The Spirit in the Bottle

旧「小覇王の徒然はてな別館」です。movie,comics & more…!!!

ふぞろいのピッチたち ピッチ・パーフェクト

 引き続きもう公開が終わっているであろう作品の感想を。今回は「ピッチ・パーフェクト」。これは制作されたのは2012年の作品で、日本公開まで約3年間が空いた事になります。劇場鑑賞から日が経って例によって忘れていることも多いので短めに。でもこれは個人的にはかなり好きで今年のベストに入るかもしれません。

物語

 女性アカペラグループとしては初の全国大会に出場したバーデン大学の「バーデン・ベラーズ」。ライバルでもある同じ大学の男性アカペラグループ「トレブルメイカーズ」の活躍を尻目に緊張のあまりオーブリーがパフォーマンス中に吐いてしまい散々な結果に。
 新学期。DJを目指すベッカが入学。父親が教授を務めるこの大学へはいやいや進学したベッカであったがバーデン・ベラーズのクロエにスカウトされバーデン・ベラーズに入ることに。前年の醜態からバーデン・ベラーズに入るようなものは大学でもあぶれたような個性的なメンバーばかり。その中でベッカたちはオーブリーの伝統を重視する古風なやり方に反発を覚えながらもグループを盛り上げていく…

 おおまかに言えば「glee」の大学生バージョン。ちょうど時期的にも「glee」ブームの全盛期で、あるいは便乗企画だったのかもしれない。「Pitch Perfect」というタイトルは歌声の音程=ピッチのことなんだと思うけれど、語感的に関係ない「ビッチ=bitch」の方まで思い出してしまう。あるいは狙ったものなのかもしれないけれど。物語はアナ・ケンドリック演じる主人公ベッカを中心にバーデン・ベラーズが苦難を乗り越え活躍していくさまを描く。とはいえ全体としてはお下品なコメディという印象も強く、高校が舞台でTVシリーズだった「glee」に比べると、大学生で映画、しかも男女混合でなく男性グループと女性グループにはっきり別れ、しかも敵対しているという設定(トレブルメイカーズのメンバーとセックスしたらクビ)であることである種上品だった「glee」に比べると下品になっている。とはいえ「glee」だって同時期の「ハイスクール・ミュージカル」に比べると大人向けって言われていたんだけど。いや大人向け云々で言うならむしろ抑制の効いた「glee」より子供の好きそうなゲロやシモネタに溢れた「ピッチ・パーフェクト」のほうがよほどチャイルディッシュかも知れない。

 ベッカ役はアナ・ケンドリック。2012年だと「スコット・ピルグリム」のあとぐらいか。最近では「イントゥ・ザ・ウッズ」のシンデレラ役でも歌声を披露しているが、その歌唱力は本作で注目されたということらしい。

 ただ個人的に一押しはやはりレベル・ウィルソン。今最も美しいぽっちゃりさん。本作でもその個性的で他のものを圧倒する魅力で異彩を放っています。オーブリーとクロエがどこか古風なタイプの美人なのに比べると新入生は皆個性的。個性的すぎて逆にステロタイプになっている気もするけれど(その辺で苦手、嫌いという人もいるかも)、従来の「バーデン・ベラーズ」のやり方(できるだけ統一されたスタイルで個を殺し、集団としてのパフォーマンスで圧倒する*1)にはなじまないけれど新しいやり方(それぞれの個を活かし、各人のパフォーマンスを全体のパフォーマンスの中で魅せていくやり方)に移行して頑張っていく。この手の映画ではどうしても統一された均一な、完成されたパフォーマンスより多少ばらつきはあっても個性が活きてっるパフォーマンスの方がドラマには向いてしまう。実際はどちらが上ということもないんだろうけど。ただ、タイトルの「完璧な音程」が、「個を殺して集団のために奉仕する」というよりは「様々な音色があってそれぞれをうまく活かし集団のレベルを上昇させる」という方がアメリカ的である。
 本作は音楽映画ではあっても厳密なミュージカルとは言いがたいのであるが、いわゆる日常のドラマの延長で歌うシーンには歌詞に字幕が付いているのだが、大会などのパフォーマンスのシーンでは字幕が付いていなかったのでその辺はちょっと残念。可能なら続編やソフトではきちんと字幕つけて欲しい。 

 大会の解説者(この手の作品にとって実況解説者と言うのはナレーターにも近い重要な役だ)の一人にエリザベス・バンクスがいるのだけれど彼女はなんと本作のプロデューサーでもある。サム・ライミ版「スパイダーマン」シリーズのベティ・ブラント(JJJの秘書)や「ハンガー・ゲーム」シリーズのエフィーで知られる。エフィーはカットニスのプロデューサーでもあったのだけど、製作者としても見ごとな手腕を発揮しました。
 監督のジェイソン・ムーアは本作が初監督作品。でも舞台の方ではキャリアがあって、本作もそんな数々手がけた舞台のミュージカルの延長線上にあるとも言える。

 本作で重要な要素として取り上げられる作品に「ブレックファスト・クラブ」があって、劇中に映画のワンシーンが出てきたり(登場人物が見るシーンがある)、あるいはシンプルマインズの「Don't You(Forget About Me」が流れたり歌ったりするシーンがあって、僕はこの曲が流れると自動的に涙腺が決壊するよう身体が出来上がっているので感動というよりは笑える作品のはずなのにボロ泣きでした。というかこの作品どちらかと言うとかなり下品なガハハ系映画でもあるのでちょっと眉をひそめるようなシーンもないことはないのだが、そういう細かい疵を遥か彼方に追いやって好きになれるのはこの曲が使用されていることに依るところが大きい。僕の場合もうデヴィッド・ボウイの「HEROES」とシンプルマインズの「Don't You」が出てくると冷静な判断はできませんね。


 本作は続編もあって、本作の公開が遅れた事もあって「ピッチ・パーフェクト2」はもうすぐ10月16日に公開です。ちょうど本作のソフトレンタル・発売の頃にでしょうか(というか2の公開にあわせてその頃にソフトが発売されるように1の公開を設定したのかな、と思う)。できれば(今頃感想書いててなんですが)1作目を見て、そして2も見てほしいと思う。最初の方に今年のベストに入ると書いたけれど、もちろん2のほうがより面白かった場合はそちらがベスト入りする可能性も高いでしょう(本ブログのランキングルールとして基本シリーズからは1作品のみ入選します)。

 ライバルグループトレブルメイカーズの凄い嫌なやつは続編でも出てくるのかしら。

ピッチ・パーフェクト-オリジナル・サウンドトラック(完全盤)

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  • アーティスト: サントラ,イェーセイヤー,バーデン・ベラーズ,ジ・アウトフィット,ソッカペラズ,トレブルメーカーズ,フットノーツ,ハイ・ハイズ,アナ・ケンドリック,フラバフーズ,マーティン・ソルヴェグ
  • 出版社/メーカー: ユニバーサル ミュージック
  • 発売日: 2015/05/27
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記事タイトルはこちらから。

*1:そもそも女性アカペラグループが全国大会まで行きにくいのは低音の音程を出せる人が少なく音色にバラエティが少ないから、と劇中でも説明される

こんなに悪いヒュー・ジャックマンが見れるのは「チャッピー」だけ! チャッピー

 まったくサボりぐせが治ってなくて映画を観たあと感想を書くのを放って置いたらそれが一週間経ち、二週間経ち、気づいたらもう公開がほぼ終わってしまったという作品が続いています。書かずに置いといても映画の内容忘れるだけで、全然記事の内容が練られるとかでもないのにね。というわけで「チャッピー」「ピッチパーフェクト」と以前の「マッドマックス 怒りのデス・ロード」補完編同様、思いつくまま箇条書きのスタイルで書いていきたいと思います。まずは「チャッピー」!

