The Spirit in the Bottle

旧「小覇王の徒然はてな別館」です。movie,comics & more…!!!

スパイディ、君の名は希望 アメイジング・スパイダーマン2


 ここ数年例年言っているような気がするけれど、今年もアメコミ映画が多いですね。今年も「マイティ・ソー ダーク・ワールド」に始まって「キック・アス2」「キャプテン・アメリカ ウィンター・ソルジャー」と続き、そして「アメイジングスパイダーマン2」。この後も5月末に「X-MEN フューチャー&パスト」と続く。ちょっと前半に偏りすぎな気もしないではないけれど、後半も「ガーディアンズ・オブ・ザ・ギャラクシー」も有ります。というわけで「アメイジングスパイダーマン2」鑑賞。

 前作の感想はこちら。

 高校卒業からの一年間の物語。
 前作はまだサム・ライミ版の印象が強かったせいか一部の人にはかなり不評だった印象があるが、全然悪くなかったと思う。と言うかですね、まあ日本ではそんなに原作の認知度は高くないのでどうしてもブレイクした映画版が基準になってしまうのはしょうがないとは思うんだけれど、スーパーマンにしてもバットマンにしてもスパイダーマンにしても膨大な原作やTVアニメなどたくさんの作品があるのに1978年のリチャード・ドナー版「スーパーマン」や1989年のティム・バートン版の「バットマン」、そして2002年のサム・ライミ版「スパイダーマン」などを絶対視してその後の作品をダメ!と切り捨ててしまう見方はどうしても不公平だなあ、と思わざるをえない。もちろん僕も上記の作品は好きだけれど一方で新作が作られることには毎回期待に胸が膨らむし、特にここ数年の作品は概ねその期待に答えていると思っている。「マン・オブ・スティール」みたいに自分の理想と違う作品ももちろんあるけれどそれを「こんなのスーパーマンじゃない!」みたいな切り捨てをする前に本当にそうなのか?と冷静に考慮したい。
 前シリーズの監督サム・ライミスパイダーマンに対して深い愛情を注いでいた事は間違いない。それは一部のシーンで原作そっくりなカットがあることなどからもよく分かる。ただ一方でライミの愛情は自身が子供の頃に読んでいた1964年から70年代にかけてのスパイダーマンに向けられていて、80年代以降のコミックに対してははっきり言えばそれほど思い入れは持っていない。だから「スパイダーマン3」で人気のキャラクターである最近(といってももうこの時点でデビュー15年以上のキャリアを持っているが)のヴィラン、ヴェノムを上層部からの要請で出した時はほとんど思い入れがないようでグダグダな展開になってしまっていた。自分の子供の頃のキャラクターだけでやりたかった気持ちも分かるがコミックスのファンは世代広く存在しヴェノムを出したい、というのも分かる。その意味でサム・ライミはバランスに欠けていたとも言えるかもしれない。実は「アメイジングスパイダーマン」は元々ライミ版の4として企画されたこともあり、スタッフは意外と共通している。ただ監督のマーク・ウェブは小さい頃にコミックスファンだったというわけでもないようで、原作初期に偏っていたライミ版に比べ設定やデザインで最近のコミックスも参照されている。ライミ版はどちらかと言うとシンプルなストーリ-を力強く描く作品と言えるが「アメイジング」シリーズは複雑な設定を繊細に描く物語と言えそうだ。どっちがいい悪いではなくその辺の事情を知った上でライミ版でスパイダーマンを知った人にも今作を楽しんでもらいたい。
 もう一つライミ版と新シリーズの違いに最初から続編が想定されているか否か、というのもあるだろう。もちろんライミ版も各作品製作中からヒットしたら続編、というのはある程度想定されていただろうけど、各作品自体は基本的に単品で完成されている。それに比べると新しいシリーズは最初から続編の要素を脚本に盛り込み1作だけでは判明しない謎も多い。今回もあからさまに続編への含みを残し前作から引き継いだ謎が解明される一方で新たな謎が続編へ残された。そういうあたりも単品のみで評価しきれない部分で悪く捉える人も出てくるのかもしれない。僕は映画は連続活劇でもあるし、特にアメコミの映像化なんて連続活劇から始まっているのだからこういう作りは全然OKだと思うのだけれど。
 さて、それでは例によってキャラクターごとに。

