The Spirit in the Bottle

旧「小覇王の徒然はてな別館」です。movie,comics & more…!!!

マジックは不在。ただウディ・アレンの欲望に忠実なファンタジーがあるだけ マジック・イン・ムーンライト

 どんな作品かさっぱり把握していなかったけれどエマ・ストーンが出ている!その一点で観に行った作品。ウディ・アレンの監督最新作「マジック・イン・ムーンライト」を観賞。正直ウディ・アレンは苦手です。

物語

 1928年、辮髪のカツラに泥鰌髭を付けて中国人マジシャンとして有名なスタンリーはベルリンでの興行の後、マジシャン仲間のハワードからとある依頼を受ける。南仏に住むアメリカ人富豪夫婦からの依頼で、母親と弟が霊能力者を名乗る女性に入れ込んでいるという。夫婦から本当の霊能力者なのか検証を依頼されたが、ハワードには見抜けなかった。そこでスタンリーに頼みたいと。
 南仏に行ったスタンリーはその自称霊能力者、ソフィーと出会う。ソフィーはスタンリーの過去を言い当て、交霊会でもトリックを発見できなかった。スタンリーもソフィーを信じ始めるが…

 ウディ・アレンは初期の俳優としての作品は好きなのもあるんだけれど、監督作品はどうも苦手ですね。今回はエマ・ストーンが出ているというだけの情報で観に行って、映画が始まるとどうやら「マジシャンによるインチキ超常現象を暴く物語」と知ってちょっとワクワクしたのですが、そこはウディ・アレンの作品であって、「レッドライト」や「プレステージ」みたいな本格的な「超常現象バスター」や「マジシャン同士の愛憎」という物語ではなくあくまで恋愛描写のちょっとした味付け、という感じです。作品自体はまったく軽く、それなりに面白かったのですが、それ故か逆に引っかかるところがいくつかありました。それで逆にウディ・アレンの嫌な部分が再認識してしまった感もあり。
 主演はコリン・ファース。人付き合いの悪い嫌味な厭世家ですが、そのへんの嫌な部分はコリン・ファース自身の魅力に拠って緩和されています。
 エマ・ストーンは霊能力者を自称する女性ソフィーを演じていますが後述するように役柄にしてはあまりに純朴な感じに描かれていて疑問が残ります。エマ・ストーン自身は相変わらず魅力的ですが1928年という時代設定の人物としてはあんまり時代性は感じられず普通に現代の少女だなあ、という感じ。
 ほかにハワード役のサイモン・マクバーニーがルックス的にはウディ・アレンが反映されているのでしょうか。ソフィーのステージママとでもいうのか母親役に「ミスト」のかモーディー夫人ことマーシャ・ゲイ・ハーデン。ただマーシャ・ゲイ・ハーデンを起用していてこの役柄なのに扱いはもったいなかったような気がします。この設定ならもっと前面に出てきて、真実が判明したあと本来ソフィーが受ける悪意を一身に集める悪役としての役柄であっても良かったのではないかと思います。

 1928年はハリー・フーディーニが亡くなった2年後で、おそらくこのスタンリーのモデルもフーディーニだと思われます。フーディーニは稀代のマジシャンでその代表的な奇術は脱出。自分を鎖でしばった状態で様々な難所から脱出し世間を驚愕させました。ジョン・メリエス同様マジシャンから転向して初期の映画に於けるドラマとしての映画を確立した一人でもあります。また彼は霊能力者や超能力者といった超常現象をマジシャンの立場から次々暴いていった超常現象バスターの走りでもあって、そのきっかけが母の死によって一時的に超常現象に傾倒したけれど冷静に観たらインチキばかりだったから、というあたりやはりスタンリーのモデルと言っていいでしょう。最後は妻に「もし死後の世界があれば何らかの方法で伝える」と言っていたらしいのですが結局死後の世界など無いのかフーディーニのメッセージが送られてくることはなかったのでした。


 映画はマジシャンとしての実力をスタンリーにはかなわないと引け目を感じていたハワードがソフィー親子と協力して仕組んだ詐欺であったという展開を迎ますが、この映画は超常現象の有無ではなくあくまで恋愛ものなので映画は続きます。でも僕的にはここからいよいよウディ・アレンのどす黒い欲望が見えてくる感じですね。