物語

 犯罪溢れる南アフリカ共和国。警察はロボット警官を投入することで事態の悪化に対処していた。警官ロボットの製造会社ではロボットの開発者デオンが密かに完全な人工知能を備えたロボットの開発に力を注いでいた。ある時ついにプログラムが完成し、しかし上の許可を得られなかったデオンは廃棄予定の22号ボディにインストールすることを画策する。
 一方、7日後の借金返済に追われていたギャング、ニンジャとヨーランディたちはロボットに強盗を手伝わせれればいい!とデオンを誘拐する。ニンジャたちのアジトで22号にインストールするデオン。22号は再起動しここに史上初完全な人格と知能を持ったロボットが誕生した。しかしチャッピーと名付けられた彼はヨーランディから愛されるものの、ニンジャからはギャングとしての心得を学ばされる。そしてデオンの不審な動きをライバルのロボット開発者ムーアが付け狙っていた…

  • 第9地区」「エリジウム」のニール・ブロムカンプ監督最新作。今度は再び南アフリカを舞台に。
  • 観ていていろんな映画がや作品が思い出されて楽しかった。基本となるのは「ロボコップ」だが、それ意外にもたくさんの作品が参照されているように思う。僕はまずチャッピーたちロボットのデザインに頭部は士郎正宗の「アップルシード」やゆうきまさみの「パトレイバーイングラム)」*1、「ショート・サーキット」、インド映画の「ロボット」やアシモフ原作の「アイ、ロボット」など。もちろん「鉄腕アトム」も。そして当然監督の前作「第9地区」のエビのロボットや「エリジウム」の人型ロボットなども。
  • 壊れたロボットにデオンが開発した人工知能プログラムをインストールするという過程でチャッピーが誕生するのだが、最初の数シーンで、「なぜか出動するたびに銃で撃たれるなどして破損して帰ってくる22号」という存在に感情移入してしまったのでこの22号とは関係なくチャッピーが誕生するのはちょっと残念。あくまでボディの再利用だけなのだな。ちなみに22号は修理のし過ぎで正規部品が足りなくなって他の同型機とは別の部品(ウサギの耳のような通信ブレードのオレンジ)を使っている、という設定なども「パトレイバー」の特車二課第2小隊のイングラム太田機を思わせて愛おしいです。

  • 「チャッピー」という名前は僕なんかは柴田亜美のマンガ「南国少年パプワくん」やその他で出てくる犬のキャラクターを真っ先に思い出すのだけれども多分、このチャッピーにも元ネタはあって多分それは映画のチャッピーと同じ犬ドラマか何かだったと思う。最初は犬扱いなわけだけど、「第9地区」でもあった犬とちょっとした交流をするシーンはいいですね。ちなみにチャッピーの声とモーションキャプチャーは「第9地区」のヴィカスことシャールト・コプリー。全然コプリーの顔は出てこないけれど、彼の人懐っこい演技はそのままです。
  • チャッピーが目覚めて最初の頃に「ヒーマン」を見てヒーローに目ざめるシーンなんかもあります。ヒーマンは「マスターズ/時空の覇者」として実写化もされています。


  • デオンを演じたのは童顔インド系英国人デーヴ・パテル。彼はチャッピーの産みの親だけれど、ヨーランディに比べるとちょっと科学者としての興味を優先させるところもあって、「鉄腕アトム」での天馬博士とお茶の水博士みたいな存在か。
  • ヒュー・ジャックマンがオーストラリア出身、元軍人のロボット開発者ムーアを演じていて、ぱっと見は「リアル・スティール」を思わせるが、今回はとにかく嫌なやつ。南アフリカの気候もあろうがロボット開発者という頭脳商売のはずなのに半袖ポロシャツと半ズボンで筋肉を誇示しながら社内をうろついたり、なんなら平気で人前でデオンを恫喝するような輩。彼が「ロボコップ」のED-209を思わせる、しかし人工知能ではなくあくまで人が操るタイプのロボット、ムースを開発し操る。
  • しかし演じているのはあのヒュー・ジャックマンである。「X-MEN」で世界的に知られるようになって以来、ヒュー・ジャックマンの出演作は全部ではないにしてもかなりの本数見ているが、ここまで憎たらしいヒュー・ジャックマンは見たことがない。先の「リアル・スティール」だってダメ人間だったけど魅力的ではあったし、「プレステージ」なんかでも同様。悪役であったとしても、それなりに共感できるところも多い役がほとんどだったはず。ましてやそこにヒュー・ジャックマン自身の魅力も加わって、ある意味完璧な人間の見本みたいなイメージすらあるのだが、そのヒュー・ジャックマンをあれだけ悪どく演出するところがある意味この映画の一番の見どころかも。
  • ほか会社の責任者としてシガニー・ウィーバーも出てきて最近はこういう偉い人の役でワンポイント出演することも多いですね。とはいえ「エイリアン2」で実写としては画期的なパワードアーマーを操縦した人としてリスペクトされて出演をオファーされた部分もあるのだと思う。


  • デオンがお茶の水博士だとすれば、アトムのパパとママに当たるのが、ニンジャとヨーランディ。実際に南アフリカで活動するラッパーグループで芸名そのままに出演していて、確か本当に夫婦だったのかな。ヨーランディは日本だと野沢直子を思わせますね。あるいはYOUとか濱田マリとかか。話変わるけどYOUと濱田マリって共に元ミュージシャン出身でバラエティでも活躍し、そして演じる役も共通しているところが多い気がする。女性主人公のちょっと年上の友人って感じか。この二人が共演したドラマってないんでしょうか?
  • ニンジャとヨーランディはちょっと特殊なタイプだけどこの夫婦?に甲斐甲斐しく仕える?アメリカというキャラが常識的な大人なんだけど嬉々として変人に付き従って感じが楽しくて、この映画のちゃんとした人間では一番好きなのはこのアメリカかもしれない。
  • チャッピーがPS4数台つなげて人の人格を何とかしようとしたり、でもそのデータがUSB一つに収まってしまうとか、ラストのびっくりな展開も含めてご都合主義ナ部分もあるけれど面白かったです。

  • 日本だと編集で色々揉めたらしいのだけど、その辺はソフトでどうにかなるのかしら。
  • 作品としては「エリジウム」より「第9地区」に近い作品だと思いますです。ブロムカンプは肉体変容の物語としてはそれこそ「ザ・フライ(蝿男の恐怖)」あたりをリメイクすると良い気も。それとも今後もオリジナルの話を紡ぐ続けるのか。


「マッドマックス」轟音上映の時に見かけたチャッピー頭部。

チャッピー

チャッピー

*1:色々異論はあるのでしょうが僕にとっては「パトレイバー」はまず第一にゆうきまさみの作品です

ディズニー謹製、カルト化確実! トゥモローランド

 上半期終了!未だ「マッドマックス 怒りのデス・ロード」の興奮止まず。でももう4日には「アベンジャーズ エイジ・オブ・ウルトロン」が公開されるわけで、その前に観たかったやつを観ておこう!前回の記事で「トゥモローランド」をまだ観ていない旨書いたが、ようやく観賞。これが実に不思議な作品で、かつ「マッドマックス」とも微妙に共通点を見つけて楽しめるような作品で観ておいてよかったな、と思える作品でした。ブラッド・バード監督作品「トゥモローランド」を観賞。

物語

 1964年、ニューヨーク万国博覧会に一人の少年がやって来る。フランク・ウォーカー少年は発明コンテストにジェットパックを持ってくるが審査員ニックスに却下される。それを観ていた謎の少女アテナがウォーカーに「T」を象ったピンバッジを与える。彼女の後ろを追いかけて「イッツ・ア・スモールワールド」へ無断で潜入したウォーカーは突如まばゆい未来世界へ!
 現代。17歳のケイシーは今夜もNASAスペースシャトル発射台の解体工事を阻止するべく敷地に潜入。しかしその日はついに捕まってしまう。保釈されたケイシーは警察から返却された自分の荷物の中に自分のものではない「T」のピンバッジを見つける。それを触った瞬間、ケイシーは広大な麦畑の中へ。驚いたケイシーは広い場所で再び接触。麦畑の先には未来都市が有り、そこではケイシーのために用意された宇宙船のシートまであった。乗り込もうとした瞬間ピンバッジのパワーが切れたのか現在に戻される。バッジの謎を探るべくネットでそのバッジを高価買取りしている店を訪れるが店員はそのバッジを渡した少女について訪ね、ケイシーにレーザー銃を突きつけた。危機一髪のその時、謎の少女アテナがケイシーを助ける。アテナが言うには彼女も店員もAAと呼ばれるロボットである目的のために人材=ケイシーを探していたというのだ。アテナはケイシーにある人物と引き合わせようとする。その名はフランク・ウォーカー…

 とても不思議な映画。確かに家族向けであり、どぎつい下品なギャグも過剰なアクション、バイオレンス描写も意味のないセクシー描写もない。ある意味安心して家族で観られる作品ではあるのだが、では映画の内容はと言うと、誰もがついていけない部分もあるのではないだろうか?例えば同じディズニー映画の「イントゥ・ザ・ウッズ」も実にディズニーらしからぬ作品で、でもあれはソンドハイムのミュージカルが原作で元々ディズニーとは関係ない作品だったわけだが、今回は正真正銘ディズニー映画。
 ディズニー映画で予告編などではウォルト・ディズニーその人も関わっているかのような感じであるが、特にそういうこともなし。ディズニーと言うよりは手塚治虫とかあるいは藤子・F・不二雄っぽい作品のような気がした。なんだろう、劇場で観ながらにして「ああ、これは将来的にカルト映画になるな」と確信が持てる感じ。面白かったし観てて楽しかったけど最後までSF(すこしふしぎ)な映画でした。