スパイダーマン


 前回はピーター・パーカーが復讐心を乗り越えヒーローとして覚醒する物語だったといえる。映画導入部分でのピーターの両親の物語のあと、スパイダーマンの背中の蜘蛛のエンブレムのアップから本編が始まる。コスチュームのデザインは細部までマイナーチェンジしている。もちろんこれがスパイダーマンである、という大きな逸脱はしていない。ベースとなる色彩はライミ版より濃い目の青と赤。デザイン面での前作からの大きな違いはマスクの目の部分が前作のアスリートチックな黒いサングラス風から白く大きな物に変わったことで親しみやすくかつより明るめに。更にコスチュームを縁取る蜘蛛の糸に模した模様も黒から白っぽく変わり全体的に明るめとなった。このへんはスパイダーマンによりヒロイックな印象をもたらし、結果として今回のスパイダーマンの最初からニューヨークのヒーローとしてNY市民に親しまれている描写が不自然でなく目立つことになる。
 ピーターの描写でライミ版との大きな違いはやはりピーターの両親についてで、この両親がただピーターを残し若くして死んだ、というだけでなくその物語に深く関わってくるのも新シリーズの特徴だろう。ライミ版でその辺が描かれなかったのはライミが読んでいた頃にはまだ設定が出ていなかったというのもあると思う。なぜ、スタン・リーが最初の読み切りの時にわざわざピーターを叔父夫婦に育てられた孤児として描いたのかはよくわからないが*1、両親の死を物語に組み込むことでもっとピーター自身が物語の主役であることが明白になっているし、特殊な蜘蛛に噛まれればだれでもスパイダーマンになれるのではなくピーターだからこそああなることができた、というスパイダーマン自身のアイデンティティにもつながっている。
 前作ラスト、死にゆくステイシー警部の遺言を破り、グウェンと付き合っていることでピーターには後ろめたさが残っている。時折ステイシー警部の幻影を観ることに耐え切れなくなったピーターはグウェンと別れることを決意する。が、本人たち同士はとにかく好きあっているため別れたと言いつつも友達として付かず離れずのやりとりを繰り広げる。この様子をリア充だとかいう向きもあるようだが、意外と原作のピーターも最初の読み切りや高校こそ暗めな科学オタク少年だったが、すぐに普通の青年として青春を満喫してたりするのでこのへんもやはりライミ版のトビー・マグワイアのイメージが強いせいではないかと思う。マグワイア=ピーターだってそれなりに青春満喫してたけどね。少なくともピーターがとっかえひっかえいろんな女性と付き合ったりしていたプレイボーイというならともかく一人の女性と互いに好きあっている描写でヤリチンだ何だというのは不当な評価。特にグウェンとの深い愛の描写があるからこそラストが応えるわけでこのへんはライミよりもマーク・ウェブの本領発揮と言えるだろう。演じるアンドリュー・ガーフィールドとグウェン役のエマ・ストーンはプライベートでも恋人同士でありその辺も考慮するともうラストバトルから先は涙なしでは見れません。
 度々ライミ版を比較に出すが(あえてライミ版とは違う魅力があるよ、と言うためにちょっと批判的になりがちだけどもちろんライミ版も素晴らしいのですよ)、実はライミ版で演技的にもビジュアル的にも一番原作そのまま!と思わせたのはJ・K・シモンズが演じた「デイリー・ビューグル」のオーナー編集長J・ジョナ・ジェイムソンではないだろうか。あの傲岸不遜な編集長は紙面でアンチスパイダーマンキャンペーンを張りピーターに取っては目の上のたんこぶだけど給料をくれる上司でもある、という人物。映画ではなぜ彼があそこまでスパイダーマンを嫌うのかそれほど詳しく描かれなかったがもちろんちゃんとした理由がある。本作ではJ・K・シモンズ以上のインパクトを出せる人材がいなかったのか名前のみ登場。ピーターは高校卒業後、デイリー・ビューグルにスパイダーマンの写真を売って生活費にしているがピーターとメイおばさんの会話の中で「ちゃんとお金はもらえるの?」「もらってるよ」「嘘、JJJが払うはずないわ」「1961年の基準でだけどね…」という登場の仕方をしたり、ピーターがメールで写真を送る際に「スパイダーマンはいいやつですよ」とメッセージを添えたら一言「Wrong!(違う!)」と返してくるなど姿を表さずともインパクトは十分。個人的にも厄介だけれど憎めない「スパイダーマン」の登場人物の中でも好きなキャラクターであるため、次回は是非、姿を見せて登場して欲しい。
 スパイダーマンの活動中に発せられる独り言や軽口はスパイディの大きな特徴だが、今回更に目立った特徴となっている印象だ。僕はこの特徴だけでトビー・マグワイアのスパイディよりアンドリュー・ガーフィールドのスパイディのほうが好きになっちゃうんだよね。今回は更にコミカルに描写されてて、冒頭のアレクセイやエレクトロとの最初の対決時に発揮されている。ああいう部分もニューヨーカーの人気を集めた所以だろう。同じニューヨークをホームとしているヒーローでもファンタスティック・フォーは憧れのセレブという感じだし、デアデビルは闇に紛れて悪を討つ都市伝説のような存在。それに比べるとスパイダーマンはもっと親しみのあるまさに「貴方の親愛なる隣人」としてニューヨーカーに親しまれているのだ。とは言え、この軽口はピーターがマスクをかぶっている時に限定されているのである意味「マスクをかぶった二重人格者」とも言える。

