The Spirit in the Bottle

旧「小覇王の徒然はてな別館」です。movie,comics & more…!!!

陰影、流血、悪女、ミラー シン・シティ 復讐の女神


 ここ最近動画サイトにNHKBSで放送されていた「BSマンガ夜話」が大量にアップされていたのでそれを見たりしていた。色々見ていた中でいわゆる芸能人ゲストで一番分かっているなあ、と思ったのが「子連れ狼」の回に出ていた林家木久蔵(現・木久扇)師匠だった(もちろん夢枕獏など芸能人ではない作家などが出てくる回はまた別。ちなみに一番聞いてられなかったのはグレートチキンパワーズが出て来る回で、よゐこは芸人ゲストの中では一番マシ)。木久扇師匠が元々漫画家志望でもあったということも大きいのだろうが夏目房之介岡田斗司夫いしかわじゅんという並びに勝るとも劣らない見識で「笑点大喜利内でのおバカさんはあくまでキャラなんだなあと思い知った次第。

子連れ狼 1

子連れ狼 1

 で、この放送は映画「ロード・オブ・パーティション」公開時期だったようでアメリカにおける「子連れ狼」の影響なんかも語られている。この番組内でテキストとして使われている漫画「子連れ狼」はその表紙をアメリカのアーティストが手がけている、と触れられている。名前こそ出てこなかったが、この表紙を手掛けたのがおそらくフランク・ミラーである。フランク・ミラーも「子連れ狼」に強い影響を受けたアーテストとして知られている。フランク・ミラー原作、そして監督もロバート・ロドリゲスと共同で担当した「シン・シティ 復讐の女神」を観賞。

物語

 ホームレスをいたぶっていた金持ちのクソガキどもを見咎めたマーブはガキどもを返り討ちにし、自分の生まれ育った貧民街へガキどもを追い詰める。後は住民が始末をつけてくれるだろう。もちろんマーブも存分に楽しみつもりだ。(JUST ANOTHER SATURDAY NIGHT)
 ベイシン・シティにやってきたギャンブラー・ジョニー。彼はストリップ・バー「ケイディ」へ行くと声をかけてきたマーシーを運命の女神とし、スロットで一発当てる。だが、彼の本当の目的は店の奥で行われている賭けポーカー。そこには上院議員ロアークがいた。圧勝して店を出るジョニーとマーシー。だがジョニーはロアークに狙われギャンブラーの商売道具右手を潰されてしまう。実はジョニーとロアークの間には秘密があって…(THE LONG,BAD NIGHT)
 私立探偵ドワイトはかつての恋人エヴァからの電話を受ける。どうやら金持ちの夫からひどい目にあっているらしい。彼女には巨漢の執事マヌートが常に付き添っていて彼女は身動きが取れない。ドワイトはマーブを誘いエヴァを救おうと屋敷に潜入。夫を殺すが実は全ては夫の財産を狙うエヴァの罠だった。顔を撃たれ瀕死の重傷を負ったドワイトはオールドタウンへ。そこで彼に想いを寄せるゲイルを頼る…(A DAME TO KILL FOR)
 ロアークの一人息子イエロー・バスタードからナンシーを護ってハーディガンが死んでから4年、ナンシーはハーディガンの敵討のことばかり考えていた。今日も「ケイディ」で踊りながら店で賭けポーカーをするロアークを見て歯ぎしりする日々。しかしもう待てない。自分の顔を傷つけマーブとともに復讐に乗り出した…(NANCY'S LAST DANCE)

 日本の漫画は白黒が基本でアメコミはフルカラーが基本。これは漫画雑誌の発行形態による差などもあるけれど、アシスタントがいるとはいえ、基本一人の作業として認識される漫画と、明確な分業体制によって制作されるアメコミの負担の差でもあろう。ただ、日本の漫画でも時折フルカラーのページがあったり(単行本化される際には白黒になりそれ自体がネタにされることもある。最近はカラーはカラーで収録されることも増えてきたけれど)するように、あんまり読んでいて白黒である、ということを気にすることもない。読者は無意識に作品内の色を想像して読んでいく。時折自分の想像した色彩と実際に作者の提示した色彩が異なり驚くこともある(僕の場合、最近だと「キン肉マン」の完肉・ネメシスが普通のキン肉マンテリーマンと同様の体色かと思いきや薄い青緑と言った体色だったのでびっくりした*1)。
 作者の方も白黒が一般的だから白黒をメインの手段として作劇している人が多く、もしも全編フルカラーでできるならそうしたいという人も多いだろうし、自分の作品の表現手法として白黒を強く意識している人もあまりいないだろう(表紙などでも一貫して白黒のみ!という人は少ない)。ただ、フルカラーが当たり前であるアメリカでは日本の漫画は特別に感じるらしく、アメリカでモノクロで手がける人はそれを強く意識している人が多い。バットマンのアンソロジー「BLACK & WHITE」はその名の通りバットマンを白黒で描く、というテーマで集められた短篇集。それ自体が強いテーマとして成立する。そしてアメリカでこの分野の第一人者といえばフランク・ミラーだ。

