The Spirit in the Bottle

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歴史からも自由なタラのテーマ ジャンゴ 繋がれざる者

 映画を観るということを趣味にして少なくとも25年、影響を受けた作品、監督というのも数限りない。しかし何度か書いているとおり、直接人生に影響を与えた監督といえばティム・バートンクエンティン・タランティーノの二人である。ティム・バートンの方はどちらかと言えば「監督作が自分の感性と最も近い」という感じだが、一方タランティーノは(作品自体が面白いのは当然として)その映画オタクとして歩んだ人生が「自分もこんな道を歩みたい」と思わせた人である。そんなタランティーノの新作「ジャンゴ 繋がれざる者」を鑑賞。

物語

 1858年、テキサス州。スペック兄弟が手足を鎖で繋いだ奴隷を日夜行進させている。その行進に一人の男が訪れる。歯医者シュルツを名乗るその男は奴隷の1人を確認すると彼を譲ってくれという。その慇懃無礼な態度が気に触ったのかスペック兄弟は彼を撃とうとするが一瞬の差でシュルツが兄を撃ち殺す。シュルツは賞金稼ぎで現在ブリトル3兄弟を追いかけている。そして彼が求めた奴隷こそそのブリトル3兄弟の素顔を知る人物だった。その奴隷の名はジャンゴという。
 ジャンゴは解放奴隷という形でシュルツと手を組み、ブリトル3兄弟を仕留める。シュルツはジャンゴから彼の馴れ初めを聞き、冬の間賞金稼ぎの仕事を手伝うことを条件に別の白人に売り飛ばされてしまったジャンゴの妻、ブルームヒルダを取り戻すことを手伝うことを誓う。
 やがてブルームヒルダが売られた先はミシシッピ州の巨大農園キャンディ・ランドの支配者カルバン・キャンディであることを突き止める。二人は黒人奴隷による格闘技を趣味とするカルバン・キャンディに近づくため、格闘技のオーナーと専門家として彼に近づくのだった・・・

 名前から分かる通り、「続・荒野の用心棒」のフランコ・ネロが演じたヒーロー、ジャンゴを元ネタとした西部劇*1。いわゆるマカロニ・ウエスタン(イタリア製西部劇)の影響が強い作品。マカロニ・ウェスタンというと黒澤明の「用心棒」を無断でリメイクしたセルジオ・レオーネの「荒野の用心棒」が第一号とされるが、レオーネの作品は今振り返ると結構正統派で、荒唐無稽でバイオレンス描写も激しい西部劇という意味でのマカロニ・ウエスタンはむしろセルジオ・コルブッチの「続・荒野の用心棒」の方だろう。ちなみにこの2つの「荒野の用心棒」には物語的なつながりはなく、日本で勝手に続編のような邦題を付けてしまった物。「荒野の用心棒」はおなじレオーネ監督、クリント・イーストウッド主演による「夕陽のガンマン」「続・夕陽のガンマン」とむしろ「ドル三部作」としてシリーズ扱いされている(物語としてのつながりは厳密には不明)。「ジャンゴ」の名前はマカロニ・ウエスタンのアイコン的なネーミングとなっていて、関係ないものでも「ジャンゴ」と名乗ったりしている。「ONE PIECE」でもジャンゴという海賊(後海兵)が登場したりする。ちなみに劇中で本家フランコ・ネロが出てきてジェイミー・フォックスの主人公ジャンゴに、

「名前は?」
「ジャンゴだ。DJANGO、Dは発音しない」
「知ってるさ」

というような会話があるが、「スターウォーズ」に出てくるジャンゴ・フェットは明らかに元ネタはマカロニウエスタンのジャンゴだが、こちらは「JANGO」でDは存在しない。

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 一般に西部劇の舞台は南北戦争後ぐらいから1910年ぐらいまでとされることが多いので今回の南北戦争の2年前を舞台にした「ジャンゴ」はその意味ではちょっと外れている。奴隷制度を真っ向から描いたエンターテインメントと言っていいだろう。

