The Spirit in the Bottle

旧「小覇王の徒然はてな別館」です。movie,comics & more…!!!

日常が非日常になる時 この世界の片隅に

 今年は奇跡的な邦画の当たり年だそうで、「シン・ゴジラ」がヒットしたと思ったら次はアニメ映画「君の名は。」がそれを越える大ヒット。この2つは夏公開なのに今も上映が続いてますね。もちろん例年邦画のヒット作はあるのだけれど、ここまでロングランになったのって体感的には「もののけ姫」以来かも。他にも「貞子VS伽椰子」や「聲の形」などもヒットしているみたいです。
 ただ、残念なことに個人的にはあんまりその勢いには乗れずちょっとひねくれた状態が続いています。「シン・ゴジラ」は僕も劇場に観に行って面白かったけれど、応援上映とかああいうノリには至らず。というか僕はあの作品、登場人物で人類側には全く興味が湧かなかったんですよね。なのでゴジラの暴れぶりは観たいけれど人間ドラマに歓声を上げる見方は全くできなかった。「聲の形」は原作漫画は連載で読んではいたけど、アニメで観たいとは思わなかった。「貞子VS伽椰子」に至っては多分今年のワースト1です……
 また「君の名は。」は予告編の段階で、キャラクターデザイン、声優、音楽、予告編から伺える物語&演出のそのどれもが自分の感覚と惹かれ合うものがなかったのでどんなに話題になっていようとスルー。観ていないので何も言えませんが、アニメはこういう実際の良し悪し以前に絵で受け付けないとか多くて*1、「君の名は。」はそのどれもが当てはまってしまった感じ。もしかしたら観て大満足する可能性もあるけれど。ただ僕が11月半ばに劇場で入場券を買っている時に隣の窓口で80歳ぐらいのご婦人が「『君の名は。』一枚」とチケット買っていたので、「ああ本当に大ヒットしているんだなあ」と思い知った次第(真知子巻きの方の「君の名は」と間違えていないことを願う)。もちろん邦画のヒットは喜ばしいことです。
 で、そんな中、ツイッターのTLで話題になっていて、興味が触れたのが今回観に行った作品。「この世界の片隅に」を観賞。

物語

 1944年(昭和19年)広島市から呉の北條家に嫁いだ浦野すず。ちょっとのんびりしたところがあり失敗もいいけれど持ち前の性格から夫・周作の家族ともうまくやって細やかに幸せに暮らしていた。軍港である呉は米軍による空襲も多く、また徐々に生活も苦しくなっていく。すずも爆撃で右手と姪の晴海を失う。やがて昭和20年8月6日が…

 原作はこうの史代の2006年から2007年に連載された漫画作品。この感想を書いている時点ではまだ原作は読んでいないが熱心なファンを持つらしく、本作はクラウドファンディングで制作費を集め制作されたらしい。
 僕は映画になるまで存在を知らなかったので、ツイッターのTLでは漫画家等著名人が絶賛していたのを見て知った形。ただどうしてもこういう絶賛攻勢には身構えてしまうところもあって、特に邦画の場合著名人がそのまま原作者だったり制作者だったりの友人・身内だったりすることもあって、そのまま口コミが信用出来ない感じではあった。何しろ去年のことがあるからね。きっかけとなったのは次の漫画家とり・みきのツイート。


 自分はまさにこの「「観ねえ」と思うへそ曲がり」だったのだが、わりとこのツイートがきっかけで観に行った部分はあります(後は後述するけれど作品外のところの騒ぎもちょっと嫌だった)。
 なので、まあハードルあげて、ちょっと構えて観た部分はあったのだけれど、作品自体は悠々とこちらのハードルを飛び越える出来でした。

日常としての戦中とサスペンス


 実は最初キャラクターの絵柄を観た時にはこの原作者のこうの史代という人自体を知らなかったので「シャーロッキアン!」の池田邦彦の絵柄に似てるなあ、と思ったのだった。この人も戦後すぐぐらいの舞台を多く描いているし。ただ全然関係はないようですね。