 フランク・ミラーの「シン・シティ」は多分日本で翻訳された最初のミラー作品で、僕は高校の頃ビクターブックスから出ていた「THE HARD GOODBYE」を読んで衝撃を受けた。それ以前から「ダークナイト・リターンズ」や「イヤーワン」、あるいはジェフ・ダロウ作画の「HARD BOILED」や「THE BIG GUY AND RUSTY THE BOY ROBOT」の原作者として名前は知っていたが(あるいは人によっては「ロボコップ2」「同3」の脚本家としてして知っていたのかもしれない)作品が翻訳されたのは最初ではなかったか。単に白黒というだけではない。スクリーントーンや網掛けすら使わず、ホワイトとベタのみによって描かれた強い陰影を持つ作品。内容もハードボイルドでまさに白黒でなければ表現できないような作品だった。僕は全然絵は得意では無いけれど、この作品は何度も模写したりした。
 前作の原作として使用されたその他の2編「THAT YELLOW BASTARD」と「THE BIG FAT KILL」は前作公開前後に発売され(THAT YELLOW BASTARDはDVDボックスの特典)読んだ。ずっと「THE HARD GOODBYE」の主人公マーブの話のみだと思っていたがそうではなかったのだ。特に「THAT YELLOW BASTARD」のイエロー・バスタードの描写のみが黄色で描かれるのは白黒の中でパートカラーをうまく使用した例だろう(映画だと「天国と地獄」や「シンドラーのリスト」で用いられたように)。
 現在は僕の持っているJIVEコミックスではなく小学館集英社プロダクションから堺三保訳による単行本が発売中。その1巻には「THE HARD GOODBYE」と「A DAME TO KILL FOR」が収録されている。買い直してもいいんだけど、そうすると「THE HARD GOODBYE」は3冊目か…今後発売される3巻と4巻には映画の後日談に当たるエピソードが収録される予定らしい。

 本作は前作同様フランク・ミラーロバート・ロドリゲスの共同監督作品*2で、原題も「FRANK MILLER'S」とつくほどミラーの色彩が濃い(原題「FRANK MILLER'S SIN CITY:A DAME TO KILL FOR」)。前作はコミックスの絵柄をそのまま再現するという手法で画期的な作品となり、同じミラー原作の「300」やその「300」を手掛けたザック・スナイダーの「ウォッチメン」などもこの「シン・シティ」がなければ実現はしなかっただろう。その意味では映画史に残る作品だ。前作から約9年、コミックスの実写映画化としてそのまま再現するという手法(メイキング見ると脚本ではなく原作片手に演出しているロドリゲスの姿などが見られる)は通常のものとなり、表現手段としてあえて白黒やサイレントを選択する作品も増えた(もっとも以前から「シンドラーのリスト」や「エド・ウッド」などあえて白黒を選ぶ作品はあったけれど)。
 コミックス作品を知らずとも前作や「300」と言った映画化作品を見ればミラーの思想は垣間見ることが出来てかなり人を選ぶ作品である、ということは断言できる。人によってはその前時代的な価値観に嫌悪感を催すこともあるだろう。ただ一貫しているので一度ハマると抜け出せない。
 ロバート・ロドリゲスは前作で映画監督組合に加入していないミラーを監督としてクレジットしたため、組合から脱退し、それによってメジャー作品が撮れず、「ジョン・カーター」の監督を降板したりした。あるいは9年も間が空いた原因もその辺にあるのかもしれない。ミラーの映画監督としての手腕は「ザ・スピリット」を見れば分かる通り正直イマイチ。本作はメインでミラーが演出し、ロドリゲスがそれを補佐と言ったところなのかな、と推察する。
 映画は「A DAME TO KILL FOR」はコミックスの原作があるがその他の2編「JUST ANOTHER SATURDAY NIGHT」と「NANCY'S LAST DANCE」は映画オリジナル。時間軸的には本作で描かれるエピソードは前作の「THAT YELLOW BASTARD」と「THE HARD GOODBYE」の間に位置する。僕は前作を見なおさずに本作を見て、その後に前作を見なおして現在これを書いているが、作品の理解としてはむしろこの順番が正しいのかも。とはいえ上映前に簡単な解説映像が流れるので特に問題はない。
 映画の映像はやはりコミックスをそのまま映像化したという感じで(ただし2本は映画オリジナルだし、「A DAME TO KILL FOR」も僕は読んでいないので今回どこまでコミックスに絵として忠実なのかは不明)、もちろんコミックスよりは要所々々にカラーな部分もあるのだが白黒の陰影が強烈であるのは原作も映画も同様。アクションシーンなどではまんま影絵のようなアニメーションが使われていて、それが本当に影絵処理なのか、それともロトスコープ形式でアニメーションにしているのか、あるいは本当にアニメなのかは分からないがともすれば単調なアクションシーンにメリハリをつけている。
 ミラーの絵で特徴的なのがメガネキャラでメガネの奥の瞳を描写せずメガネを白く塗りつぶして、しかしその時の感情がヨリ際立つという物がある。本作ではエヴァの魔の魅力にやられたモート刑事などの描写として出てくる。これは藤子不二雄Aの作風によく似ている気がする。ふたりとも白黒の陰影を強調した画風だし。




