The Spirit in the Bottle

旧「小覇王の徒然はてな別館」です。movie,comics & more…!!!

少年漫画の光と影 バクマン。

 映画「バクマン。」観てきました。実はあんまり乗り気ではなかったんだけれど、原作は一応全巻そろえたぐらいにはファンだったし、文句もあれど色々語りたくなる作品で、漫画原作の方だけ語っていてもいいんだけれど、どうせなら映画も見ておいた方がいいかと。監督の大根仁は今回が初めて。ただ監督の前作「モテキ」は原作もドラマも観ておらず、個人的には絶対合わない作品だろうなあ、と思ったのと(当時はアイドリング!!!ファンになった頃で「なんでサントラに「モテ期のうた」が入ってないんだよ!」とか言ってた気がする)、原作の嫌な部分が拡大されて描写されていたらどうしよう?と思ったのが乗り気でない原因。ただすでに観た人の間で評判が良かったのと(ただ例によって原作を知らない人には、みたいな条件付きの評価が多かった)、女性キャラが一人をのぞいてほとんど登場しない、という情報を得たことが決め手となった。大根仁監督「バクマン。」を観賞。映画とその原作になった漫画作品と両方について感想を書いているけれど、どちらかと言えば漫画についてのほうが多いかも。

 物語はもう殆どの人が知っていると思うので省略するけれど、高校の同級生(原作だと中学生からスタート)二人が原作と作画でコンビを組んで漫画家を目指し、「週刊少年ジャンプ」での連載とアニメ化、そしてアニメ化の折には作画担当の真城最高(サイコー)と両思いである声優を志している亜豆美保がその作品のヒロインを務めそれが叶えば結婚!という夢を追う物語。ジャンプ誌上でジャンプを舞台にした物語を描くということで話題となった作品。原作:大場つぐみ、漫画:小畑健の「デスノート」のコンビによる作品。
 僕は作画の小畑健の作品は「ヒカルの碁」「デスノート」とコミックスを揃えていた事もあって、この「バクマン。」も一巻から買っていたのだが、今読むと最初はかなり魅力が薄い。登場人物が初登場の時リアルタッチで描かれてて何考えているかわからない(服部哲編集とか)。登場する度にデフォルメされていって漫画のキャラになっていくのだがもしかしたらこの辺はサイコーの作画技術に比例しているという作りだったのだろうか?、物語的にも魅力が出てくるのはサイコーが新妻エイジのアシスタントに行く3巻ぐらいから。福田真太が初登場からルックスも言動も一貫している数少ないキャラだろうか。実際福田の登場でやっと漫画としての魅力を発揮しているように今読むと思う。前作、前々作を買っていたとはいえ、なんで一巻の初版から買っていたのか今思うとよく分からないぐらい。
 原作は単行本全20巻で今回の映画はその中の1〜6巻(7巻冒頭)辺りまで。当然物語にしても登場人物にしてもかなりの省略がされていて、一部映像化されて無くて残念なシーンもあったけれど概ね自然な流れであったと思う。逆にこのシーンは実写で観たくないなーというところはほとんどカットされていたしね。
 映画の方は予告編を観た段階ではサイコー(佐藤健)とシュージン(神木隆之介)の役柄反対じゃね?とか思ったのだが、始まるとそんな違和感は雲散霧消。高校生というには二人共もうかなり大人だが高校生にしては性格や考え方は大人びている設定なので全然問題なかったと思う。何度も言ってるけど高校生役に実際の高校生を当てることなんてなくて、むしろマンガや小説の登場人物の子供なんて現実より大人びているのだからちょっと年齢が上くらいの役者を当ててちょうどいいのだ(特に男子)。高校生を演じるなら卒業後10年ぐらいまでなら全然OKなのだ!
 佐藤健神木隆之介というと「るろうに剣心」の緋村剣心と天剣の宗次郎である。その二人が今回は同じジャンプ漫画原作の映画でコンビを組むわけであんまりその辺で話題にならなかったのは残念かな。

