The Spirit in the Bottle

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鉄と復讐は熱いうちにウて! ファーナス 訣別の朝

 クリスチャン・ベール主演映画に外れなし!の理論を実証するべく観てきた映画。予告編を1度観ただけで具体的にはどんな映画かさっぱり分からない状態での観賞(兄弟の物語でベイルが兄を演じているところからなんとなく「ザ・ファイター」みたいな感じかなと予想)。「ファーナス 訣別の朝」を観賞。

物語

 親子2代製鉄所で働くラッセル。父は寝たきりになり弟ロドニーは何度もイラクに出征、普通の生活に馴染めずにいる。あるときラッセルは車で人身事故を起こしてしまい刑務所へ。出所してみれば服役中に父は亡くなり、恋人だったレナは保安官と交際。ロドニーは密かにストリートファイトで借金を返す毎日。
 あるときロドニーは大金を稼ぐためより危険な隣のニュージャージー州で行われる試合への参加を希望する。街の顔役ペティは危険だというがロドニーは聞かない。賭博の総元締めテグロードは警察も手を出せない危険な男。言われたとおりに八百長試合をこなしたロドニーだが帰路の途中もうテグロードと縁を切ろうとしたペティともどもテグロードに殺されてしまう。保安官から一部始終を聞いたラッセルは止めるのも聞かず自力でテグロードを探し出し復讐に乗り出す…

 原題の「Out of the Furnace」は「炉外」というような意味で「Furnace」は舞台となる町で象徴的に出てくる製鉄所の炉を意味するのか。たまに英語原題をカタカナ邦題にするときに意味が変わってしまう事があって今回も「Out of the Furnace」の「Out of 」が外れてしまったため正反対になってしまった。原題「Gravity」を「ゼロ・グラビティ」にしたみたいに意図的に変えたのもあるだろうけどこの場合はどうなのだろう。元々「ファーナス」だけでは訳がわからないのでこれだったらそれこそ副題になっている「訣別の朝」だけでも、あるいは別の完全日本語邦題でも良かった気がする。タイトルではないけれど「ヒックとドラゴン」(続編の早い日本公開を希望!)の主人公ドラゴン「トゥース」も本来は「歯を出し入れして歯無しのように見えることから」「トゥースレス」なのだけれど、その英語での名前が日本語版では「トゥース(歯)」になってしまってちょっと変な感じに。単に語感の問題なのかなあ。

 この作品先述したように観る前は「ザ・ファイター」ぽい感じのベイルがダメお兄ちゃんを演じる作品かなあ、と思ったけれどそんなことは無くて観た後の印象としては「プリズナーズ」に近い骨太な復讐劇。アクション映画とまでは行かないけれどそれなりに暴力とそれに伴う痛みを描いた作品でありました。
 で、この作品クリスチャン・ベール以外にも錚々たるスターが出演していて実はかなりのオールスター映画。他にもウディ・ハレルソンウィレム・デフォーフォレスト・ウィテカーサム・シェパードゾーイ・サルダナケイシー・アフレックと言った豪華な面々が出演しているのでありました。その割に淡々としていて地味。オールスター映画であることを感じさせないところなんかはそれこそベイル出演のオールスター映画でありながらいわゆる華やかさと無縁だった「ダークナイト」を連想するところ。
 ベールはどちらかと言えば「3時10分、決断のとき」っぽい真面目な男。兵役が重なったため(4度のイラク行き)社会に馴染めない弟を気遣いつつ、父親も働いていた製鉄所で真面目に働いている。不幸な交通事故で服役し父の死に目にあえず、恋人も去ってしまったがそれでも特に孤立することもなく再び製鉄所で働けるところから地元での評価は良かったのだろう。恋人はゾーイ・サルダナで当然白人と黒人のカップルというわけだが、ベイルは「ザ・ファイター」でもアジア人の妻を持つ役だったりしてその辺での違和感は少ない。
 物語の脇を締めるベテランにウィレム・デフォーサム・シェパードフォレスト・ウィテカーウィレム・デフォーは一応町の顔役だけれど映画の中では妙にいい人のイメージも。クリスチャン・ベールとデフォーはバットマンとグリーン・ゴブリンでもありますな。サム・シェパードは兄弟のおじさん。後半はラッセルの復讐のための調査に付き添ったりする。そしてフォレスト・ウィテカーは保安官。同時にゾーイ・サルダナのレナの現在の恋人でありラッセルに取っては恋敵でもある。