 僕が最初の段階で、「超常現象を暴く物語」と思ってしまったせいもあるのでしょうが、恋愛ものとしてもいささかご都合主義な部分が見られます。まずエマ・ストーンコリン・ファースもキュートで魅力的だったのですが、この二人が恋愛関係に陥るカップルとしてはかなり年齢差があります。もちろん実際に年齢差のあるカップルは珍しくないし、例えば(ヴァンパイアという設定とはいえ)「オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライヴ」のティルダ・スウィントントム・ヒドルストンの20歳差カップルのようにルックス的に年齢差を感じさせない場合もあります。でもコリン・ファースはいくら魅力的でも普通に役者の実年齢通り50代にしか見えないし役の設定もおそらくそのくらいでしょう。エマ・ストーンも20代で(劇中のやりとりからも設定も20代)、しかも映画の中ではまだ10代の少女のような雰囲気さえあります。この二人がカップルとして成立するのにそこに年齢差をエクスキューズするシーンが無いんですね。またスタンリーは厭世家で基本的に人を信じず、傲慢なキャラクターですがそれ自体は全然良い、ただ良い人出あるよりはよほど魅力的にできる設定だと思うんですが、やっと互いの価値観を見いだせる女性と婚約しているにも関わらずソフィーを好きになったからとあっさり婚約者を捨て、しかもそれを(劇中ではそのシーンはない)電話で済ませます。さらにまずはソフィーのほうがスタンリーを好きになり、好意を寄せられていると知って自分も意識し始めるという始まり方なのですね。この男に都合のいい、かなり酷い事をしているにもかかわらず罪悪感を感じないキャラは実はかなりウディ・アレンの自身の価値観が反映されていると思っていいのではないのでしょうか。(外見的にはハワードこそウディ・アレンぽいのだけれど)
 ウディ・アレンは映画人としての才能は確かですが、一男性としてはかなり最低な部類に入る人物です。なんといっても交際相手の養女に手を出して結婚したという人です。血のつながりこそ無くても後見人的な立場の人物が被後見人に手を出したというだけでクズです。この「マジック・イン・ムーンライト」はそんなウディ・アレンの願望がだだ漏れした作品とも言えるのではないでしょうか。はるか年下の女性が一方的に好きになってくれる、そのために自分が現在交際している相手を捨てても特に責められることもない。こんな男にとって都合のいい話はありません。映画の中でスタンリーを演じるコリン・ファースは役者としてとても魅力的ですが、少なくとも脚本は陳腐に過ぎ、会話からスタンリーがそんなに女性に好かれるタイプとは思えません。
 一方エマ・ストーン演じるソフィーも魅力的ではありましたが、霊能力詐欺を試みるキャラクターとしては(絵図を書いているのはハワードと母親だとしても)純粋すぎる気がします。詐欺の常習犯、しかも幼いころは生活に苦労したという役柄にしては、人の機微を知らなすぎます。同じエマ・ストーン演じる詐欺師としても「ゾンビランド」の方がはるかに手練で詐欺師としての説得力に富みます。1928年という時代に沿ったファッションなのかも知れませんが、その服装もちょっと少女趣味がすぎる気がします。この辺もある種の男(ウディ・アレン)の願望がだだ漏れになっているのでしょう。
 もちろん、この厭世家の年配の男と若い詐欺師の女が恋愛関係に陥る展開、それ自体は全然いいと思うのですが、そこに至るにはこの脚本はあまりに葛藤がなさすぎます。葛藤がない分さらっと入ってくることはある種のメリットではあるのですが、これなら例えばスタンリーの年齢をもっと下げるとか、あるいはソフィーの年齢を上げるとかしてその普通なら年齢差を埋めるか(それなら特に年齢差が注目されなくても良い)、あるいは脚本にその葛藤を織り込むかしないと説得力のあるものにしないと本当にただのファンタジーで終わってしまいます(実際霊能力を暴くというのがきっかけにも関わらず恋愛描写にはリアリティがないのです)。

「月光の魔法」と言うタイトルですが、この映画には見る人を「おおっ!」と驚愕させるマジックはありません。ただある種の人に都合のいいファンタジーがあるだけです。