 原作はおそらく原作の大場つぐみの嗜好が強く出ていて、サイコーとシュージンが非常にエリート主義的であるとか僕も旧ブログの感想で書いた記憶があるのだが、まあ漫画家なんて選ばれた才能の持ち主じゃないと無理なんでその辺はしょうがないかな、と思う。今この漫画を問題視するときに多く話題になるのは劇中の女性蔑視的な態度だろう。一番早く出てくるのはシュージンがサイコーに亜豆について語るところ。

 確かにこれは今読むとかなりアウト。ただこの時点ではあくまでキャラクターの考えであり台詞であり、発言者のシュージンが中学3年生の正直周りをバカにしているようなキャラなので作品自体の主張とまでは言えないと思っていた。最もその後やたら女性作家にパンチラを描かせようとする描写が出てきたり、やはり全体としては女性蔑視的な嗜好が見て取れるのは間違いない。ちなみに原作の大場つぐみはこんな名前だけれど多分その正体は漫画家のガモウひろしなので男性。
 ただ、そういうエリート主義的なところとか女性蔑視的なところをさておいても漫画としてはかなり面白い作品なのでその辺は複雑。後一応件の発言者シュージンも物語が進むに連れて成長していくし、ここでバカにしていた岩瀬ともライバルとして良い関係を結んでいくようにはなる。
 で、映画の方は上映時間の関係上カットされている展開もあるけれど、何より亜豆美保以外の女性キャラがほとんど登場しない。映画においては、例えば洋画なら人種をまんべんなく登場させる、とか配慮されていることが多いし、日本でも原作では男性キャラなのに女性に変更したり(もちろん逆もある)オリジナルで女性キャラを追加したりということもあるのだが、本作は逆に女性キャラをほぼ登場させないことで原作にある女性軽視の描写をしなくて済んだ、という感じ。女性が出てこないからダメな映画だ、という印象はほとんど持つ人はいないだろう。むしろ下手に登場させてたら、(原作に準じるその描写によって)逆に非難されていたりするのではないだろうか。また登場人物の家族が背景としても一切描かれない。原作では主にサイコーと亜豆を中心にシュージンや見吉香耶(亜豆の親友でシュージンの恋人、映画では登場しない)当たりの家族が描写されるがこの辺もまったく描かれずその辺が作品が重くならず最後まで軽やかな雰囲気を保つのに一役買っている。原作だとサイコーのおじさんが漫画家*1で、亜豆のお母さんと同級生で漫画家になって成功したら告白しようと思ってた、みたいな過去があるのだが、こういうのも正直余計な描写だと思ったのでカットされ漫画バカ一代的な描写に徹底されていたのは良かった。このオジサンと同級生(恋のライバルで親友)が実は香耶のお父さんでみたいな展開も「世間は狭い」というより「お前らどんだけ狭い世界で恋愛完結させてるんだよ!」としか思えなかったので原作読んでた時はむしろスケールが小さく感じたものだ。
 まあ原作が連載されてた時は「一番いらないのはサイコーと亜豆の恋愛描写だ」とか思っていたけれど、これはこの作品の出発点であるので致し方無い。ただいかにも美少女ゲームのラスボス(「ときめきメモリアル」の藤崎詩織とか)っぽい男性の妄想を統合したような黒髪ストレートのロングの美少女で性格も真面目でおとなし目というキャラクターで正直魅力は感じなかった原作に比べると(シュージンが初期にバカにしていた岩瀬の方がはるかに魅力的だ)小松菜奈という実際の血が通った俳優を経たことで亜豆のキャラクターも良くなった。小松菜奈はどうしても「渇き。」の印象が強く小悪魔的なイメージだったので亜豆に合うのか半信半疑だったのだが、むしろそのちょっと世間離れした雰囲気が良かった。原作まんまの亜豆は嫌いだけど映画の亜豆はそれなりに好感が持てサイコーとの恋愛を応援したくなる。
 ただ、サイコーが亜豆の絵を描いていて、それが亜豆に見つかるシーン。原作の方はその似顔絵も当然小畑健が描いていて、ああこれは亜豆を描いているのだな、と分かるのだが、それが実写になった時、現実の亜豆が小畑健風に描かれた女の子を見て「これ私?」と思うのはちょっと無理があるかも。いやそれを言うなら普通は男子が自分を描いてたらドン引きするよなあ。しかもこの似顔絵の中にはスクール水着姿とかも載ってるんだよ。亜豆の方も元々サイコーが好きだったということで好意的にとられるんだけど、普通はこの時点でアウトでしょ。これは原作にない描写なのでここだけはむしろ原作より後退してるかも(あともう一度、亜豆をモデルにした女性キャラの乳首を描こうと苦悩するシーンがあって、これも原作にはないので監督の趣向か。青少年のリビドーということでは有りなのかもしれないが必要不可欠だったかは微妙なところ)。ただ大きな不満はこのへんぐらい。後は全体として思い切った原作の展開のカットがより良い印象を映画にもたらしています。
 恋愛描写をサイコーと亜豆に限定し、他の女性陣を出さないことで結果として女性蔑視的な描写を避ける事ができている。比べるのは悪いと思いながら比較に出すと今年の少年漫画の実写映画化作品だと「進撃の巨人」は原作にない余計な描写を足してダメにした(観てよかったと思える人をかなり限定した)作品で、本作は原作のダメな描写を大胆にカットして結果として万人向けにすることに成功した作品といえるだろう。脚本も大根仁です。