 大人のウォーカーにジョージ・クルーニー。ちょっと偏屈で厭世家な部分があるがかつては天才発明少年で、明るい未来に思いを馳せる事もあった。そこはジョージ・クルーニーであるから熟成された頼もしい男とちょっと子供っぽい部分が役の中で両立されてて良かったです。一応アテナとの淡い恋物語も語られるがこれが少年時代から描かれ、ウォーカーの方だけ歳を重ねてはいても、おっさんと少女(まだ幼女といってもいいかも)の恋がそれほど不自然ではないかも。まあいわゆる恋愛と言うよりは友達以上恋人未満な感じだけれども。
 主人公のケイシーはブリット・ロバートソン。「スクリーム4」に出てたらしいが特に記憶になし。17歳の役だが1990年生まれで25歳。シアーシャ・ローナンがもうちょっと庶民的に親しみやすくなった印象の女優。聡明かつ活動的な感じが良かったです。
 トゥモローランドを仕切るニックスには「Dr.HOUSE」などで知られるヒュー・ローリー。こっちもクルーニーとはまた違った厭世家な感じがとても似合っている。
 そしてアテナ役のラフィー・キャシディ。「ダーク・シャドウ」でエヴァ・グリーンの、「スノーホワイト」でクリスティン・スチュワートの子供時代を演じていた。アテナはリクルーターと呼ばれる「トゥモローランド」にふさわしい人材を探し出すロボットで64年にはウォーカーを、現代ではケイシーを探し出す。僕は最初というか終盤までウォーカーを導いたアリスはニックスの娘で、後にその娘をモデルとしてケイシーのもとに現れたロボット、アテナが作られた、と「鉄腕アトムアトム大使)」的な予想をしたのだが、これが最初からロボットだったのだな。ちょっと「ターミネーター」も入ってます。アテナを演じたラフィー・キャシディはそばかすも目立つまだ全然子供だが、容姿は表情は橋本環奈を思わせる美少女でした。
 メカデザインなどは60年代風のレトロなものと現代風なものとが上手くミックスされていて良かったです。トゥモローランドの中心となる建物はシンデレラ城を未来風にした感じ。

 物語は天才たちが別次元に築いたトゥモローランドからタキオンを利用したモニター(ちょっと先の未来が映る)から世界の滅亡を予測し、トゥモローランドに害が及ばないようにしようとするニックスと、希望でもあり最後まで諦めないケイシーたちの衝突が物語のクライマックスとなる。実はモニターは相互関係にあり人々の思考を写すだけでなく、写しとった暗い未来は再び人々の思考に宿る。こうして人々がネガティブになり、夢をなくし、世界は滅亡するのだ。
 「マッドマックス サンダードーム」ではクラック・イン・ジ・アースに住む少年少女たちが目指す土地が「トゥモローランド」で、これはおそらくディズニーランドの同名のテーマランドのことだと思うのだけれど、映画の「トゥモローランド」を観ていたらいきなり「ロケッティア」を彷彿とさせるジェットパックを発明する少年として「フランク・ウォーカー」と名乗る少年が出てきて、「これウォーカー機長のことじゃ?!」と思ったりした。予告編の時から「あんまりあかるい未来が云々という話にしては暗そう」と思っていたのだが、映画は世界の破滅をめぐる物語であり、あるいは「マッドマックス」の世界は「トゥモローランド」の主人公たちが世界の破滅防止に失敗した世界なんじゃないか?とか思ったりした。そういえばアルフォンゾ・キュアロンの「トゥモロー・ワールド」なんかも思い出されて、劇中にもディストピアについて言及されていたりして案外暗い物語を役者の明るさがカバーしている感じですね。

 今回はスケジュールの関係もあって通常吹き替え版で観賞。画率が特殊なのか、劇場のスクリーンの中に黒い枠で囲む形で映しだされていたのでちょっと小さく感じて損した感じ。これはIMAXだったら良かったのかな。てっきり「オズの魔法使」でカンザスがモノクロ、オズの国がカラーで描かれたみたいに、トゥモローランドに行ったら、パーッと画面が広がって大きくなる演出とかなのかなあ、と思ったら最後までそのままだった。
 吹替はケイシー役に志田未来志田未来は「借りぐらしのアリエッティ」でも主人公の声を演じていたが、あの時が普通の演技の朴訥もっさりした感じだったのが*1、こちらではきちんと吹替の声優の演技になっていてまったく気にならなず上手かったです。
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PULS ULTRA!

*1:これはおそらくジブリの演出として狙ったものなのだろうけど

マッドマックス 怒りのデス・ロードを舗装じゃなかった補完します


 前回の記事を書いた後、色々書き忘れたことや思い出したことがあって、はじめは追記の形にしようと思ったんだけど、思いの外長くなりそうなので、新しく記事にします。とりあえず脈絡なく箇条書き的につらつらと。

  • 映画はマックスの独白から始まり、そこで元警官だったことが言及される。劇中では出てこないが今回の映画は「世界が崩壊してから45年後…」という設定であり、トム・ハーディのマックスの容姿からすると明らかにおかしい。旧シリーズのことを考慮しないとしても仮に20歳現役警官の時に世界が崩壊してもマックスは65歳以上ということになってしまう。これはメル・ギブソンが引き続きマックスを演じる予定だった時の名残なのか(それでもちょっとおかしい気もする)。あるいは世界の崩壊は必ずしも一気に来たわけでなく、核戦争後もしばらくは(科学技術等の文明はともかく)人々は秩序ある社会を築いていて、その中で警官をやっていたことがある、ということなのか。ただ核戦争後は季節感も無くなり、年数の数え方も曖昧になっているという線も考えられる。一方でそういう矛盾が逆に神話としての力強さを補完しているとも思うので、気にはなるけどそれで「設定に矛盾があるからダメ」とかでは全然ないです。いずれにしろわざわざ警官だったと告白するのはおそらくマックスにとってこの世紀末の世に置いても自分の倫理観の基礎となるものが警官だったというアイデンティティーから来ることによるのではないか。
  • 劇中ではフュリオサが「緑の地」生まれで、フラジールがシタデル生まれだったことなどが判明してるので、おそらくフュリオサは核戦争後に生まれた最初の世代あたりとなるのではないのだろうか。ちなみに役者の年齢だけで言うとシャーリーズ・セロンが1975年生まれでマックス役のトム・ハーディ(1977年同期の星!)より年上なのでこの辺もちょっと矛盾は出てくる。
  • イモータン・ジョーは核戦争前は軍の英雄で大佐だったということだが、そもそもジョー・ムーアという本名のムーアも「荒地」という意味じゃなかったっけ?ジョーはボスにも関わらず、自ら出張るあたり悪役としても素晴らしいが、多分あの世界ではああいう時に自分で行動し常に力を見せつけていないと部下の求心力が持たないのかもしれない。その辺は友好団体の長でもある人食い男爵も武器将軍も同様でまあ痴話喧嘩に巻き込まれたとかぼやきながらも銃が撃ちたくてたまらない武器将軍はともかく、物資の消費にうるさい人食い男爵なんかも億劫でも自分で前線に立たないといけないのだろう。
  • この作品シリーズとしては30年ぶりということで、当然過去作を見ていなくても全然楽しめるのであるが、優れたシリーズ作品の在り方として「旧作を見ていなくても楽しめるが見ていればもっと楽しめる」という部分もきちんと構築されている。最初の記事では主に「サンダードーム」からの引用を書いたが、もちろん1、2作目からも引用はされていて、例えばフュリオサの裏切り、妻たちの逃亡に気づいたイモータン・ジョーが妻たちの隔離部屋(核シェルターか何かか?)へ向かった時に出てくるジョーにライフルを向ける老婆は、「マッドマックス」でジェシーを守ろうとしてトーカッターにライフルを向けるおばさんからだろう。その時の彼女の上方には「私達は物じゃない」と書かれているのが秀逸。またこのシーンでは妻たちは比較的恵まれた生活をしているものの、しかし「隔離され自由ではない」というのがなんの説明セリフもなく、しかし簡潔に描写されているのが素晴らしい。
  • マッドマックス2」からのビジュアル的な引用は最初のチェイスが一段落して、マックスが気絶したニュークスを担ぎながらフュリオサたちと初めてちゃんと顔を合わせるシーン。このニュークスを担いでいるマックスは2でトレーラートラックを探しウェズたちに殺されたグループの生き残った男性を助けたマックスがパッパガーロの防御性集落に届けるシーン。日本では生頼範義の描いたポスターでも印象の強いシーンからの引用だと思う。