 前半大きな役割を果たすのはラッセルの弟ロドニー(父親がロドニーシニアなのだが、普通長男にジュニアと付ける気がするのだけれど特にそういう命名に法則性はないのかな)で、イラクに4度も出征していて帰ってきても普通の生活に馴染めない男をケイシー・アフレックが演じている。通常を超える長期間の兵役拘束だけでも問題となっている気がしたがこういう何度も招集されるのっていいのだろうか。アメリカも今は徴兵制度は廃止されているけれど、一方で貧困にあえぐ層が兵役に志願せざるを得ない状況が問題になったいたりする。ロドニーは本来の性格はペティに「お前はこういう(裏の仕事)のには向かん。親父や兄貴のように真面目に製鉄所で働け」と言われてしまう。それでも単に「まじめに働くのが嫌」というよりも一度戦場で狂気にさらされると日常の平穏にリアリティを感じられなくなってしまった、というのが実情だろう。ラッセルも交通事故で人を殺してしまうが(このシーン相手の車の運転席に誰もいないように見える。また具体的に描写されないが死んだのはどうも子供のようだ)ロドニーのトラウマはその比ではないのだろう。
 このロドニーが山地で試合する時とそれを知らないラッセルとおじさんが鹿撃ちをする様子がカットバックで描写されてるのが映像的には見どころかなと思った。ここでもラッセルが鹿を射程に捉えながら見逃すところが印象的。

 しかし、今回一番強い印象を残したのはウディ・ハレルソンかもしれない。僕は特別彼の大ファンと意識したことはないけれど何気に彼の出てる作品は好きな作品が多い。最近はやはり「ハンガー・ゲーム」シリーズのヘイミッチ。一番好きな作品はミロシュ・フォアマン監督の「ラリー・フリント」か。元々独特の異相で悪役など凶悪な役柄が多かったハレルソンだが最近は逆にそのギャップを生かして「実はいい人」や「凶悪だけど愛嬌もたっぷり」みたいな役が多かった気がするが、本作は久方ぶりの愛嬌ゼロのただ凶悪な役柄。ハレルソン演じるテグロードはニュージャージーの山地と呼ばれる部落で半ば司法から独立した先祖代々の独特のコミュニティを率いる。映画の冒頭はドライブインシアターで女性と映画を観ているがほんのちょっと気に触ったことで女性を殴り、それを止めに入った大柄な男性もぶちのめし(テグロードが普通に強いということもあるのだろうが、おそらく彼は何の躊躇なく暴力を震える男なのだ)このシーン自体は直接本編と関係ないもののテグロードの凶悪なキャラを一瞬で観客に知らしめる。ウディ・ハレルソンが本来持っていた初期の出演作でよく見せたような持ち味を久々に発揮したといえようか。ちなみに私生活でも問題をよく起こすことで有名なハレルソンだが父親は本職の殺し屋で連邦判事を殺した罪で獄中死しているらしい。ケンドーコバヤシがギャグとして両親の嘘プロフィールを口にするが、あれを地で行くような感じなのかな。
 ウディ・ハレルソンには一度アメコミのヴィランを演じて欲しい。それこそ「バットマン」のMr.フリーズとか似合うかも。

 映画全体のバランスから言うともうちょっと早い段階でロドニーとペティが退場してラッセルの復讐のための行動にもっと多く時間を割いたほうが良かったかもしれない。これがアクション映画として作られたのならおそらくそうなっただろう。でも決してそうではないので地味ではあるけれどこれでいいのだろう。
 物語的にはどうしてペティとロドニーが殺されなければならなかったのか、がイマイチよく分からなかったり(あるいはテグロード的にもちょっと苛ついた程度の理由なのかもしれない)するし、ラストの攻防があっけなかったりするけれど見応えはあります。
 ラストの製鉄所(廃工場?)での攻防はちょっと「ダーティハリー」を思わせるし*1、最後の決断は「セブン」かも知れない。でも「セブン」が結局犯人の手で踊らされた感じなのに比べると本作は純粋に復讐心が優先したというエンディング。

 この映画監督はスコット・クーパーという人だが、製作はスコットフリープロダクションでリドリー・スコットが製作に名を連ねている(レオナルド・ディカプリオも製作として名を)。どこまで具体的に関わっているか分からないが、ある意味ではリドリー・スコットの弟トニー・スコットへの鎮魂歌と捉えることもできるかもしれない。華やかな映画では全然ないので万人向きではないですが骨太で力強い映画。
クリスチャン・ベール主演映画に外れなし!」は今回も実証。そしてそこにウディ・ハレルソンも加わっているのだから観て間違いはないのだ!

OUT OF THE FURNACE

OUT OF THE FURNACE

*1:何度も書いてますが僕の犯罪ものの基準は「ダーティ・ハリー」なのでちょっと似たシーンがあるとすぐ「ダーティハリー」を連想し比べてしまいます