The Spirit in the Bottle

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目で語る妻、口から生まれた夫 ビッグアイズ

 数年に一度のティム・バートンタイム!そりゃ世間にはもっと影響力の多い人もいるだろうけど、こちとらティム・バートンの世界一のファンであると自認してるんで、映画が公開されたらそりゃ観に行きますよ(とっても面倒くさいタイプのファン)!
 今回は実写映画としては「ダーク・シャドウ」以来かな。久方ぶりにジョニー・デップとのコラボ作でもない作品となります。「ビッグ・アイズ」を観賞。

物語

 1958年、娘を連れ夫との別居を決意したマーガレットはサンフランシスコで働きながら日曜画家として似顔絵を描き始める。そこで出会ったのがパリで画を学んだというウォルター・キーン。普段は不動産屋をしている彼と意気投合した彼女は娘ジェーンの親権を取るためにもウォルターとの結婚を決める。幸せな生活が続き、やがてウォルターが二人の絵を置かせてもらっていたナイトクラブのオーナーと喧嘩をし、それが報道された結果注目が集まりマーガレットの絵が売れはじめる。しかしウォルターは自分がその絵「大きな目の子供」の作者だと言ってしまう。非社交的なマーガレットは憤慨するがウォルターに丸め込まれる。やがて「ビッグ・アイズ」は大ブームとなり、ウォルターは積極的にTVや新聞に登場、時代の寵児としてもてはやされる。豪華な暮らし、だがマーガレットは娘にも嘘をついて絵を描き続ける日々に疑問も。ある時マーガレットはウォルターの風景がと同じものを発見。しかしサインは違っており、過去に彼の描いた物もそのサインの上に新たに「キーン」のサインを書き直したものだった。ウォルターは元々自分で絵を描いてすらいなかったのだ!1964年、NY万博に向けてユニセフに贈った絵が酷評されたことでウォルターはマーガレットとジェーンに怒りをぶつける。身の危険を感じた二人はハワイへ逃げる。しかしまだ終わってはいなかった…

 嘘のような本当の実話ベースの物語。脚本は「エド・ウッド」「マン・オン・ザ・ムーン」「ラリー・フリント」といった異能の人の伝記映画の脚本を手掛けたスコット・アレクサンダーとラリー・カラゼウスキーのコンビ。ティム・バートンとは「エド・ウッド」以来となる。伝記映画と言ってもミロシュ・フォアマン監督の「マン・オン・ザ・ムーン」と「ラリー・フリント」がその一生を描いた、という形なのに対して、「エド・ウッド」は対象の人物の、その「最も輝いていた時間」を切り取った形の伝記映画だったが、この「ビッグ・アイズ」もどちらかと言えば後者に近い作品だろう。本当の意味で輝いていたかどうかは分からないが。
 ティム・バートンの映画は一時期は主役の名前がそのまま映画タイトル、と言われていた時期があって前半は確かに「ビートルジュース」「バットマン」「(エドワード・)シザーハンズ」「バットマン・リターンズ」「エド・ウッド」と続いていた。それが「マーズ・アタック!」で崩れるわけだけれど「スリーピー・ホロー」「PLANET OF THE APES/猿の惑星」あたりは舞台となる地名がタイトル。完全に法則的なものが崩れるのは「ビッグ・フィッシュ」から。
 今回の作品は実際にあった出来事を元にしているのだけれど、舞台となる時代、「大きなホラ(ウソ)」がテーマとなり、何より共に「ビッグ(大きな)」というタイトルを持つことで「ビッグ・フィッシュ」との兄弟作のような作品かも知れない。個人的には実写作品としては「ビッグ・フィッシュ」以来の素晴らしいバートン作品だと思います。あまりに多すぎて食傷気味なのもあるけれど、最近の作品はジョニー・デップとのコラボ作よりもそこから外れた作品のほうが素晴らしいと感じるなあ。
 そういえば本作ではヘレナ・ボナム・カーターも出演していない。「ビッグ・フィッシュ」はあまり仲のよくなかった父との死別という当時のバートンの体験が作品に影響を及ぼしている、と言われるが、バートンは昨年12月に長年パートナーであったヘレナ・ボナム・カーター破局した、と伝えられた。本作の撮影にそれが影響しているかどうかは分からないが、親子の物語だった「ビッグ・フィッシュ」と比べて本作は夫婦の物語とも言える。ぜひ「ゴーン・ガール」と一緒に観て欲しいですね(ウソです)。バートンファンは長年「ティム・バートンが不幸になれば作る作品が素晴らしくなる。だから早く別れろ!」などと冗談気味に言っていたものだがこの破局は円満に済んだようです。