マンディンゴ

 今回、このタランティーノの新作に備えて、というわけでもないが事前に見た作品に1975年の名匠リチャード・フライシャー監督の作品「マンディンゴ」がある。奴隷制度下における白人の奴隷の扱いを真正面から描いた作品で、大ヒットをしたものの作品の評価は当時より現在の方が高い作品だという。白人の農場主は黒人を魂の無い動物としてしかみていない。家畜だからこそ品種改良に勤しみ、また増やすために自ら黒人女性の奴隷と寝て子供を産ませる。その子供は売っぱらってしまうのだ。劇中24人産んだ黒人女性が出てきて、白人たちが食事をしている間彼らを扇ぐ双子の子供も登場するが、それはもしかしたら農場主の子供かもしれないのだ。しかし白人は彼らに愛情を注ぐことはしない。注いでもそれは家畜としての愛情だ。
 「マンディンゴ」は1975年当時の作品としても演出が前時代的で、特に白人の演技は大仰である。馬鹿らしいほどにカリカチュアされているのかもしれない。ただ、その独特のテンポは不思議なもので、飽きることは無い。見世物と社会派が一体となった作品。言い方は難しいがとてもおもしろい作品。しかし観終わった後すごく嫌な気分になる映画でもある。
 タイトルの「マンディンゴ」とはかつて西アフリカでマリ帝国を築いた者の子孫を指し、美丈夫で優れた黒人とされる。劇中の主人公ハモンド父親である農場主は女性のマンディンゴを所有しているが、男性のマンディンゴを手にい入れ掛け合わせることがブリーダーとしての夢だったりするのだ。この歪んだ品種改良を目論んだりするところが、同じ奴隷制度でも古代ローマのそれとは違う所で、古代ローマなどの場合、人種的なそれよりも戦争での勝者が敗者を奴隷にする、という形が多い。場合によっては奴隷から抜け出すことも十分可能。しかしアメリカのそれは人種的な要因が原因なのでそもそも人として認められていない。またナチスの優生思想などに先駆けて科学が悪用された例といえるかもしれない。
 「ジャンゴ」劇中ではマンディンゴの男性ミード(ガニメデ)は黒人奴隷同士を戦わせる格闘技で活躍するが、タランティーノはこの作品の中でその黒人奴隷格闘技そのものを指して「マンディンゴ」と呼ばせている。もちろん意図的な間違いであるが、タランティーノの奴隷の歴史観についてはこの映画「マンディンゴ」がベースになっていると思われる

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 映画はスパイク・リーがケチをつけたとして作品外の所で話題になったが、映画を観た後だとスパイク・リーの言うことにも一理はあると思う(もっともスパイク・リーは作品そのものを観ることを拒否しているそうだが)。いわゆる白人であるタランティーノが「nigga」を乱発し、黒人の苦痛の歴史を面白おかしく描くことに違和感を抱く人も多いだろう。リーは作品そのものよりその製作姿勢に文句を言っているわけだ。必ずしも作品を観なければ全ての批判が出来ないというのもおかしくて、例えば日本でも「先生を流産させる会」という実際の事件を元にした映画が加害生徒を男子から女子に変えて批判を受けたが、これはある程度まっとうな批判だと思う。この場合、作品そのものの出来不出来は関係ない。少なくとも「実際の事件を元にした」と宣伝で謳い、男子生徒が名付けた「先生を流産させる会」という悪意に溢れつつ人目を引くネーミングを採用しておきながら、その加害を女子になすりつけたのは、問題があると文句を言われてもしょうがなかろう。

