The Spirit in the Bottle

旧「小覇王の徒然はてな別館」です。movie,comics & more…!!!

感情と冷静の狭間 インターステラー


 作品を作れば何かと話題になるクリストファー・ノーラン。どうにも日本では一部に徹底的な「ノーラン嫌い」がいるようで、正直正当に評価されていない気もするのだけれど、そんなクリストファー・ノーランの監督最新作「インターステラー」を観賞。IMAXです。

物語

 地球は死にかけている。年々砂漠化が進み収穫できる作物も減ってきている。農家を営むクーパーはかつては宇宙飛行を目指す計画の宇宙飛行士候補であった。父と二人の子どもと暮らすクーパーはある時娘マーフの部屋に現れる超常現象、何者かからのメッセージを解読し、そこに記された場所へ向かう。そこでは発見された人工的なワームホールの先にある新たな人類の居住可能な惑星を目指す計画が進められていた。クーパーは宇宙飛行士としてその計画に参加。そして出立の日。しかし、地球と宇宙では時間の経過が異なり、同じ時間を過ごすことはもう出来ないのだ…

 とまあ、物語はざっくり。「インセプション」でも階層によって異なる時間経過、というのを描いていて、あれの発展形という感じか。
 クリストファー・ノーランの作品は僕は過去に、「ダークナイト」「インセプション」「ダークナイト ライジング」の3本を劇場で鑑賞し、その年の1位とした。先述した通り、一部では徹底的に嫌われていて、発端は柳下毅一郎氏が「ライジング」の時に書いた批評ではないかと思うが、柳下氏自身の批評はともかく、それによって発生した「ノーランなら何言ってもいい」という空気の中でプロのライターまで「嫌いだから嫌いなんだよ!」という大人げない態度で商業誌やウェブ媒体で批評を書いていたりする。別に嫌いなのは構わないけれど、プロならそこでとどまるのはどうかと思うし、まず批評の冒頭に「私はノーランがとにかく嫌いです。この文はそういう人が書いていることをご理解ください」とでも一筆入れておくべきではないかと思う。酷いのは「マン・オブ・スティール」の時で、僕自身あの作品は「僕の理想とするスーパーマンと違う」というような感じで正直低評価ではあったけれど、それは当然「ノーランが製作しているから」などではない。もう何度も書いているけれど、あの作品を監督したのはザック・スナイダー。ノーランは撮影現場には直接口を出さず、それどころか「暗いスーパーマンはダメだ」というようなことをスナイダーに言っていたという。だからあの作品を面白いと思うにしろ、ダメな作品つまらない作品と思うにしろ、その功績・責任は監督のザック・スナイダーに帰せられるべきだと思う。それがなぜかノーランのせいにされてしまう。
 今回もノーラン作品ということで最初からダメ出ししてやるぜ、という態度で観る人が結構いたようにも思える。正直そういう態度で映画を観て楽しいのかな、と思う。予告編などがインチキで期待したものと違った、という怒りならばまだ分かるけれど*1、単に時間が長いと文句言うとか正直訳がわからない。事前情報を全く得ず飛び込みで見たならまだともかく、最初から上映時間が長いと分かっていて劇場に観に行って「やっぱり長かった」と怒るとか……これまた何度も書いているけれど、僕は必ずしも上映時間が短い(この場合90分程度を指すか)作品がいい作品などとは全く思っていなくて、もちろん作品によるのだけれど、長くていい作品もあれば短くてダメな作品もある。観た後で「前半もっと短くてよかったんじゃないか」とかは思ったりするけれど、観る前に上映時間で「これは長いからダメだ」とかそんなふうには全く思わないなあ。本作に関しても僕は全く長い(長くてキツい)とは思わなかったです。
 ノーラン監督はとにかく生真面目に作品を作る感じは見受けられて、それ故に多くの人が「ノーラン作品は緻密で物語の整合性も取れているはず!」と少なからず思い込んでしまっている気がする。その勝手な前提の上で作品を観て「矛盾が多い!整合性がとれていない!」とダメ出しするのは正直どうなのか。「ダークナイト ライジング」に限らず「ダークナイト」も「インセプション」も冷静に考えると物語や設定の矛盾点は多い。僕はもとよりノーランは良い意味で適当・いい加減な作品を作る監督だと思っている。コミック原作の「ダークナイト」3部作でさえ、当然のように矛盾点を叩かれたりしていたが、本作「インターステラー」は近未来を舞台にしたSF作品ということでこれまで以上に「矛盾点・整合性の粗」を探す目は厳しくなっているようで、色々言われているが、極端なこと言うと、この作品のSF・科学的な矛盾や粗は多分言われるまでもなく監督や製作陣は承知していると思う(製作総指揮と科学考証には著名な科学者であるキップ・ソーンが名を連ねている)。その上でよりエモーショナルな物語展開や映像的に素晴らしい物があればそちらを優先したのだろう。
 僕自身はといえば今作も十分楽しんだけれど、前3作のように今年のベスト入りはしないかな?という感じ。面白かったし、とにかく絵的には圧倒されて特にIMAXで観る価値はあると思うけれど。それでも駄作なんかでは絶対ないし、好きか嫌いかで言えば圧倒的に好きです。あと個人的にIMAXは3Dじゃないほうが好みで、最近はすっかりIMAXだと3Dというのが基本になっているような気がするのだけれど、これに関してはIMAXだけど3Dじゃない、というそれだけでプラス評価だったりするのだ。

