The Spirit in the Bottle

旧「小覇王の徒然はてな別館」です。movie,comics & more…!!!

当世風昔からの物語 美女と野獣


美女と…

野獣。

そして…

美女で野獣
 4月は結局1日に「キングコング」と「レゴバットマン」を観たっきり劇場での映画鑑賞が出来なかったのだが、終盤になって何とか新たに1作だけ観賞できた。それがディズニーの1991年の名作アニメの実写リメイク作品。ビル・コンドン監督作品、「美女と野獣」を観賞。

物語

 むかしむかしのフランス。森の奥深くにある城には若く美しい王子が住んでいましたが、この王子はとてもわがままで傲慢でした。毎晩のように繰り広げられる宴の最中、一人の老婆が城を訪れ一輪の薔薇と引き換えに一晩の宿を求めましたが王子はこれを無碍に断りました。すると老婆は美しい魔女に変わり王子と城の住人たち、そして城全体に呪いをかけてしまいます。王子は醜い野獣に、召使いたちは家財道具へと姿を変えられました。魔女は言います。赤い薔薇の花びらが全て落ちて枯れ果てるその日までに王子が人を愛し愛されなければ野獣のまま二度と人には戻れないと。またお城の記憶も人々から消してしまいました。
 城の近くにある村に住むベルは村一番の美しい娘でしたが読書が好きなため変わり者扱いされていました。村で一番ハンサムででも乱暴者のガストンはベルト結婚しようとちょっかいをかけてきますがベルにそのつもりはありません。ある時ベルの父モーリスが時計を納品に家を開けますが途中で道に迷い、狼から逃れてお城にたどり着きました。モーリスは城に入り暖を取ろうとして、テーブルにあった食事を勝手に取りますが、その時ティーカップが動き彼に声をかけてきた事に驚いて急いで城を後にしようとします。入り口で薔薇を見かけたモーリスはベルからのおみやげが薔薇だったことを思い出して一輪摘んだその時、恐ろしい野獣にとらわれてしまうのでした。
 馬のフィリップが主人を置いて帰ってきたことに心配したベルはフィリップに乗ってお城へ向かいます。そこには囚われの身となったモーリスがいました。ベルは父親の代わりに自分が囚われとなることを申し出ます。動く家財道具たちに世話されながらベルと野獣の生活が始まり…

 とまあ、あらすじをつらつら書いたけれど、もう元の作品も含め有名な物語。数年前には本家フランスの映画としてクリストフ・ガンズ監督、レア・セドゥ&ヴァンサン・カッセルによる「美女と野獣」もあったりしたけれど、本作は同名のディズニー作品の実写リメイク作品。ディズニー作品の実写リメイクというと1996年に「101匹わんちゃん」の実写リメイク「101」があったりしたけれど、現在の流れにつながるのは2014年の「眠れる森の美女」を悪役視点で描いた「マレフィセント」、2015年の「シンデレラ」、昨年の「ジャングル・ブック」などだろう。他にも「ホーンテッド・マンション」とか「パイレーツ・オブ・カリビアン」とか「トゥモローランド」みたいなディズニーランドのアトラクションの映画化なんてのもあるんだよね。
 ただ、「マレフィセント」「シンデレラ」「美女と野獣」(ちょっと話がぶれるので「ジャングル・ブック」は除外)にはそれぞれ明確な製作意図の違いもあって、「マレフィセント」は自ら製作総指揮・主演したアンジェリーナ・ジョリーの強い意図が働いてかなり独自視点のリメイクと言う感じだし、「シンデレラ」は一部楽曲はそのままアニメ映画の方から使用しているものの、別物となっている部分も多く、1950年作品という古い時代の価値観から上手く21世紀の現代的視点の作品になっていた。それに比べると今回の「美女と野獣」はオリジナルが1991年という割と最近の作品というだけあって(それでも25年も前だ)、物語や設定面で特に大きく変えることなく、そのアニメ的表現をどこまで実写でバージョンアップして表現できるか、がポイントとなっていると思った。
 もっとも僕は今回この実写版公開にあたって、オリジナル作品を見返すことはしなかったのだが、元々アニメの方は70年代80年代の割りとディズニー長編アニメ映画不遇の時代が続いていて、1989年の「リトル・マーメイド」とともにディズニー復活の旗印になった作品。劇場公開時こそ見ていないがTVなどで放送されればそれなりに見ていた記憶。ただ、個人的にはそんなに好きじゃなかった。でもこの実写版はすごく好きです。

