インビクタス 負けざる者たち
僕は基本的にスポーツはプロレスと女子バレーボールしか見ない人間だが、こう大量にTVで流されているとオリンピックとかもやっぱり見ちゃう。そしてこういう大きい大会だとどうしても変な奴が沸いていくるから残念だ。
昨今では、出場するために国籍を変える人たちなんかも多いのに、いまだにオリンピックを国威発揚の場、愛国心の発露としての場としか見てない奴らが多い。国母選手のときのやくみつるとかもそうだが、最低なのは石原慎太郎。
石原語録:知事会見から 冬季オリンピック/たばこ規制/藤田まことさん死去 /東京 - 毎日jp(毎日新聞)
◇「何でも国家」はいいトレンドじゃない−−冬季オリンピック
【冬季オリンピック】−−バンクーバー五輪で、力を出し切れない選手もいるが、それは日本国内の教育の問題も加味されてくるのではないかと。
◆日本勢が不振なのは誰が見ても確かだと思いますね。選手が思ったより高く飛べない、走れないというのは、重いものを背負ってないからだと思うんだよ。国家というものを背負ってないからだと思いますね。
教育の問題が出ましたが、修身の復活なんて陳腐に思えるかもしれないけど、考えてみた。やはり刷り込みなんだね。責任であるとか、義務、友情、奉仕は幼児のころから基本的なルールを、九九と同じように刷り込みをしないと大人になって理屈で説いてもダメですよね。
−−高橋大輔選手が日本フィギュア男子初のメダルを取った。
◆いいじゃないか。金メダルじゃないんだろ。別に否定しませんよ。しかしそれはそんなに快挙かね。まあ結構でしょう。
石原慎太郎の品性下劣振りはある意味迷いがない。タイトルの「何でも国家〜」はこの後のタバコについての件。都合のいいことにだけ国家を押し付けている。どうせオリンピックが終わって選手たちが帰国したら呼びつけて自分のアピールに利用するくせに。ちゃんとその場でも選手に同じように言うんだろうな。こいつの言動を見てると東京オリンピック招致が失敗して心から良かったと思う。頼むから早く都知事辞めてくれないかな。
選手たちはこんな馬鹿の言ってることなど気にせず頑張ってもらいたい。
ところで何でこんな話を冒頭に持ってきたかというと、クリント・イーストウッドの最新作「インビクタス/負けざる者たち」を観たからだ。
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この作品には偶然か否か、ここ最近の話題が集約している。つまり「スポーツと政治」「アフリカ」「人種差別」。
アフリカといえば少し前にこんな記事を書いた。
アフリカは暗黒大陸なんかじゃない! - 小覇王の徒然はてな別館
続・アフリカは暗黒大陸なんかじゃない! - 小覇王の徒然はてな別館
よろしければ参照して欲しい。
「インビクタス」は南アフリカ共和国の物語だ。一人の不屈の英雄が「自由の男(フリーマン)」になるところから始まる。27年にわたって投獄されていたネルソン・マンデラは1990年に解放される。それを歓迎するのはサッカーをしている黒人の少年たち。一方反対側のグラウンドでラグビーをしている白人少年たちの表情は複雑だ。コーチが言う。
「この国の崩壊の始まりだ」
1994年、初の黒人大統領に就任したマンデラは官邸に赴く。報復を恐れ去ろうとする白人職員。マンデラは全員を集めて融和を説く。
「過去は過去、皆の力が必要だ」
大統領の警備スタッフにも旧政権の公安だった白人スタッフが加わる。
ラグビーはずっと白人のスポーツで抑圧されてきた黒人にとって憎むべきスポーツだった。しかもアパルトヘイトのせいで代表チームスプリングボクスは国際試合から遠ざかり、やっと復帰できた頃には弱体化していた。黒人たちは自国のチームではなく相手国を応援する。チームを解体しようとするスポーツ評議会にマンデラは待ったをかける。キャプテンのピナールを招待する。白人と黒人の人種の融和の象徴としてのラグビーで国民意識の統合を図る。ピナールもその意図を理解していた。1995年ラグビーのワールドカップでの優勝を狙う!
モーガン・フリーマン演じるネルソン・マンデラがとにかく魅力的な人物。アパルトヘイトに反対し27年間も獄中にいながら、政権に付くと報復せず相手を赦す。劇中マット・デイモン演じるピナールが27年の内18年間を過ごした監獄に行くシーンがある。わずか2m四方ほどのスペース。彼はそこにずっといたのだ。
考えていたんだ。
30年も自由を束縛されながら相手を赦せる人を
イーストウッドはマンデラの魅力を変にひねることなく描きフリーマンはそっくりに演じている。元々この作品はモーガン・フリーマンがマンデラの伝記映画として企画し、しかしそれは無理であると判断しラグビーに関するエピソードを映画化することに決めたらしい。そして脚本があがった段階でイーストウッドにオファーした。
南アフリカは喜望峰があり、長年インド航路の重要な拠点であったことから、他のアフリカより白人の入植が盛んだった。アフリカ諸国が独立を果たした後も白人が去ることはなかったがそこでは「アパルトヘイト=人種隔離政策」という法的な人種差別制度が適用されてきた。だからマンデラが大統領になった後、白人は報復があると思っていたのだ。しかしマンデラは半ば常人には理解できないくらいの「赦しの心」を持って融和を説いた。
スプリングボクスに立ちはだかるはニュージーランドのオール・ブラックス。ロムーというちょっと朝青龍ちっくな風貌のマオリ人を中心とした強豪だ。そのオール・ブラックスにピナール率いるスプリングボクスは徹底した防御力で立ち向かう。僕はラグビーはほとんどルールが分からないが、格闘技顔負けのタックルなどがある激しい競技だ。
マンデラ大統領、SP、スプリングボクス。主にこの三つの視点から物語りは語られる。それが最後の決勝戦のシーンで一体化するのは見ていて心地いい。白状すると上映中かなり早い段階から泣きっぱなしだった。
彼らは確かに「国家」を背負っていた。ただしそれは石原慎太郎のいう陳腐な「国家」とは別物だ。「敵対より融和を」会場の外で試合中継を聞いていた警官(白人)とそれを聴きたいが近寄れない少年(黒人)が最後は一体化して喜んでいるシーンが最高に感動的だ。
現時点で今年のナンバー1作品。
I am the master of my fate:
I am the captain of my soul.
私は我が運命の支配者
我が魂の指揮官なのだ
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