The Spirit in the Bottle

旧「小覇王の徒然はてな別館」です。movie,comics & more…!!!

トラとオデッセイ ライフ・オブ・パイ トラと漂流した227日

Tyger! Tyger! burning bright,
In the forests of the night,
What immortal hand or eye
Could frame thy fearful symmetry?
 
虎よ! 虎よ! あかあかと燃える
闇くろぐろの 夜の森に
どんな不死の手 または目が
おまえの怖ろしい均整を つくり得たか?
( 『ブレイク詩集』/ 寿岳文章 訳(世界の詩55・弥生書房))

 幻視系の詩人、画家であるウィリアム・ブレイク(1757-1827)は「虎」という詩の中でなぜ神が虎のような相手を殺すことにのみ特化した生物を創りたもうたのか、と問うた。ここで言う虎は敬虔なキリスト者の象徴でもある羊と対象になっている。同じネコ科の巨大肉食獣であるライオンが百獣の王と讃えられるのに対してトラは孤独な暗殺者のように扱われる。草原で群れをなし、(雄ライオンは)そこに君臨する動物と森の中で孤独に生きる動物の差だろうか。
 少年がトラと漂流するという物語、「ライフ・オブ・パイ トラと漂流した227日」を観た。

物語

 スランプに陥った作家はとある老人と出会い、ある人を紹介される。その人物、パイ・パテルは彼に自分の生い立ちを話し始める。
 インドで生まれたピシン・モリトール・パテル。この名前はフランスのプールから取られたが、インドの言葉では小便に聞こえるので自ら「パイ(π)・パテル」を名乗る。彼は円周率を膨大に覚えるほどの少年だった。また彼の家は動物園を経営しており、そこで行われる命のやり取りから彼は信仰を追求し、キリスト教イスラム教、そしてヒンズーの神々を同時に信仰することになる。
 彼が16の時、一家は動物園を閉園し、動物をアメリカに売り払い、カナダで暮らすため日本籍の船に乗ることに。しかし太平洋上で船は事故に会い、生き残っってボートに残ったのはパイと数匹の動物だけだった。やがて動物はトラだけになってしまい、彼とトラの漂流生活が始まった・・・

 事前の予告編でその映像美に魅せられ、とても観たかった一本。予告編にも色々種類があって、(作品そのものとの評価とは別に)何度でも観たい予告編もあれば一度で十分、というものもある。例えばここ最近劇場に行くたんびに見せられてげんなりした予告編に「東京家族」や「だいじょうぶ3組」などは一度観れば十分、見せ続けられると逆に見る気が無くなる種類の予告編。しかしこの「ライフ・オブ・パイ」や「クラウド・アトラス」あたりは見れば見るほど期待が高まるタイプの予告編だと思う。
 映画は意外に漂流するまでが長い。しかも、最初に現在のパイその人が登場するのでこの漂流によってパイが生き延びることは判明している。この辺は最初にローズその人の現在を見せて生き延びることを分からせてしまった、「タイタニック」と同様の物語構成なのだが、その分漂流シーンに(生きるか死ぬかのサスペンス以上に)自信があったのだろう。
 物語の前半部分、パイの半生では彼の人格形成について語られる。父親との示唆に富んだ会話や円周率、そして彼の信仰を求めてさまよう姿。トラのリチャード・パーカーと彼は親交を持とうとするがトラはそんなことを考えちゃいない。
 キリスト教イスラム教、そしてヒンズー教を同時に信仰なんて、そんなこと可能なのかな、と思うがどうなのだろう。この色々な宗教を求めることと中盤の漂流を観て僕が思い出したのは「オデュッセイア」。トロイア戦争の英雄オデュッセウスが戦争の後、凱旋する途中に起きた10年にも渡る漂泊の物語を描いたギリシア叙事詩。「2001年宇宙の旅」などの原題にも使われ、現在では「オデッセイ」といえば「長い航海/旅」という意味を持つが、更に飛躍して「信仰を求めてさまようこと」も「オデッセイ」というらしい、とどこかで読んだのだがまさにパイの人生はその縮図ともいえるだろう。
 やはり、インド人の死生観を元にしているだけあってヒンズーの神々の説明が合ったりするのだが、その中でガネーシャの説明で母親を「シャクティ」と言っているのはかなりおかしな翻訳。普通に原語でも「パールヴァティー」と言っているのが聞こえるし、なぜこんな訳し方をしたのか分からない。
 また、クリシュナの口の中に宇宙を見る描写や、漂流して最初の魚をとった時にヴィシュヌ神に感謝を捧げているところを見ると、パイの一家はヴィシュヌ信仰なのだろうか。漂流してからも時折、単なる美しい海、という描写を越えて宇宙を感じさせる映像も多く3Dであることも相まって観客に宇宙(それは必ずしも本物ではなくある種宗教的な観念的なものだが)を追体験させてくれる。

