The Spirit in the Bottle

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美と業の世界 利休にたずねよ

 年末年始はなんとなく普通の映画より、文芸大作や史劇の類を見たくなるのは僕だけだろうか。去年はそういうわけで「レ・ミゼラブル」を大晦日まで取って置いたし自宅では「大脱走」とかを見ていた。この年末年始はあんまりそういう史劇的な大作がないなあ、などと思っていたのだが、なんとかその替わりとなるような重厚な歴史映画を観ることができた。日本の茶道のパイオニア千利休を描いた「利休にたずねよ」を観賞。ちなみに大晦日に観た劇場納めの作品は「ハンガー・ゲーム2」でした(吹替で二回目)

 物語は天正19年(1591年)の秀吉の命令による利休の切腹直前から始まり、そこから前半は利休が信長に取り立てられ、やがて天下人となった秀吉の元、絶大な権威を誇るもやがて秀吉の勘気に触れ自害に追い込まれるまでを描く。再び現在(天正19年)に戻り、今度は更にさかのぼり利休の青年時代のある出来事を描く。
 なんどか書いているが僕は日本の歴史では豊臣秀吉という人物が嫌いで、それは彼が天下人となってから日本では珍しい位の暴君であるからだ。彼は過酷な増税、無意味な外征、そして理不尽な粛清と為政者としてやってはいけないことばかりやっている。もちろん天下を取るまでの百姓から天下人へ、という日本史上でもまれに見る出世物語は賞賛に値するし、人たらしの異名の通り、魅力的な人物でも合ったのだろう。それこそ中国の漢の高祖劉邦や明の太祖朱元璋に匹敵するのではないかとも思う。ただ、先に上げたような三大禍を鑑みると秀吉の死後豊臣政権が長く続かなかったのはある種当然で、徳川家康が簒奪したかのように言われることもあるが(それを言ったら秀吉も織田家の天下を奪ったのだが)、秀吉の死後は家康が天下を取って平和になるか、家康が失脚して天下を治められるだけの有力者がいなくなり再び天下が乱れる戦国乱世となるか、の二択だったと思う。個人的にあのまま豊臣家の天下の元で国がまとまることはないと思っている。
 僕が豊臣家の武将で好きなのは秀吉の弟、豊臣秀長で、極端な話この政治的にも人格的にも優れた弟がやはり天正19年(利休自害の約2ヶ月前)に死去した時点で豊臣政権はもう詰んでいでいた、と思う。実際秀吉の失政というか暴走は彼の死後に顕著なものとなる。ちなみに秀吉を劉邦に例えるなら、竹中半兵衛張良、2014年度の大河ドラマ主人公でもある黒田官兵衛韓信(陳平の方がいいかな)、そして豊臣秀長が蕭何にあたるだろう。更に話を飛ばすとよく五代十国時代の後周の世宗柴栄、宋の太祖趙匡胤、宋の太宗趙匡義の天下取りと日本の織田信長、秀吉、家康の天下取りと比することがあるが、個人的には明の太祖朱元璋、建文帝、永楽帝の流れを秀吉、秀頼、家康(あるいは年齢的に秀忠)に比べる方が近い気がしますね。
 で、話が大分明後日に行ってしまったが、そんな豊臣秀吉嫌いの僕であるが、では彼に殺されることになった千利休をどう思うかというと、実は彼のことも嫌いなのである。秀吉の黄金の茶室なども嫌いだが、利休の侘び寂びも好きにはなれない。例えば満開に咲いていた朝顔を一輪だけ残してほかは全て切り取ってあった、という逸話など不快感しか感じない。また彼は実際に政事にも深く関わっており、大友宗麟大坂城を訪れた際、豊臣秀長に「公儀のことは私に、内々のことは宗易(利休)に」と言われたという。我々は現在の茶道(主に利休の開拓した作法)を知っているか派手好みの秀吉の美意識と侘び寂びの利休の美意識が相反した結果、と思うが黄金の茶室も利休がプロデュースしたという説もあり、じつは表と裏ではあるがそこは使い分けでそんなに美意識部分での食い違いは無かったのではないか、と僕なんかは思う。
 もちろん僕の茶道の知識なんてたかが知れていてあのしち面倒臭い作法で茶を飲んで何が楽しいのか、と思ってしまうが*1実際のところ戦国時代末期に茶道の果たした役割は茶道を武家の嗜みとすることでそこでの茶器に領土並みにの価値をもたせたことだと思う。滝川一益が信長に戦功により領地を増やされた際、領土より茶器を欲しがったという逸話があるぐらいただの土塊に価値を見出した。裏切り者には徹底した態度をとる信長が松永久秀だけは2度も許し3度めの際も茶釜「平蜘蛛」と交換で許そうとしたというのは有名だ。そのぐらい茶器には価値が合った。とは言えこの松永久秀の場合、彼の才能を欲した信長が何とか彼が帰順し彼を許す口実のために茶器を利用したのかな、と思うけれど。
 また話がずれた。千利休は元々堺の商人出身だし、実際に茶器を通じて莫大な利益をあげていた、ともいいしかもその茶器の価値は彼の言い分によって決まるのだから、やがて秀吉が恐れ疎むようになったのもわからないでもない。少なくとも芸術に全てを捧げた聖人が時の権力者に翻弄されて殺された、というような見方はあまり正しくないのではないかなあ、と僕なんかは思うのだ*2。実際はかなり業の深い人だと思う。
 というわけで、僕は秀吉も利休も嫌いのなのだけれど、まあ映画に置いては当然ある程度利休に共感できるように作られています。映画は既にほぼ完成された利休の茶道と秀吉の価値観のすれ違いを描き、それが大茶会及び小田原攻めの際の利休の弟子、山上宗二の打首によって決定的にとなる。利休を責める理由として大徳寺山門の利休像と娘を秀吉の側室にという命令を拒否したという2つが劇中登場している。
 我々は既に秀吉と利休が決裂して利休が自害する結末を知っているので最初からドキドキして観ることもできる。更にここでこの物語独自の要素として利休が常に懐に入れ持ち歩いている高麗の陶磁器が関わってくる。利休を演じているのは市川海老蔵で若いころと違和感のない老けメイクで晩年までを重厚に演じている。