 サイコーは佐藤健。最近はすっかり大人っぽくなったが、元々は仮面ライダー史上最も運の悪い主人公だった(当時最年少主人公でもあったんだっけ?)。凛々しい部分だけでなく「るろうに剣心」の剣心平常モードみたいなフニャッとした部分も持ち味。最初はそれこそシュージンの神木隆之介と逆だろ、と思ったりしたんだけど。佐藤健はこの映画では時折福山雅治っぽく見える事もあって基本的にはまだ若々しいルックスなのだが、大人っぽい部分もちゃんとあってその辺は亜豆との子供以上大人未満な恋愛描写に生かされていると思う。
 シュージンには神木隆之介。この人も映画やドラマでは天才役を演じることが多いのだけど、その割に親しみやすい風貌が特徴か。映画では恋人である見吉香耶の存在がカットされ、私生活は一切描写されないが一方で相棒であるサイコーを支える親友として光っている。当然上記の女性蔑視なセリフはカット。
 サイコー、シュージン、亜豆の主人公以外のキャストは漫画家仲間となる福田真太に桐谷健太、中井巧郎に皆川猿時、そして我らが平丸一也に新井浩文。この3人は概ね原作の描写に準じているが、実写では更に漫画的な誇張がされていて、でもそれが逆に凄みとリアリティを与えている。この3人の描写はドラマ「アオイホノオ」の雰囲気に近い。原作と似てる似てないは別としてこの映画で一番好きなキャラクターは桐谷健太演じる福田真太かな*2。実写「るろうに剣心」の左之助と似ている。
 ちなみに新井浩文とかの死んだ目系の役者はそれこそハリウッド映画とかで殺し屋役とかやったら一気に世界的に大ブレイクする可能性があるんじゃないかと思っています。
 ジャンプの佐々木編集長にリリー・フランキー、服部哲編集に山田孝之リリー・フランキーは安定の理想の大人という感じだし、山田孝之の方は原作のもう一人の服部編集、服部雄二郎の方も統合されているのかな、という気もする。ちなみにジャンプ編集部はジャンプ紹介番組(今だと「ジャンポリス」)などで登場することがあるけれど映画のそれは現実と違って薄暗く雑多していて(木造っぽい雰囲気)、より我々が連想する雑誌の編集部、というイメージを優先している。
 さて一番の問題は天才少年漫画家である新妻エイジ役の染谷将太だろう。染谷将太自体はいい役者だと思うが、ここではちょっと合っていなかった気もする。福田たちの誇張された描写に対して新妻エイジは原作ですでに十分な誇張がされているので、ここはむしろ実写にするにあたってもっと現実的な描写に寄せるか、でなければもっと年齢の若い(実際の高校生かあるいはそれより年少)の俳優をあてた方が良かったのではないだろうか。染谷将太は顔こそ童顔だけど僕の中では先の新井浩文同様「死んだ目系の役者」にカテゴライズされていて、新妻エイジのむしろ目がランランと輝いて常にハイテンションで漫画を描いているようなキャラクターには合っていなかったと思う。もっと子供っぽい方が良かった。
 映画では決して悪役ではなくクライマックスでは「あえて悪役を引き受ける」という感じなのだが、それを悪役にしてしまっている!という批判もあったのは(いくつか目にした)おそらくこの染谷将太の表情などで誤解してしまった部分も大きいのではないか?ただ他の作家の原稿に手を加える行為はやっちゃいけないと思います!