グウェン・ステイシー


 前作の感想で原作コミックスにおけるグウェンの死について詳しく書いた。あの時点ではあくまで原作についての解説であり、ネタバレとまではいかなかったが、本作ではその死は現実のものとなる。グウェンはスパイダーマンの手助けをするためエレクトロとの戦いに関わり、結果そこにやってきたグリーン・ゴブリンとの死闘に巻き込まれ不慮の死を遂げる。前作でも似たシーンが有り、しかしそこでは死は免れたが今回はそうはいかなかったのだ。もちろんせっかくグウェンを出したのだからこの結末はある程度予想はできた。前作では役割的にはむしろ父親であるステイシー警部のほうが重要ともいえファンにはその死を連想させるシーンもあった。
 特に今回は別れたりまたくっついたり、と一応2人の間では線引があるようだが、傍目にはとても仲睦まじいようにしか見えない。そこはマーク・ウェブの手腕で丁寧に描写されているため、悲劇がより重くのしかかる。実際メリー・ジェーンが出てきて・・・というシーンもあったがカットされたらしい。続編で今後ピーターの恋愛事情がどう描かれるか分からない。MJが改めて登場するのか、それとも別のキャラクターが出てくるのか、あるいはグウェンの存在を引きずって展開されるのか。ちなみに今回出てくるオズコープのハリー・オズボーンの部下であるフェリシア・ハーディ(フェリシティ・ジョーンズ)は原作ではブラックキャットという名の女盗賊でありスパイディと恋に落ちたりする(MJ、グウェンにつぐ三番手ぐらいの位置かと思う)が今回はピーターとの絡みは無し。
 演じるは前作に引き続きエマ・ストーン。花粉症?でハナが赤くなっているのも可愛らしい。前作もそうだが、単に助けられ役*2というよりはむしろヒーローを手助けするために自ら危険な場所にも赴く、という感じでその行動力は尊敬に値する。どちらかと言うと私生活は受け身なピーターに比べて自分から率先して切り開いていくタイプ。オクスフォードの奨学生の試験を受けるが相手が14歳の大学一年生だという。最近のアメコミ映画はほんのちょっとしたキャラクターもちゃんとコミックスから持ってくることが多いのでこのキャラクターも存在するのではないかと思う。名前も出てこないけど。
 とにかくグウェンは原作と同様死亡してしまう。その死はスパイディに暗い影を落とすだろう。しかし劇中できちんとその後の希望にまで触れている。物語的には続編への含みを強く残すけれど、その作品内でかたをつけなければならないことはちゃんと成し遂げいているのだ。原作コミックス同様グウェンは永遠の存在となるだろう(例えば今後3度めのシリーズが作られることがあってもグウェン役はエマ・ストーンの影からいかに逃れるかということが重要になると思う)。
 
