自粛と消費は裏表
東日本大震災から一ヶ月近くが経ち、被災地はともかく直接関係ないところは日常に戻りつつある。それで出てきたのが「何でも自粛はいけない!」という意見。計画停電、節電に関連して電気の性質(貯めて置けない)を誤解して夜中の節電を要請したりして飲食店の営業がままならないことを持って「皆さん、外食してください!」というような意見を(主にネット上で)見かけるようになった。確かに理論上は消費が下がると逆に経済のためにとって悪い、というのは分かる。飲食店経営の人たちが「客が来てくれなくて困る」というのも分かる。
ただね、あんまり声高にそればかり(「こんな時だからこそ消費しろ!」)を聞かされてるといい加減うんざりしてくる(ネット上だとこちらの声の方が多い気がする)。普段(震災前から)外食をメインにしていた人は普通にその生活を続ければいい。自炊がメインだった人は自炊をすればいい。現代社会に生きてる以上、生きているだけで誰もが経済に参加している。自炊ってったってその食材は金を出して買っているんだぜ。まるで外食する人が偉くて自炊している人は経済をまわしていない、かのような言説は容認しがたい。
例えばこれは1995年の話。「そうだ、京都へ行こう」のCMは問題ないが「休みの日は人ごみで大変だから家でゆっくりしようよ」という缶コーヒーのCMは地方の旅館、旅行会社などからクレームが来て打ち切りになった。どこかが狂っているとしか思えない。僕は一つの考え方を強制することを強く嫌う。いろいろなことを自粛したくて旅行や娯楽をやめたという人が至って全然構わない。同様に旅行に行って贅沢をしようと構わない。被災地への援助も各々できる範囲でやればいい。そしてやらなくても文句は言わない。
僕の原発に対する考え方を述べておく。震災前は「必要悪」という考え方だった。いろいろ問題はあるだろう。いざ、問題が起きれば大変なことになるだろうけどまあ、まずないだろう。だから別にいいかな、と。ただ、関東の電力のために福島に原発があるのはおかしいとは思っていた。逆に言えば福島(東北)の人がまかなう分の電気を作るためならあっても別に構わない、とも思っていた。
震災後、一連の事件が起きて「今すぐは無理だろうけど徐々に原発に頼る発電はやめたほうがいいだろう」という考え方に変わった。別に全ての原発を直ちに廃炉にしろ、とか言う気はない。ただ、メンテナンスはかかさずしなければいけないだろうし、今後の新規設計はもう無理だろう。これまで同様にふんだんに電気を使えるようには二度とならないかもしれない。実を言うと今回の計画停電は少し新鮮で夜の町の派手派手な看板が灯りを消していたのはむしろ心地よかった。勿論色々と不便ではあったし防犯のために夜中も灯りは必要でもあるだろうけど。地域ごとではなく、ピンポイントで病院とか常に稼動していなくてはならない機械が入ってる工場とか必要なところだけ停電を止めて、とかは出来ないのだろうか。
今後は電気量に見合ったミニマムな経済活動がいいのかもしれない。
「自粛しろ!」も「消費しろ!」も同様な同調圧力、という意味で一緒。必要なのは日常生活を送ることであって何かを強制することではない。