The Spirit in the Bottle

旧「小覇王の徒然はてな別館」です。movie,comics & more…!!!

我思う故に我ありinインド ロボット

 世界中どこの国でも映画が産業として成立しているところでは娯楽映画が一番製作されている。それでも日本で見れるのはアメリカ映画、ヨーロッパ(主にイギリス、フランス)映画、香港映画。最近では韓国映画などを別としてアーティスティックな作品ばかりである。
 インドも実はアメリカを超える一番の映画製作国でそこで作られる映画はダンスあり、アクションあり、上映時間も3時間越えは当たり前の超娯楽映画ばかりである、というのは実は20年暗い前に読んだ読んだ映画ムックの各国の映画事情というような記事で知っていた。しかし日本で公開されるのはサタジット・レイなどばかり。実際に娯楽映画としてのインド映画を本編をまるごと見ることが出来たのは「ムトゥ 踊るマハラジャ」が公開されてからである。その後「ジーンズ/世界は2人のために」などが公開されたが結局一時的なブームで終わり、日本で根付くことはなかった。この辺韓国映画「シュリ」一本のヒットで普通に日本でも新作が公開されるようになったのと比べると対照的である。近年はダニー・ボイルがインドで「スラムドッグ$ミリオネア」を撮ったりしていた。
で、その「ムトゥ」に出演していたインド映画の大スター、ラジニカーント・スーパースターの出演作「ロボット」を観た。
 

物語

 バシー博士が生み出した脅威のロボット、チッティ。バシーそっくりの外見だが学習能力や運動能力に優れこれまでのロボットとは一線を画していた。チッティは驚きと絶賛を持って迎えられるがバシー博士の恩師ボラ教授は先を越されたことに複雑な思いを抱く。
 バシー博士はチッティをインド軍で役立たせることを望んでいたがそのため人も殺せるチッティにボラ教授は不認可。バシー博士は感情と善悪の区別を理解できるようにする。感情を持ったチッティは博士の恋人サナに恋心を抱く。人間性に目覚めたチッティは軍のトライヤルで戦うことを放棄、愛を説く。怒った博士はチッティを破壊、廃棄処分してしまう。しかしそれをボラ教授が狙っていた・・・

最初にまるで映画のタイトルか製作会社ロゴかと思う勢いで「スーパースター・ラジニ」とクレジットが出てくるのでびっくりしてしまう。やっぱりラジニカーントは特別な存在なのだろう。
 この映画自体は一年ぐらい前にクライマックス部分が動画サイトなどで流れていて話題になっていた。僕もその時にクライマックス部分は見ていたし、インド映画というのはどういうものか、というのもある程度は知っていたのでそれほど期待してはいなかった。でも実際はそのクライマックス以外の部分もすべてがテンションの高い状態で維持された映画であった。このテンションの高さは「マグノリア」に近い気がする。劇中ではヒンディー語と英語が使われていると思われ、基本すべてアフレコのようである(追記。どうやらタミル語(+英語)バージョンのようです。劇中で「世界に言語は沢山あるけれどヒンディー語こそ創造主の言葉」みたいな歌詞が出てくるのでヒンディー語だと思ってました。なおスーパースター・ラジニは主にタミル語、アイシュワリイヤー・ラーイは主にヒンディー語で活躍する俳優だそうです)。
 物語は全体的に二分され、前半のチッティが徐々に感情を学んで人間に近づいていく部分。一転して悪役としての魅力を全面に出す後半。
 もっぱら話題になるのは後半部分だが前半も普通にSFとして見所。この映画を観てぱっと思いつく作品は「ターミネーター」「トランスフォーマー」「マトリックス」各シリーズ、ミュージカル部分の過剰さは「ムーラン・ルージュ」そして全体的にはアイザック・アシモフの「ロボット」シリーズ(映画化された「バイセンテニアル・マン」(アンドリューNDR114)や「われはロボット」(アイ、ロボット)の影響を強く受けている。実際劇中でバシー博士に対して「(チッティに)ロボット工学三原則は適用されているか?」と聞くシーンが有る(バシー博士の答えはノー)。とはいえこれだけ元ネタがあるからオリジナリティがゼロかといえばそんなことはなくむしろ全体的にはオリジナリティ溢れる作品と言える。
 チッティは「ターミネーター」のT-800に似た外骨格に「アイ、ロボット」のサニーに似た装甲、そしてバシー博士を元にした人工皮膚をつけている。ただ、面白いのはどこか中性的だったサニーに対してチッティのそれはおもいっきりおっさんのそれなのだな。この状態でインド風のダンスを踊ったり、ブルース・リーの真似をしてしまったりする。