  • 「サンダードーム」といえば出てくる子どもたちが向かう場所は「トゥモローランド」だったりするのだが、現在同時期公開の「トゥモローランド」はまだ観れていない。ていうかこのまま「アベンジャーズ:エイジ・オブ・ウルトロン」に移行したいので観ないかも。ただこの時期「ハンガー・ゲーム」と「マッドマックス」に挟まれ、しかも内容はよく知らないけれどちょっと暗めの予告編だったので勝手に「トゥモローランド」もディストピアものなのかな?って思っちゃってる自分がいたりする。
  • 主人公なのにマックスがあんまり活躍しないとか、V8インターセプターがすぐ退場したとか主人公としてのマックス及びメカの扱いに疑問というか不満がある意見も見られたが、これはまあ、いつものことである。シリーズ中でもインターセプターがちゃんと活躍したのって1ぐらいのもので、2中盤で大破してしまうし。ただ本作では改造されたインターセプターをマックスが何度も「オレの愛車だ!」と言うシーンがあったりするので、最終的に大破するとしても一時的にでもマックスが取り戻して運転するシーンがあっても良かったかもしれない。
  • マックスが活躍しない、と言うのはバットマンの映画で「バットマンの出番が少ない」という不満と同様で、バットマンは闇に潜んで悪を討つヒーローなので基本的には忍んで隠れてという活動がメインになる。そして出てくる悪役は「オレを見ろ!」な奴らばかりになるので構造上悪役のほうが目立つのは仕方がないのだ。同様にマックスも基本的には揉め事には立ち入らない主義。それでも根本的には困っている人を見つけたら放っては置けない人なのだが、口数も少ないし構造上もフュリオサを助ける人なのでフュリオサを補佐する立場の描写になるのは必然。そして悪役は皆「オレがオレが!」ばかり。
  • マックスとフュリオサたちの出会いではマックスがもっとちゃんと会話をすればスムーズに行ったのに、とも思うが(別にあの猿轡、喋れないわけじゃないしね)ここであえて具体的な会話をして互いの立場を表明しないことが二人の関係性を語る上で生きてくる。最初は殴り合い、そして中盤の狙撃のためにフュリオサにライフル渡し肩を預けるシーン。ここで二人の関係が確立されたといってもいい名シーンだと思う。「007」の初期作品(ロシアより愛をこめて、かゴールドフィンガー)でも似たようなシーンがあったと思うのだが、単に銃を安定させるために肩を貸すというだけでなく、まだ信用ならない相手に銃を渡し背中を向けるわけだから、最後の別れにもつながる無言の中にも信頼が確立されたシーンだろう。
  • この前にはマックスが弾を無駄にしてトーストにもう弾が無くなる、と言われるシーンもあり、見栄をはらず自分より腕が確かだと思えば躊躇せず銃をフュリオサに預けるマックスの侠気ぶりも発揮されている。
  • マックスの描かれない活躍シーンに武器将軍を倒して銃や弾薬を奪って帰ってくる、というのがあるのだが、アソコも具体的に描かれないからこそ、マックスの底力を感じさせてよかったなあ。マックスは確かに格好わるいシーンも多く完全無欠なヒーローではないのだが、その格好わるいシーンがあるからこそ次の格好いい行動が光る。こういうのは向こうの映画はうまくて、スネーク・プリスケンもジェームズ・ボンドも冷静に振り返ると格好悪いと思うシーンや行動も多く、でも最後は凄く格好いいというところに落ち着く。フュリオサは集団を束ねる指導者、統率者として王的立場となるキャラクターであるが、マックスは流れの救世主なのである。
  • そういえば5人の妻の中での最年少フラジールを演じたコートニー・イートンは撮影当時16歳だったということだけれど、清水富美加ちゃんを彷彿とさせます。かわいい。
  • 「マッドマックス」のもっとも有名なフォロワー作品といえば「北斗の拳」なのだが、今ではそのフォロワーにとどまらず、こちらはこちらで確固たる地位を築いている。それで、逆に今度の作品に影響を与えた部分なんかもあるような気もしないでもない。ニュークスと親しくなるケイパブルが赤毛でゴーグルを付けるシーンがあるがそこでバットを思い出したり。鉄騎の女の老婆が植物の種を未来への希望として語るシーンなんかはミスミの爺さんを思わせる。そういやミスミの爺さん殺したスペードはウェズのキャラの流用なんだよね。
  • 北斗の拳」といえば個人的にはラオウとか南斗六聖拳あたりの話よりジャッカルとか牙一族の話を実写化して欲しい。というか今回の「怒りのデス・ロード」の物語を最初にきいた時に連想したのは牙一族南斗水鳥拳レイの妹アイリだったりする。アイリって単に美貌だけだとユリアとマミヤより美人だけれどかなり悲惨な生い立ちを辿った人である。実はユリアは(マミヤ、アイリ、リンと比べれば)あんまり悲惨って程でもないよね。「北斗の拳」語りに入るとまた長くなるのでここで終了。
  • そういえば僕が最初に鑑賞した時に思ったのは「これはこれでもちろん凄いけど、白黒のサイレントにしたら面白そう」というもの。特に嵐の中のシーンなど逆に白黒サイレントでこそより迫力も増し神話的になるのでは?と思ったりした。そうしたらやはり間違ってはいないようで、こんな記事が。

白黒版『マッドマックス 怒りのデスロード』が9月発売予定の海外版ブルーレイに収録 - 目標毎日更新 カナザワ映画祭主宰者のメモ帳 白黒版『マッドマックス 怒りのデスロード』が9月発売予定の海外版ブルーレイに収録 - 目標毎日更新 カナザワ映画祭主宰者のメモ帳

サイレントではないけれど白黒版を連想したのは間違ってなかった!

  • 間違ってなかったといえば前回の感想ではウォーボーイズや彼らを支配する「英雄の館」の思想を、

北欧神話オーディンの戦士たちと靖国神社を合わせたような狂気の思想にどっぷり浸かったある意味被害者

と表現したが、実際にモデルの一つとなったのは日本の特攻隊だそうで、こう感じた僕の感覚も間違ってはいなかったのだな、と。

  • パンフレットは900円もするちょっと高価ではあるけれど、実に読み応えがあって、映画のサブテキスト/ガイドブックとしてもよく出来ていると思います。ただ、時折出てくる独特の表現は好き嫌いが分かれそう。そのほとんどはギンティ小林氏の文章で読んですぐ誰だか分かるのはさすがだが好き嫌いは分かれそうで僕個人はちょっと苦手。良く言えば個性が確立されている、悪く言えば映画秘宝のノリをそのまま何の断りもなく無関係のところに持ち込んでくる感じ。ただパンフ自体は映画秘宝出張版みたいな悪ノリだった「エクスペンダブルズ」シリーズのパンフに比べると抑制が効いてて良いです。ただウェズ役のヴァーノン・ウェルズのインタビューってあれ、15年ぐらい前(ムックから隔月刊の雑誌化してすぐあたり)の映画秘宝に載ってたインタビューの転載じゃないかなあ。突然「編集部調べ」「本誌独占インタビュー」と出てくるがこの場合の「編集部」とか「本誌」ってパンフの編集部じゃなくて映画秘宝のことじゃないかしら。
  • 「マッドマックス」を「貧者のスターウォーズ」といったのは2撮影のときのメル・ギブソンだが、アメリカもオーストラリアも入植して以降の人工的な国家でもあり(人工的でない国家などないのだが、ここでは便宜的に)、入植した人たちにとっては自前の神話を持たない。その代替として機能するのが西部劇だったりアメコミだったり警察物だったりするのだが、「スターウォーズ」も「スタートレック」も「マッドマックス」もそういう自前の神話を作り出すという意味合いもあるのだろう。ただ同じイギリスの植民地でも流刑地だったオーストラリアはやはりその表現もアメリカとは変わってくるのだ…!
  • スターウォーズ」といえばこの冬新作が公開されるわけだけど、この「怒りのデス・ロード」のテンポで、イモータン・ジョーのノリでジャバ・ザ・ハットの一代記を映像化して欲しい。惑星タトゥイーンで成り上がるまで。全盛期。銀河帝国の出現で地下に潜ってた頃、てな感じで。

新たに紡げ!爆炎と血の神話 マッドマックス 怒りのデス・ロード


 ついに公開された「マッドマックス 怒りのデス・ロード」!「マッドマックス・サンダードーム」以来30年ぶりの「マッドマックス」シリーズ新作です。調子に乗ってすでに2回観てきましたよ!WHAT A LOVELY DAY!

