The Spirit in the Bottle

旧「小覇王の徒然はてな別館」です。movie,comics & more…!!!

ゴジラ それは今なお色褪せず我々にのしかかる 

 今年は記念すべき初代「ゴジラ」の公開された1954年から60周年。7月には新しいハリウッド版の「GDZILLA」も日本公開!すでにアメリカ本国含む世界中で大ヒット高評価を受けているようで僕も楽しみである。日本でも新作こそないがイベントはたくさんあるようでCSなどではシリーズ一挙放送だとかをやっている。そして最新作の前にまずはその原点、ということでリマスターされた初代ゴジラリバイバル公開され、僕も早速観に行ったのだだった。通常千円のところ「GODZILLA」の前売り券提示で500円!「ゴジラ」を鑑賞。

 とはいっても、僕はもちろんこの作品は鑑賞済み。怪獣映画はシリーズで馴染みが深いのはTV放送が多かった「ガメラ」シリーズの方なのだが*1、やはり初代は特別で僕はこれだけは初見を劇場で!と決めていた。それが叶うのは高校の時だったのだが(「ゴジラVSメカゴジラ」あたりの時に地元の映画館が上映していくれた)、その衝撃に打ちひしがれたことはいまでも鮮明に覚えている。その後も何だかんだで何処かの劇場で上映している、と聞けば足を運び、さらにソフトも購入していつでも見れる様になっているのだが、やはりまた観に行ってしまうそんな作品だ。
 僕はこの「ゴジラ」こそ削るところもなければ加えるところもないある種完璧な映画の見本、みたいに思っているのだが、今回も全く飽きること無く観ることができた。正直4Kリマスターだとかはあんまり関係なくて(Blu-rayとかにになって一番画質にびっくりするのは60年代後半から70年代の作品が多い気がする)単純に作品に没入できる。
 ところで少し前に「ゴジラには反核反戦のテーマは込められていない」という記事が話題になった。

【産経抄】ゴジラの復活 5月26日+(1/2ページ) - MSN産経ニュース
 先日コラムに取り上げた黒澤明監督の『七人の侍』が公開されたのは、昭和29(1954)年だった。同じ年に、黒澤監督の親友だった本多猪四郎監督が『ゴジラ』を世に送り出し、怪獣ブームを巻き起こす。

 ▼それから60年たった今、米国の特撮怪獣映画「GODZILLAゴジラ)」が、大ヒットしている。日本でも7月に公開される予定だ。

 ▼米国版ゴジラは、16年前にも製作されている。ただしこのゴジラは、日本の元祖ゴジラには似ても似つかぬ、巨大化したトカゲのような姿をしていた。ゴジラファンをがっかりさせて、興行的にも失敗する。今回のゴジラは、元祖のイメージに忠実に作られている。それがヒットの要因のひとつのようだ。

 ▼米国版ゴジラでは、原発事故が描かれているという。元祖ゴジラは水爆実験で目覚めたことになっている。東京が火の海となり、観客にかつての空襲の恐怖を思い出させるようなシーンもある。ということは、新旧のゴジラは、戦争や原発について日本人に警告している。まして、集団的自衛権の行使容認などもってのほかだ。
 
 ▼きのうの朝日新聞が、こんな趣旨の記事を載せていた。しかし映画評論家の樋口尚文さんによれば、少なくとも元祖ゴジラは、反戦反核をテーマにした映画ではなかった。8年間もの軍隊生活を送っている本多監督から、直接聞いた話だという。「監督が作りたかったのは戦後の暗い気分をアナーキーに壊しまくってくれる和製『キングコング』のような大怪獣映画」だった(『グッドモーニング、ゴジラ国書刊行会)。

