The Spirit in the Bottle

旧「小覇王の徒然はてな別館」です。movie,comics & more…!!!

サイコパスがブラック企業を築くまで ナイトクローラー

 アイドリング!!!武道館からはや2週間。未だその余韻で生きているスーです。もう映画が全然見れていないし、アウトプットもできてません。とりあえず絶対観たい映画は幾つかあるのでそれは観るとしてこの年末映画観賞はちょっと控えめになるかなあ。
 とりあえずしばらくは9月に観た映画の感想を連投したいと思います。まずはもう殆ど終わっているのかな?ジェイク・ギレンホール主演「ナイトクローラー」から。

物語

 ロサンゼルスに住む若者ルーは窃盗とそれを売って糊口をしのぐ毎日。ある時交通事故現場に遭遇した彼はいち早くその現場に駆けつけ映像を撮る集団と出会う。彼らに触発され盗んだロードバイクを売った金で無線とカメラを買ったルーは警察無線を傍受し事故現場へ。素人ならではの図々しさで被害者のアップを撮ったルーの映像は技術的には未熟なもののTVのニュース番組の責任者ニナに評価され映像を買ってもらうことに。これぞ天職!ルーは運転手兼ナビとして半ホームレスの若者リックを薄給で雇い、次々とスクープをものにするのだった。
 ルーはある時は事故現場となった家屋に勝手に侵入し、ある時は映像の見栄えを優先して被害者の身体を移動させるなど犯罪まがいの改ざんも。やがてカメラや車を新しいものに変え調子に乗るルーに同業者のロダーが手を組むことを持ちかけるがルーは拒否。ルーはロダーの車に手を加えそれによって生じた事故現場をカメラに収めるなどどんどん過激になっていくのだった。そして……

 タイトルの「ナイトクローラーNightcrawler」とは「夜徘徊するもの」みたいな意味で事故現場を追って夜のロサンゼルスを走り回る映像屋たちを指すのだろう。もっとも僕なんかは「X-MEN」のカート・ワグナーことナイトクローラーを思い出しちゃうけどね。監督はダン・ギルロイという人でこれが監督デビュー作だが、脚本家としてのキャリアは長いようで僕が観た中だと「リアル・スティール」もこの人が原案として関わっているようだ(共同原案)。ちなみにこの人ニナ役のレネ・ルッソの旦那さんで、父親や兄も劇作家という芸能一家です。
 作品の雰囲気としては「ドライヴ」とかやはりジェイク・ギレンホール主演の「プリズナーズ」「複製された男」あたりと同じ印象を持つけれどやはりいちばん似ていると感じるのはスコセッシ監督の「タクシードライバー」だろうか。自分ルールが絶対の社会不適合者が犯罪を犯すもそれがなぜか賞賛される、というあたりあの作品の現代版といえるような気もする。

 映画を観ての第一印象は「もしもテッド・バンディがジャーナリズムを志したなら*1。まあ一見して分かるのはこのルーはサイコパスあるいはソシオパスであるということで、この辺はもう冒頭の数シーンからわかる。テッド・バンディみたいな殺人衝動こそないし、劇中では直接手を下す場面もないが、自分こそが絶対と思い、相対的に他人の価値なんてまったく尊重していないタイプの人間だ。強盗をするシーンよりむしろその後窃盗した金網やマンホールの蓋を業者に売るシーンで自分を働かせてくれというシーンだろうか。ここでのルーは自意識と選民意識が高いということが分かる。ここでの相手は海千山千の強者なのか、そんなルーを一蹴するが、リックやニナは見事騙されてしまう。
 我々観客はルーのリックに対する態度、ニナに対する態度、両方を見れているし、先ほどのシーンはじめ最初からずっとルーの動きを追っている(この映画ほとんどルーの居るシーンばかり、つまりルーの視点から移らない)のでルーはやばい奴、という認識を持つが劇中登場人物はそうはいかず、リックもニナもなんかヤバイな…と薄々思いつつ目先の欲に負けてしまう。なんといっても演じているのがジェイク・ギレンホールなのでそこはそれ、美青年であるしそれなりに魅力的に映っている。まあ目をぎょろぎょろさせ過ぎでヤバさを表現しているけれど、ずっとルーに付き合ってる観客と自分の前にいる時のルーしか知らないリックやニナではルーに対する評価が違ってしまうのだ。
 リックもニナも途中ルーの危険さを感じ取り距離を置こうとする瞬間があるのだが、最終的に取り込まれる。リックはルーに反抗した制裁として(意図的に)犯罪に巻き込まれ命を落とすし、ニナは完全に取り込まれたように見える。人は快く付き合っているときは相手の酷い面は見えないし見ようとしない。何かのきっかけでその憎悪が自分に向いて初めて相手の本性を理解するのだ。
 実際のパパラッチがこういう感じなのかはわからない。もちろんある程度誇張はしてあるだろう。実際、劇中のように警察が来る前に撮影した映像などはすべて証拠として差し出さなければならないだろうし、勝手に屋敷に侵入して撮影などというのは絶対お咎めの対象となると思う。でも現在は誰もが携帯電話や小型のデジタルカメラなどで撮影できる時代。実際、災害などでは「視聴者からの提供」というテロップ入りで素人の映像が流されることも多い。プロと素人の境目が曖昧となり素人でもすぐに参入できる。

 ラスト、見事容疑を逃れたルーは新たにバンを二台と3人の人を雇う。彼らには仕事の大義めいたことを言うが、もちろんルーの本音はそんなところにはない。おそらく3人雇っても残るのは一人いるかいないかだろう。だが人はまた雇えばいいし、残った人員はルーの影響を色濃く受け、やがてそれが会社のカラーとなる。そして会社が順調にいっても上層部にはルーの思考を色濃く影響を受けた連中だけが残るだろう。表向きの大義を説き、生きがいを糧にさせることで洗脳し薄給でこき使う。立派なブラック企業の出来上がり。ましてやルーは曲がりなりにもジャーナリズムに関わる人間であり、その責任は大きいのに。
 この作品、最後はルーのすべての犯行がバレて捕まりそれで終わるのかな、と思いきや証拠不十分で無罪放免(警察の監視対象にはなったのろうか)、その上で企業としての体裁を整え、成功したルーの姿で終わる。これが主人公が悪人であってもその生き様に共感を覚えるような造形になっていればピカレスク・ロマンとして成立すると思うが、映画の中ではルーの人生の背景はまったく描かれないのでその辺でルーに感情移入するのも難しい。劇中でルーが語る己についてもどこまで本当か疑わしい。だから映画を見終わるとなんとも嫌〜な気分にもなるのだが、映画としては抜群に面白かったりする。マーティン・スコセッシの「タクシードライバー」がそうであったように、ルーはまた平気でスクープを手にするために犯罪まがいの、いや犯罪行為に手を染めるだろう。だがそれがバレて今度こそ制裁を受けるのか、それとも人生の最後まで逃げおおせるのかは観客にはわからないのだ。

Nightcrawler

Nightcrawler

*1:某ベストセラーのタイトルってなんだかんだいって使い勝手は良い