 実際の続編としての企画が動き出したのは2003年。しかしそこから紆余曲折。撮影寸前まで行ってイラク戦争などで頓挫し、その間にメル・ギブソンが離脱。代わりにマックス役に抜擢されたトム・ハーディシャーリーズ・セロンが加わって撮影が始まったとされるのが2013年。それから2年やっと完成品が観れた。そして出来上がった作品はまさに「神話」というにふさわしい原初の興奮、爆炎と血煙にまみれた新しい時代の「マッドマックス」だった!「マッドマックス 怒りのデス・ロード」観賞。

物語

 文明が崩壊した未来世界…荒野を彷徨う元警官のマックスはウォーボーイズ軍団に捕まり、水を管理することで人を支配する狂気の神イモータン・ジョーの砦シタデルに置いてウォーボーイズたちに血液を供給する輸血袋としての役割を負わされる。
 シタデルではジョー大隊長・女戦士フュリオサが友好都市ガスタウンへの遠征を任された。しかしフュリオサの狙いはジョーの5人の妻〜妻とは名ばかりの子を生むために集められた若い女たち〜とともに自分の故郷「緑の地」への逃亡だった。事態を察知したイモータン・ジョーは怒り狂い自らフュリオサの乗るウォーリグを追いかける。ウォーボーイズ〜イモータン・ジョーを神と崇め彼のために死ぬことを望みとする先行き短い青年たち〜の一人ニュークスは輸血袋を同行させることで追手の一団に加わる。その輸血袋=マックスをクルマの先に掲げ、フュリオサを追いかけるニュークス。他の暴虐の集団も加わる中、大嵐が襲いかかる。果たしてフュリオサ一行、そしてマックスはこの狂気の時代を生き残ることができるのか?

 原題は「MADMAX FURY ROAD」で邦題の「怒りのデス・ロード」だともう「デス=死」まで加わってお腹いっぱいだが、これ単に怒りと言うよりおそらくフュリオサにかけたタイトルなのでそのままのカタカナ邦題でよかったんじゃないかなあとも思ったりした。
 作品はマックスの独白から始まる。タイトルの入り方もこれまでとは違い新しいシリーズの始まりを予感させる。過去のシリーズ「マッドマックス」「マッドマックス2」「マッドマックス サンダードーム」3作を見ていなくてもなんの問題もないが(元々一作ごとに全然話が異なるシリーズでもある)、それでも過去作、特に「サンダードーム」からの引用というか共通する要素が見受けられる。

トム・ハーディとその幻影

 今回のタイトルロールであるマックス役はトム・ハーディメル・ギブソンは降板し結局のところ若々しいマックスが戻ってきた。観れば分かるがトム・ハーディのマックスはあんまりメル・ギブソンのマックスには似ていない。スタイルもスラリとバランスが良かったメル・ギブソンに比べるとちょっとずんぐりむっくりな感じもする。最も演技プランにしても佇まいにしても、あんまり似せようという気は監督にもハーディー自身にもなかったのではなかろうか。単にメル・ギブソンに似せるのが目的であったなら同じオーストラリア出身の俳優、ヒュー・ジャックマンとかラッセル・クロウとかのほうが合っている。これまでのマックスは左目と左足に怪我を負っていたが、新マックスは特に無し。しかし終盤で新たに怪我を負う。
 しかしトム・ハーディメル・ギブソンの一番の違いはやはりここに至るキャリアだろう。メル・ギブソンにとって「マッドマックス」は本格的な映画出演作であり、これによって世に出たと言える作品だが、トム・ハーディはすでに様々なキャリアを築いてこの作品に至った。だから旧シリーズのマックスは唯一無二のオリジナルであるのに対して、トム・ハーディの新マックスはオリジナルマックスはもちろんのことトム・ハーディのこれまで演じてきた役なども影響を与えているようにみえる。
 イモータン・ジョーの支配を支える軍団、ウォーボーイズは核戦争後の汚染された大気の中で生まれながりに病気を抱え、若くして死にゆく運命の者達である*1ジョーを神と崇め、ジョーのために戦って死ねば自分の霊が「英雄の館」に祀られていると信じている。北欧神話オーディンの戦士たちと靖国神社を合わせたような狂気の思想にどっぷり浸かったある意味被害者な彼らだが、僕は彼らを見て「スタートレック ディープ・スペース・ナイン」のドミニオンの兵士ジェムハダーを連想した。彼らは遺伝子操作で生み出され、生まれながらに戦うことを義務付けられた種族で自分たちを創りだした創設者を崇拝している。寿命は短く、更に薬(ケトラセルホワイト)によって管理され、自由意思がない。そしてウォーボーイズのそのスキンヘッドに色白(というか白く塗ってる)の体から更に連想したのが、「スタートレック・ネメシス」でトム・ハーディが演じたピカード艦長のクローン、シンゾン(映画デビュー作)。この頃は今と違って細面の色白だったが(役もあるだろうけどまだ若かったからね)、シンゾンは言ってみればウォーボーイズと同等の存在とも言えるだろう。
 また、トム・ハーディといえば最近では「ダークナイト ライジング」のヴィラン、ベインだろう。もしかしたら多くの人にとってトム・ハーディという役者を認知した作品かもしれない(僕の場合、先の「ネメシス」で知って以来ご無沙汰で、「インセプション」で久々に見た、という感じ)。プロレスラーのような体格、口元には外気呼吸が出来ず薬を吸うための特殊なマスク。このルックスは今回の映画ではイモータン・ジョーやその息子であるリクタス・エレクタスを彷彿とさせる。リクタス役のネイサン・ジョーンズは実際の元プロレスラーだ*2シンゾンを彷彿とさせるウォーボーイズ、ベインを連想させる(かもしれない)ジョーとリクタス。今回のマックスは過去の自分の幻影と戦う役とも言える。
 幻影といえばマックスは幾度も少女の幻影に悩まされる。この少女が何者なのか、劇中では説明されない。暴走族に殺されたマックスの子供かそれとも流浪の旅を続ける間に出会った集落で、しかし助けることの出来なかった少女か。おそらく後者だと思われるが(他にもマックスが助けられなかったと思われる人物の幻影も少し現れる)、この少女の幻影がマックスの荒野での方針となる。最終的にマックスはこの少女の幻影に促され、己の生きる道を見出す。
 

サンダードーム

 本作はシリーズとしては4作目だが、時系列的には単純に「サンダードーム」の後の出来事なのか、あるいは直接関係ないリメイクなのかは判断に苦しむところ(核戦争後45年後というマックスの容姿を考えると明らかにおかしい設定や、殺されたマックスの子供が幻影の中で「パパ」と言っているところから1のまだ赤子だった子供の設定とは異なっている可能性があることなど)。それでも(一般にあまり出来が良いとは言われない)「サンダードーム」とはシリーズとして密接につながっている。「サンダードーム」のマスター・ブラスターのキャラクターは「怒りのデス・ロード」ではイモータン・ジョーの不肖の息子コーパス・コロッサスとリクタス・エレクタスの兄弟を彷彿とさせる。マスターは日本神話における少彦名命、主役に知慧を与える小さき神でもあるわけだが、ここでも頭が良いが下半身が萎え小人であるコーパスと筋骨隆々の大男だが知能は幼児並みというリクタスの組み合わせはマスター・ブラスターからの流用だろう。そして身体を白く塗り、目の周りを黒くパンダのように塗るニュークスはじめウォーボーイズはやはり「サンダードーム」のスクルールースの外見の流用だろう。スクルールースは「スクリュー(ネジ)」が「ルーズ(緩い)」で「ネジの緩いやつ」というちょっとバカにしたあだ名なのだが、この辺のぶっ飛んだ感じはウォーボーイズにも受け継がれている。
 例えばTVシリーズ、「ウルトラマン」では前作「ウルトラQ」から桜井浩子が出演、そして「ウルトラセブン」には「ウルトラマン」から毒蝮三太夫石井伊吉)が出演したようにキャストの一部をスライド出演させることで(世界は違っても)シリーズとしての連続性を持たせる試みがある。ブルース・スペンス演じる2で出てきたジャイロ・キャプテンが「サンダードーム」でやはりブルース・スペンス演じるほぼ同じ役柄でしかし別人のジェデダイアとして出てきたことで2と「サンダードーム」に連続性が保たれた部分もある。本作の「サンダードーム」のキャラクターから「怒りのデス・ロード」への流用も時代が経っているので役者こそ違うけれど、似たような効果を狙ったのではないかと推察する。
 「サンダードーム」は元々が別の企画だった、ジョージ・ミラーの相棒で制作のバイロンケネディがロケハン中に事故で亡くなってしまった、オーストラリアだけではなくアメリカ資本が入っているため最初からアメリカ(及び全世界)公開を視野に入れていたため結果としてぬるくなった、など様々な理由も相まって今では評価が低いが(先日の轟音上映でも上映されたのは1と2だけだったし司会の玉袋筋太郎も「サンダード−ム」はいいや、みたいなオチとして使っていた)、それでも世界観としてマッドマックス、あるいはそれに影響された作品世界として確立されたのは「サンダードーム」があればこそ。「サンダードーム」では巨大なセットでの撮影がロケではなく逆にスタジオ撮影に見えてしまいそれがこじんまりとした印象を与えてしまったのかもしれない。本作ではその辺は解消されています。
 今回の「怒りのデス・ロード」も世界観は「サンダードーム」の延長線上にある。作品のテンポは本作、荒廃した雰囲気は2にはかなわないものの、これを気に再評価されればいいなと思う。

