な偏見が無知と結びついた結果だ。しかし日本でもいまでも「差別ではなく区別だ」をおきまりのフレーズとして使う人はいますね。僕はこのフレーズを使う人はレイシストだと思っているので映画を観ていてヒリーのキャラが確立した瞬間でもあった。
 実際には黒人公民権運動が展開されていた時期でそれでも南部はそんなのとは、無縁と思っていたのだろうか。アーカンソー州でそれまで白人の通う高校に入学する黒人生徒に反対して州が州兵を派遣までしたリトル・ロック高校事件が1954年、ローザ・パークスが白人優先席を譲らず公民権運動のさきがけとなったのが1955年。劇中ではケネディ大統領の葬儀が出てきたが、ちょうどキング牧師やマルコムXなどが出てきて黒人公民権が認められていく途中の出来事である。
 人種差別ほど明確ではないがもうひとつこの映画の中で取り上げられているのは女性の社会進出についてである。スキーターはジャクソンの上流階級の女性としては珍しく自立した女性を目指している。それは育ての親であるコンスタンティンの影響も大きい。彼女はスキーターにこう言う「奥様(スキーターの母親)は運命に流されてきた人です。ですがお嬢様は自分で運命を切り開いていください」と。彼女の友人たちは皆、高校を卒業したらやはり上流階級の男性と結婚して家庭に入るのが女性の取るべき進路だと思っている。かと言って家事や子育ては黒人メイドに任せっきりなのでパーティをしたりしている。チャリティーを開くときもあるが劇中で「これでアフリカの飢えに苦しむ人を救える」みたいなことを言ってた時は悪い冗談にしか聞こえなかった。
 僕は男なので男が女性を見下す心理は共感は全くできないが理解は出来る。しかし女性が社会で頑張る女性を見下す構図は理解すらできない。実は男の女性差別もさることながら一番厄介なのは女性の中にも差別される(彼女らはそういう言葉は使わないだろうが)のが当然でありそれが幸せなのだ、という意識を持つ集団があることだろう。この辺の構図は現代の日本でも未だに通じるのが悲しい。黒人女性はある意味二重の差別を味わっていたわけでミリーが最後暴力夫と離婚して幸せになるというのも拍手だ。
 個人的な印象だが「ヤング≒アダルト」の田舎が1960年代にはこの映画のジャクソンみたいだったのかなーなどと思う。

 後半、ちょっと難しく書いたけどとても楽しい作品です。未見の人はぜひお勧めします!

 最後はエマ・ストーンで〆。

ヘルプ―心がつなぐストーリー〈上〉 (集英社文庫)

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ヘルプ―心がつなぐストーリー〈下〉 (集英社文庫)

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