 ▼なんでもかんでも、反戦、反原発に結びつけなくてもよかろうに。ひとりごちつつ、昨夜久しぶりにDVDで、娯楽映画の傑作を堪能した。

 ニュース記事はいずれ削除されてしまうので全文引用した。やはりまあ、案の定産経新聞朝日新聞の記事に対する反論である。僕は朝日新聞が絶対正しいなどとは露ほども思っていなくて大手の全国新聞と同程度の信用しか置いていない(もちろん産経に比べれば天と地ほどの差はある)。それこそ「ゴジラ」を反核反戦の方面で語ることは公開以来幾度と無くされてきたことで別段目新しい話題ではない。朝日新聞でなくてもごくごく普通の意見だ。それでもこの産経抄の記事はかなり頭が悪いと言っていい。記事で挙げられている樋口尚文氏の「グッドモーニング・ゴジラ」は以前読んだとは思うのだが、覚えていないので確認しようがないが、少なくとも初代ゴジラに「反核反戦テーマが込められていない」なんてことはまずありえない。もちろんシリーズが続く中ではそういうテーマから外れた純粋娯楽作もあるけれど(代わりに公害など当時としてはタイムリーな新しいテーマもある)、初代ゴジラほどシリーズの中でもこれほどテーマ性が強烈に押し出された作品もあるまい。別に深読みしなければ分からないといううレベルではなく、登場人物の台詞を抜き出すだけでも明らかである。

「いやね。原子マグロだ、放射能雨だ。そのうえ今度はゴジラと来たわ。もし東京湾へでも上がり込んできたら一体どうなるの?」
「まず真っ先に君なんか狙われる口だね」
「いやなこった。せっかく長崎の原爆から命拾いしてきた大切な身体なんだもの」
「そろそろ疎開先でも探すとするかな」
「私にもどっか探しといてよ」
「あーあ、また疎開か。全く嫌だな」

あの凶暴な怪物をあのまま放っておくわけにはいきません。
ゴジラこそ我々日本人の上に今なお覆いかぶさっている水爆そのものではありませんか。

もしもいったんこのオキシジェン・デストロイヤーを使ったら最後、世界の為政者たちが黙ってみているはずはないんだ。
必ずこれを武器として使用するに決まっている。
原爆対原爆、水爆対水爆、そのうえ更にこの新しい恐怖の武器を人類の上に加える事は科学者として、いや一個の人間として許すわけにはいかない。

あのゴジラが最後の一匹だとは思えない。
もし水爆実験が続けて行われるとしたら、あのゴジラの同類がまた世界の何処かへ現れて来るかもしれない。

 いずれも有名な台詞だ。さらに劇中でもゴジラの襲撃で今まさに最後を迎えようとする親子の「お父ちゃまのところに行くのよ」という台詞や避難所で幼児にガイガーカウンターを向けて機器が反応するところなど、これでもか、という描写がたんまりである。さらに言うならゴジラの2回目の東京襲撃は東京大空襲のB29編隊の爆撃ルートをなぞっていたりする。時代的にもまだ敗戦後9年と戦争の記憶が色濃い時期というのもあるだろうが純粋娯楽だけを志向していたら決してこんな作りにはなっていないはずだ。もちろん今と違って原発にまでテーマを広げられるかどうかは分からないが、少なくとも戦争と核兵器に対しての強いアンチテーゼは感じられる。
 軍隊生活を8年を送った本多猪四郎監督がまるで反戦反核意識が無かったかのように書いているのもおかしくて(まるで軍隊生活を送ったからこそ反戦ではない、とミスリードしている)山本嘉次郎門下の本多監督が3回の徴兵で同門で年下である黒澤明谷口千吉に比べて監督としてのキャリアに大きく差を付けられてしまったことや(この徴兵期間には二・二六事件に巻き込まれたりしている)戦後復員するときに原爆で壊滅状態にあった広島の惨状を汽車から見て強い衝撃を受けた、というエピソードなどは有名である。少なくとも本多監督のインタビューで反戦反核テーマを込めた、という記事はたくさん読んだことがある。さらにそこに音楽の伊福部昭、製作の田中友幸、原作を担当した香山滋などの意見も加えればテーマ性は明らかだ。
 もちろん「痛快な娯楽作」として制作したこともまた事実だろう。僕がこの産経新聞の記事をツイートした際に「そういう矮小な社会性に囚われて観るのはおかしい。怪獣の破壊が素晴らしいんだろう」というような意見も見かけた。もちろん「ゴジラ」は「反核反戦だけの映画ではない。破壊のスペクタクルや快感に浸る見方ももちろん有りだ。ただ「ゴジラ」の場合普通に見ればただボーっと見てたってその強いテーマ性は分かるはずだし、「社会的なテーマが薄い物(あるいは囚われない物)が真の娯楽作」的な見方にも僕は与しない。というかそういうテーマ性まで含めて娯楽だと僕は思う。初代「ゴジラ」から上記の台詞や描写を削除して見たらそれでも面白いとは思うが現在まで語り継がれるような作品にはならなかっただろう*2。「キングコング」でさえ大恐慌という現実が確かに影を及ぼしているのである。