女戦士フュリオサと役者たち

 マックスは基本的に世紀末の荒野では人と関わりを避けて生きている。映画の構造としてもマックスは揉め事のあるところに現るが最初は積極的に関わろうとはしない。直接復讐が動機となる1作目にしても、それまではむしろ親友のグースが殺されても警察を辞めるにとどまる。2でも当初はあくまでガソリン目当ての取引にすぎない。それがやがて自分からトレーラーの運転手を志願する。この変化が見どころだ。本質的にマックスは「シェーン」や「木枯し紋次郎」のようなヒーローといえる。それでは実質的に物語を動かす主人公は誰か?
 今回はそれが女戦士であるフュリオサといえるだろう。「FURIOSA」という名前は明らかに「FURIOUS=猛烈」から来ており、さらに原題の「FURY ROAD」の「FURY=憤怒」も彼女のための形容詞かもしれない。そのくらい彼女は格好良く実質的な主人公とも言える。
 フュリオサは坊主に片手。しかしシャーリーズ・セロンが演じているだけあって元は余程の美女であったことを伺わせる。というかこの状態でも十分美人だけれど。劇中では明らかにされないが、フュリオサは緑の地から攫われ、その後おそらくイモータン・ジョーの妻のひとりとして子を生むことを課せられる。しかしワザとかそうでないか、左腕を失う事態となり、妻から戦士へと生き方を変える。自分を殺しやがてジョーの信頼を得て武装トレーラー、ウォーリグの運転を任されるに至ってジョーの5人の妻を逃がすため計画を実行する。
 マックスのセリフが少ないが(いつものこと)、それにしたって会話をすればすぐに解決するような事態でも会話をセず、初会合は壮絶に殴りあう事となる。その後は少ないが会話をし、苦難を共にすることで、最終的にはほぼ会話なしのアイコンタクトで互いの意思の疎通ができる様になり、ラストのまったく会話がない別れへと至る。この会話がなかったことから暴力的に始まるマックスとフュリオサの出会いがやがて会話なしでも意思の疎通が成り立つレベルに発展していく過程が素晴らしい。これが特に恋愛感情とは関係ない友情であるところも。本作の実質的な主人公はフュリオサだが(だからといってもちろんマックスがおざなりというわけではない)、その女性主人公としての魅力は十分描かれているといえるだろう。
 イモータン・ジョーから逃れる5人の妻は皆、世紀末の世には似つかわしくない若く健康的な美人。彼女らは他から連れて来られた者もいればジョーの本拠地シタデルで生まれ育ったものいるだろう。皆モデルのような美人だが、きちんと個性が描かれている。ジョーの子供を宿した妊婦で5人のリーダー格でもあるスプレンディドを演じるのは「トランスフォーマー/ダークサイド・ムーン」のカーミラことロージー・ハンティントン=ホワイトリー。「ダークサイド・ムーン」でもメガトロンを口八丁で仲間割れさせた手腕を見せたが、ここでもリーダーとして頑張っている。時折見せる表情がキャメロン・ディアスぽくも有り、正直「ダークサイド・ムーン」では記号的な美人の域を出ていなかったが、本作では強く印象づけられた。彼女の赤ん坊はジョーの望む健康体であったがこれはコーパスとリクタスの兄弟が頭脳と肉体のバランスが取れないのに対してジョーの望む子供はその両方が優れているものだったのだろう。ジョーの妻を取り返す、という行動も、女たちをそれなりに愛しているからとか性的な欲求から、と言うより自分の子供を産ませる、という一点に集中しているのが中々に気持ち悪い。シタデルではジョーの一族以外はウォーボーイズは戦闘、母乳生産のために太らされている女性たち、そして子産み女である妻たちと一人の人間に一つの役割しか与えられておらず、それ以外の生き方が許されないところなどが人間というより蟻(など真社会性の生物)の社会を想起させてゾッとする。妻たちはウォーボーイズたちにもジョーの大事なものとしては認識させられていてもあくまで「子産み女」と呼ばれ役割でしか認識させられていない。
 スプレンディド以外の女性はスプレンディドと似た容姿ながら時々ドキッとするセリフを放つアビー・リー、一番若くおそらくシタデルで生まれ育った外界を知らないフラジールドリュー・バリモアに(容姿も行動も)似たところを見せるケイパブル、そして一番小柄ながら活動的で銃器の扱いをできるトーストがいる。アビー・リー鉄騎の女と絆を深め、フラジールはあまりの苦難に戻ろうともする(ここで彼女が見せた行動が最後に見事活かされるところが素晴らしい)。
 トーストを演じているのはゾーイ・クラヴィッツで「X-MEN:ファースト・ジェネレーション」でエンジェル・サルバドールを演じた。父親レニー・クラヴィッツ父親は「ハンガー・ゲーム」シリーズのシナとして出ているので親子で革命の物語に出演していることに(「ハンガー・ゲームFINAL」の感想はもうちょっと待って!)。その「X-MEN」シリーズで共演しビースト役ででいたのがニュークスのニコラス・ホルト。ウォーボーイズの味噌っかすというわけでもないのだが結果としてジョーに見捨てられ、ケイパブルと仲を深めることでフュリオサたちの仲間となる。その辺他のウォーボーイズ(スリットなど)と比べてもニュークスの人懐っこさは独特で演じているニコラス・ホルトによるところが大きそう。ケイパブルはドリュー・バリモアを彷彿とさせる雰囲気なのでダメンズを思わず保護する行動も説得力溢れる。ケイパブルは赤毛で途中ゴーグルを頭に乗っけるシーンが有るんだけれどそこは「北斗の拳」のバットを思わせますね。
 後半から登場する「鉄騎の女」たちはフュリオサの故郷の生き残りで一人をのぞいて老婆ばかりだが、これがまた見事に魅力的。バイクと銃を操り、でも同じ世紀末の集団でもどこか人間としての理性を保っている。彼らが突然帰ってきたフュリオサたちのために戦うシーンは言い方は変だけど「侠気」溢れるところ。
 

イモータン・ジョー軍団

 ナイトライダー、トーカッター。ヒューマンガスにウェズ、そしてアウンティ・エンティティー。シリーズには魅力的な極悪非道な悪役が登場したが、本作ではイモータン・ジョーがまずその筆頭に。演じるのはトーカッターでもあるヒュー・キース・バーンでもう素顔とかは全然分からないんだけど、目の演技だけで狂気を完全に演じている。妻たちが逃げたとわかる時のドタバタした走り方や、ニュークスを激励した後あっという間に失敗するニュークスを見ての「マヌケめ」の一言とかはトーカッターを彷彿とさせる。
 最初にイモータン・ジョーのビジュアルを見た時は肉体的にもマッチョで格好いい感じすらしたのだが、実際に見るとそこは演じるヒュー・キース・バーンが68歳というそこそこ高齢だけあってヒューマンガスのような肉体美を誇るわけではない(そこはリクタスの役目)。しかしヒュー・キース・バーンは32歳でトーカッターを演じたわけで30越えの凶悪暴走族。日本の暴走族は高校生とかがメインで二十歳になろうと言う頃には「もう半端してらんねえな」って感じで引退するものだが、海の向こうの大陸の暴走族はさすがレベルが違う。成人を越えてからが本番です。劇中で出てこない設定によると彼は文明有りし頃はジョー・ムーア大佐という軍人で地下水源を支配し、自分を神と崇めさせることでシタデルに王国を築いた。身体は皮膚病でただれていて、その衰えた身体を肉体を模した透明アーマーでカバーしている。悪役ではあるがイモータン・ジョーとマックスの間には何の因縁もなく、会話もない。そこがやはりフュリオサの物語であると思わせる。
 度々登場するコーパスとリクタスの兄弟は「サンダードーム」のマスター・ブラスターを連想させるとは先に書いた。リクタスは死ぬが、コーパスはそのまま(というか自由に歩けない)生きてラストを迎える。コーパスはなんとなくシレッと新政権でもブレインとして生き延びる気がするね。

 そしてジョーの軍団で異彩を放つのは、やはりドラムワゴンに乗りジョー軍団の軍楽を奏でるドゥーフウォリアーだろう。巨大なアンプを積み、背面には4人のドラムス(和太鼓っぽい感じ)隊を引き連れ、自身はゴムひもに吊られながらギターをかき鳴らす。明らかに常人ではなくパンフによると盲目の奇形児として生まれたとあるが、あるいはギターのためだけにジョーによって目を潰された人、とも言えそうだ。ある意味で彼もジョーの築いた社会で一つの役割のみに徹することを強いられた人、とも言える。ギターの先から炎を出したりするが直接戦闘に参加することはなく(マックスの邪魔はしてた?)最後はそのギターがイモータン・ジョーの紋章とともに戦闘を締めます。