 ベル役はエマ・ワトソン。アニメのベルは確かいわゆるディズニープリンセスでは初の平民出身だっただろうか。そのデザインはお姫様というより活発で利発な少女、という感じで好みだった記憶(自分の一番好きなディズニーヒロインのデザインは「ヘラクレス」のメグです)。ベルと言う名前は劇中でも「美しい人」という意味と言及される通り「美女と野獣(フランス語原題La Belle et la Bête)」の美女担当。元々の童話ではそもそもこの「ベル」という名前は本名ではなく「名無しの"美女=ベル"」という感じだったそうだ。
 家族構成などはディズニーオリジナル設定でレア・セドゥのベル(6人兄弟の末っ子)の方がオリジナルに近いようだが、単に心が清いというだけでなく進取の気性に富む女性として1991年の時点でも新しいタイプだったが、更にエマ・ワトソンという血肉を得たことで現代的な女性に近づいたと思う。
 父親のモーリスはケビン・クラインでこれがなかなかの曲者。城に勝手に入って暖を取るまではいいが(僕だったら扉の前で開けてくれるの待ってしまうと思う)、何の躊躇もなくテーブルの料理に手を付けたり、ビビって逃げるのに薔薇をもぎるのは忘れなかったりする。この親にして娘あり、という感じ。元々はパリに住んでいてペストから逃れて村に来たという設定。野獣が魔女から送られた本でベルをパリに連れて行き、母親の死の真相を知るシーンも今回のオリジナルなのかな?映画の時代設定としてはすでにシェイクスピアが読まれているので17世紀以降フランス革命前ぐらい(ブルボン朝全盛期)の約150年ぐらいの間か。
 ベルが野獣の蔵書に驚愕して「これを全部読んだの?」と尋ねて、野獣が「ギリシア語の本もあるから全部ではない」と返すのをベルがジョークとと捉えて笑うシーンがあって最初は意味不明だったんだけど、これはシェークスピア由来の「It's all Greeek to me.」という言い回しがあって、英語では「ちんぷんかんぷん」みたいな意味なんだそうです。ただ、僕個人の感じ方としては野獣は文字通りの意味で言ったのに対して、ベルが勝手に「洒落たジョーク言ってる」って好意的に捉えたような感じに見えた。

 この映画の悪役はガストン。村一番のハンサムで暴れん坊、ベルには嫌われているがその他の村娘には好かれているようなキャラクター。戦争や暴力をこよなく愛する男。アニメでもそんなに魅力的には思えない。魔法を使うわけでもそれほど邪悪というわけでもないが、マレフィセントなどと並んでいわゆるディズニーヴィランとしても名を連ねる。演じているのはルーク・エヴァンスで、もうこれは役というより役者自身の魅力でかなり格好良くなっている。もちろん後半は悪役としてかなり厭らしい役柄なのだけど、前半は初登場のシーンから、酒場での踊りからかなり魅力的である。やはりアニメと違ってピタッと当てはまる役者に恵まれると実写はそれで魅力が倍増するなあ。ルーク・エヴァンス、以前は「美男子だとは思うけど、僕個人はそれほど魅力は感じない」枠の役者だったのだが、ここ数年でその魅力が分かってきた。このつぎに劇場鑑賞予定作品は「ワイルド・スピードICE BREAK」でまたルーク・エヴァンスですよ。
 ルーク・エヴァンスはそのキャリアの最初の方から同性愛者であることをカミング・アウトしていて、かと言って、それで演じる役が制限されたりしたことはないそうなのだが、面白いのはこのルーク・エヴァンス演じるガストンの腰巾着としてル・フウというキャラクターがいる。これが明らかに同性愛者として描かれていて、ガストンに恋い焦がれているが相手にはされていない(友人としてそれなりに重宝されてはいる)。これはおそらくアニメではなく今回新しく設定された描写だと思うが、このル・フウのキャラクターがいることで同時にガストンにも深みが出ている。ル・フウはガストンの最も近くにいるため、同時にその心の醜さに最初に気付く。
 先述した通りベルは元々「美女」という意味だし、城の召使い=家財道具たちの名前も「ルミエール=光」であったり、「ポット夫人」であったり多分に駄洒落ネーミングなんだけど、「ル・フウ=LeFou」もフランス語で「愚か者」とかそんな意味である。有名なところではフランスヌーヴェルヴァーグ作品「気狂いピエロ」の原題が「Pierrot Le Fou」で日本語の「気狂い」の部分にあたるのですな*1。いわゆる道化師でありこのル・フウも笑いの多くの部分を担当していたりするが、それ故時に冷徹に作品世界を俯瞰するキャラクターともいえよう。最後は報われるので良かったです。