 一家の乗る船が日本籍であるということにもびっくりなのだが、そこのコックがなぜかフランス人のジェラール・ドパルデュー。最近は(金持への増税に反対して)フランスを捨ててロシア国籍になるとかの話題で(個人的には)男を下げた俳優だが、ここでは人種差別のいやらしい男を演じている。個々でのドパルデューやそこで出会う仏教徒の船員などはほんの少しの登場だが、これが後々の伏線となる。
 いざ、漂流すると、まずは救命ボートに落ちて足を折ったシマウマ、そしてハイエナ、そしてバナナの束に乗って救命ボートにたどり着いたオランウータン。ハイエナによってシマウマとオランウータンが殺され、次はパイの番となった時に、突如、トラのリチャード・パーカーが飛び出しハイエナを殺す。そこからはトラとのサスペンスフルな緊張を伴う共存体制を築くわけだが、ここからは美しい映像の連続という感じである。
 海面を輝かせる海月、雄々しくジャンプする鯨、トラがそうであるようにおそらくは実際の海ではなくおそらくはスタジオ撮影したものをCG加工した映像であるはずなのにリアリティを感じさせつつ、でもリアルでは出すことの出来ない美しさ。また、単に美しいだけでなく、トビウオの群れ、鯨のジャンプによって派生する波、雷雨な激しく躍動感もある映像も見どころ。パイはどうも雷雨に興奮してしまう癖があるようだが、気持ちはわからないでもない。
 その中で徐々にトラとの境界線というか、互いに生き延びるための線引が出来る。別に信頼や友情が生まれるわけじゃない。ただ、緊張感を持って互いに生き残るそのための最低限必要なこと。もっぱら救命ボート本体はトラに占有されて、パイは緊急避難的に作った筏(ロープでボートとつなげてある)で過ごすのだが。 

 後半、マングローブで作られた浮島にパイとリチャード・パーカーはたどり着く。ここはミーアキャットの集団が住んでいて、マングローブの枝も食べれるし、リチャード・パーカーもミーアキャット食い放題でちょっとした天国なのだが、実は夜になると水は毒に変わる肉食の島だった!パイとリチャード・パーカーは急いで逃げ出すのだった!この島の部分は確かに特種に過ぎ、なかなかリアリティが薄いのだがそれを象徴するように島の全景が仰向けになった人間を模しているのである。この辺気づいた人あんまりいないのかな。僕は思わず声を上げてしまったぐらいなのだが。
 監督はアン・リー。様々なジャンルで傑作を撮っているがもちろん僕的には「ハルク」である。外国出身で娯楽作から社会派まで幅広く撮っている監督ってのも最近では珍しい気もするなあ。それにスペイン人(といっても世界中色々行っているようだが)の書いたインド人が主人公の小説を監督するのに東アジア出身の監督が撮るのはバランスがとれていると思う。

 すべてが終わった後、日本人の調査員にパイは事情を話すが「こんな突拍子のないことは信じられない、もっと信憑性のある話を」と言われて別の話をする。救命ボートにはコックと仏教徒の船員とパイがいた。そこにパイの母親が何とか辿り着く。そして船員は足をけがしており助からない。コックは船員を殺し、それを咎めた母親も殺す。次の日、怒りに満ちたパイはコックを殺し・・・
 もちろんこれは映像の上ではコック=ハイエナ、船員=シマウマ、母親=オランウータン、そしてパイはトラである。どちらの話を信じるだろうか。おそらく、動物に例えた話は彼が自分を納得させるためのつくり話であろう。ハイエナは最初救命ボートのシートの中に隠れていたが、そこにはリチャード・パーカーもいたはずなのだ。ハイエナがシマウマやオランウータンを殺すまでリチャード・パーカーは何をしていたのか?
 だから、トラはパイ自身でもある。トラが示すものは自身の凶暴性、生への執着といったところか。最初にブレイクの詩を取り上げたが西欧ではトラは余り好意的にはみられない存在。パイは自分をトラに見立てて自分の人格から切り離すことで、窮地をしのいだのかもしれない。ああ、カルネアデスの舟板
 とはいえ、物語を選択するのはあなた次第だ。

LIFE OF PI

LIFE OF PI


 予告編で使われてたColdplayは本編中では使われてません。でも音楽も良かったです。
パイの物語(上) (竹書房文庫)

パイの物語(上) (竹書房文庫)

パイの物語(下) (竹書房文庫)

パイの物語(下) (竹書房文庫)

ブレイク詩集 (世界の詩 55)

ブレイク詩集 (世界の詩 55)

おまけ

日本人調査員「トラと漂流とか、肉食の浮島とか突拍子もないことばかり言わずにもっと信憑性あることを言ってください。ではもう一度聞きます。船が沈んだ原因に心当たりは?」
パイ「・・・実は50mはあろうかという巨大な怪獣が出てきて船を襲ったんです
日本人調査員「それなら、納得ですよ!ありがとうございます!」
パイ「日本人め・・・」