 後半は利休の若いころ、まだ後の落ち着いた様子とは別の茶道で身を立てることを目指す放蕩者として遊び歩いていた頃が描かれる。利休は売られてきた朝鮮の女性に惹かれ、彼女のために琉球出身の料理人に簡単な朝鮮語と料理を習い彼女の世話をする。しかし彼女が売り飛ばされる段階で彼女と逃亡を図るが結局彼女と心中を計るも自身は死にきれずに・・・という物語。この時高麗の女性から託されたのが後にずっと肌身離さず持っている器であった。
 この描写はもちろんこの物語独自のものであろうが、それで、例によって騒いでいる人たちがいるのだな。騒ぎの元となった記事は以下のものだと思われる。

海老蔵主演『利休にたずねよ』大コケ、業界評は「『モントリオール』を金で買った?」 - ライブドアニュース

 これが例によって2ちゃんねるまとめサイトなどに載ってどんどん広まっている。

同作は『モントリオール世界映画祭』で、最優秀芸術貢献賞を受賞。また海老蔵にとっては父親である市川團十郎との最後の共演作となったことも話題に。しかし長期に渡る宣伝も功を奏さず、また劇中での反日的表現に批判が殺到する事態になった。

海老蔵NHKをはじめ、民放の情報番組からバラエティまで宣伝出演を続けていますが、いずれも動員数アップには結びついていません。配給の東映も打つ手なしなのか、先日は『レディースデイの動員が、公開初日対比で101%を記録』という細かすぎる情報を打っている始末です」(週刊誌記者)

