The Spirit in the Bottle

旧「小覇王の徒然はてな別館」です。movie,comics & more…!!!

死のメソッド(演技) バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)

 1960年の映画「サイコ」の制作裏側を描いた映画「ヒッチコック」で興味深かったのはジェームズ・ダーシー演じるアンソニー・パーキンス(ノーマン・ベイツ)がアンソニー・ホプキンスが演じるヒッチコックに対し、詳しくノーマン・ベイツのキャラクターを知ろうと質問をする。その時ヒッチコックは「ただ脚本通り演じればいいんだよ」と必要以上に役を知ろうとするパーキンスをやんわりたしなめるシーンだ。(もちろん全部が全部ではないが)一般的にアメリカの俳優はその役になりきるために役の(劇中関係ない)経歴を全部知ろうとしたり、例えば警官の役だったら実際に警官に体験取材したり、あるいは私生活でも役になりきったまま過ごす、などといった役作りをして(外見的な肉体改造はもちろん)役と自分とを近づける。一方で演劇の歴史の長いイギリスの俳優はあくまで脚本から抽出して役作りをし、必要以上に役と自分を融合しない。アメリカの俳優に多く見られる演技の仕方は一般に「メソッド演技」と呼ばれるものでこの「ヒッチコック」のシーンはアメリカの俳優のそういう方針をイギリス出身のヒッチコックが(そして演じたアンソニー・ホプキンスもメソッド演技否定派として知られる)が否定する象徴的なシーンとも言えるだろう。なんでこんな書き出しから始めたのかというと、今回観た(といってももう1ヶ月以上経つのだけれど)「バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)」を見て思い出したのが「ヒッチコック」だったり、あるいは自分のメソッド演技に対する嫌悪感みたいなものが沸き立ってきたからだ。「バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)」を観賞。

物語

 かつて「バードマン」というスーパーヒーロー映画シリーズでタイトルロールを演じ一世を風靡したリーガン・トムソン。しかし現在はヒットに恵まれず、「バードマンのみの俳優」と思われている。そんな彼が一念発起で企画したのが自分の演出/主演でブロードウェイ舞台としてレイモンド・カーヴァーの「愛について語るときに我々の語ること」を公演することだった。
 しかし、舞台にトラブルはつきもの。共演の男優は練習中に事故に遭い降板。代わりにやってきたマイクは演技は素晴らしい物の自分勝手で酒を飲むシーンでは実際の酒を飲まなきゃ暴れるようなヤクネタ俳優だ。プレビュー好演は散々に終わり、やがてリーガンにはバードマンに扮したもう一人の自分の声に悩まされるようになる…

 原題は「Birdman or The Unexpected Virtue of Ignorance」で邦題もほぼそのまま直訳したもの。この手の長いタイトルはやはりキューブリックの「博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか」を思わせますね。最初はマイケル・キートンがかつて「バードマン」として一世を風靡した俳優として主演、と聞いて、「ギャラクシー・クエスト」的なヒーローものかと思ったり、あるいは「トロピック・サンダー」だったりもしたのだけれど、実際は「ブラックスワン」とかに近いタイプの映画だった。「ブラックスワン」が実際のバレエとは異なるようにこの「バードマン」も実際のブロードウェイの舞台とは大分異なるのだろう。「バードマン」と聞いて思い出すのは例えば藤子不二雄の「パーマン」に出てくるバードマンだったり(実は最初はスーパーマンそのものだった)、あるいはDCコミックスホークマンホークガールだったり。また「ウォッチメン」に出てきたナイトオウル2世を連想した人もいるだろう。ただやはり一番最初に思い浮かべるのは1989年の「バットマン」である。マイケル・キートンブルース・ウェイン=バットマンを演じたこの作品は当初キートンバットマン役には合わないということで大規模な反対運動まで起きたことは有名だ。しかしいざ映画が公開されるとピタリと批判は止み、ヒーローの中に狂気を抱いた演技は高く評価された。以降、映画シリーズでバットマンを演じた俳優は多くいるが今でも真っ先にバットマンマイケル・キートンで固定されている人も多いと思う*1。このキートンの経歴がそのままリーガンのキャラクターに生かされているのは間違いないだろう。また実際は「バットマン」ではなくTVシリーズの「スーパーマン」でスーパーマンを演じしかしそのイメージから逃れることが出来ず自殺したジョージ・リーヴスこそモデルとも*2
 だから例えばミッキー・ロークが「レスラー」や「シン・シティ」で、あるいはロバート・ダウニーJrが「アイアンマン」で自分のキャリアと役柄を重ねあわせて見事な復帰を遂げた、と言われるように、この「バードマン」でマイケル・キートンも自分の過去キャリアと払拭した!というようなことを言われたりするが、個人的にはあんまりこの意見には与したくはない。というのもキートンは確かに大ブレイクしたのは「バットマン」かも知れないが、それ以前にもキャリアがあり(そもそも反対運動が起きたのは新人だからではなくそれまでのキートンのキャリアが主に狂気的なコメディ演技で知られていたからである)、さらに「バットマン」と「バットマン・リターンズ」でバットマンシリーズを降板した後も特にキャリアに陰りが見られるということもないからである。そりゃ主演作品こそ少ないかも知れないが、性格俳優としてしっかりコンスタントに出演し続けておりスランプだった、というようなイメージはない。
 ここでのキートンは最初からおっさん臭さを全開に、その狂気をはらんだ表情はいつもの通り。