 映画は原作からたくさんのシーンを省略しながらも展開は比較的忠実に進行する。でおそらくいちばん問題視されるシーンはサイコーが過労で倒れ入院した後、退院しても高校卒業までは休載する、という編集長に対してサイコーは意地でも描き続けるし、福田たちはそんな決定は理不尽だと反発するシーンだろう。原作では福田たちは原稿のボイコットまでする。映画では福田たちが原稿を手伝うという描写に。連載が決定してもサイコーたちにはアシスタントがおらず「人間関係が複雑になるからここも省略したのかな?」などと思っていたのだが、福田たちが手伝う、というよりわかりやすい燃える展開に持っていくためだったのだな。
 おそらく大人の視点、一般的な観念では編集長の言っていることが全面的に正しい。無理をさせて漫画家が死に至っても仕方がない。僕も原作連載中に読んでるときは、そりゃ編集長が正しく、連載続けたいなんてのはわがままだよ、と思っていた。今回の映画はその辺は多少の変更はあれどそのまま踏襲しているのでここは批判を受けるとしたら映画と言うより元になっている原作の描写の問題だ。ただ、この「バクマン。」が誰でも読める漫画でなくあくまで小学生から高校生ぐらいの男子をターゲットとした「少年漫画」だとするとおそらくこの描写はむしろ正しいのだろう。友情・努力・勝利
 僕が子供の頃自宅には、ちばあきお「キャプテン」という野球漫画があった。実際は僕よりももうちょっと前の世代の作品なのだが、この作品を僕は子供の頃読んだ。いまでも根強い人気がある作品だ。僕は幼少の頃の色々な条件が重なって基本的に野球というのはやるのはもちろん見るのも嫌いなスポーツなのだが、この漫画は大好きだった。ただ「中学校に上がっても絶対野球部だけには入るまい」と強く誓わせた作品でもある。この中で三代目キャプテンイガラシの時代に松尾という一年生部員が練習中に怪我をし、いかにも教育ママ風の母親の抗議によって春の大会出場を見送る、という展開がある。子供の頃はこの松尾の母に「なんて嫌なやつだろう」と思いながら読んでいたのだが、今読むとむしろ全面的に松尾の母の言い分に納得する。イガラシの猛特訓は明らかに中学生の領域を超えている。イガラシは運動神経も良くて勉強もできて、なおかつ努力も惜しまないという万能型のキャラクターだが、それゆえに決定的に他人を慮ることができない。典型的な「オレができるんだからお前もできるはず」という考えの持ち主だ。その結果起きるべくして起きた事件が松尾の怪我なのだ(この時の父母会議での後の世4代目キャプテン近藤の父親のセリフも「子供はやんちゃなぐらいでちょうどいい」という怪我したほうがひ弱だから悪いと取れるあまりに体育会系的なセリフで今読むと頭が痛い)。初代キャプテン谷口や2代目丸井は元々野球が下手なところから身を起こしているからそれなりに他の人の気持ちが分かるのだがイガラシはそれがない。イチ選手としてはともかく絶対に指導者になってはダメなタイプだと思う。自分が中学生の子供を持つ親だったら絶対墨谷二中の野球部にだけは入れさせない。