 いわゆる太平洋戦争中を描いた作品だけれど、ことさらそれが強調されることもなく、基本は庶民の生活という日常を描きながら徐々に生活が戦争に侵食されていく。作中では生活が苦しくなっていくのは敗戦の1945年に入ってからという感じだが、日本軍の敗北がほぼ決まったミッドウェー海戦は1942年の6月なので、ここで止めておけば良かったのに、と思わずにはいられないのだが、軍港である呉というちょっと特殊な土地(空襲も多かっただろうが他の地域よりは優遇もされていただろう)を舞台に丁寧に日常が描かれていく。アニメーションであり記号的な表現(すずが失敗した時の表情とか)もあるがその日常描写が上手い。全く飽きない。また基本的に悪い人が登場せず、一見意地悪な小姑と思われた周作の姉なんかも実はいい人だ。
 事前に知っていたのは戦時中の広島を舞台にした物語、というぐらいで具体的なストーリーは知らなかったのだがなんかオープニングからちょっと涙腺がうるうる。最初はちょっとファンタジーだったりするのかな?と思ったりもしたのだがあくまで地に足の着いた描写が続く。戦前の呉での軍艦の解説とかちょっとマニアックな描写も。いわゆる軍国少年とかってそういう艦船の知識に詳しい少年って意味じゃないよな。
 その他、空襲や爆撃における描写とか動きのアニメーションとしても優れていると思う。主人公すずがナレーションも担当しているため、基本的には説明過多な印象もあるが、原作では説明あるところも省略されたりもしているらしい。途中すずが迷う地域が実は遊郭であるとか説明されないけれど、あれは別に原作読んでなくても分かるよなあ、とか思うのだけどどうなんだろう。

 そしてこの物語はカウントダウンの物語でもある。登場人物は知らないが、観客は昭和20年8月6日に何が起きるか知っている。この作品では細かく今が何年の何月何日か表示されるが、それは広島への原爆投下という最悪の事態へのカウントダウン。だから日常が平和であればあるほどその後やってくる悲劇との落差が際立つ。基本的に戦前の広島を舞台(の一つ)にした作品というだけでそこにサスペンスが生まれる。まさかその辺の知識を持たない観客を想定しているとも思えず日常系といいつつ、その辺は狙いだろう。

2つの政治的話題


 この作品僕が観る前には作品評価の本筋を離れて、主に2つのことで話題になっていた。ひとつは「これは単純な反戦映画ではない」というもの。玉音放送の直後すずは呉の町にひるがえる太極旗(李氏朝鮮の国旗で現在の大韓民国の国旗)を見るシーンがある。これは普通に日本の敗戦を知った朝鮮から来た人たちが日の丸を改造して手書きの太極旗を掲げ朝鮮半島の独立を祝ったことに由来する。ただそれだけなのだが、これを「朝鮮進駐軍の暴虐が始まることを暗示したシーン」みたいなことを言っている人たちがいて呆れてしまった。原作では右腕を失ったあとすずが米軍に「暴力で従えられると思うな」と言うシーンがあって、この太極旗を見た後で「暴力で従えとったということか」「じゃけえ暴力に屈するということかね」と言う台詞があるそうだ(僕は断片的にこのシーンの頁を見ただけで全体としては未読)。普通に考えたらこれは「自分たちは米軍の暴力の一方的な被害者のつもりでいたけれど、実は自分たちも別の誰か(この場合は植民地化した朝鮮半島)からみたら暴力の加害者だったのだ」ということを悟るシーンだろう。それを朝鮮進駐軍がどうこうというのは全く読解力が足りないと思わざるをえない。アニメの方では同様のシーンでの「暴力で〜」のすずの独白がないので「自分たちもまた加害者だった」というとこまでは読み取れないにしても少なくともあの太極旗一つで「朝鮮進駐軍」とか言っちゃうのは馬鹿らしいとしか思えない。というか朝鮮進駐軍ってデマですから!
 この作品は「はだしのゲン」みたいな戦前から主人公の父親が警察に捕まって暴行を受けたりするような作品ではないし「火垂るの墓」のように死を念入りに描く作品でもない。当時の庶民の日常を淡々と描いた作品だ。でも当時を忠実に描けば描くほど戦時中はロクデモナイ時代だったな、というのはわかると思う。
 毎年8月になると戦中戦後を描いたドラマなどが多く作られるが、確かに現代的目線のものは多い。でもね、別に戦国時代じゃない、わずか70年ほど前のことなんだから一般市民の感覚がそう異なるわけでもない。当時が困難な時代だったのは確かなので普通に描けば「もう二度とあんな戦争やあんな戦争を是とする時代は嫌だな」と思うものだと思う。問題は日本人が(ドラマなどで)あの時代を振り返る時、もっぱら被害者としての意識ばかりで加害者視点を持たないことだろう。すずが自分もまた加害者であると知らなかったように。
 どっちにしろこの作品が「反戦映画ではない」などというのは馬鹿らしいとしか思えない。戦争や戦争下の生活を忠実に描いた優れた作品は全て「反戦映画」である。そしてそれは優れた娯楽作品であることと矛盾しないのだ。