 まあ産経新聞の場合反射的に朝日新聞に噛み付いたというところなのだろう。多分朝日が「太陽が東から昇るのは常識であるが…」などと書いたら「いや、西から昇る太陽もある!」と書きかねない*3

 ゴジラが国会議事堂を破壊した時に観客から拍手と歓声が起きた、というエピソードも有名だけど、その辺は制作時から見込んだ反応なのだろうか。
 さて、劇中ではゴジラは「200万年前、ジュラ紀から白亜紀にかけて極めてまれに生息していた海棲爬虫類から陸上獣類に進化しようとする中間型の生物」と山根博士によって説明される。この200万年前というのは当時の古生物学からみても明らかな誤りであるが、これはおそらく意図的なものであろうと言われている。200万年前は最初の人類であるアウストラロピテクスが発生した時期である(現在はもう少し遡れると言われている)。つまりゴジラと人類を意図的に被らせることでゴジラを単なる古代の生き残りではなく、人類の科学の結果(あるいは犠牲)として描かれている。
 ゴジラというネーミングはゴリラとクジラの合成であるとも、スタッフにグジラと呼ばれる人物がいてそこから取ったとも諸説あるが、これが抜群のネーミングで以降、怪獣のネーミングは基本3文字で「〜ラ」で終わるのが基本となった。おそらく仏教の天部に同様の語感の名前が多いのも馴染んだ結果だろう。その次ぐらいに主流なのがラドン、バランなどやはり3文字(+α)でラ行を入れつつ「〜ン」で止めるネーミングだろう。これがアメリカだと「〜トー」で終わる名前が多い気がするなあ(怪獣じゃないけどマグニートーとか)。今度の「GODZILLA」でも「ムートー(ムトー?)」という新怪獣が登場するそうである。
 ゴジラの英語名「GODZILLA」も秀逸で東宝側が考えたのか、アメリカ側が考えたのか分からないけれど「GOZILLA」でも「GOJIRA」でもなく「GOD」と「神」という単語を組み入れたのは素晴らしいアイデアだったと思う。発音的に「ガッジラ(ゴッドジーラ)」なのか「ゴジラ」なのかは置いておいて(日本語でも必ずしも英語固有名詞を英語発音に忠実に発音するわけではないのでその辺「ゴジラが正しい!」と目くじら建てるのも大人気ない気がする)単なる巨大生物ではなく「神」であるという意味合いが強くなる。もちろん先述している通り、ゴジラは巨大生物でもあり、自然災害でもあり、核兵器や戦争のメタファー(同時に犠牲者)でもあり更に現代に生きる人間そのものでもある、と様々なメタファーである。

「ガッジラじゃなくてゴジラだよ!このクソ上司!」

これはエメリッヒ版でも合った台詞ですね。新しい「GODZILLA」でも予告編の中で渡辺謙が英語のセリフで、だけどゴジラの部分は日本語発音で発しているところがあって一部で喝采を浴びていたが、まあ劇中どういう経緯でこの台詞が出てくるのか、他のキャストがどういう発音をするかは分からないけれど、僕はそんなに拘る部分ではない気がする。
 ところで劇中でのゴジラの名前の由来である大戸島の伝説に残るゴジラ(呉爾羅)は島の娘を生贄に取るという意味で実はキングコングの同類だったのではないか、などと思ったりした。キングコングは外見はゴリラがそのまま巨大化したような風貌だけどもちろんゴリラと同一ではなくそもそもスカルアイランドはアフリカではなくインドネシアにある。おなじアジアの生物ということで実は「呉爾羅=キングコング」などを唱えてみたりした。

