The Spirit in the Bottle

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心霊衰弱の密かな愉しみ 残穢―住んではいけない部屋―

 あれは一週間前のことでございました。私はちょっと体の調子が悪いなあ、と思いつつ、「調子が悪い日はこってりラーメンだ!」とお昼にラーメンの大盛を食べ、おやつに脂っこい鶏皮煎餅を。そして夜はキムチ肉野菜炒めを食べ、読書。ここしばらくずっと読んでいた本を読了して眠りについたのでした。あんな恐ろしいことが起きるとは露ほども思わずに……
 その本の名は小野不由美の「残穢」。先に映画を観て、それが面白かったので原作小説も買ったのだった。というかこの作品に関しては以前夢中になって一気に読みした「屍鬼」の小野不由美初の実写映画化、ということで物語的な心配は一切していなくて、ただ劇場で映画の予告編を先に観たので映画を観てから原作を読もうと最初から決めていた(原作が発売されていたのは不勉強ながら知らなかった)。小野不由美の原作のホラー映画「残穢―住んではいけない部屋―」を鑑賞。

物語

 2012年、作家である「私」は、読者から送られてきた不思議体験を元に小説かする、という企画を行っている。ある時「私」のもとに大学で建築を学ぶ「久保さん(仮名)」から体験談が送られてくる。それは久保さんが住むマンションの和室で変な物音がする、というもの。畳を箒で掃くような音。2通目では久保さんは和室を開けた表紙に着物の帯のようなものを見たという。久保さんは着物の帯が解けた状態で首吊り自殺をした人が振り子のように揺れその度に帯が畳を擦る音が正体ではないかと言う。「私」が興味を示したのは、過去に同じ岡谷マンションの別の部屋に住む住人から似たような内容の体験談が送られて来ていたからだ。しかしその部屋と久保さんの住む部屋は階も違えば、縦にも横にも並んではおらず、同じマンションというぐらいしか共通点がない。しかもこのマンションで過去に自殺はもちろん事件などは起きていないのだ。「私」と久保さんはちょっとづつアパートとその敷地について調べていく…

 監督は中村義洋、脚本は鈴木謙一。「ゴールデンスランパー」のコンビ。他にもホラー映画を手がけている。
 ジャンルとしては広義の幽霊屋敷ものって感じだろうか。この作品面白かったけど、ただ怖くはなかったかな。ホラー映画の、特に心霊ホラー系だと毎回書いているが、僕はフィクションの題材としては幽霊だとか超常現象は大好きだけど、実際のものとしてはまったく信じていない。まあ好き好んで事故物件を借りたりもしないけれど、そういうのも特に気にはならなかったり、という感じだろうか。ちなみに学生の時僕が住んでいた地域は、地名の由来がその昔(それが江戸時代なのか、それよりもっと前なのか忘れたけれど)処刑場の近くで処刑された死体を捨てる場所だったことに由来したりします。他にも処刑に使用した道具を洗うことに由来した地名なんかも有りましたな。
 もちろん普段一人暮らしなんかしていると、部屋の中に何か別の存在を感知することなんかもあるわけです。単に部屋の外からする音だったり、スーパーのレジ袋が何かの拍子に動いた音だったり、あるいはTVを見ている時でもTVの明かりが書物のカバーの光沢に反射してそれが動いているようにびっくりしたり。でもそういう時何が怖いかって僕の場合、幽霊よりもGの存在なわけですね。別に汚い暮らしをしているわけではないけれど、夏場なんかは特にGが出る可能性は常にあるわけで。幽霊はいるかどうか分からないけれどGは確実にいる!これを恐怖と言わずして何を恐怖といわんや!そういうわけで自分しかいないはずの部屋で何かを感じる、と言うのは別段不思議なことではないけれど、それにどこまで心霊ホラーとしてリアリティを持てるか、というのが難しいのですね。
 原作の方はノンフィクションぽい筆致で書かれていて、「私」のモデルは小野不由美自身だろうし、実在の人物として黒史郎平山夢明が出てくる。物語も実際の心霊描写はほぼ伝聞にとどまっていて、「私」の眼の前で展開することはないし、最後まで淡々としてそれが現実味を帯びている。また映画より原作のほうが舞台となる場所ももうちょっと広く複雑になっているし、調査する期間も長く取ってある(映画は2012年から2014年の2年間だが、原作は2001年から2009年)。映画の方はそうも行かないのでもうちょっと心霊描写もあるのだけれどいわゆるJホラーとしては、かなり蛋白な印象を持つと思う。
 個人的にはこの作品の面白さはそういう心霊、タイトルにもなっている「残留した穢れ」という部分よりも、どちらかと言うとミステリーに近い謎解きの部分にあると思った次第。もちろん純粋に全てに説明が行く推理もの、というわけではないですが、劇中で提示されたパーツが全てキレイに枠の中に収まって隠された絵が現れる愉しみとでもいいましょうか。
 あるいはトランプの神経衰弱の愉しみ方に似ているかもしれない。最初はめくる度に違う事柄が出てくるが、何度もいろんなカードをめくる度、同じ数字のカードがペアとなって徐々に場からカードが減っていく。久保さんの部屋で感知された畳を箒で掃くような音、の正体が1958年の首吊り自殺とペアになる、とか、久保さんの隣に引っ越してきた家族が悩まされたいたずら電話が、1987年頃の住人に起因してまたペアとなる。今度はその自殺の原因と思われる事象がまた出てきてペアとなる、と言った具合。そしてどんどん土地の歴史を遡っていって最後に残ったカードは……
 この現在起きている事象が過去を調査することでどんどん関連付けられていくそれはそれで興奮するところはありました。

