学園版神々の黄昏 クロニクル
海外で話題になった映画でしかし中々日本公開されず、輸入版などで先に見た人から絶賛を受けている作品、というのがたまにある。今回の作品もそういった類で昨年のうちからツイッターなどで話題になっていた。そういう作品は大概低予算作品だったりして(メジャーの大規模作品だとすぐに日本公開の予定も立つものだ)、その発想の非凡さが評価されたりしているのだが、その話題作が2週間首都圏限定公開、という形で劇場公開されたので観て来たのだった(結局、全国公開されるようです)。超能力に目覚めた高校生たちの日常から非日常への変化を記録したPOV(ポイント・オブ・ビュー)方式の映画「クロニクル」を観賞。
物語
冴えない高校生アンドリューは自分の生活の全てを記録することを決意した。アンドリューに友達はおらず、唯一相手をしてくれるのは従兄弟のマットだけ。ある日マットに誘われたパーティーでしかし居場所がなく持て余したアンドリューはマットと学校の人気者スティーヴンに誘われ彼らが発見した謎の穴とそこから通じる洞窟を探索する。洞窟の奥で謎の結晶体を発見した3人はそれに触れて気を失うが気づくと洞窟は既に埋もれ、3人は物体を自在に操るテレキネシスの能力に目覚めていた。慣れない力に戸惑いながらも女子のスカートをめくったり他愛もないいたずらに興じていた3人だったが、力は徐々に強大となりやがてアンドリューが自分達を煽った自動車を事故らせたことからマットは力の使用にルールを設けることを提案するが・・・
事前の情報ではPOV方式のモキュメンタリー(擬似ドキュメンタリー)と聞いていたのでやはり「それなりに安っぽいながらその中で楽しめる」映画だと想定していたのだが、これがいろんな意味で期待を裏切られた。まず予想以上にしっかりしていた。もちろん単なるPOVではなく超能力を使うシーンが有る、ということなどからとにかく役者を森などに放り込んで後はアドリブに任せた「ブレア・ウィッチ・プロジェクト」レベルではなく*1、「クローバーフィールド」「トロール・ハンター」のようにSFXとのすり合わせからきちんとした脚本が存在するはずだろうとは予想した。またいわゆるPOV映画の多くが「登場人物が遺したカメラが発見され、それを編集したもの」という形式をとることが多いのに対し、「クロニクル」はそういう形式を取っていない。アンドリューの最初のカメラはアンドリューたちが超能力を得た洞窟に埋まってしまっているし、中盤からはもう一人のカメラを使うケイシーという少女の撮った映像が使われる。さらに終盤になると監視カメラやモブの一般人が携帯電話などで録画した映像が使われる。だから、この作品は決してモキュメンタリーではなくあくまで劇映画と見たほうがいいだろう。カメラが一般の映画のように神の視点ではなく劇中にきちんと存在する劇映画である。
そのカメラもアンドリューが中盤以降手持ちではなく超能力でカメラを操るようになるとほとんどカメラの持ち手というものもいなくなる。この方式は大体において効果的であるものの一部首尾一貫していない中途半端な部分を生んでいることも確かだ。例えば自分のブログ用にカメラを回しているというケイシー。彼女の登場は2つの効果を生んでいる。ひとつはアンドリューとの対比で同じ衆人環視の中でカメラを回していてもアンドリューは嫌がられ時に暴力を受けるのにケイシーはなんともない。同じカメラを回している人間なのに対応の違いはそのままアンドリューの学校内の身分を分かりやすく表現している。そしてもう一つはマットのキャラクターをアンドリューのカメラだけでは表現しきれていないことに対するエクスキューズ。マットはある意味ヒーローと呼ぶべき存在になるキャラクターだが、その為人及び心境の変化はアンドリューのカメラだけではそれが表現しきれない。そこでマットの恋人・親しくなる人物としてケイシーが登場する。ケイシーがアンドリューと直接関わるのは最初だけであってやはり可能なら全部アンドリューのカメラ(カメラの持ち手がアンドリューでなくてもいいわけだし、実際劇中ではマットがカメラを回すシーンも存在する)で説明出来たほうが良かったのではないかという気がする。また終盤になると複数のカメラが登場するのでそのおかげでアンドリューとマットの姿をほぼ客観的に撮影できているが、やはり最初のアンドリューが実際に回している、という設定がぼやけてしまうのでちょっと首尾一貫していない印象がある。もちろんすべてアンドリューのカメラだけにこだわると(いくら超能力でカメラを自在に操れるという設定でも)終盤のアングルが更に限定されたものになってしまい絵的に辛いとは思うのだけれど。
