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偉大な男の華麗なる人生 華麗なるギャツビー


 僕が一番大好きな男性俳優は御存知の通りユアン・マクレガーであるが、彼が出ているその中でも好きな作品はティム・バートン監督の「ビッグ・フィッシュ」とバズ・ラーマン監督の「ムーラン・ルージュ」である。特に「ムーラン・ルージュ」は僕のオールタイム・ベスト作品といってもいいもので今でも暇さえあればよく見ている。
 で、僕はこの作品をぜひ、3D化して再公開していほしいと常日頃から思っているのだが、それはこの作品が華々しい色彩と幻想的な映像で彩られているからに他ならない。普通に劇場で観た時も圧倒されて、「これこそが映像の暴力!」という認識でいる。洪水のようなド派手なビジュアルは3Dに向いていると思うし1900年のパリを1970年代の音楽で彩るという手法は10年以上経った今でも十分衝撃を与えるはずである。
 その「ムーラン・ルージュ」の監督がバズ・ラーマンであるがこの人の監督作は今のところまだ5作しかない。そして最新作はとても珍しいアクションやSF、ホラーではない、ジャンル的にはラブストーリーやヒューマンドラマに分けられるだろう作品であるのに3D作品であるという物。バズ・ラーマンの新作「華麗なるギャツビー」を観賞。

物語

 1922年ニューヨーク。作家を目指しやってきた青年ニック・キャラウェイは証券会社に勤めながらNY郊外で一人暮らしを始める。いとこのデイジーとその夫で大富豪のトム・ブキャナンの屋敷はニックの小さな一軒家と湾を挟んで向かい合っている。
 第一次世界大戦後の好景気に沸くNYでは1人の大富豪の話題で持ちきりだった。ジェイ・ギャツビー。ニックの隣の城で毎夜パーティーが繰り広げられている。誰も招待を受けたものはいない。皆勝手にやってきてはギャツビーの主催するパーティーで大騒ぎするのだ。ある日、ニックは桟橋の上で寂しげに湾の向こうのブキャナン家の緑の明かりに手を伸ばそうとする人影を見かける。ニックは漠然と彼こそギャツビーに違いないと思うのだった。ある時ニックにギャツビーから正式な招待を受け彼のパーティーに参加する。誰もギャツビーの正体を知らなかったが、自分と同じくらいの青年に声をかけられる。とびきりのハンサムと完璧な笑顔。彼こそがジェイ・ギャツビーその人だった。
 やがてニックとギャツビーは親しくなる。彼の目的は5年前に恋仲になるが一度破産し姿を消した間に結婚してしまった今はトムの妻であるデイジーともう一度出会うこと。日毎のパーティーも彼女が興味を持って訪れるのを願っての事だった。ニックは彼のためにデイジーを自宅のお茶会に招き再会の場を提供するが・・・
 果たしてギャツビーとは何者なのか?

 原作はF・スコット・フィッツジェラルドが1925年に発表した「The Great Gatsby」。邦題はThe Greatの部分が「偉大な」「素晴らしき」「グレート」「華麗なる」など色々と変わっている*1がアメリカを代表する小説でアメリカでは高校ぐらいには必ず習う古典でもある。と言いつつも僕は実はまだ読んだことはない。実家には1974年のロバート・レッドフォードがギャツビーを演じた映画「華麗なるギャツビー」のポスターが表紙になっている文庫本があったが読んではいなかった。
 とはいえ、今回このレオナルド・ディカプリオ版の「華麗なるギャツビー」を観て「これはバズ・ラーマンのための物語だ」というような思いを持った。単純に判断して

  • 作家志望の青年の語り部
  • 異なる階級の男女の恋愛
  • 派手派手なパーティーの描写
  • 悲劇的な恋の結末

と言った要素はほぼ「ムーラン・ルージュ」と共通している。と言うより以前から言っているが、例えば「タイタニック」「シザーハンズ」と「ムーラン・ルージュ」は話だけ抜き出せば実はほぼ同じでつまり古典的で普遍的な誰にでも受け入れられる恋物語である(「ロミオ&ジュリエット」は言わずもがな)。