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 作家性と言うより人間性の問題だとも思う。閑話休題
 だから、タランティーノがこういう作品を製作する上である程度批判を受けるのは仕方がない。映画が全てに勝るわけでもない。この作品は非常にエンターテインメントとして面白かったがそれでも観る人によっては無条件で受け入れられるというものでもないだろう。
 また、僕のそれほど詳しくない知識でもわかるほど、時代考証的に間違っている部分もある。例えばタランティーノと言えばセリフにおける「Fuck!」や「マザファッカ!」などのスラング。この作品でもサミュエル・L.ジャクソンが「マザファッカ」を連発するが、こういう言い方は20世紀以降であって1858年の人間が使っているはずがない。KKKの元になったよう白覆面集団も登場するがご存知のようにKKKが出来るのは南北戦争のあと。またダイナマイトも登場するがダイナマイトが実用化されるのは20年ほど後のことである。
 しかし!そもそもこれを正当な歴史を繋いできた作品と思うからおかしいのであって、タランティーノの脳内にある別世界の1858年だと思えばいいのでは無いのか、という気もする。すなわち、旅客機の座席に「カタナホルダー」がついていた「キル・ビル」だったり、ヒトラーゲッベルスなどナチの幹部が映画のプレミアで殺されてしまった「イングロリアス・バスターズ」のような現実とは違ったタラワールドと同じ世界観に属する物語なのだと思う。

 主人公ジャンゴはジェイミー・フォックス。最初はウィル・スミスが演じる予定だったらしいがウィル・スミスだとちょっと愛嬌ありすぎな感じでこっちで良かったと思う。ジャンゴは目的のためならある程度冷酷にもなれる人物。逃亡した過去があるため顔に「r(Runnerのr)」の焼印がある。彼は色々な格好を見せてくれるが、最初の方のアフロヘアーでコートを着込んだ格好が一番格好良かったかな。
 ジャンゴの師匠にあたるドイツ系キング・シュルツはクリストフ・ヴァルツが演じている。一見すると同じドイツ人であることやそのいつでも慇懃無礼な物言いなどから「イングロリアス・バスターズ」のランダ大佐を思わせるが役柄的にもむしろ逆。彼は黒人への偏見をいだいていないどころか、むしろ白人の奴隷への扱いをみて自らジャンゴの手助けを申し出る正義観溢れる人でもある。ジャンゴがむしろ妻を救うために逃亡奴隷が犬に食われる所を黙認するある種の冷徹さを備えているのに対してシュルツのほうが冷静でいられないような一面も。最初の方のまだ人物がよくわからない部分から実質正義の側の主人公とでも言える人物。元歯医者という設定だが、西部劇の世界で医者というとOKコラルの戦いでワイアット・アープに味方したことで有名なドク・ホリディを思い出すがまあ直接関係は無いのかな。戦闘スタイルは銃撃戦を繰り広げるというより、袖に隠した拳銃で意表をついたり、遠くからライフルで狙いをつけて戦うタイプ。この一見非武装のようで実は袖に隠した拳銃で一発というのはこの作品内で何度も出てくる。正統派な銃撃戦よりもオフビートなタランティーノらしい戦い方といえるかもしれない。
 ジャンゴの妻、ブルームヒルダはかつての主人にドイツ語を教わり、ドイツ風の名前を付けてもらったという設定。ケリー・ワシントンが好演。ブルームヒルダとはゲルマン神話で言うところのブリュンヒルデのことでシュルツがジャンゴにジークフリードの話をしながら、徐々に彼を手助けしようと思うところは名シーンだと思う。ちなみにブリュンヒルデ(ブリュンヒルト)というと僕は「銀河英雄伝説」における主人公ラインハルト(ジャンゴ・ラインハルトとは関係ない)の乗艦ブリュンヒルトを思い出すが、この船は白い外見が美しい船であったりするからちょと皮肉。そしてこのブルームヒルダのフルネームはブルームヒルダ・フォン・シャフト、というわけでタランティーノの中では勝手にこのジャンゴとブルームヒルダの間に出来た子孫が後のジョン・シャフト、リチャード・ラウンドツリーの「黒いジャガー」やその甥っ子(サミュエル・L・ジャクソン!)の「シャフト」につながる!ということになっているのだな。