 前作のキャストははまり役と言われたマーブ役のミッキー・ロークやおそらく原作ではクリント・イーストウッドがモデルだと思われるハーディガン刑事*3ダイ・ハードマン、ブルース・ウィリス。他にもベニチオ・デル・トロやルドガー・ハウアーなど豪華キャスト。さらに食人鬼ケビンに「ロード・オブ・ザ・リング」シリーズ、フロド・バギンズのイメージも強かったイライジャ・ウッドをあてるなど意欲的な配役だった。本作でもレイ・リオッタクリストファー・ロイドがちょい役で使い捨てされているなど豪華な配役。
 前作で出てきて本作でも出てくるキャラクターは概ねキャストは踏襲しているが、一部変更も。巨漢の黒人執事マヌートはマイケル・クラーク・ダンカンが亡くなったため、デニス・ヘイスバートに。また死の天使ミホもデヴォン青木が妊娠中とのことでジェイミー・チャンへ。マヌートは仕方がないが(あるいは後述するドワイト同様、本作で「THE BIG FAT KILL」につながる怪我を負うのでもしかして彼も整形したという設定があるのかも)、デヴォン青木はちょっと残念。ジェイミー・チャンも「エンジェル・ウォーズ」などで活躍していて東洋系美人ではあるのだが、このミホ役として考えた場合、生気が有りすぎるというかちゃんとした意思が感じられて、何考えているか分からないデヴォン青木の人形ぽさこそミホ役にはふさわしい。多分普通のドラマとしてならジェイミー・チャンのほうが演技含めて上手いんだろうけれど。
 ドワイトは前作の「THE BIG FAT KILL」ではクライヴ・オーウェンが演じていた。本作ではジョシュ・ブローリンが演じている。時代設定的に「THE BIG FAT KILL」」より前の出来事で前作のドワイトは整形してクライヴ・オーウェンの容姿になったという設定なので別にクライヴ・オーウェンでなくても良かったのだが(それでもオーウェンが特殊メイクで演じるということも普通に選択肢としてあったと思うので何か事情があるのだろう)ジョシュ・ブローリンとはかなり印象が違う。ただ、途中でブローリン演じるドワイトが大怪我を負い、整形して現れるシーンがある。この時の整形後の顔(ブローリンに特殊メイク)がかなりクライヴ・オーウェンに寄せているのだ。別にマヌートやミホもキャスト変更されているんだから別にクライヴ・オーウェンに似せなくても良かろうに、と思わず笑ってしまったのだが、そのへんはミラーとロドリゲスのいい意味で生真面目な部分なのだろう。
 ギャンブラー・ジョニーはジョセフ・ゴードン=レヴィット。JGLは「ルーパー」以来のブルース・ウィリス共演作か。若さと大胆さを持つJGLのキャラクターだが、劇中で殴られて血だらけ、傷だらけになるとあら不思議、デイン・デハーンに見えることも。別にデイン・デハーンが普段から傷だらけ、というわけでは無いし、通常の二人を見比べてもそれほど似てはいないのでよほどデイン・デハーンは被虐的なイメージがあるのかなあ。
 ブルース・ウィリスジェダイとしてナンシーを見守る役(違)。