第一条 ロボットは人間に危害を加えてはならない。また、その危険を看過することによって、人間に危害を及ぼしてはならない。
第二条 ロボットは人間にあたえられた命令に服従しなければならない。ただし、あたえられた命令が、第一条に反する場合は、この限りでない。
第三条 ロボットは、前掲第一条および第二条に反するおそれのないかぎり、自己をまもらなければならない。

 ドラマとしても充実しているのだが、そこはインドであって日本ではないので感覚として微妙な部分もある。例えばバシー博士はインド軍にチッティを売り込もうとするのだが大概こういう場合主人公は発明品が軍用化されることを嫌ってたりするものだが、バシー博士はむしろそれこそを望んでいる。先のロボット工学三原則にしてもなぜ適用しないのかというと適用してしまうと人を殺せなくなり、軍で使えなくなるからだ。だったら、あんなオールインワンなロボットでなくもっと専門を絞ったロボットを作ればいいのに、とかツッコんでしまうが、この辺はこの映画におけるバシー博士の描写がおかしい、というよりインドと日本の人間に対する感じ方、文化の違いなのだろう、という気がする。
 感じ方の違いといえば面白い(というと多少不謹慎だが)のがチッティが火災現場で逃げ遅れた人たちを助けるシーンで、入浴中で裸の少女を助けだしたら、その少女がせっかく助かったのに裸は恥ずかしい、とその場から駆け出して車に轢かれて死んでしまう、というのがあるのだが、この辺は日本ではブラックジョークだが、命より羞恥心を優先する、というのはインド的な描写なのかもしれない。
 前半はどちらかと言うとより人間化していくチッティに感情移入出来るようになっており、バシー博士やサナ、ボラ教授などが多少身勝手に感じられる。
 それがピークに達するのが「サナを愛している」と言いながらバシー博士に破壊されるシーンや、破壊され捨てられたゴミ捨て場で何とか命をつなぐしーんだろう。

 しかし、後半チッティが復活すると状況は一変する。ボラ教授に破壊プログラムのチップを入れられたチッティは同じ愛を語る男でも力づくで解決する道を選ぶ。バシー博士とサナの結婚式に乱入しサナを拉致。ここからのチッティの暴走は「北斗の拳」ユリアをケンシロウから奪ったシンを思わせる。チッティは更に自分の同型ロボを大量生産する。笑い方とか前時代的とも言える悪役演技も魅力的だ。
 そして噂の合体ロボ!チッティは大量の同型ロボットを従え、いざとなればフォーメーションを組んで球体、ローラー状、巨大コブラ、そして巨人タイプへと変化する。この辺のビジュアルイメージは強烈で確かにウリではある。もうその前の大量のラジニがいる時点で「チャーリーとチョコレート工場」のディープ・ロイのウンパ・ルンパを超えるインパクト!
 
 映画はその見た目に反しておもいっきり真っ直ぐな映画である。「フランケンシュタインテーマ」としても普通にSFとしてもレベルが高いと思う。

 さて、この映画でカップルを演じているのはみんなのヒーロー、スーパースター・ラジニと絶世の美女アイシュワリイヤー・ラーイである。インドや中東の人は東洋やヨーロッパに比べて美男美女の平均値が非常に高いと個人的には思ったりするのだがアイシュワリイヤーはともかくラジニは日本では余り美男子というふうではないだろう。それでも劇中で見る限りバシー博士は30後半ぐらい、サナは20代なかばぐらいかなーとか思えるのだが、役者さんを見るとアイシュワリイヤーは1973年生まれのアラフォー(映画撮影時は37ぐらいか)。そしてラジニにいたっては1949年生まれの63歳(撮影当時60ぐらいか)!でも劇中では普通に若者カップルとして成立してる。ラジニは確かにルックスは日本的な意味での美男子ではないけれど、そのカリスマ性は確かに圧倒的なものがある。ちなみにアイシュワリイヤーは「スラムドッグ$ミリオネア」で主人公がウンコだらけになってサインを求めたアミターブ・バッチャンの息子と結婚したそうです。

 この映画日本公開版では2ヶ所ダンスシーンがカットされていてパンフによると、両方共バシー博士が踊るシーンのよう。結果として日本公開版ではバシー博士のダンスシーンはない。この映画全然ダレないので普通に完全版でよかったんじゃないかという気もする。

ムトゥ 踊るマハラジャ [DVD]

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ジーンズ?世界は二人のために? [DVD]

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