The Spirit in the Bottle

旧「小覇王の徒然はてな別館」です。movie,comics & more…!!!

そして革命の炎は拡がり… ハンガー・ゲーム2


 前回の「仮面ライダーMOVIE大戦」に引き続いてもう公開が終わろうかという作品の感想。こちらの「ハンガー・ゲーム2」の感想で一応2013年に観た映画の感想は終わりかな。というかこの作品、字幕と吹き替えと2回づつ計4回観ました。正直自分でもここまでこの作品を好きになって入れこむことになろうとは思わなかった。もしも去年のベストを出す前に観ていれば絶対ランクインしていただろうし、おそらく今年のベストにもランクインするだろう(もしも外れるとしたら「ハンガー・ゲーム3」が公開されてそちらの出来も素晴らしかった場合)。前作を観た時は世間で言われるほど出来が悪いとは思わなかったけれど、特段凄い好き、というわけでもなかったのだが今回は胸を張って好きと言える。

物語

 北米の国家パネム。かつて首都キャピトルに反旗を翻し敗北した各地区への戒めとして年に一回各地区の少年少女を贄として差し出し争そわせる「ハンガー・ゲーム」。
 第74回ハンガー・ゲームを機転でピータとともに勝ち抜いたカットニス。しかし、彼女の取った行動はキャピトル側からは反逆行為、そしてパネムに虐げられている各地区からはキャピトルに対する抵抗の証と受け止められた。スノー大統領はカットニスに凱旋ツアーにおいてピータとの愛とパネムへの忠誠を示すよう指示する。そうしなければゲイルやプリムなどカットニスの大事な人達の命の保証はできないと。
 凱旋ツアーではピータとの仲を見せつつ、パネムへの忠誠をパフォーマンスする二人。しかし各地区、特に貧困の激しい地区では二人の姿は叛乱の象徴となっていく。スノー大統領への疑いを晴らすためピータとの結婚も決めた。
 新しいゲームマスタープルターク・ヘブンズビーが就任し第75回ハンガー・ゲームの開催が決まる。25年毎の記念大会。通常とは別の特別ルールが適用される。今回の特別ルールは「生存する過去の勝利者から各地区1人づつ選ぶ」というもの。しかし、第12地区には過去の勝利者はヘイミッチを入れて3人しかおらず女性はカットニスしかいないのだ。カットニスとヘイミッチの代わりに志願したピータは再び過酷なゲームに挑むのだった・・・

 前作の感想はこちら。

炎の少女カットニス ハンガー・ゲーム

 実は前作を観た後(というか正確には2公開前に)にスーザン・コリンズの原作「ハンガー・ゲーム」を読んだ。そして映画化作品は原作にとても忠実に作られているのだなあ、ということにびっくりした。もちろん映画化に際して多少のアレンジはしてあるが、全体として原作をそのまま映像化したという雰囲気は崩れない。長編小説を映像化する際、必ずしも原作に忠実に映像化するのが正しいとは限らない。時にストーリーを簡略化し、人物を減らしたり統合したり、あるいはオリジナルのキャラクターを作り出したり。原作の精神を継承していればアレンジするのは構わないだろう。度が過ぎれば問題だがその匙加減を愉しむのも原作ものの醍醐味といえるかもしれない。ところが映画を観た時も丁寧に作られてるな、とは思ったけれど、ここまで原作に忠実なものだとは思わなかった。原作者のスーザン・コリンズが脚色で関わっていたということもあるだろうが、まず何よりアメリカではこの原作が大ヒットしていて特に若者の間で大きな支持を受けている、ということも重要だったのではないだろうか。アメリカ本国ではまずそのままこの原作を映像に移し替える事こそが求められて、映画化作品はそれを見事に成し遂げたと言っていいのではないだろうか。この忠実に、というのは物語だけに及ばない。例えば僕は前作の感想で

ちなみに妹のプリム役の子とお母さん役の人はダコタ・ファニング系の目の大きな美女(美少女)なのだけどカットニスだけちょっと家族の中で雰囲気違うね。

と書いたが、原作でもカットニスは母親と妹のプリムローズとはあまり似ておらず、むしろゲイルと兄妹のようである、という描写がある。正確には第12地区に住む人間は皆似た雰囲気となり、明るい髪と青い瞳の母親とプリムがその中で特別な雰囲気を持っている、という感じのようだ。このカットニスの家族一つにしてもできるだけ丁寧に原作の描写を映画に移し替えている、といえるだろう。原作はカットニスの視点による一人称で進むのでスノー大統領やゲームメーカーであるセネカ・クレインの描写などは映画独自と言えるがそれでも「特にアレンジしないからこそ素晴らしい」という部分は不動である。
 ちなみにカットニスの視点なので映画を観た後に原作を読むとカットニスがピータの行為について「これは自分を油断させるためにわざと好意を寄せているふりをしているのではないか」などとずっと(特に前半は)疑っているのが悲しい。もうカットニスに「ピータの行為を疑う必要なんてないんだよ」と言ってあげたくなる。ピータは少女漫画などで言うところの「とにかく良い人だけど主人公のヒロインには二番手扱いされてる(一番手はゲイル)男子」という位置付け。「愛と誠」で言うところの”きみのためなら死ねる”岩清水弘。とにかくピータには幸せになってほしい。