 その他前作に引き続きメイおばさんをサリー・フィールド。やはりライミ版に比べると若いしキュートな部分も見えるので次あたり是非原作でも有名なドクター・オクトパスと結婚するメイおばさんのエピソードを再現して欲しい。そしてピーターを苦悩させるステイシー警部の幻影として前作同様デニス・リアリーが。
 ピーターの両親、リチャード・パーカー(どうでもいいが「ライフ・オブ・パイ」でパイの役をやっていたイルファン・カーンが前作に出ていて「リチャード・パーカー(ライフ・オブ・パイではトラの名前)」と名前を呼んでいたりしたのだな)とメアリー・パーカーには前作から引き続きキャンベル・スコットとエリザベス・デイヴィッツ。冒頭は1と全く同じ始まり方をするがこのへんはもうまとめて撮影されたんだろうなあ。ちなみに僕はどうしてもピーターの子供の頃=1964年から10年ぐらい前、って考えてしまうので劇中の過去で普通にコンピューターやネット回線が出てきて一瞬違和感を感じてしまうんだけれど冷静に考えると2014年が舞台だと考えると普通に2000年代頭なわけで全然最近なんだよね。
 

ヴィラン


 今回は大きく3人のヴィランが登場。サム・ライミ版でも登場したあのキャラから新登場のキャラクター、大物から小物までバリーエーション豊かにお贈りする。

  • エレクトロ


 本名マックス・ディロン。オズコープの電気技師として会社やNYの配電システムを構築した有能な技術者だが、私生活は寂しく会社での扱いは悪い。スパイダーマンに憧れ熱狂的なファンでもある。自身の誕生日のある日残業で会社の修理作業中に事故で瀕死の重傷を負ってしまう。蘇った彼は帯電放電体質の怪人エレクトロとなりNYの電気を人質に街を恐怖に陥れる!
 原作でのエレクトロはかなり初期から活躍するヴィランで1964年から登場している。ただ、後述のグリーン・ゴブリンやドクター・オクトパス、ヴェノムと言ったキャラクターに比べると圧倒的に小物なキャラクターと言える。正直大作映画のメインで悪役を張れるキャラクターというにはちょっと弱い。今回のエレクトロのでデザインは「アルティメット」シリーズの物が元になっているがオリジナルでは稲妻を模したマスクとタイツ型スーツをコスチュームとしている。身体に電気を溜め、それを電気ボルトとして発射できる能力を持つが、前半はあくまで帯電体質という体だが、後半は完全に肉体そのものを電気に変え自由自在に動き回る。このへんの能力の変遷も「アルティメイト」版に準拠しているのだろう。「ONE PIECE」において最初は超人系(パラミシア)の悪魔の実の能力者だったのが後半は自然系(ロギア)の能力者となったようなものだと思えばいい。
 僕は今回このエレクトロがヴィランとして起用すると発表され、そのヴィジュアルが公開されて、勝手に二つの壁を設けた。ひとつは1996年から始まるアニメーション、ブルース・ティムポール・ディニによる「スーパーマン」に登場するライブワイヤー。このキャラクターはアニメオリジナルのヴィランでその人気からコミックスの方に逆輸入されたりしたのだが*3、彼女(元は人気DJだったが落雷事故で怪人となった)は今回のエレクトロと同様青白い姿となり、自身の肉体を電気と変えコンセントなどから自由自在に動き回る。だからまず動きや能力の発現といったヴィジュアル面でこのライブワイヤーを越えられるか。
 そしてもうひとつは1970年から始まる池上遼一の「スパイダーマン」に登場するエレクトロである。この池上遼一版は最初のうちこそアメリカの原作を日本を舞台に翻案という形であったが、後半特に平井和正が原作として加わると日本独自の展開となり、物語にスパイダーマンのコスチュームもほとんど登場しなくなるなどし、異彩を放っている。エレクトロは先述したとおりどちらかと言うとこれまで小物といっていい活躍を見せたヴィランであり、そもそもドラマ性はそんなに高くないイメージが有る。しかし池上遼一版の序盤、小野耕世が構成を務めた初期はアメリカの原作を日本に置き換えたものであり*4、エレクトロも登場する。エレクトロは主人公小森ユウ(スパイダーマン)のペンフレンド白石ルミ子の音信不通の兄として登場する。上京して色々な職を重ねるもうまく行かず、とある科学者の実験の被験者となりエレクトロになる。最初は調子に乗って銀行強盗などをしていたものの、やがてその科学者を殺してしまい元に戻れないことを知りやけになってスパイダーマンに挑んで最後を遂げる。ヒロインの兄であり十分同情に値する背景を持つことでそのドラマ性は高い。