 もう一つはすずの声を担当したのん(能年玲奈)の件。ナレーションも担当した本作では抜群の出来でした。本作は声の演技となるわけだが、上手いとか下手といいうよりも役者と役柄が一体化してそれで上手くいったパターンだろう。元々この人は憑依型の演技者というかアドリブは全く利かないが、脚本に書かれたことはどんなに困難な役であってもきっちりやり遂げるというイメージ。それでも声優としては声の印象も強く残るのでどんな役でもこなせるというよりはのんとすずがぴったり一体化したのだろう。その意味でははまり役。
 この「のん(能年玲奈)」と言う表記から分かる通り彼女は元々本名で活動していたが、この「この世界の片隅に」から「のん」名義となった。この件には「あまちゃん」でブレイク後に発生した事務所移籍騒動がある。なので「本名が使えないのは事務所(レプロ)の横槍だ」という意見があったりするのだが、この騒動自体はどっちが一方的に悪いとは言えない気がする。芸名が使えないから本名でというならともかく(加勢大周とか芸名を巡る騒動は過去にもあった)、本名の使用禁止などという横槍を今どきするだろうか?単に心機一転といったほうがいいのではないだろうか。
 TVではこの映画の宣伝が一切なされていない、という意見もあって、それもこの騒動で干されているからだ、という意見も見た。僕は情報番組のたぐいはほとんど見ないので本当にTVに露出が一切ないのかは分からないけれど、週刊誌など雑誌のたぐいでは普通に見かけたのでそれほど干されているとかNG案件になっているとかいう印象はない。大体この規模の邦画ならもとより宣伝なんてこんなもんじゃないかなあ、という気もする(もちろんTVのほうが雑誌より権力におもねりやすいということはあるだろう)。こう書くと一方的にレプロの肩ばかり持っているように思えるかもしれないが(元アイドリング!!!菊地亜美大川藍の他にも清水富美加9nineベイビーレイズJAPANなど好きなタレント、アイドルにレプロ所属の人が多いというのは確かにある)、無理にこの件をぶり返してレプロを攻撃する形で本作やのんさんを応援してもあまり本作のためにはならない気がするのだ。もちろん本編とは一切関係ないわけだし。本当に干されているのならそれはそれで問題にすればいいのだしせっかく心機一転新しい芸名で歩みだしたのんの邪魔にしかならないのでは?と思う。
 娯楽作品に政治を持ち込むな、というのはよく言われたりするが(主に右側から)、本作に限れば戦争は悲惨だ、とかそういう反戦的な部分は政治以前の段階だろう。むしろこの作品を観て「反戦映画じゃない」とかいう方が映画に政治を持ち込んでいると思う。そしてこの作品から離れた部分での過剰な主演女優擁護や映画が宣伝されてないといった被害者的立場もまたいらない政治の持ち込みだ。作品自体は最高によく出来ているのでそういう部分で揉めるのは残念だと思う。

原爆

 長い余談。僕の地元福島県福島市は戦時中一発だけ爆弾が落ちた。その一発は市内でもまさに祖父母の家の近くに落ち、爆弾の破片は寺に展示してあって、子供の頃はその破片を持てるかどうかで力比べ等をしたものだ。子供の頃は郡山など周辺都市と比べても一発だけというのがむしろ笑いの対象となっていたりしたのだが、近年実はその一発の爆弾が模擬原爆だったことが判明。長崎に落とされたものと同型のものであることが分かった。死者は一名。畑仕事をしていた少年だ。だだっ広い田畑に落ちたため大きな被害はなかった。僕の父は昭和11年生まれ。多分「この世界の片隅に」における晴海ちゃんと同い年ぐらいだろう。そしてもしかしたら亡くなった少年は父だったかもしれない。少なくとも本当の原爆だったならほぼ亡くなっていただろう。そんなことも思い出したりした。

この世界の片隅に 中 (アクションコミックス)

この世界の片隅に 中 (アクションコミックス)

この世界の片隅に 下 (アクションコミックス)

この世界の片隅に 下 (アクションコミックス)

この世界の片隅に 劇場アニメ公式ガイドブック

この世界の片隅に 劇場アニメ公式ガイドブック

*1:実写映画でも美術などでありえないわけではないんだけどアニメに比べるとこのへんの敷居は低い