ハンガー・ゲーム 上 (文庫ダ・ヴィンチ)

ハンガー・ゲーム 上 (文庫ダ・ヴィンチ)

ハンガー・ゲーム(下) (文庫ダ・ヴィンチ)

ハンガー・ゲーム(下) (文庫ダ・ヴィンチ)

 というわけで「2」の方である。1作目も2時間23分という長時間だったが、今回は更に少し長くなった2時間27分という上映時間。原作を読まずに一回目を観た際にも「これはまた丁寧に作られているなあ」と思った。今回は原作者のスーザン・コリンズは脚本では関わっていないが(製作総指揮としてクレジット)、それでもこれも原作に忠実なんだろうなあ、と感じた。実際映画を観てから原作を読むとそれは当たっていて、カットニスが暴動の起きた第8地区から消滅したはずの13地区へ向かう逃亡者と出会うシーンとカットニスとピータが過去の大会を復習する形でヘイミッチが勝利した第50回大会(第2回記念大会)の映像を見るシーンが大きなカット部分だが、やはりそれ以外は原作を忠実に移し替えている。ちなみに最初の記念大会は出場者を抽選ではなく各地区の住人が投票で選ぶという物で、ヘイミッチが出場した第2回記念大会はいつもの倍、各地区男女2人づつ計48人で行われた。更にいうとヘイミッチとともに第12地区から出場した女子はカットニスの母親の友人だった。
 上映時間は長いが、実際の「ハンガー・ゲーム」が始まるのはかなり後半になってから。前半は前回の勝利を受けての凱旋ツアーの様子が描かれる。前回カットニスとともに行動したルーとカットニスを助けたスレッシュの出身地区である第11地区(農業を受け持つ地区であり人口は一番多く貧困も第12地区より酷い。さらに映画では黒人が多く住居する地域のように描かれている)ではスノー大統領の警告を忘れ思わず本音の一部を晒してしまうカットニス。手を上げて叛意を表明する老人を容赦なく射殺する治安維持の兵士。そういう悲惨な現実が描かれる。結果としてスノーに疑われぬようエフィーの文を棒読みするようになるカットニスとピータ。しかしこの凱旋ツアーで一番グロテスクなシーンは2人に花束を渡した少女が「私も貴方のように志願します」とカットニスに告げるシーンだろう。おそらくここは第1地区か第2地区のいわゆる「プロ(比較的裕福な地区で小さい頃からハンガー・ゲームのために子どもたちが訓練していて自ら志願することが多いためそのように呼ばれる)」を輩出する地区だろうけれど、ハンガー・ゲームを名誉なことと思い自ら死ぬことも厭わぬ子供を育てる背景を考えると非常にグロテスクである。
 この後、キャピトルでのパーティーも描かれる。ここではキャピトルの住人がパーティーで揃えられた食べ物を存分に食べるために腹が一杯になれば吐き薬を飲んで吐いてまた食べる、という描写に対してピータが「他の地区じゃ住民が飢えてるのにここでは・・・」みたいなことを言うがここで僕は韓国映画「シュリ」チェ・ミンシク演じる北朝鮮の兵士がハン・ソッキュとの電話での会話で「故郷じゃ家族が飢えてるのに、ここじゃ吐いてやがる」みたいなことを言うシーンを思い出した。
 スノー大統領はじめキャピトルの住人たちには古代ローマ風の名前が与えられており、作品自体が「スパルタカスの反乱」など古代ローマを想起させる、と言うのは前回の感想でも書いた。パネムのモデルはもちろん現代のアメリカの覇権主義や国内の資本主義による貧富の格差などがカリカチュアされているのだろうが、同時に古代ローマ的でもある。というか現在のアメリカ自体が意識的か無意識かローマ帝国であらん、とする部分があって、国内の地名に何故かローマ風の名前をつけたりしているのだ。コラトリアス・スノー、シーザー・フリッカーマン、クラウディウス・テンプルスミス、プルターク・ヘブンズビー(そして74回大会の失敗によって死を賜ったセネカ・クレイン)などキャピトルの住民は概ね古代ローマ風だし、前回の最後の敵となったプロのケイトー(第2地区)や今回の第2地区のプロであるブルータスなどもローマ風。第2地区は一番キャピトルに近いのかもしれない(同じプロ排出の第1地区や第4地区だと微妙に異なる)。
 一方キャピトルから一番離れた第12地区の人名はヘイミッチやピータなど古い英語の人名を思わせる(ヘイミッチはスコットランドの古い英語でジェームズを表すヘイミッシュを連想)。この中央の古代ローマを連想させるキャピトルと古代ブリテン島を思わせる第12地区(その他の地区も)の関係はそのままローマとその属州としてのガリアの関係と一致するだろう。単純に思えるパネムの国家体制も色々と歴史的な意味合いを含んでいるのだな。