 あるいは最近の漫画作品「僕のヒーローアカデミア」。この作品の中で最近キャラクターの人気投票があった。ジャンプ作品ではよくあることで最初に企画が発表された頃、僕は次のように結果を予測した。

 ところが結果は爆豪少年は見事な第3位!爆豪は主人公のライバルとなるであろうキャラクターでもちろん最終的には人気キャラになってもらわないと困るのだが、現時点ではまだまだただの暴れん坊の子供、と言った印象で正直他のキャラクターに比べると魅力は薄いと思っていた。ところが蓋を開ければ人気があることが判明。この落差に正直僕は戸惑ってしまった。しかし実際このキャラは子供には人気があるのだという。これはもしかしたら大人の読者と実際に投票した読者(それが子供ばかりとは限らないが)との差なのかもしれない。大人にはただの暴力的なガキだが子供には自分に絶対の自信があり単純明快な性格は(その暴力的な部分も含めて)魅力に映るのかもしれない。ちなみに僕は尾白というキャラが結構好きなのだが、まあキャラクターの隙間産業とでもいうか。冷静に考えると子供にはあまり好かれないキャラだった。こちらも今後の活躍に期待。 昔の「キャプテン」と現在連載中の「僕のヒーローアカデミア」という新旧2つのジャンプ漫画を挙げたけれどともにメインターゲットとしている小中学生の男子の視点に立つと練習を邪魔する母親は敵だし、暴力的なガキ大将はみんなのヒーローだ。僕自身同じ漫画を読んでも子供の頃の感じ方とは別の感じ方をしている。そして「バクマン。」の入院しても無理して戦い(後述するがこの漫画は実はバトル漫画だ)に赴く主人公やそれを助ける仲間たちという展開はおそらく「少年漫画的には」正しいのだろう。
 現実に例えば高校野球などで無理に連投をさせて肩を壊し、高校時代の僅かな栄光と引き換えに人生を台無しにするような部活や教育は絶対に止めさせなければならないし、本人が望んだって止めさせるのが真の大人だと思うけれど、それがフィクションとなると微妙なところだ。特にこの「バクマン。」は基本フィクションといえど実際の雑誌名や人物名が出てくるし、最初から大人の読者も多かったから批判も多かったのだと思うけれど。
 ジャンプがアンケート至上主義と言うのはよく知られていて、だから実際にアンケートハガキを送る子供の人気を重要視する。少年漫画に子供を啓蒙する義務があるかどうかは難しいところだけれど、人気を優先ということではおそらく間違ってはいなかった。実際は子供をとうの昔に卒業した大きい大人(自分がまさにそうだ)も読んでいるだろうけど、編集部としてはおそらく常に対象読者の年齢を下げる努力をしているはず(読者の年齢を上げるのは簡単だけど下げるのは難しいとよく言われる)で、その意味で我々大人は本来の意味での読者ではない。だから大人視点で「あの描写はおかしい」と思っても子供が面白く読んでいればいいのかな、と思ったりもする。まあ最初のほうで述べた女性描写に関しても、この入院以降のシーンにしても少年漫画でフィクションならなんでもOKなのか、と言うとそれもまた悩ましいところではあるけれど。あと漫画と違って映画の方は子供が対象ではないと思うしね。
 アンケートといえば本作(特に原作)はバトル漫画としての側面も持っている。他にも漫画家漫画あるいは漫画業界漫画とでも言えるものはたくさんあるが、読者アンケートによる明確な順位付けが勝負の分かれ目となるのはジャンプを舞台にした漫画ならではだろう。そのバトルの対象は時に編集者だったり、あるいは他の作家であったりするのだが、最終的にはどこまで読者の支持を取り付けられるか、という戦いだ。アンケート下位なら掲載順がどんどん後ろの方になり、容赦なく打ち切られる。このジャンプのシステムは(作家の専属システムと共に)時に批判の対象となるが、「バクマン。」の場合このシステムがあるからバトル物としての側面が強い。ちなみにバトル漫画でも80年代後半以降の「幽☆遊☆白書」や「ジョジョの奇妙な冒険」などの「知的なバトル漫画」にカテゴライズされる作品だと思います。それ以前の「バカなバトル漫画」だと「キン肉マン」とか「魁!男塾」とかでこの時期の作者はアンケートを意識しつつも、「今週の展開に全力投球!来週のことは来週の自分が何とかしてくれる!」という感じだったのに比べると(ゆでたまご、、車田正美宮下あきらなどが似たようなことを言っている)、「バクマン。」で描かれているのは、「何週後の誰々の作品が巻頭カラーだから、そこで負けないよう徐々に盛り上げていってクライマックスをぶつける」といったような、かなり計算されているのが特徴。実際はそこまで綿密でもなく中間ぐらいなのだと思うけれど。
 映画では実際にバトルとしてイメージ描写されている部分もあって(大きな筆持って原稿の上でチャンバラ)、ともすれば地味な描写になりがちな漫画を描くという行動をわかりやすくなっている。
さらば、わが青春の『少年ジャンプ』 (幻冬舎文庫)