沈んだ客船、不沈の映画 タイタニック3D

 もちろんこれはバズ・ラーマンがこれまでの作品を作る上でも「グレート・ギャツビー」の影響を受けていたということなのだろう。だから僕はこの作品を特に原作の存在に囚われること無く、普通にバズ・ラーマン監督の集大成的なものとして見ることが出来た。
 当然長編小説を原作にしてるだけあって映画オリジナルである「ムーラン・ルージュ」とは違う部分もある。物語は単純だった「ムーラン・ルージュ」に比べいくらか複雑になっているし(とはいえ、これでも昨今から見れば十分単純だと思う人も多いだろう)、例えば、語り部であるニック・キャラウェイが物語を作品として書き綴りながら回想するが「ムーラン・ルージュ」では語り部と恋の相手は同一人物であるのに対し、キャラウェイは基本的に傍観者の立場を貫く。それでもいかにもラーマンが好きそうな「ロミオ&ジュリエット」「ムーラン・ルージュ」の正統後継作品、集大成として観ることが出来た。
 ラーマンは映画監督作こそ「華麗なるギャツビー」含めて5作品と少ないが、オーストラリアでは舞台の脚本家演出家としてキャリアを知られた人である。シェイクスピアの原作をそのまま現代に持ってきた「ロミオ&ジュリエット」や19世紀末のパリのキャバレーのショーを舞台にした「ムーラン・ルージュ」などはある意味理想的な舞台と映画の融合といえるかもしれない(デビュー作の「ダンシング・ヒーロー」は社交ダンスの世界が舞台)。「オーストラリア」はちょっと毛色が違ってて「大いなる西部」のような壮大な物語のオーストラリア版をロケも多用し一大叙事詩としてあげた一品。
 音楽的にも現代の音楽をうまくアレンジして古典的な物語に合わせているという点や物語自体は比較的単純なものであるという点からいっても「ロミオ&ジュリエット」「ムーラン・ルージュ」そしてこの「華麗なるギャツビー」は3部作のようなものだと思う。本作ではビヨンセの代表作「クレイジー・イン・ラブ」のアレンジが上手く当時のジャズと溶け込んでいたりする。また「ヤング・アンド・ビューティフル」という曲が主題歌的な扱いをされいろんなアレンジで映画を飾る。主にジェイ・Zが担当するボーカル曲とラーマン作品でスコアを担当しているクレイグ・アームストロングのスコアが見事に融合している。
 ラーマンはおそらく綿密な時代考証を必要としない作家だ。しかしただ当時の再現に力を費やすのではなく、当時を象徴する何かを探し当て抜きだし、それを凝縮・強調することでその時代の空気みたいなものを表現する術に長けている。「ムーラン・ルージュ」のボヘミアン。そして1920年代の好景気に湧く退廃的な享楽。

 主役の謎めいたジェイ・ギャッビーを演じるのはラーマン作品は「ロミオ&ジュリエット」に続いて二度目となるレオナルド・ディカプリオ。「ロミオ&ジュリエット」の時はまだ少年でジュリエット役のクレア・デーンズより可愛らしかったくらいだが、ここ最近はさすがに美貌だけではなく迫力も備えてきて、特に「ジャンゴ」の悪役カルヴァン・キャンディや「J・エドガー」のエドガー・フーバーFBI長官などひねった役柄も多く演じているだけあって一見若々しくハンサムな金持ちという分かりやすいキャラでありながら複雑な内面を備えた人物を見事に演じている。日本では「ギルバート・グレイプ」で注目され、「ロミオ&ジュリエット」でアイドル的人気となり「タイタニック」で全面的に売れた、という感じなのであろうが、もともと「ギルバート・グレイプ」の頃から演技力はずば抜けていると評価を受けていた人でもある。そして先ほど「タイタニック」と「ムーラン・ルージュ」が同じ話、と書いたりロミオだったりした通り、ラーマン的な恋の主人公に向いている人物だ。またディカプリオは「太陽と月に背いて」で破滅的な詩人アルチュール・ランボー、「キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン」で伝説の詐欺師フランク・アバグレイブ、「アビエイター」で大富豪ハワード・ヒューズと言った実在の人物を演じているが、これらは見事にジェイ・ギャツビーと言うキャラクターに集約されると思う。実は1974年版のロバート・レッドフォードがギャツビーを演じた歳と同じ年で同じ役を演じることになったわけだが(劇中の設定年齢はもう少し若い)40近いとは思えぬ若々しさも今回はうまく作用していると思う。
 ギャツビーの親友となり彼の物語を綴るのは作家志望の若者ニック・キャラウェイ。彼を演じるのはトビー・マグワイアで「スパイダーマン」シリーズのピーター・パーカーに引き続きまたしてもニューヨークに翻弄される役をすることに。もともとマグワイアとディカプリオはプライベートでの親友同士でそういう縁からか、比較的唐突に思えるギャツビーとキャラウェイの友情も納得ができるように思える。キャラウェイはギャツビーとデイジー、そしてデイジーの夫であるトムとの間で振り回される役だがこの傍観者でありながら翻弄される、というのが本当にマグワイアに合っている。
 ヒロインであるデイジーは「ドライヴ」「シェイム」のキャリー・マリガン。人妻で子供もいながらかつての恋人と本気で愛しあう(そして最後は・・・)ファム・ファタールだが外見は無垢な少女のようでデビュー作である「プライドと偏見」の5人姉妹の4女キティに近い感じだ。このギャツビーとの焼け木杭に火がつく描写は実はデイジー以外に人を愛したことのないギャツビーと結婚している責任を微塵も感じないデイジーの恋愛は非常に幼く、まるで小中学生の恋物語を見ているかのようである。最初の再会であるお茶会のいざとなるとビビるギャツビーやわざとびしょ濡れになったりする行動は二人の外見の若々しさもあってとても初々しい。それでもおそらく社会では百戦錬磨だったギャツビーよりも人妻であるデイジーのほうが最終的には一枚上手だったあたりフィッツジェラルドの原作の意地悪いところを感じる。
 恋敵となるトム・ブキャナンを演じるのはジョエル・エドガートンでそれこそ「ムーラン・ルージュ」の公爵や「タイタニック」のビリー・ゼーンと共通した金持のいやらしさを発揮する。特に「黄禍論」を持ち出し彼がその信奉者であることを描写することで、現代の目から見て差別的で金持特有の選民意識に囚われた人物であることを分かりやすく表現している。また彼は貧乏人はもちろんのことギャツビーのように得体のしれない成金も毛嫌いしており、ギャツビーに「ポロの選手」と呼ばれることで他の人物との溝が分かる。