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スパイダーマン (1) (MFコミックス)

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 何度もいうが原作のエレクトロはスパイディの長年の宿敵の一人ではあるがあまりドラマ性は高くない。だから、今回の映画版ではヴィジュアル面では同じ電気怪人である「スーパーマン」のライブワイヤー、そしてドラマ面では池上遼一版を越えられるかが僕の中でのひとつの基準となった。
 で、今回のエレクトロだが、いざ見ると僕はまた別のキャラクターを思い出してしまった。「バットマン・フォーエバー」でのリドラー/エドワード・ニグマである。技術者が主人公にまるで恋にも似た強い思いを抱くが拒絶され変貌する。エレクトロになる前のマックスは決して悪人ではないが、私生活は寂しくスパイダーマンと自分を重ね合わせているような人物である。部屋中にスパイダーマンの写真を貼りスパイディが全NY市民に向けた愛を自分にだけ向けられたものと思い違いする。その狂信的な思いは一度拒絶されると一気に憎しみへと変わる。カットされたか撮影されなかったか、脚本の段階では年老いたママと二人暮らしという描写もあったようでであれば尚更スパイダーマン(というかピーター・パーカーの)のダークサイドという一面を覗かせる。マックスはスパイダーマンに言われたことをそのまま額面通り受け取る。オズコープのエレベーターでグウェンと一緒になったときも社交辞令をそのまま受け取るような態度を見せる。あるいはそんな彼だからこそ、自分を受け入れなかった(とマックスは思い込んでいる)スパイディに対して反動で恨みが深くなる。友達を求める一方その友達が自分を裏切ることを決して許さない厄介さん。また社内でぞんざいに扱われた結果、自分が注目されることにも深い執着がある。いずれにしろその反動が全てスパイディに向けられることとなる。そしてスパイディに対向する手段としてNYの電気を介してNY市民を人質に取るという手段に出るのだ。
 怪人エレクトロとしての描写は光る青白い肌をしており、前半の身体から電撃を放つ帯電体質の描写と後半のレイブンクロフト(特殊犯罪者用の刑務所。バットマンアーカムアサイラムみたいなものか)を経て肉体を電気そのものへと変える描写はきちんと使い分けられてよかった。演じるのは黒人奴隷から合衆国大統領というアメリカンドリームを成し遂げたジェイミー・フォックスMCUのニック・フューリー同様コミックスでは白人だが黒人に変更されている。エレクトロになる前のマックスの時はすきっ歯にバーコードハゲも哀れな冴えない男だが通常人間体含め三段階ぐらいに変化するもその都度格好良くはなっていく。能力的には電気を操る、電気そのものになる、というのはかなり強力で下手すりゃマグニートーあたりとも対等にやりあえる強力なヴィランとしての描写が良かった。「スーパーマン」のライブワイヤーは元がDJだけあってそれこそスパイディみたいに軽口叩きながら電気移動するシーンが魅力的だが、エレクトロは攻撃する描写は良かったけれど電気となって移動する描写がもっとあれば個人的には良かったかな。
 日本語吹替はなんと中村獅童で、僕は事前に知らなかったが、これが上手かった。中村獅童スパイダーマンのファンということでスパイディのスーツを着てプロモーションをやったことがあったはずだが(ライミ版のどれかだっけ)こういうヴィランで出てくるとは。
 映画の中では最終的に完全に消え去ったかのような描写だが果たして。ちなみにマックスの嫌味な上司としてスマイスという人物が出てくるが彼はコミックスでは親子二代に渡ってスパイダースレイヤーという対スパイディマシンを開発する人物と同名だ*5。おそらくは名前だけ借りた別人(映画で出てくるスマイスはアリステアというファーストネームが設定されているので息子の方)だとは思うが例えばエレクトロとなったマックスの一番最初の犠牲者になるなどありがちな描写がなかったので次でも何らかの形で出てくるかも。演じていたのは「ウォルト・ディズニーの約束」でシャーマン兄弟の兄のほうを演じたB.J.ノヴァク。オズコープの警備担当の黒服の男がジェイソン・シュワルツマンに見えたので「シャーマン兄弟揃ってオズコープに就職か!」などとも思ったのだがこちらはよく似ているけど別の人でルイス・キャンセルミという人。
 