個人的にはPOVであることの功績も最大限に認めつつ、でも普通の客観的なカメラによる撮影と劇中の人物が撮ったという映像を併用して前半は主観が中心、後半は客観が中心と徐々に変化していく作りが良かったのではないか、と思ったりした。
また、前半と後半の落差が激しい結果、前半はそれこそ家でTVで見たり、パソコンの画面やあるいはもっとYouTubeなどで観るのが臨場感があってふさわしいと思うのだが、後半は劇場の大画面大音量で観たい、と思わせて軽いジレンマに襲われる。この辺をもう少しバランスよくしても良かったんじゃないかな、と思うのだ。
事前に大友克洋の漫画とその映画化作品「AKIRA」ややはり大友克洋の「童夢」っぽい、というのは聞いていて、実際監督はこれらに影響を公言しているようなのであるが、僕が連想したのはそれとは別に2つ。ひとつは「高校生が超能力に目覚めててんやわんや。超能力をは思春期の衝動の具体的表現」として描いた作品だともう僕の基準値になっているTVシリーズ「ヤング・スーパーマン(SMALLVILLE)」。そしてもうひとつは、たがみよしひさの伝奇オカルト漫画「滅日-HOROBI-」だ。
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この主人公二人と「クロニクル」のアンドリューとマットが僕の中でかぶってしまった(と言っても「滅日」は現在実家に置いてあるので読み返したわけではなく多少思い違いあるかもしれません)。
「クロニクル」を学園物ではなく、コミックス的なスーパーヒーロー物として見た場合、アンドリューはどうしても悪役だ。3人の中で彼が一番超能力をうまく強大な力を操れるようになるのは現実生活の惨めさやそれを恨むルサンチマンと無関係ではない。スティーブンはその優等生的立場から超能力の新展開を開発する人。そしてヒーロー役となるマットは逆に一番超能力を操るのが下手でしかし自制心がある人物として描かれる。アンドリューはそのルサンチマンを超能力に昇華させる。アンドリューが蜘蛛を宙に浮かせてバラバラにするシーンがあって、一見あんまり意味がなさそうなシーンでもあるのだが、このシーンは単に生き物を超能力で殺すアンドリューの精神状態のやばさを表現するためだけでなく、八本の足をそれぞれ別の方向に引っ張って殺す、という超能力による高等技術をマスターしていることを物語る。
アンドリューがカメラをテレキネシスで上手に操って自らの姿を撮影するのはその自意識の強さでもあるのだろう。彼は本当はカメラの後ろにいたいのではなくカメラに映りたいのだ。だけどこれまでは誰も彼を映そうとはしなかったので自撮りするしかなかったのだ。アンドリューがカメラ目線で「オレは頂点捕食者だ!」と言いながら完全なアングルで車をぺしゃんこにする映像は、アンドリューがもう完全にあっち側に行ってしまったことの証明だ。
一方窓からアンドリューの家に瞬時に出入りするマットのイメージにはおそらくスーパーマンがモデルとなっている。マットとアンドリューの戦いはなんとかアンドリューを傷つけずすまそうとするマットともはや暴走するしかないアンドリューの対比も見事で最後の決断も納得できる。このへんになるとPOVと言いつつもう普通のカメラアングル(観衆が携帯とかで撮ってるものを組み合わせた設定)で、やはりPOVとしてはちょっと無理があるのではあるが、低予算というイメージを覆す映像。
監督は新人のジョシュ・トランクでこの作品の成功で新しい「ファンタスティック・フォー」(ジェシカ・アルバたちのとは別の仕切り直し)の監督として抜擢されたそうだ。後述のアンドリュー役デイン・デハーンのハリーもそうだけどやはりアメコミ映画っぽくある。
アンドリューは外見はちょっと幼さの残るハンサムだが神経質そうな面影。「大脱走」「ナポレオン・ソロ」のデヴィッド・マッカラムと「X-MEN ファースト・ジェネレーション」のジェームズ・マカヴォイを足して割って若返らせた感じか。アンドリューは自分の人生をすべてカメラに残そうと試みるが冒頭の母親とのシーンから元々は動画サイトなりブログなりにアップして広く見てもらうつもりだったことが分かる。アンドリューの父親は消防士だったが怪我の保険に味をしめて仕事を辞め無職。昼間から酒浸りで何かあればアンドリューを殴る。母親は重い病にかかり死の淵に瀕している。学校ではいじめられ友達は従兄弟のマットしかいないがその従兄弟も学校で一緒のところを見られたくはないらしい。マットとの会話からもマットは哲学を勉強したりするインテリ風だがアンドリューはそれほど勉強ができるわけでもなく完全に学校では孤立している。カメラで撮りながらいじめっ子はカメラを気にする様子もなくアンドリューに暴力をふるい(僕ならこれ以上の証拠はないと映像を持って警察なりに駆け込むが)、完全に「学園生活が詰んでいる」。この様子が冒頭から詳細に映しだされるのでスティーブンとともに謎の穴を発見する下りまで、すっかり超能力ものだということを忘れて、そのまま「エレファント」よろしく「スクール・シューティング」がクライマックスになるのではないかと思ってしまうほど。あるいはやはり超能力物で言うなら「キャリー」のようなクライマックスを予想させた。