 「ビッグ・フィッシュ」は「シザーハンズ」と並んでもっとも好きなティム・バートン作品*1で、21世紀に入ってからの作品では一番好きだ。「ビッグ・アイズ」は初の非メジャー製作とのことだが、その辺はあんまり影響はなかったように思えるスタッフはいつものメンバーだし(音楽ダニー・エルフマンはもちろん、美術はリック・ハインリクス)、キャストもクリストフ・ヴァルツエイミー・アダムスという強力コンビ。

 映画はバートン作品ではというかアメリカ映画でおなじみの郊外の新興住宅街から始まる。バートン自身こういう環境で育ったのだろう。そこから逃げ出す母娘という絵はしかし、そのままそういう環境から逃げ出したかったというバートンに重なる。主題となるマーガレット・キーンの描く「ビッグアイズ」はもう見るからにバートンが好きそうな作品。バートンの絵本、「オイスターボーイの憂鬱な死」の「目をかっと見開いた女の子」を思い出す。あれですね。例によって「日本人はアニメや漫画で目が大きい女の子の絵に慣れているからこんなのじゃ驚かない」とかいう意見を見かけたのだけれど、これ1958年から始まる物語ですよ?そして別にアニメや漫画の中では目が大きいデフォルメされた少女・キャラクターというのはアメリカでも普通にありました。ただこれが表舞台のアート・現代芸術の場に出てきたというのが画期的なのであって、そういう部分を無視してもなあ*2。ちなみに僕はこの絵を見ると可愛らしい一方でどうにも不安になります。僕が思い出すのはカート・ビュシーク原作、アレックス・ロス作画の「MARVELS」の中で主人公一家に保護される目の大きいミュータントの女の子マギー。


 この女の子にもモデルがいて、たしか50年代のホラーコミックのキャラクターである。バートンもこの時期に幼少期を過ごしリアルタイムでキーンの絵やこういうホラーコミックなどに触れていたのだろう。

 多分この「ビッグ・アイズ」シリーズは今見ればそれほどデフォルメが激しいとは言えない。でも当時の美術シーンにおいては結構な衝撃であったことだろう。人形のブライスなんかもこのへんから影響を受けているのかもしれない。
 映画は60年代の新しい文化の流れを描きつつ、しかし1950年代から続く、女性は子育てだけしていればいい、という価値観からの相克も描かれる。マーガレットはせっかくそういう古い価値観の夫から逃げて今まさに新しい文化が花開こうとするカリフォルニアにきたにも関わらず、結局口だけはうまいが従来の男尊女卑が抜けないウォルターに利用されてしまう。
 一方で芸術家がただ自分の作品を見せるだけでなく、プラスアルファのプレゼンテーションが必要な時代である。その意味でウォルターは(芸術的才能とは別に)時代の最先端を歩んでいた。テレビで、新聞で自分を売り出す。絵をそのものは高価で売れないと知ればポスターを安価に売り出す。まさに現代的手法といえるだろう。一方でマーガレットは作品は先端だったが自己主張できないという意味で昔のアーティストだった。ウォルターのやったことは許されることではないが、もしこのウォルターがいなければ彼女の作品がここまで注目されたか分からない。理想はウォルターはあくまでプロデューサー、広報、としてマーガレットを支える、という形だったのだろうなあ。
 マーガレットの内向的な面はかなり印象として我々が知っているバートンと重なる。だからこの作品が「エド・ウッド」同様バートンのもとで映画化されたのはとてもよく理解できる。