 漫画家の荒木飛呂彦は自分の創造したキャラクターの詳細な履歴書を創作してキャラクターの行動に統一感を出しているというし、ディーン・クーンツも実際には作中にはまったく登場しないところまで含めてキャラクターの経歴を考えておくべき、と言っている。これらもあるいは創作における「メソッド演技」といってもいいのかもしれない。もっとも一人の人物になりきる役者のそれと創造主としてすべてをコントロールするべくそれらを備えておく作家とではまた別なのかもしれないが。
 実際の舞台の世界のことは詳しくは分からないが、この映画で演技の天才とされるマイクを演じるエドワート・ノートンはいわゆるメソッド演技に近いアプローチをする人だと思う。ある種の天才ではあるがそれ故毎回脚本や演出にも口出しし結果トラブルになることも多いと聞く(1作のみで降板した「インクレディブル・ハルク」でもそういうことがあったらしい)。だからここでもマイクのキャラにエドワート・ノートン自身を重ねることも可能だろう。ただ、劇中で酒を飲むシーンでは実際に酒を飲むとか、ベッドシーンで興奮して勃起したとか(私生活ではインポテンツという設定)、これを演技の天才と言われるとこちらは素人ながら首をひねらざるをえない。実際の演技の天才とは酒を飲まずとも酔っているように見せ、あるいは勃起せずとも官能的なベッドシーンを演じてみせる人のことではないか?こういうシーンが挿入されるたび「メソッド演技はクソだな!」という想いを強くしてしまう。
 例えば漫画家を主人公にした物語では締め切りの恐怖が描かれたり、あるいはボクシングものでは減量の苦しみが描写されるのがお約束だったりするように役者の舞台裏を描く物語は役者がメソッド演技を追求する様子が描かれるのが多い。例えば役者が刑事の役作りをするため実際の刑事に体験取材してたら本当の事件に巻き込まれて…みたいなコメディ映画もあった。締め切り、減量、メソッド演技、それらは必ずしもその職業に取って絶対不可避なものではないにも関わらず多用されるのはそれがドラマを作る上で分かりやすいからに過ぎない。
 もちろん、実際にどういう役作りをするか、というのは俳優それぞれによるもので出来上がりが素晴らしければ過程は問わないけれどメソッド演技で苦しんでるところなどを見せられてもなあ、という感じ。

 監督はアレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ。メキシコ出身の映画監督ということであるいは明らかに間違ったブロードウェイ描写などは狙ったものかも知れない(脚本も担当)。映画はクライマックスまでワンカットでつないでいるように見せている。実際はうまく扉などでカット割りされているし、時間の進み具合と映画の進み具合が一緒というわけでもなくワンシーンワンカットはあくまで「それっぽく見せている」だけなので、凄いと思う一方、単なるこれみよがしな映像テクニックにすぎない、という意見もあるだろう。個人的にはそれほど映画の中で効果的ではなかったかな、と思う。一服するつもりが締め出されて、ブリーフ一丁でニューヨークのタイムズスクウェアを大観衆の中歩きそのまま劇場に突入するシーンなんかは効果抜群だったけれど。後はこのワンシーンワンカット最初はカメラマンが居るのかな(要するにPOV)、と思ったりもしたのだけれど(最初の方にカメラに向かって話しかける?シーンがある)その辺はどうも違うようだ。
 ドッペルゲンガー的にバードマンがリーガンに話しかけたり、あるいはリーガンがまるで超能力の持ち主であるかのように見せるシーンなどはあんまりフェアではないかなという気もする。演出全体としては技術的に凄いとは思ったけれどあまりにテクニカルすぎて、感情に訴えるところはなかった。

 ナオミ・ワッツとアンドレア・ライズボローが突然のレズプレイに走るのもイマイチ唐突過ぎた。ナオミ・ワッツはブロードウェイの初舞台の女優という役だったが、これは「キング・コング」のアン・ダロウ役とも重なるのか。
 リーガンの娘にエマ・ストーン。リーガンのマネージャーでもあり、薬物中毒からリハビリ中という役柄で「マジック・イン・ムーンライト」よりちょっとやさぐれたエマ・ストーンのイメージには近いかも。

 事前に期待したよりはあんまりな印象の作品でもありました。これは「バードマン」というヒーロー映画に出てたという設定があくまで過去のヒット作という意味でしかなく、単にアメリカのコミック原作の超大作という揶揄の対象としての描写にとどまっているからだろう。劇中にマイケル・ファスベンダーやロバート・ダウニーJrやジェレミー・レナーなどが実名で言及されるもののいずれも実力がありながらアメコミ映画なんかに出てる俳優、という感じなのでアメコミ映画を愛するものとしてはちょっとなあ…という想いが残るのであった。

*1:1989年当時バットマンの実写版で真っ先に連想されるのはTVシリーズで演じたアダム・ウェストで、ここの比較で否定されたりしていたものだが、現在は先にキートンとの比較で新しいバットマン俳優を批判する人もいt\るのだから全ては時の流れに左右されるのだ

*2:ちなみに新作「スーパーマンVSバットマン」でバットマンを演じるベン・アフレックジョージ・リーヴスの死の謎を描いた「ハリウッド・ランド」でリーヴスを演じていて劇中では当然スーパーマンの格好で演じるシーンも有るため、バットマンとスーパーマンの両方を演じた(更に言うならマーベルのデアデビルも)おそらく唯一の俳優である