 後半はやっとゲーム本番。とは言えこの映画の本質がハンガー・ゲームそのものではないのはもう分かっている。ましてやこのゲームはタダの殺人スポーツではなく、各地区への戒めとキャピトルの住人の娯楽・ガス抜きという役目があり、正々堂々とかチャンスは平等に、とか言うものではない。75回大会は第3回記念大会でもある。スノーはカットニス含め過去の勝利者(中にはキャピトルでアイドル的人気を誇る者もいる)を潜在的反乱分子と考えているため、これを期に一掃しようとしているのだ。
 少年少女ばかりで正直個性が薄かった前回に比べると出場者の個性はぐんと目立ち、第1地区、2地区のプロもそうだが、肉体派ではなく頭脳派の第3地区ビーティーとワイレス、そして史上最年少優勝の記録を持つ第4地区のフィニックと逆に初期ハンガー・ゲーム勝利者でその後教育係としてフィニックなどを育てた80を超える老婆マグスなど個性的なメンツが揃った。中には第7地区のジョアンナのようにスノーへの不満を隠さないものもいる。
 日本ではどうしても原作の認知度が低く、また運悪く「バトル・ロワイアル」と比較されてしまったことがはっきり言って悪かったと思う*1。どうしてもあの作品のような派手な殺しの描写やアクションが期待されてしまったのではないか。僕は正直映画も原作も「バトル・ロワイアル」はそんなに好きではなく、「ハンガー・ゲーム」の方が出来がいいとは思っているがそのへんである意味この映画は原作を読んだ人向けではある。また今回も「正月映画唯一のアクション超大作」というような煽句が付けられていたが、「アクションもある架空歴史映画」とでもいうのが正確だと思う。決してアクションがメインの作品ではない。
 今回も出場者同士の殺し合いよりも戦場となる空間(中央に海を模した海水地域がありその中央に武器などを揃えてあるコルヌコピア。周りを円状にジャングルが囲む形)でのサバイバルがメインとなる。映画を最後まで見れば出場者の大半が実は革命の象徴となるカットニスとピータを守るためにこの大会で同盟を結んでいたことが判明する(おそらくプロを除くほとんどの出場者が盟約に加わっていたに違いない)。映画はカットニスが会場の覆う空に模した天井を壊すところでゲームは終わり、反乱軍のホバークラフトに救われるところで終わる。そこにはヘイミッチとプルターク、そしてフィニックがいた。ヘイミッチによるとピータはジョアンナとともにキャピトルに囚われたという。そして再び目覚めるとそこにはゲイルがおり、もう第12地区は滅び、滅んだはずの第13地区へ向かうという・・・
 映画は(というか原作も)明白に続編があることを示唆して終わるが、この辺も原作がどのくらい読まれているか、という部分もあるのだろうなあ。僕は最初の鑑賞を公開初日に観たのだが、その時は外国人のグループが何組かおり、盛り上がりが凄かった。日米での盛り上がりや批評に差があるのはもう需要度の違いもあるのでしょうがないのかな、と思う。
ハンガー・ゲーム2 上 燃え広がる炎 (文庫ダ・ヴィンチ)

ハンガー・ゲーム2 上 燃え広がる炎 (文庫ダ・ヴィンチ)

ハンガー・ゲーム2 下 燃え広がる炎 (文庫ダ・ヴィンチ)

ハンガー・ゲーム2 下 燃え広がる炎 (文庫ダ・ヴィンチ)