 さて、個人的に一押しはゴルフ選手で背も高いデイジーの友達ジョーダン・ベイカー役のエリザベス・デビッキさん。オーストラリアで舞台などで活躍しているようで本格的な映画出演はこれが初だそうだが、身長の高いルーニー・マーラといった感じで劇中でも異彩を放っている。今後の活躍が楽しみ。
 
 物語はギャツビーの成り立ちに付いても触れていく。彼は田舎の貧農の家に生まれ、金持ちの命を助けたことで上流階級の世界へ入り込む。そしてデイジーに恋をするが再び一文無しになった後彼はデイジーにふさわしい男となるべく姿を消す。この5年間の間に悪名高い「禁酒法」が施行され、彼は闇の世界で利益を上げ再び上流階級の世界に戻ってくる。ギャツビーはデイジーに一途で、デイジーも決して嫌ってるわけではないが、ギャツビーほど純情でもない。トムの挑発に乗ったギャツビーが「シャラップ!」と激昂して、周りがドン引きするシーンがあるが、あれは感情の発露をきっかけにギャツビーの生まれの地が出てしまい上流階級の者たちが唖然とするシーンでもある。関係ないが先日日本の人権人道担当大使が国連で失笑されて「シャラップ!」と言い放って顰蹙を浴びたがおそらくこのシーンで扱われる「シャラップ」の意味合いとほぼ同じだったのだと思う。凄い乱暴できちんとした論理で対抗できない時に取る態度と思われたのだろう。
 この直後から物語は急展開する。トムの愛人マートルをデイジーの運転するギャツビーの乗った車がはね、トムとデイジーは身を隠そうとする。ギャツビーも同様だが彼はデイジーが最後に自分を選んでくれると信じて彼女からの電話を待ち続ける。そして彼の背後にはマートルをギャツビーが殺したと信じ込んだマートルの夫が・・・
 この悲劇的な結末は最初の方の華やかなシーンと比べて閑散したものであり、おそらく後にやってくる世界大恐慌を暗示している、というのが優等生的な答え。ただし物語的にはこのラブストーリーは悲劇に位置づけられ「ロミオ&ジュリエット」「ムーラン・ルージュ」の系列で考える場合必然とも言える終わり方である。

 今回は3Dで観賞。冒頭で述べた通りアクション映画でもSF映画でもない3D映画を観るのはおそらく初だが、最初のタイトルロール部分やギャツビー邸で行われるとにかく派手なパーティー、そして象徴的に現れる 物事をすべて見通すようなメガネを掛けた男の看板(真実の目とか言われていた気がするがちょっと忘れてしまった)などはとても3D効果が効いていた。この辺はかなり計算して撮影されているようだ。逆に2Dで見ると平板に見えてしまうのではないだろうか。最も物語に集中しだすとあんまり気にならなくなるけれど。
 さて、実はキャラウェイがギャツビーとパーティーで初めて出会うシーンで僕は別の映画を連想していた。1989年のティム・バートン監督作「バットマン」。この映画でもウェイン邸のパーティーで新聞記者のノックスとヴィッキー・ベイルがパーティーの繁盛にびっくりするも誰も主人であるブルース・ウェインを知らず、戸惑っていると一人の男に話しかけられ、実はその男こそブルース・ウェインであった。というシーンが有る。ここはこの映画でのキャラウェイとジョーダン・ベイカーがギャツビーと初めて出会うシーンとそっくりである。もちろんパーティーの演出法は違うが多分ここは映画「バットマン」のほうが原作の「グレート・ギャツビー」に影響を受けて意図的に似た場面を設定したのだと思う。勝手に「華麗なるバッツビー」などと名付けたが、誰かバットマンとギャツビーのマシュアップでも作らないかしら。

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 僕はバズ・ラーマンの監督作が大好きだし、それはこの作品で更に思いを強くした。映像としても単純な物語を魅力的に描く手腕にしても彼の映画の魅力は健在。おそらく5年に一回ほどの製作スパンとなるだろうが、今後も彼の作品を楽しみに待ちたい。

*1:今回の「華麗なる」はちょっと意訳しすぎのうような気もする