 キャストは今でも活躍するスター、宝田明にその後も特撮作品でその美貌とミステリアスな雰囲気を活かした平田昭彦、永遠のヒロイン河内桃子の新人3人にすでに大ベテランの大スターで同時期にはやはり不朽の名作「七人の侍」で勘兵衛も演じていた志村喬の4人を中心とする。若手3人は本当にいま見ても美男美女でうっとりするぐらいである。彼らの三角関係が見事にドラマの中に溶け込んでいるのもこの初代「ゴジラ」の特徴で当時特撮とドラマがここまで一体となった作品は世界を見回しても中々無かったのではないか。このへんは細やかな演出で知られる本多監督の手腕であろう。「キングコング」の場合キングコングまで含めた三角関係を形成したが、ゴジラの場合超然としすぎてそういう人間ドラマに直接関わってくるわけではない。キングコングではコングと対比されるのは恋のライバル、ドリスコルであったが、「ゴジラ」でドリスコルの立場である宝田明演じる尾形はゴジラとの対比によって成り立っているキャラクターではない。ゴジラと対比になっているのは志村喬演じる山根博士だったり、平田昭彦演じる芹沢大助博士だったりする(しかしこの師弟は古生物学と化学というぜんぜん違う学問の分野であるのだがどうやって師弟の関係を結んだのだろう?)。山根博士はゴジラを殺すべきではない、という立場で少しカール・デナムとも重なる。最もゴジラと重なっているのは戦争で傷を負い戦後は世捨て人のように研究室に閉じこもっている芹沢博士だろう。ゴジラは核実験の犠牲者であり核を体現する生物兵器でもあるが芹沢博士も戦争によって傷つきながら核兵器を越える発見をしてしまう。芹沢博士は眼帯をしたそのスタイルと発明品からマッドサイエンティストのように思われている時もあるが実は科学者としては極めてまれな正しい倫理観の持ち主である。劇中であまり共感できないゴジラ生け捕り論を展開する山根博士のほうがむしろマッドサイエンティストっぽくあったりする。演じた平田昭彦の(それこそ宝田明の長身でたくましい海の男と比べて)繊細で細い美貌がこの芹沢博士の印象を決定づけている。同時期だとアンソニー・パーキンスと似たタイプの役者か。
 そして河内桃子さん!実は東宝特撮映画への出演はそんなに多くないのだけれど、この一作で永遠のヒロインとなった。やはり1984年版の「ゴジラ」でヒロインとなった沢口靖子にも受け継がれているその清楚さは特筆すべきである。宝田明は現在だとミュージカルのイメージも強いんだけど健康的な海の男として陰鬱な芹沢博士との対比が見事なんだなあ。
 その他、例えば菅井きんが出ている(あんなハッスルする女性議員は1954年当時でも珍しいかったのじゃないか)とか堺左千夫の新聞記者萩原が前半は意外と主役級であるとか。ちなみに信吉少年がその童顔に反して低い大人の声を出すので毎回第一声にびっくりしてしまう。

ゴジラ河内桃子さんのツーショット。撮影時のオフショット?それとも宣伝?あの凶悪な初代ゴジラ河内桃子の魅力にメロメロです(中には中島春雄さんが入っているのかしら)。
 ちなみに画像が鮮明になって新発見としては劇中の新聞のアップで見出しが「各国の調査団 続々と到着」とあるその新聞の記事本文の書き出しが「エロ本の題名をあげる事自体と〜」となっているのですな。DVDで確認したところ明らかに関係ない記事でした。まあ見出しだけ注目すれば良いわけで、半世紀以降も後になってじっくり確認されるとは思っていなかったのでしょう。

 とにかく傑作であることは間違いないです。図らずも60年経って尚色褪せない社会問題まで描いていることはそれこそ産経新聞があんな反応をしてしまったことからも明らか。もちろん特殊撮影によるゴジラの破壊描写も素晴らしい(このへんはむしろ白黒だからこそ今でも遜色なく見れるのではないかと思う)。「ゴジラ」は永遠のマスターピースだ。

 ちなみに僕はここ最近のアメリカ産怪獣映画は「パシフィック・リム」もギャレス・エドワーズ監督の前作「モンスターズ」もどうにもイマイチだった人間なのだけれど、この「GODZILLA」には本当に期待しているし、実際予告編を観る限りその期待は間違いないと思ってます。こころして7月を待つ!

*1:キングコング対ゴジラ」「モスラ対ゴジラ」「三大怪獣地球最大の決戦」あたりはそれなりに放送していた気がするが全体としてはガメラのほうが馴染み深かった

*2:ゴジラの」海外版である「怪獣王ゴジラ」はかなり本編をカットし、さらにレイモンド・バーの新規シーンを加える事でかなり改変してある。ゴジラを水爆大怪獣というより台風や地震同様の自然災害の一種という意味合いが強い。上記の山根博士のセリフもカットされている。それでも全体として「お父ちゃま」の親子のシーンは残っていたり反戦的な色合いは濃い

*3:産経は記事の内容以前に普通に日本語の文として怪しい記事も多い。前々から疑問だっただが産経の記者はそういう輩が集まってくるのか、入社してから染められていくのかどっちなんだろう?もちろんあくまでビジネスとして書いているという人もいるのだろうけど