 僕は初回を日本語吹替で観て、それはそれで十分満足だったのだけど(錚々たる実力者が歌の部分も吹き替えている)、エマ・ワトソン以外の出演者を特に知らずに観た。で、驚いたのですよ。プロローグ部分のお城のシーンでスタンリー・トゥッチがいるなあ、というのはなんとなく気づいたのだけど、この家財道具に変えられた召使たちがそうそうたる面々。ポット夫人はエマ・トンプソン。時計に変えられたコグスワースはイアン・マッケラン。ピアノ(クラヴィコード?オルガン)のマエストロ・カデンツァがスタンリー・トゥッチ。そして、燭台のルミエールがなんとユアン・マクレガー!もうユアン出てるなら出てるって言ってよ!特にユアンエマ・トンプソンはメインもサブも含めたくさん歌う楽曲があるのですよ。
 というわけで作品そのものは吹替版で十分満足だったのだけど、今度は最初からユアンが歌っているんだ、という認識を持って字幕版に挑戦。もうね、ユアンの歌が魅力的なのは「ムーラン・ルージュ」はじめとするいくつかの作品で十分証明されているので、それを堪能するために二回目を観た。観てない作品いっぱいあるのに。
 いややっぱり、ユアンの歌声は魅力的。歌のアルバムとか出してくれれば絶対買うのに。ユアンはじめ役者本人が顔を出すのは最後の最後なのだけど、声だけで十分ユアンと認識できる。もちろんその他のキャストも素晴らしかったです(特にエマ・トンプソン)。一番歌声が不安定だったのは主演のエマ・ワトソンだったかもしれないけれど、これは若さの証明でもありむしろその不安定さがキャラクターの新鮮さを表現している。
 で、僕はこの作品で初めて知ったのだけど、ルミエールの恋人であるプリュメット役のググ・バサ=ローも、マダム・ド・ガルドローブ役のオードラ・マクドナルドも黒人。またベルの村で役人(図書館司書?)も黒人。比較的社会的上位階層のキャラクターとして黒人が配役されていて、この辺は多分リアルな史劇であれば通常ありえない配役。実際「ポリコレに配慮したのか」とか文句を言っている意見も見受けられた。ただ、これは舞台の配役だと思うと全然変な感じはしない。作品そのものがファンタジーであるし、ミュージカルという特性上、舞台的配役を映画でもしたものと思えて僕は全然不自然には感じなかった

 あ、肝心の野獣を忘れていた。「美女と野獣」の映像化における「呪いが解けた王子様より野獣の姿のほうが格好良いじゃん!」の法則は今回も健在。演じているのはイギリス出身のダン・スティーヴンスで、僕が過去に観た中では「ナイト・ミュージアム3」の蝋人形のランスロット役で出ていた。もちろんいかにも王子様と言った感じのハンサムだが、野獣の渋く低く響く声、ライオンとビッグホーンを足したような精悍なルックスに比べると物足りなくなってしまう。特に変哲のない特徴のないハンサム、に落ち着いていしまうのだなあ。これは野獣姿が格好良すぎるのも問題かも。若くて特徴のないハンサムではあかんと、ガンズ版では爬虫類顔でキャリアも十分なヴァンサン・カッセルが野獣役だったが、それでもなお「野獣のほうが格好いい」って感じになってしまったし。この辺は永遠の課題か。

 とにかく真正面からアニメをそのまま実写に置き換えることに挑んだ作品で、かつこの25年の間のアップデートも(技術や見せ方だけではなく人物演出でも)きちんとされているので割りと万人におすすめです。ディズニーアニメそのものは苦手って人でも、コレは大丈夫なんじゃないかな。

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ディズニーの古典的アニメ作品の実写化作品。

美女と野獣 オリジナル・サウンドトラック デラックス・エディション(日本語版)

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 楽曲は元々良かったのだけれど、更に良くなっています。ミュージックステーションでは野獣役の山崎育三郎とベル役の昆夏美がメイン主題歌の「美女と野獣」をデュエットしていたけれど、劇中ではこの曲はこの二人じゃなくポット夫人(エマ・トンプソン)とルミエール(ユアン・マクレガー)によって歌われるのである。後はやっぱガストン役のルーク・エヴァンスが素敵です。ユアンとルークを愛でるだけでも劇場に行くのだ!

*1:ちなみに「気狂いピエロ」はタイトルの「気狂い」が現在の放送上だとダメなのか原題をそのまま音読みした「ピエロ・ル・フ」で放送されたこともありました