  • グリーン・ゴブリン


 本名ハリー・オズボーン。オズコープの御曹司でピーターの幼馴染であったが11歳で寄宿舎の学校に送られその後父とは接点を持たずに過ごした。父の死に際に遺伝による疾患とそれを治すための研究途上のデータを渡される。スパイダーマンの血が治療に役立つと思った彼はピーターを通してスパイダーマンに頼み込むが…
 ハリーはライミ版でもシリーズを通して登場し、ピーターの高校時代からの友人、ルームメイト、恋敵、宿敵と様々な面を見せた。原作では大学に進学してからの友人だが、今回はピーターの幼馴染という設定に。おそらくピーターの両親がオズコープの科学者であった縁だろう。
 前作では物語の黒幕としてハリーの父親ノーマン・オズボーンの存在が示されていたが、そのノーマンは病床の人物として登場しすぐに退場する。彼はオズボーンの呪いと称する遺伝疾患を抱えており、それはハリーも発病しつつある。リチャード・パーカーの研究もカート・コナーズ博士の研究も最終的には彼の治療するための手段であった。ノーマンはライミ版でも最初のヴィランとして登場した初代グリーン・ゴブリンであるが今回はグリーン・ゴブリンとしての登場はなし。ライミ版では仮面を被らなくてもそのまま緑に塗るだけで十分ゴブリン顔だったウィレム・デフォーが演じていたが、今回はやはり爬虫類顔が特徴のクリス・クーパーが演じていて登場時間はわずかながら強い印象を残す。普通に亡くなったことになっているが、なんとなくこのままフェイドアウトするキャラクターとは思えない…
 ハリーはスパイディに血の提供を拒まれ、会社の幹部からオズコープを追い出されるが、エレクトロと結託すること*6で密かに保全された研究室に向かい特殊蜘蛛の血清を注射するが…実はリチャード・パーカーは実験に自分の遺伝子を使っておりそれで彼の近親者(ベンおじさんとピーター)以外が使用しても危険な代物だった。そしてハリーは同じラボにあった強化外骨格に身をまとい…
 この研究室には蜘蛛の血清、グリーン・ゴブリンの装備とグライダー、そしてラストに出てくるライノのパワードスーツの他、巨大な翼や四本の金属触手などが見える。それぞれヴァルチャー、ドクター・オクトパスの装備品であり、次回での登場が期待される。
 ハリーを演じたのは「クロニクル」の頂点捕食者アンドリューを演じたデイン・デハーン。ライミ版のジェームズ・フランコに比べると大分おとなしいというか幼さの残るハリーで劇中には実際に描写されない(会話などで出てくる)プレイボーイぶりを想像するのが難しい。ただ、フランコがその分時間をかけて父親や友人との愛憎を表現していたのに比べると僅かな時間で同じことを表現できたのはそのナイーブさがフランコより全面に出ているからだと思う。というかあれですね。「クロニクル」の3人はその後、マイケル・B・ジョーダンが優等生から前科持ちの青年(「フルートベール駅で」)、アレックス・ラッセルは優等生から不良(「キャリー」)、そしてデイン・デハーンは貧乏な劣等生から超金持ちのプレイボーイと真逆な役柄を演じているのにそれぞれあんまり「クロニクル」と印象が変わらない。特にデハーンは「クロニクル」とやってることが一緒とも言える。レオナルド・ディカプリオ似のハンサムなのにどうも世の中にルサンチマンをぶつけた役が似合ってしまう。日本語吹き替えだと石田彰の声がその辺に拍車をかける。今回はグリーン・ゴブリンとしてはラストバトルだけの登場であり夜の登場のためかそれほどグリーンな感じはしない。マスクをかぶるのではなく血清によって変貌した緑がかった悪鬼の容貌となるがちょっとみすぼらしさが優先しちゃう感じがするのでグリーン・ゴブリンのビジュアルとしてはちょっと残念かな。次回作での新たな洗練と活躍に期待。
 スパイディがハリーの部屋にやってきて血の提供を断るシーンではハリーの部屋にキマイラの彫像が飾ってあるのが象徴的である。