 悪役としてはまずは、レオナルド・ディカプリオ演じるカルバン・キャンディ。相変わらず40近いとは思えぬ若々しさのディカプリオだが、この場合はそれが功を奏している。とにかく子供のまま権力者になってしまったようなカルバン・キャンディを見事に演じている。カルバン自身は自分が悪いことをしている、という意識はおそらくゼロで逃亡した奴隷を犬に食わせて殺したりしてもそれが非人道的などと微塵も思っていない。ディカプリオがそんな南部の金持を楽しそうに演じている。カルバン・キャンディはフランス語など全く出来ないのにフランスかぶれの一面があって、奴隷にダルタニャンなどと名付けたりしている。ダルタニャンはご存知アレキサンドル・デュマ、通称大デュマの代表作「三銃士」の主人公。大デュマの父親トマ・アレキサンドル・デュマは白人の父と黒人の母親の間に生まれた私生児でその軍事的才能から「黒い悪魔」と呼ばれて恐れられ、一時はナポレオンの強力なライバルであったという。息子の大デュマにもその血は受け継がれ、彼は天然パーマに黒い肌の持ち主であったがその出自を誇りにしていた。デュマに黒人の血が流れていることを知らずに彼の本を読み、そして黒人奴隷を虐待するカルバン・キャンディ。そのようなことからもカルバン・キャンディが物事の上っ面しか見ない人物であることが分かる。ちなみに舞台となった1858年当時、大デュマは全盛期の人気は無いがまだまだ充分現役だった頃である。
 ただ、実際に真の悪役といえるのはキャンディ・ランドで奴隷頭とでもいうべき地位にいるスティーブンである。サミュエル・L.ジャクソンが演じているこのキャラは「邪悪なアンクル・トム」とでも言うべきキャラクターで黒人でありながら農場の一切を仕切っている。劇中ではカルバンによって彼の祖父から仕えていたベンという黒人奴隷の頭蓋骨が登場するが、おそらくスティーブンもカルバンが子供の頃から仕え彼を育ててきた。「ヘルプ」でも見られたとおり南部では白人は子育てを黒人メイドにまかせていたがもしかしたら、カルバンも実質スティーブンに育てられたといっていいのだろう。そしてカルバンとスティーブンの関係は一見、カルバンが支配者のように見えて実はスティーブンが操っているようにも見える。もちろん彼の支配はキャンディ・ランドに限られたものであり、他の世界では単なる黒人奴隷に過ぎない。それ故に彼はカルバン・キャンディを誰よりも愛しているのだ。そしてそのためには自分がカルバンに従順であるように他の黒人も従順でなければならない。その秩序を乱そうとするジャンゴに敵愾心をむき出しにする。実際にこんなキャラクターが当時いたのかどうか分からないが実に興味深い人物である。
 タランティーノの脚本は会話における面白さが際立っているが、その一見無駄とも思える会話も誰が演技しても魅力を引き出せるわけではない。独特の言い回し、リズム、そういったものを引き出せるの役者は限られる。意外に100%引き出しているような役者は少なく、サミュエル・L.ジャクソンは間違いなくその1人であると思う。今回は、もう一人クリストフ・ヴァルツというタラの脚本の魅力を引き出せる役者が揃ったことで会話シーン(ただ今回は無駄な部分は少ないが)がこれまでに鳴く緊張感がありつつ面白いものになっている。

 劇中、一瞬しか登場しないような役者も多く、堂々と馬に乗って街に現れるジャンゴを窓から意味ありげに見つめる女性がアンバー・タンブリンだったりする。またキャンディ・ランドの牧童で顔の下半分を覆った女性牧童が登場するが、彼女もまた意味ありげでありながら特になんという事もなくあっけなく殺されてしまった。どうやらゾーイ・ベルが演じていて、彼女には別の物語が合ったそうなのだが・・・あとはトム・サヴィーニも出てた?

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ジャンゴ 繋がれざる者~オリジナル・サウンドトラック

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 今回、劇中挿入歌にもきちんと歌詞の字幕がついていてそれはとても良かったのだけどそれは前半の挿入歌だけで、後半はなぜか無くなってしまっていた。アクションシーンにかかる曲などは字幕に目を奪われても困るので構わないけれど、エンドクレジットでかかる曲とかは絶対必要だったはず。歌詞の訳担当は町山智浩さんだったけどどうしたんだろう?途中で面倒くさくなっちゃったの?まあ、町山さんのせいだとも限らないけれど、やるならきちんとやって欲しかったなあ。 エンターテインメントとしては超一流の作品だがちょっと考える部分もある作品。

*1:舞台としてはミシシッピ州なので南部劇といったほうがいいかも