 それにしてもクリストフ・ヴァルツである。返す返すも「イングロリアス・バスターズ」におけるクリストフ・ヴァルツの登場は衝撃的だった。この俳優を発見した時のクエンティン・タランティーノの喜びようが目に浮かぶタランティーノの脚本は誰が演じても魅力を発揮できるわけではなく、ピタリとそこにはまる人材が必要となる。サミュエル・L.ジャクソンはそれが可能な俳優だが、クリストフ・ヴァルツもまさにそれを体現できる俳優といえるだろう。
 本作ではティム・バートンの作品への初出演となるが、多分年齢的にはジョニー・デップであっても問題はなかったはず。ジョニー・デップも作品に拠っては(特にバートン作品では)とても大仰な演技をするがここでのヴァルツの演技はそれを超えている。ジム・キャリーなんかもそうだけれど、抑えた一般にリアルとされる芝居では騙されないが、ここまで大げさだと逆に真実を伴い、それが詐欺師役だったりするととんでもない真実味を負う。現実の詐欺師がどんなものかは知らないけれど自信に溢れ、堂々と嘘をつくタイプの方が淡々と騙そうとするタイプより魅力的に見え被害者も騙されるのだろう。
 クリストフ・ヴァルツは脚本を読んでティム・バートンが監督することを条件にすぐ快諾。実際のウォルター・キーンについて調べるなどはせず、あえて脚本からのみキャラクターを抽出して演じたそうだ。実際のウォルター・キーンは2000年に亡くなっていて(マーガレットは2015年現在健在)「ラッシュ」などでも同様、実在の人物の対決を描く映画だと、どうしても生き残った人物の勝利の視点から描かれてしまうのでこのウォルターに関してはフェアとは言えないが、その点も考慮しつつ、でも格段にウォルターは(マーガレットが騙されるのもむべはない)魅力的な男として描かれている。
 この極端なまでに自己が肥大されたキャラクターはクライマックスである裁判シーンで頂点に達する。彼は自分で自分を弁護するのだ。この自分が被告として立っている裁判で自分の弁護人を務める、という展開だと伝説的な連続殺人鬼テッド・バンディが有名だが、まさにテッド・バンディとこの(あくまでも映画の中での)ウォルターは似た人物といえるだろう。いちいち被告人席と移動しながら自分に質問をするシーンは最高。
 あるいは口が達者でありながら、芸術的才能は古典的な風景画などでとどまっていた(あるいは全く絵など描いたことがないのかもしれない)ということでウォルターはアドルフ・ヒトラーとも重なる。劇中で(自分が描いたものではない)「ビッグ・アイズ」にどんな思いを込めたのかテレビで語るシーンで第二次世界大戦時に欧州で見た風景がある、と語るシーンなどはある種の感動すらあるのだが、その一方で「お前本当にパリやヨーロッパに行ったのかよ?」という疑問が常に付きまとう(多分行ってない)。さらにヴァルツが演じることで「イングロリアス・バスターズ」のランダ大佐まで脳裏に浮かんでしまい、「その欧州をメチャクチャにしたのはお前だろ!」といういらぬツッコミまで。
 最後は法廷で判事や陪審員の前で実際に両者が絵を描く、というシーン。ここでもヴァルツが大活躍。とにかくヴァルツ劇場といってもいい次第であった。

 今回はバートンならではのファンタスティックなシーンというのはほとんどなし。スーパーで買い物をするマーガレットが自分の描いた画が大量消費されているのを見つけた後、他の客、店員の目が大きくなっているように見えて怯える、というシーンぐらいか。この辺、例えばもっとピーター・ジャクソンの「乙女の祈り」のような創造物が実体化されて、作者にせまる、というような描き方もあったと思うけれど、このぐらいの抑えた描写があくまで実際の出来事を描いている作品としていいのかもしれない。
 結果としてバートン作品としても単に一作品としても今年最初の傑作かな、と思います。オススメ!

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 音楽は安定のダニー・エルフマン。今回もテーマ曲だけで聞かせる、と言うよりは劇伴として映画に寄り添う形のスコアですね。主題歌を唄うラナ・デル・レイも良かったです。ちなみに最近アニメの「ジョジョの奇妙な冒険第3部スターダストクルセイダース」で出てきたオインゴ・ボインゴ兄弟の元ネタはエルフマンのバンド「オインゴ・ボインゴ」が元ネタです!
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*1:以前も「フランケンウィニー」の感想で述べたけれど、バートン作品としては「ビッグ・フィッシュ」と「シザーハンズ」。バットマンの映画化作品としては「ダークナイト」と「同ライジング」。しかし総合してオールタイム・ベストだと「バットマン」と「同リターンズ」となる

*2:ちなみに似たような意見で「インターステラー」が韓国で大ヒットして社会現象になっている状況を受けて「日本人はSFやアニメでああいうのに耐性があるから大騒ぎしない」みたいな全方位馬鹿にした意見も目にしてどんよりしました