 さらにネットを中心に炎上を起こしているのが、異様な“韓国押し”だという。

「茶道の起源を朝鮮としたり、日本人が朝鮮人を拉致するなどのシーンについて、ネット上では『韓流ドラマだったか』『史実なわけがない』と非難が殺到。たとえストーリーが原作付きだったとしても、現在の日韓関係を理解していれば、批判が起こる内容は絶対に避けられたはず」(同)

 いや、あんた映画観てないだろ!どこにそんな「茶道の起源を朝鮮」なんて描写あったんだよ。原作の方は読んでいないがあれは普通に利休の若いころの体験が彼の美意識に影響を与えた、というだけだろ。別に高麗の女(名前はない)が利休に茶道を教えた、とかそんな描写があるわけでもない。「日本人が朝鮮人を拉致するなど」というシーンだってそこが具体的に描かれるわけではなく、人買いを通じて堺に送られてきた、というにとどまる。大体、これに関しては戦国時代の堺だよ。人身売買なんて普通にあったに決まってるじゃないか。当時の堺はそれなりの国際都市、日本はまだ鎖国していたわけでもない。日本人同士の間でも普通に人身売買が行われていたのだから何らかの形で(例えばこの高麗の女は李王朝につながる両班出身という設定だが、例えば李王朝内で政権抗争に敗れた一族の女性が何らかの形で複数の人買いを通して海を越えて(と言ったって近いもんだ))日本まで売られてきた可能性なんて普通にあると思う。戦国時代で日本人同士で激しく殺し合いやってた時代に「日本人はそんなことしない」とかおめでたい限りである。これに関しては完全に騒いでる方が馬鹿!と断言できる。
 別にこの映画を批判するのは構わない。好き嫌いで嫌いと思っても当然いい。でも劇中で描かれてないことで難癖つけて非難するのはあってはならないし、それに便乗する輩はもっと卑怯だ。
 例えば茶道にキリスト教の儀式の影響がある、という説もあるし、それこそ秀吉の朝鮮出兵で朝鮮の陶工が日本にやってくるまで国内のものより唐・高麗の物が上業物とされていたのは広く知られた事実だと思うのだけれど。
 僕は後半のこの利休の青春時代はたとえ架空だとしても利休が茶人として一皮むけるイニシエーションとしてよく出来ていたと思う。最初は「いまから青春時代に入るの?」とその構成にびっくりしたが見終わった後ではその大胆な構成も見事だったと思う。 

 僕は奥田瑛二が嫌いで最近では大森南朋に似た匂いを感じていたのだが、その嫌いな役者が嫌いな人物を演じているので余計に憎さ倍増!でも逆にそこまでやられると見事!と思うこともある。若いころの秀吉の人たらしの部分、そして天下人になってからの秀吉の傲慢な部分をうまく演じていた。出番は少しだが信長役の伊勢谷友介も文句無しの格好良さ。
 でもやはりここは利休役の市川海老蔵に止めを指すだろう。抑えた演技だがその重厚さは素晴らしい。市川團十郎との親子共演も見どころです。とにかく戦のシーンこそないけれど重厚さでは最近の時代劇では突出している印象で、時代劇や史劇が好きな人にはオススメです。

原作本。

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 最後にしてあんまり映画に触れていないけれど、今年はこれにてブログ更新は終了。まだTOHOフリーパスで観た映画だとか年内に観た映画で感想上げていないのも何本かあるので年明け徐々にアップしていきます。皆様当ブログを読んでいただいて大変ありがとうございました。来年もよろしくお願いします。それでは良いお年を!

*1:イギリスの紅茶作法みたいにどう淹れたら旨くなるかみたいな実践的なものならまだ分かるのだが

*2:この後徳川の時代に起きる大久保長安の事件が近いケースではないかな、と思ったりする