 本作の悪役は大きく二人。ベイシン・シティを牛耳るロアーク上院議員エヴァだ。ロアークは前作では兄の枢機卿が変態食人鬼ケビンの保護者(一緒にご相伴に預かってもいた)として登場し、パワーズ・ブース(すごい名前)演じるロアークは息子(やはり変態殺人鬼)をロアーク家初の大統領にすることを夢見る父親、黒幕として存在した。本作では直接的な悪役として出番が増え演じるパワーズ・ブースのふてぶてしさとともに貫禄も十分。しかし上院議員にしては町のストリップ・バーで賭けポーカーに興じ、何かあると自ら銃を取る姿はさすがに危なっかしすぎるぜ。
 そしてエヴァ。役名同様エヴァ・グリーンが演じ(但しスペルは役名がAVAでエヴァ・グリーンはEVA)、「300 帝国の進撃」同様悪女として強烈な印象を残す。てかアルテミシアの生まれ変わりがエヴァだろといっても信じられるレベル。そして例によって脱ぎます。ただ映画のカラーにもよるのだけれど「300」同様あんまり脱いでもこの場合艶っぽさは感じない。むしろ圧倒されてしまいそう。脱がずにいる時のほうが色気という部分では発揮されている感じ。一方でストリップバーの踊り子という設定なのに全然脱がないのがナンシー役のジェシカ・アルバ。なんでも彼女は親の教育でトップレスのヌードはご法度らしく本作でもきわどい部分はあるもののヌードはない(原作のナンシーはちゃんと脱ぐ)。そのへんではちょっと残念なのだけれど、それでもやっぱり攻撃的な猫のような魅力がある。
 そして、ロザリオ・ドーソン。前作同様オールドタウンの娼婦たちをまとめるゲイルとして登場。前作よりもアブノーマルな扮装も。しかし何度か言っているけれど「プッシーキャッツ」の3人(レイチェル・リー・クック、タラ・リード、そしてロザリオ・ドーソン)の中で現在一番充実しているのがロザリオ・ドーソンであるとは想像できなかったなあ。あの映画他にパーカー・ポージーとミッシー・パイルが共演していた、という意味でも凄い映画なんだぜ!他にもゴールディとウェンディの双子としてジェイミー・キングも続投。生きてるゴールディ!
 そしてギャンブラー・ジョニーの幸運の女神マーシーに幼いあどけない容姿ながらときおりゾクッとさせられる美貌のジュリア・ガーナー。そのジョニーが最後の種銭を得るウェイトレスにレディー・ガガが。レディー・ガガはさすがに特徴的な容姿で物語に直接関わりのないキャラだけど強烈。

 前作よりイマイチ、的な意見も見受けられるけど、個人的にはあんまり印象は変わらないです。前作が良かった人は本作も問題ないだろうし、(映像というよりもむしろ)ミラーの思想的な部分で無理っていう人もいると思う。もちろん白黒でも暴力描写が過激でその意味でも人を選ぶ作品ではある。誰にでもオススメ出来る作品ではないが、フランク・ミラーという稀代の作家の作品として是非劇場で観て欲しいとは思う。
 ちなみにフランク・ミラーロバート・ロドリゲスの二人も意外と出たがりなので本作でも密かに出ている(前作ではミラーはマーブの懺悔を聞く神父役)と思う。僕がもしかしたら、と思ったのは「ケイディ」で入口付近にいるアイパッチで坊主の客とその隣にいるカウボーイハットの男。あるいはナンシーが自分の部屋でテレビを見ている時にそのテレビに映っているドラマの二人がそうでは無いかと思うのだがどうだろうか?

*1:というかキン肉マンスーパーフェニックスと同じで考えていたのだな

*2:前作では一部(ドワイトとジャッキーボーイの死体との車での会話)をクェンティン・タランティーノが演出していたりする

*3:なんといってもナンシーのフルネームがナンシー・キャラハンだからね