 映画も原作も途中からその恐怖の源となる穢れが九州の炭鉱が発症、という展開になっていく。個人的にはこの辺は残念で、どうせならどこまでさかのぼっても構わないからあくまで岡谷マンションの土地に限定して欲しかった。というか「リング」や特に「呪怨」にその傾向が強いけれど、呪いがどこまでも拡大すると逆に怖くない。映画の副題は「住んではいけない部屋」だが、これでこの岡谷マンションの物語が穢れの枝に過ぎず、北九州を本家としてどんどん日本中に呪いが広がっていくのではもう、「住んではいけない部屋」ってレベルではなく「住んではいけない土地」レベル。
 役者は「私」に竹内結子。程よく地味で淡々とした語り口も合っている。「久保さん」は橋本愛。今回はいわば探偵(あるいは探偵の相棒)役なので同じホラー映画でも「アナザー」とかとは全然雰囲気は違う「普通の人」なのだけれど、こちらも良かったです。二人とも芯の強さを感じさせるのでこれまた、恐怖というより好奇心が優先する探偵ものっぽい感じがあります。途中から平山夢明をモデルとした佐々木蔵之介演じる平岡芳明という人物なんかが加わって徐々にピースが揃っていく。淡々とした女性二人と飄々とした佐々木蔵之介の組み合わせは良かったですね。

 原作の方はラストも淡々として、直接的な被害はあくまで伝聞の伝聞ぐらいの感じなのだけれど、映画ではラストにガッツリ見せてしまう。訳あり物件は安いから!と借りた青年の枕元に自殺した男性が立つシーンは、一応原作でもあるシーン(ただ原作では中盤で入居者が居着かない(死ぬわけではない)ので大家さんが貸し出し物件にしないで倉庫にする、というエピソード)だがあんまり効果的ではなく蛇足のような気がした。もう一つの編集部の人間、それも一番物語への関わりが低い人が職場で仕事してたら大変なことに!ってラストは絵的にはクライマックスだし、最後に一回ぐらいはオバケ出さなきゃってことなのかもしれないけど、むしろ笑ってしまったぐらいだった。この映画はその辺期待するところではない気がするし、原作を読んだあとだと特に無駄なシーンに見えてしまったなあ。びっくりはしたけれど怖くはなかった。いわゆるクリーチャーの造形としても決してレベルが高いわけでもなく、あれは要らなかったと思う。原作はゾクッとする部分もたくさんあったんですが。

残穢 (新潮文庫)

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鬼談百景 (角川文庫)

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 原作と劇中の「私」が手がけたのであろう不思議体験の投稿を元にした短篇集。

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 英文学やシェイクスピア研究をされている北村紗衣氏( @Cristoforou id:saebou )による「バズ・ラーマン論」です。ツイッターで僕がテーマをリクエストしたのを取り上げて頂きました。ので全然映画のジャンル関係ないけど宣伝!バズ・ラーマンは僕も大好きな監督なので是非読んでみてください!

*1:結果としてちょっとダイエットして部分的にはむしろ体調良くなったところもあります