 イモータン・ジョーとウォーボーイズだけで十分狂気度MAXではあるのだけれど、より狂気というか変態度を増しているのが、ジョーの友好団体の長であるガスタウンの「人食い男爵」と弾薬畑の「武器将軍」。いずれも英語名は「THE PEOPLE EATER」と「THE BULLET FARMER」で日本語役には色々乗っけたりかなり意訳ではあるんだけど、この二人がかなり危ない。共にジョーの配下と言うよりは義兄弟の契りを結んだ弟分という感じでジョーには従いつつ対等に口を利く。それぞれガソリンなど燃料や自動車の材料を管理するガスタウンと、武器・弾薬を製造管理する弾薬畑の管理を任されている。人食い男爵は自分ではまともに歩くことも出来ないような肥満体で足も象皮病のようになっている。遠征で失った部品や燃料を計算して気にするのだが、彼はなぜか乳首部分が開いたスーツを着用してしかもすきあらばそこをいじるのでちょっと子供には見せられないキャラクターである。
 武器将軍は差し歯代わりに弾丸を仕込んでいるような戦闘狂で単独でウォーリグにせまる。結局マックスが倒すのはこの二人である。
 このへんの見た目の変態度が高いキャラクターは「砂の惑星デューン」を連想します。
 
 今回はとにかくアクションが素晴らしいです。物語はまず絵コンテやイラストボードからはじめられたと言われるほどアクションに特化していて、しかも驚天動地の複雑なアクションの割に見てて、きちんと整理されていてこっちが混乱することがないのはおそらく、ジョージ・ミラーが「ハッピーフィート」などCGアニメを手がけたことも大きいのではないかと思う。カット割りやその他のテンポが「サンダードーム」の頃とは全然違っており、もちろん時代の流れもあれど、監督が70歳という年齢であることを考えると驚きでもある。
 後は凄惨な物語ではあるのだけれど、その凄惨な様子を具体的に描写しないところも大きい。実はこの映画は過度な人体損壊描写や女性が強姦される描写などがない。僕はあんまり「暴力描写こそ娯楽」みたいな意見には与したくないので、見せるところは見せるけど必要ない過剰な暴力までは見せない、というこの姿勢は評価したい。作られた世界に対して説明しないところも多いのだけど、決して「バカ大作」などではないのだ。
 公開前は男性団体が「フェミニズムすぎる」と抗議したというニュースなどを目にして「え?」って思ったのだけれど(女性団体が文句をつけることはあるかも、と思っていた)、案の定作品が公開されてからは「これは男のための映画、女子供はくるな」みたいな意見も目にしてうんざりした。「パシフィック・リム」とか「ガーディアンズ・オブ・ザ・ギャラクシー」の時とか定期的にこの手の輩が現れるのだけれど、特に今回はこの手の意見は「作品をきちんと見たのか?」ってところまで思い至って悲しくさせられます。「オレの映画」っていう個人的なカテゴリーはいいけど、「男のため」とか特定集団にカテゴライズしてそれ以外の属性をはじき出すような評価は百害あって一利無しだと思いますね。あと「この作品を楽しめない奴はおかしい」みたいな意見も作品の観客拡大になんの寄与もしないのでやめて欲しい。
 僕が好きな映画発のヒーローは「ニューヨーク1997」「エスケープ・フロム・LA」のスネーク・プリスケン、「ロボコップ」のマーフィー、そして「マッドマックス」のマックス・ロカタンスキーの3人なのだが、この3人はいずれも身体的にハンデを負う。「ロボコップ」のマーフィーがキリストを想起させるように描かれているのは有名だが、スネークもマックスも足を負傷し、引きずる。トム・ハーディの新マックスの場合、メル・ギブソンのマックスの特徴だった足を引きずる描写はない。しかし、幻影で頭を攻撃され、現実で頭を矢で狙われるがそれを手で防ぐ。一度死に、そしてよみがえる。その時にはマックスの左手には聖痕が刻まれる。世紀末救世主伝説としてのマックスはここに極まれり。新たな王・指導者はフュリオサだが、やはり救世主はマックスなのだ。

「マッドマックス 怒りのデス・ロード」オリジナル・サウンドトラック

「マッドマックス 怒りのデス・ロード」オリジナル・サウンドトラック

メイキング・オブ・マッドマックス 怒りのデス・ロ-ド

メイキング・オブ・マッドマックス 怒りのデス・ロ-ド

 本作はすでに続編が決まっていてタイトルは「MADMAX FURIOSA」。タイトルからシャーリーズ・セロンのフュリオサがよりフューチャーされた内容になりそう。これまでの3作は一作ごとに別の物語だったけれど、今度は直接「怒りのデス・ロード」から続く物語となるのだろうか。いずれにしろ「貧者のスターウォーズ」と呼ばれた路上の神話はまだ続くのだ。

*1:実際のところこれが本当なのか洗脳の結果なのか分からない。これまで実際に畳の上(比喩)で死んだウォーボーイがいたのだろうか?

*2:オーストラリア出身で、ずうっと刑務所にいた凶悪な男というギミックでWWEデビューしたがWWEのオーストラリア興行の際、ホームシックにかかってそのまま辞めてしまったという経歴。以降役者として「トロイ」や「トム・ヤン・クン」などで主に主人公の前に立ちふさがる巨漢として出演

ホラーの皮を被ったコメディ! ホーンズ 容疑者と告白の角

 新作が公開されるとシリーズの過去作だったり主演俳優の過去作だったり関連映画が地上波でも放送されることが多いけれど、あれできれば各局気ままに放送せず、ちゃんと企画をすりあわせて放送順を調整して欲しいものです。「アベンジャーズ:エイジ・オブ・ウルトロン」公開に合わせて6月26日に日テレで「アベンジャーズ」」が放送されるんですが次の27日にフジテレビで「アイアンマン」が放送されたりするんですよね。「マイティー・ソー ダーク・ワールド」や「キャプテン・アメリカ ウィンター・ソルジャー」はまだ無理としてもどうせならフジは「アイアンマン3」なんかを放送できればシリーズの順番的にも良かったと思うんですが(もちろんやらないよりは全然良いんですが)。
 以前「ハリー・ポッター」シリーズの最終作の公開時期だったかは本当に各局自由気ままにシリーズを放送していて順番がメチャクチャだったりしたもので色々制約はあるんだろうけど、もうちょっと融通して欲しいものです。それに比べるとこの間まで日テレで4週連続で「ハリー・ポッター」シリーズを「賢者の石」から「炎のゴブレット」まで順繰りに放送する企画というのは実はかなり優れた企画だったりするのです。来年は後半4作を連続放送するそうですよ。
 そんなハリー・ポッターといえばダニエル・ラドクリフ。シリーズのタイトルロールを演じ、子供から大人まで演じきったイギリスの俳優です。例えばリチャード・リンクレーターの「6歳のぼくが、おとなになるまで。」という実際の子役の成長に合わせて撮影したという映画が昨年話題になりましたが、個人的に「それだったらシリーズとしての『ハリー・ポッター』のほうが凄くね?」と思ったり、それでなくてもTVシリーズだったら最初のシーズンでは子供だったのが最終シーズンの頃にはすっかりと大人になって、とかは結構普通なのでそれほど制作過程そのものは凄いとは思わなかったりします(まあ僕は件の作品をまだ見ていないので内容については論評出来ないのですが)。
 で、本題に移るとダニエル・ラドクリフです。彼は子役として当たり役を得てしまったため、たくさんの俳優と同様そのイメージの呪縛から逃れようともがいています。ハーマイオニー役のエマ・ワトソンも結構苦労してイメージからな脱却を計った印象が有りますが、それとくらべても主役である彼は更に大変なはず。今回の作品はそんなダニエル・ラドクリフが「ハリー・ポッター」の呪縛から逃れるべく出演した作品とも言われています。アレクサンドル・アジャ監督「ホーンズ 容疑者と告白の角」を観賞。ちなみに劇場で観た前日はテレビで「ハリー・ポッターと秘密の部屋」見ました。

物語

 田舎町。恋人メリンダが殺されたイグはしかし自分が容疑者となっていることで喧騒といらだちの日々を送っている。ある時、彼の額には2本の角が生えていた。角が生えたその時から町に人々はイグの前では嘘がつけず、馬鹿正直になる。イグはその角の力を使って真犯人探しをすることを決意。これまで見えなかった人々の悪意や感情を目の当たりにしながら徐々に真実に近づいていくが…