アンドリューを演じているのはデイン・デハーンという人でこの作品での評価で「アメイジング・スパイダーマン2」においてピーターの親友ハリー・オズボーンに抜擢されたという。確かにちょっとサム・ライミの「スパイダーマン」でハリーを演じたジェームズ・フランコに面影が似ているかもしれない。
ただ、個人的に「クロニクル」を観ながらハリーっぽいなあと思ったのは実はマットを演じたアレックス・ラッセルの方である。とは言っても僕が連想したのはジェームズ・フランコではなく原作のハリー。髪型やアンドリューとマットの距離感からそう思った。ラッセルはTVシリーズ「バフィー」や「エンジェル」で吸血鬼スパイクを演じたジェームズ・マースターズ*2によく似ている。芯の強そうな頼れる風貌でもある。映画は彼の独白で終わる。
その他、スティーブ役にマイケル・J・ジョーダンという人。屈託のない笑顔が確かに学園の人気者っぽい。タレントショーと呼ばれる発表会イベントでアンドリューが(奇術に見せつつ)超能力を披露し一躍人気者になるシーンで、アンドリューを誘う赤髪の女の子が一瞬ジュリエット・ルイスに見えてしまった。そのおかげで瞬時に「ははーん、この人は子供のパーティーに参加してる生徒のお母さん、すなわち「アメリカン・パイ」におけるスティフラーのママ的な人なのだな」と無駄な想像力を働かせたことは内緒だ。ともあれ、アンドリューは彼女との初体験に失敗し(ゲロ吐いた)、深い心の傷を追う。ここに母親の薬代を捻出するために強盗を企むという手段に出てエスカレートした挙句爆発を起こし自ら巻き込まれて入院する。そして父親から母親が死んだと告げられる。父親はそれを息子のせいにして・・・
ラストのアンドリューの暴走に至るシーンはちょっと唐突でもう少し段階を経ても良かったのではないかと思う。
空を飛ぶシーンの爽快感は「マン・オブ・スティール」とは比べ物にならないぐらいで、最初のふわっと身体を浮かせるシーンの未知の体験から雲の中でのシーンまでセンス・オブ・ワンダーというにふさわしい。ちなみに原理としてはテレキネシスで自らの身体を浮かせて操作しているのだが、この辺は「絶対可憐チルドレン」と同様。
また超能力は劇中では主にテレキネシスだけの描写だが、後半はテレパシー的な力の芽生えも示唆される(具体的な説明はないが3人の内誰かに精神的に大きな問題があると鼻血を流すという形で他の2人にも伝わる)。また、ただテレキネシスが使えるだけではなく、身体能力もアップしていることを示唆している部分もある。身体が頑強になっている。この辺はラストの結末及びもしもあれば次へとつながるか。
はっきり言って「3人に超能力を与えた結晶体は何なのか?」とか残された謎は多いがまあその辺は全然気にならない。POVの形式にこだわったせいで多少おかしな部分はあるけれどそれでも面白かった。「エレファント」的な学園物の日常からスーパーヒーローコミックス的な非日常へ。シームレスにつながり身近な部分で非日常を体験することができる。
ラストアンドリューはとある死を迎える。これは雷に打たれることを神罰と捉える見方が可能か・・・
二週間限定ならもうすぐ終わってしまうけれど、結局は全国公開されるようだし、料金が特別料金1000円だったのでこれは是非観てほしいと思う作品。
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以前に見たPOV映画として。
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POV映画の基本人数が3人なのは何か理由があるのかしら。
*1:もちろん「ブレア・ウィッチ・プロジェクト」も単にアドリブに任せただけではなく。製作者が詳細に設定した魔女伝説など下地がしっかりしている
*2:日本で知られているのは悪名高い「DRAGONNBALL EVORUTION」のピッコロ役か