  • ライノ

 本名、アレクセイ・シツェビッチ。ロシア出身の犯罪者で冒頭プルトニウム強奪を企むがスパイダーマンに阻止される。そしてラストスパイダーマンに恨みを持つものとしてハリー(の代理を務める謎の男)にスカウトされ犀をモチーフにしたパワードスーツを装備しNYを襲撃する!
 エレクトロを比較的小物なヴィランと書いたが、劇中ではその小物っぷりが微笑ましいキャラクターがライノだ。事前にはエレクトロ、グリーン・ゴブリンと並ぶ3大怪人のように宣伝されていたが、登場は最初と最後だけでライノとしての登場はラストだけ。それもきっちり決着をつけることもなくスパイディのNYへの復帰をもたらす噛ませ犬的な役柄である。コミックスではパワードスーツと言うよりサイの着ぐるみっぽい人工皮膚をスーツとしてまとうパワーファイターだが、今回は「アバター」や「第9地区」に出てきたようなパワードスーツタイプ。4足歩行モードにもなる。最近何観ても「MGS」を連想してしまうがこのライノのビジュアルも最初に見た時は「MGS4」のクライング・ウルフのサイ版というイメージを持った。実際は二足歩行モードのほうが出番多いけれど。
 大作映画だとどうしても登場するヴィランも大きなことをさせたくなってしまうが、コミックスやTVだとお約束のように毎回やられる悪役みたいなのも重要で例えば「ダークナイト」のスケアクロウもちょっとそういう感じではあったが、ここでライノはまさにヴィランが特別な存在ではない、スパイダーマンの世界においてああいう犯罪者は日常である、というのを象徴するキャラクターであると思う。ライノは今回登場するヴィランの中では全然同情する部分やドラマが一切ないが、それ故ラストの暴力とそれに立ち向かう子供、そして復活したスパイディの相手としてふさわしい相手といえるだろう。
 演じるのはポール・ジアマッティ。とにかく頭悪そうで凶暴そうな犯罪者を楽しそうに演じていて、エレクトロやグリーンゴブリンの鬱屈したヴィランとはまた別の爽快さを表現してます。