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 アンケート主義に対する疑問は原作では福田が口にしたりもするのだが、そこはジャンプで連載してるので劇中では特に変化はなし。まあ「踊る大捜査線」や「相棒」でどんなに警察内部の改革を提唱してもそれを実際にドラマの中で行って現実の警察組織とまったく違うものになってしまったら、もうSFになってしまうというのと一緒だろう。もっとも「バクマン。」って後半は掲載時より未来が舞台なんだけどね。

 原作にあって映画で省略されたり変更されたもので個人的に残念だな、と思うのはサイコーとシュージンが夏休みの間に一時的に仲違いする描写と初連載に持っていく作品が原作の「疑探偵TRAP」じゃなくて読み切り作品である「この世は金と知恵」に変更されていること。仲違いの描写はシュージン側に見吉香耶がいないと成り立たないのでまあ不採用は納得。そして映画では原作以上に「この世は金と知恵」の中身が出てくるけれど、やはり少年漫画であのタイトルで人気作になるのは難しいと思う。
 ラストは結局高校卒業までに連載作品「この世は金と知恵」が打ち切り終了となって、無職の立場で高校を卒業する。でも高校生でジャンプに連載できたのは凄えし、今後も描いていくよな!ってところで終わる。さわやかな終わり方ではあるもののこれだとそれこそ「甲子園で連投に継ぐ連投で優勝できたけど、肩を壊して野球人生は終了。それでもいい思い出ができてよかったね」みたいな終わり方と捉えることもできかねないので、できれば是非続編を作って欲しい。ちなみに僕が「バクマン。」劇中漫画で実際に読みたいと思ったのは「PCP」と「ラッコ11号」で、原作でも「PCP」を立ち上げる10巻から11巻にかけてが一番面白いと思います。
 色々文句もあるけれど、今年の漫画原作の実写映画化としては屈指の出来ではないだろうか。特に「進撃の巨人」の後では。
 エンディングのクレジットは色々仕掛けがしてあって楽しい。最初は気付かなかったりしたけれど。主題歌のサカナクション新宝島」も良かったです(タイトルが何に由来するかはお分かりですね)。この手のアーティストに対しては斜に構えて評価する部分が自分の中にも多分にあるんだけれど、映画の主題歌として最後にこれが流れて純粋に良かったと思える主題歌です。
新宝島 手塚治虫文庫全集

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バクマン。 コミック 全20巻完結セット (ジャンプコミックス)

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*1:手がけた作品が明らかに「ラッキーマン」をモデルとしてるのでこのオジサンがガモウひろしということになるのか

*2:原作で一番好きなキャラは平丸先生