 ノーランが「スターウォーズ」シリーズのファンだったり「007」シリーズの熱烈なファンだったり、と言うのは知られていたが、過去の作品ではそれほどあからさまに影響を受けた作品のオマージュやインスパイアされたシーンというのはなかったように思う(「ダークナイト」は敵としてジョーカーが出てくることもあって結構ティム・バートンの「バットマン」と対比させられるようなシーンが多かったように思うけれど)。今回は結構様々な過去のSF作品のオマージュ的なシーンも見受けられて、ノーランが意識しているかは分からないが僕も幾つか感じた作品を挙げてみたい。
 まずは人工的に作られたワームホールという設定や五次元人。これらは「スタートレック」シリーズの一つ「ディープ・スペース・ナイン」の第一話「聖なる神殿の謎」を連想した。あの作品でも預言者と呼ばれるワームホール異星人によって作られた人工的で安定したワームホールが確認され、そのことが辺境の宇宙基地であるDS9の物語の端緒となる。ワームホール異星人(惑星ベイジョーの住人には預言者として信仰の対象となっている)は通常のヒューマノイドのような時間や生命と言った概念を持たず、主人公でもあるベンジャミン・シスコはこの預言者たちとコンタクトする際、野球を例として預言者たちに時間の経過について説明したりする。
 後は「猿の惑星」。主人公たちの乗る宇宙船が超光速航法(いわゆるワープ)を備えていないため冷凍睡眠コールドスリープを利用したりするのだが、この宇宙船のコールドスリープ、ワープ装置を備えていない事によるウラシマ効果、そして乗組員が白人男性2名、黒人男性1名、そして白人女性1名という構成なのはまんま最初の「猿の惑星」である。あの作品、チャールトン・ヘストンテイラーのほかは剥製にされたドッジ、ロボトミー手術を受けたランドンが有名だが、不時着の前に冷凍睡眠装置が故障してミイラ化してしまったスチュアートという女性乗組員がいる。テイラーは映画冒頭で人類に対する厭世的なものの見方を述べるが、一方「インターステラー」ではクーパーは家族のため、人類のため、そして自分の夢のため宇宙へ旅立つのが違いか。なんとなく惑星上陸用の宇宙船のデザインも似ている気がする。

 そして「コンタクト」。主演のマシュー・マコノヒーも出演していたジョディ・フォスター主演のロバート・ゼメキス監督作品。カール・セーガンの原作を元に宇宙からのメッセージを元に科学や宗教を巡った物語が展開される。マシュー・マコノヒーはある意味この作品と今回の「インターステラー」が対になってキャスティングされたところも大きいのではないだろうか。
 と言うかこの作品は公開当時「新しい『2001年宇宙の旅』だ」みたいなことを言われたものだが、その「2001年宇宙の旅」も「インターステラー」では大きく参照されているだろう。ただ僕は未だ「2001年宇宙の旅」を観たことがない。もちろんアーサー・C・クラークの原作は読んだし、シーン、シーンも観ていたりはするのだが、通して一本の映画として見たことないんだよね。これはぜひとも初見は映画館で!と思っているのだが、中々その機会に恵まれない。「インターステラー」ではとても魅力的なTARS、CASE、KIPPというモノリス調のロボットが登場するが彼らが見事に魅力的でいわゆる顔の表情といったものは全くないにも関わらず、ユーモア溢れるやりとりが心温まる。そしていざというときのその動きを見れば彼らの虜になるっでしょう。宇宙からのメッセージを元にってことだと最近の作品で「プロメテウス」とか後は「宇宙戦艦ヤマト」もそれに近い物はあるのかも。
 その他、未来の地球では月面着陸など宇宙開拓の歴史がなかったことにされていて学校教育では人類は月面着陸していない、と教えられているとかは「カプリコン・1」を連想。もしかしたら日常生活が」それほど現在と変わらないためわかりづらいが劇中は結構な未来なのかもしれない。

 多分SF的な粗ではなくこの映画で好き嫌いが分かれるところがあるとすれば、クーパーと子どもたちの関係についてだろうか。この映画では主にクーパーと娘マーフの間の愛情が中心に描かれる。この時息子であるトムとの関係がちょっとお座なりにされている向きはある。ただ、科学に興味を示し、父の宇宙飛行士としての側面を持つ娘と農家として地に足をつける生き方を選んだ息子との差みたいなものが表現されているのだろう。あとこの兄妹は年齢差があるのでクーパーが宇宙へ旅立つ時点でそこそこ大人だったトムとまだ幼い少女だったマーフと扱いが異なるのは仕方ないと思う。マーフを演じているのは幼いころをマッケンジー・フォイ、そして成長した姿をジェシカ・チャステイン。予告編などではこのマッケンジーちゃんとマコノヒーとのやりとりを中心に描かれていたため旅立つまでのパートだけでほぼ展開していたが、本作は「ウラシマ効果」「双子のパラドックス」などもテーマであるので地球にいる人たちは旅立った人たちに比べて成長する。ジェシカ・チャステインやトム役のケイシー・アフレックなどは事前に出ていることを知らなかったので個人的には半ばサプライズ出演と言ったところ。
 サプライズ出演といえば途中本当に突然出てくるのがマン博士役のマット・デイモンでこれは本当にびっくりしましたですよ。

 というわけで乱暴ですが(あんまり作品そのものについては触れていない気もする)、このへんで。もちろん、ちゃんとした作品への批判は全然構わないと思うんだけれど、クリストファー・ノーランについてはどうもいわれのない、あるいは最初から文句言う気満々の人がなんだか多い気がするのでちょっとその辺を中心に書いてみました。本来ノーランの持ち味って実はもっと感情的な部分にあるような気がするので、そのへんで好き嫌いは分かれるとは思うけれど、あんまり設定の粗探しばかりするのは筋違いな気がするなあ。

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*1:これは残念ながら結構ある