 事前にこの写真見た時は劇中には登場しない撮影中のオフの一コマかと思ったらきっちり登場したので楽しかったですよ。

 ハリーは収容された牢獄で謎の男(この男は前作のラストで出てきた男と同一人物か?)を通して悪のチームを作ることを宣言する。その内の一人(というかとりあえずの尖兵)がライノであるわけだが、他には先述したラボの中に装備品が見えるバルチャーとドクター・オクトパスが想定される。ドクター・オクトパスはライミ版「スパイダーマン2」でもメインを張ったヴィラン。ヴァルチャーも古くから活躍するヴィランである。ドクター・オクトパスが組織した悪の犯罪者チームが「シニスター・シックス」でオリジナルメンバーにはドクター・オクトパス、ヴァルチャーのほか前作のリザード、今回のエレクトロそしてハイドロマンとクレイブン・ザ・ハンターで構成される。その後色々メンバーを変えているが映画ではライノとグリーン・ゴブリンにヴァルチャー、ドクター・オクトパスが加わるのはほぼ決定として個人的にはクレイブン・ザ・ハンターとミステリオが好きなので出て欲しいけど実写映画だと難しいかなあ*7
 「シニスター・シックス」というタイトルが既にスピンオフとして予定されておりこれらのヴィランの活躍が「アメイジングスパイダーマン3」として見れるのかどうかはまだ分からない(スピンオフでも全くスパイダーマンと無関係とはならないだろうけど)。

  • ヴェノム

 そして同様にスピンオフとして企画されているのが「ヴェノム」である。先述したように人気キャラでありながらライミが思い入れがなかったため「スパイダーマン3」ではお座なりな扱いだったがこちらももう20年選手。ヴィランばかりでなく時にはヒーローとして活躍することもあり、悪役/ヒーローどちらとして描かれるのかはまだ分からない。

アメイジングスパイダーマン3」の公開もすでに決まっており、「アメイジングスパイダーマン」世界も確実に拡がり構築されていく。マーベルスタジオのMCU、20世紀フォックスの「X-MEN」、そしてソニーの「アメイジングスパイダーマン」とマーベルの放つ3本の矢としてこれからもアメコミ映画を牽引していく事となるだろう。

 ところでIMAX以外だとエンドクレジットの途中で「X-MEN フューチャー&パスト」のフッテージが流れてびっくりしたんですが、これはあくまで権利上の理由における「アメイジングスパイダーマン」の中で「X-MEN」の宣伝という意味以外特にないようで別にこの二つの世界がつながっている、とかではないようです。残念だけど、まあこういうのは許せるのがマーベル映画かなあ。

アメイジング・スパイダーマン2 オリジナル・サウンドトラック

アメイジング・スパイダーマン2 オリジナル・サウンドトラック

 ラスト、グウェンの死に打ちひしがれたピーターはスパイダーマンとして引退を決意する。季節は過ぎまた春がきた。NYの街にはパワードスーツの怪人が現れ暴虐を欲しいままにしているかつてスパイディに助けれた少年がスパイダーマンのコスプレをして怪人の前に立ちふさがる。子供にも容赦しない態度をとる怪人(てかライノ)、子供がやられる!その時に現れたのが復帰したスパイダーマンスパイダーマンは子供に言う「今まで僕の代わりに街を守ってくれてありがとう。ここは僕に任せて君はママを守れ」。NYにスパイダーマンが帰ってきた。かつてグウェンが言ったようにスパイディはNYの希望なのだ。
君の名は希望

君の名は希望

*1:個人的にはそのロゴがスーパーマンに似ていることも示すようにスーパーマンをモデルに、でももっと親しみやすいヒーローとしてスーパーマンとの対比や類似を狙って設定されたのではないかと思う

*2:というか昨今のアクション映画などで純粋に無力で助けられ役という意味でのヒロインはほとんど登場しないように思う

*3:要は「バットマン」におけるハーレイクインと同じだと思えばいい

*4:エレクトロの他にミステリオや前作登場のリザードなどが原作同様のヴィランとして登場

*5:出資者はJJJ!

*6:この時にあっけなくレイヴンクロフトのセキュリティを突破するのが凄い。余談だがこういう実際には無理だろ!っていう小さな嘘を重箱の隅をつつくように指摘することは個人的にあんまり感心しない。「指輪物語」でのグワイヒアの描写とかね

*7:クレイブン・ザ・ハンターはスパイダーマンを狩ろうとするハンター。フレディ・マーキュリーのような風貌にライオンを模したチョッキを着ている。ミステリオはハリウッドで活躍する特殊効果の達人がその技術を使って犯罪を犯すヴィランだが逆に映画だと特殊効果を使って犯罪という描写が難しそう