 キャストは前作から登場するキャラクターはほぼ続投。さらに今回からベテラン俳優もたくさん参加している。ジェニファー・ローレンスは本当にここ最近の活躍はめざましく、賞も取っているが、個人的に後々振り返って彼女の初期キャリアを代表する作品はやはりこの「ハンガー・ゲーム」シリーズになると思う。
 そして僕のイチオシはなんといってもピータ役のジョシュ・ハッチャーソンである。前作を見る前には主演作の「センター・オブ・ジ・アース」なんかも見ていたがそこでは主役なのに一番目立たない感じだった。ところがここでピータという役を得てある意味一番輝いている。ある意味でピータはもう一人の主役である。
 そしてウディ・ハレルソンエリザベス・バンクスレニー・クラヴィッツといったハンガー・ゲーム出場者の2人を支える人々。ウディ・ハレルソンのヘイミッチは原作では過去のゲーム出場の様子が語られるが映画ではそこまで描かれないのが少し残念。バンクスのエフィーとクラヴィッツのシナはキャピトルの住人だが連戦するカットニスたちには同情を感じていて、狩り入れの儀式の際に一つしかないくじを引く様子や、列車の中でお揃いのものを身につけて彼ら(スノーやキャピトルの住人か)を見返そうという部分はエフィーでなくても涙を誘う。シナは前作でもキャピトルの住人らしからぬ落ち着きを持っていたが、今回はその仕事ぶりが完全に反乱行為とみなされ、いざゲームへ臨もうというカットニスの前で兵士に暴行を受ける。
 その他スノー大統領にドナルド・サザーランド。ゲームの実況や関連番組を担当するインタビュアーのシーザーにスタンリー・トゥッチ。そしてシーザーとともにゲーム解説をするクラウディウストビー・ジョーンズという前作から引き続きの布陣。原作ではシーザーが若作りをしてずーっと番組を担当していることが判明しており、またスノー大統領は少なくとも25年前の第2回記念大会の時点では既に大統領の職にあることが分かる。映画ではスノー大統領の独裁と言うよりパネムという国家のシステムが独裁的、といイメージを感じるが、もしかしたら、スノーはその最初から不老や長寿によってずっと大統領を務めているのかもしれない。
 スタンリー・トゥッチのシーザーももちろんキャピトルの住人で体制側の人物だが妙に憎めないのは彼が自分のしていることを悪いことだとは全く思っていない様子が画面なから伝わってくるからだろう。ある意味彼こそがキャピトルの住人の典型像である。
 
 新キャラクターはフィリップ・シーモア・ホフマンの新しいゲームマスタープルターク・ヘブンズビー。セネカ・クレインの後を受けて新しくゲームをし切るがそこには全て裏があって・・・とはいえこの時点ではまだ彼についてはよく分からずその真意は3を待つしかない。
 新たな出場者はビーティーにジェフリー・ライト。頭脳派の勝利者で戦況を操作する。そしてジョアンナに「エンジェル・ウォーズ」のジェナ・マローン。僕はこれで知ったがフィニック役のサム・クラフリンも飄々として存在感がある。いずれにしろ前回に比べると出場者の個性は段違いだ。
 ゲイル役のリアム・ヘムズワースは前回よりは出番が増えたが、それでもまだメインではなく、次からは本格的に活躍するものと思われる。
 
 とにかく僕にとっては大好きな作品となった一本。、もちろんダメだった、という人の意見もある程度理解できる。丁寧であるけれど長すぎるし、見せ場であるはずのアクション描写も淡々としている。原作抜きで独立した一本のエンターテインメント作品としては難しいだろう。好き嫌いが綺麗に別れる作品かな、」と思う。それでも僕は 断然この作品を支持する。
ハンガー・ゲーム3 上 マネシカケスの少女 (文庫ダ・ヴィンチ)

ハンガー・ゲーム3 上 マネシカケスの少女 (文庫ダ・ヴィンチ)

ハンガー・ゲーム3 下マネシカケスの少女 (文庫ダ・ヴィンチ)

ハンガー・ゲーム3 下マネシカケスの少女 (文庫ダ・ヴィンチ)

 続編はなんと前後編の2部作。原作の長さは1も2も3も特に変わらず、それでさえ、丁寧に作られているのにそれが2部作ということは単純計算で文庫の上巻で映画一本、下巻で一本作る換算になる。こうなるとどこまで丁寧に作るのだろうと、普段ならしない期待もしたくなる。
 目下、僕の悩みは映画公開前に原作の3を読んでしまうか、ウズウズしながら映画公開まで待つか、ということだ(普段は映画の存在を先に知った場合は観て面白かったら原作も読む派)。いずれにしろ続編に期待して待つ!*2 
ハンガー・ゲーム2~オリジナル・サウンド・トラック

ハンガー・ゲーム2~オリジナル・サウンド・トラック

*1:アメリカでもそういう批判は合ったようだが「一部設定は似ているが本質的に別物」ということで済んだようだ

*2:早ければ3の前編は日本でも年内公開あるはず