 多分日本ではあんまりコメディーとしての売られ方はしてないと思うんですが、これはコメディーです。もしかしたら出演者もそうは思ってはいないかも。さすがに監督は「ピラニア3D」のアレクサンドル・アジャなので自覚があると思うけれど。例えばちょっと前なら脚本はそのままに「ブルース・オールマイティ」とか「ライアー・ライアー」みたいな路線でジム・キャリー主演でコメディ映画として撮られていてもおかしくない感じ。悪魔のような角が生えて真実を聞き出すことのできる主人、という設定は「一日だけ神様になった男」だとか「嘘がつけなくなった弁護士」だとかと共通する。だから作品の雰囲気としてはホラーやサスペンスの雰囲気を持っているけれど、本質はコメディだと思います。僕はディッド・ボウイの「HEROES」がかかるとそれだけで傑作認定してしまいがちで、本作でも流れるんだけど。多分「HEROES」が流れたシーンでこんなに笑ったのは多分初めて。
 ダニエル・ラドクリフは生真面目に演じているけれど、それ故にシモネタやゲスい部分が笑えるようになっていて、最初にかかりつけの医者に角を切断してもらおうと思って麻酔をして起きたら手術そっちのけで医者が看護婦とセックスしてるシーンとか、その「真実の告白」部分がかなりゲスいのであります。ここではかなり大きなモザイクが掛かって、多分これは日本独自の処理だと思うんだけど(他にもクライマックスの人体破壊シーンでカットがある)、不思議と「ドラゴン・タトゥーの女」のベッドシーンのモザイクと違って雰囲気を邪魔していないというか、むしろそのモザイクがバカらしさを強調していてこれは良かったように思います。「ドラゴン・タトゥーの女」のモザイクは自然な流れのベッドシーンのドラマをそのモザイクによって突然アダルトビデオを見せられているような異物感がありましたが、この作品では逆にその異物感がコメディ感を強調したというか。
 そもそもの設定がかなり馬鹿らしいので、真面目な作品と言うよりはコメディだと思ったほうが良いと思います。 

 ダニエル・ラドクリフハリー・ポッターからの脱却が出来たかは分かりませんが、ハリー・ポッターだったからこそ意味がある、というようなシーンも多くて、まず今回のイグ役はパーセルマウス(蛇語を解する者)です。後半になると真実を聞き出すだけでなく蛇を操って自分を嵌めたと思われるものに報復をしたり、三叉のフォークを持っていかにも悪魔という出で立ち。そもそも「イグ」という普通の英語の人名ではまずお目にかかれない名前もラブクラフトクトゥルフ神話に出てくる神性、蛇神イグを連想させます(イグはもっと長い名前の愛称で劇中でも出てきたと思うが忘れちゃった)。
 劇中ではイグたち主要人物の子供時代が時折挿入されますが、ここでは当然のことながら別の人物がダニエル・ラドクリフの子供の頃を演じています。中々ハンサムで利発そうなお子さんです。しかし、我々はダニエル・ラドクリフの実際の子供の頃をよく知っている身。観客の殆どがそうでしょう。さらに僕など前日に「秘密の部屋」でちっちゃい頃のダニエル・ラドクリフを見たばっかり。だからこのイグの子供時代に妙な「コレジャナイ感」を覚えてしまいます。
 最後は「レジェンド/光と闇の伝説」のティム・カリー演じる魔王のちょっとかわいい感じにまでなりますが、この辺、主役がハリー・ポッターだった!というのが上手いスパイスになっていて、他の俳優が演じていたら感じ方がかなり違ったではと思います。

 この映画、最後まで角が生えた原因・経緯については語られず、その超常現象的な部分には科学的にもオカルト的にも特に説明はありません。その辺もホラーであるとともにコメディぽさに貢献しているような。原作にはその辺書かれているのかしら。
 原作はジョー・ヒルという人で主に幻想文学の人。メイン州出身ということやそのルックスがスティーヴン・キングを彷彿とさせる・・・とおもったら本当にキングの息子です。言われるとちょっとキングと作風も似てるような。

ホーンズ 角 (小学館文庫)

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 ダニエル・ラドクリフが本作でハリー・ポッターのイメージから脱却できたかどうかは分かりませんが、新境地を開いたことは間違いなさそうです。といっても僕は劇場でラドクリフの作品見るのは「ハリー・ポッター」以外ではこれが初めてなんですが。

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 ヘザー・グラハムも出てるよ!

安心してください。脱いでますよ ブラックハット

 もうすぐ「アベンジャーズ エイジ・オブ・ウルトロン」も公開!というわけでもないが雷神ソーことクリス・ヘムスワース主演のサスペンス・アクション映画を鑑賞。もう殆ど公開終わっていると思うので感想も短めに。マイケル・マン監督の「ブラックハット」を観賞。

物語

 中国・香港でハッキングによって原発事故が発生。同時にアメリカでもハッキングがあり、こちらは大事故には至らなかったものの事態を考慮した両政府は共同で犯人の捜索に当たる。中国側の捜査責任者チェンは妹を伴って参加。学生時代の友人で凄腕ハッカー、今は獄中に居るハサウェイの協力を要請する。犯人はハサウェイがかつて作ったプログラムを利用していたからだ。やがて株式市場でもハッキングがあり、犯人は大儲けをした可能性が高い。ハサウェイたちは犯人を見つけるため世界中を飛び回る…

 タイトルの「ブラックハット」とはネットワークやコンピューターに攻撃を仕掛けるハッカーのことらしいのだけど劇中で一回出てきたぐらいであんまり映画の内容と繋がらない感じなので邦題は変えても良かったんじゃないかなあ、と思う次第。
 監督のマイケル・マンは骨太なアクション、サスペンス映画を撮ることで知られていて、アル・パチーノロバート・デ・ニーロの共演で注目された「ヒート」やダニエル・デイ・ルイスの「ラスト・オブ・モヒカン」などで知られている。TVドラマ「マイアミ・バイス」やその映画版でも有名ですね。
 一応コンピューターネットワークの犯罪を描いた映画だけれど、あんまり監督自身がその辺を描くつもりはないように感じた。例えば犯人がEnterキーを押した瞬間、信号が光となってコンピューター内部の回路を、ケーブルを、相手方のコンピューターの回路をたどっていく様子をカメラが追ったりするのだが、この辺、今となってはむしろ古い描写のような気もする。あんまりネットワーク犯罪の知的な部分は描かれず、下手をするとスマホとかなんでも可能な魔法のアイテムかのような描写も。
 僕自身ITなどの方面は疎いのでもしかしたらちゃんとした描写なのかもしれないけれど(最低限アドバイザーはいると思う)、やはりマイケル・マンはその辺に重きをおいておらず、一方で二度ほどある銃撃戦シーンは相変わらずで、特に二度目は太っちょのFBI捜査官がきちんと一発一発確実な射撃をする(一方で敵テロリストはとにかく乱射)ところとかマンの執念のこだわりを感じる。

  • 安心してください。脱いでますよ。


 最初にヘムズワースが凄腕ハッカーと聞いた時は、「あの脳筋ハッカー?!」と思ったのだが、実際あんまり凄腕ハッカーというコンピューター分野における知的な感じはしない。筋骨隆々の外見はいつもどおりだし、どちらかと言うとパソコンの腕前より実際に腕力使って解決するシーンのほうが印象に残る。
 こんな役柄だからその肉体美を披露することもないのかな、と思いきや、ベッドシーンはもちろん、雑誌を防弾チョッキ代わりに仕込んだりするシーンで上半身ヌードになるのできちんとソーにつながる肉体的なイメージは保ったまま。 

 この映画は中国とアメリカの合同捜査が描かれるが、その中国側の人物がチェン・ダーワイのチェン・リエンの美形兄妹。演じているのはワン・リーホンタン・ウェイ。はっきりってこの二人を主役として観たっていいんじゃないかと思うぐらい美男美女でまた善人。最近はハリウッド映画のアジア市場は日本より中国のほうがメインとなっていて、劇中でも中国人が出てくることが多かったり、実際に中国資本が参入していたりするのだが*1、この映画では不明。最もチェンは善玉だけど上司である中国政府と揉める描写もある。
 妹のリエンがヒロインとしてハサウェイと行動の多くを共にする他、ヘムズワースとのベッドシーンもあります。ヘムズワースと並んでも何ら遜色のないスタイルの良さ。仕事も出来て格好いいです。

 事件の発端が盛大な割に犯人の目的がしょぼいとか、気になるところもあるのだが、まあそれは作家性というところでもあってあんまり欠点ではないかも。最もこれをマイケル・マンの作品と認識して見ればの話だけれど。

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渡辺麻友写真集『まゆゆ』

渡辺麻友写真集『まゆゆ』

*1:「アイアンマン3」は中国特別編集版があり、「ルーパー」では中国資本の参入によってパリに行く主人公が上海に行くことに変更された。また「トランスフォーマー4」の後半が中国が舞台なのも似た理由による