The Spirit in the Bottle

旧「小覇王の徒然はてな別館」です。movie,comics & more…!!!

「猿の惑星 創世記」の黙示録

注意! 今回、「猿の惑星 創世記」の記事を書く前に旧シリーズを通しての記事をアップする予定でしたが、当方の怠慢により公開前にアップすることが出来ませんでした。また当然のようにパンフレット、その他で旧シリーズについての紹介はなされているので、こちらでは独立した記事にすることを諦め大幅に記事を削除し、前フリとして再利用しています。なので!いつにもまして前フリが長いです。その点をご容赦ください。
 そしてばっちりネタバレです。

ゴリラの発見

 古代カルタゴの航海者ハンノは紀元前480年ごろ西アフリカのとある場所で毛深いゴリライと呼ばれる部族と遭遇した。ハンノは部族の女の皮をはいで持ち帰ったという。
 2300年後西アフリカで新種の類人猿と思われる頭骨がハンノの逸話にちなみ「ゴリラ」と命名される。長いことゴリラは未知の生物であった。
 ゴリラを含めた類人猿は人間に近い頭のいい動物、というイメージの一方、そこはやはり獣ということで凶暴なイメージもずっと付きまとっていた。探偵小説の元祖といわれるエドガー・アラン・ポーの「モルグ街の殺人」は実はオランウータンが真犯人(ネタバレゴメンナサイ!)。人まねに凶暴さがプラスされている。
 1933年の画期的な映画「キングコング」はインドネシア(!)の孤島スカルアイランドに住む巨大ゴリラが恐竜達と戦いながら王として君臨していたが見たことない女に惚れたばかりに他所からやってきた人間に連れ去られ、NYで見世物になるも文明の象徴でもあるエンパイアステートビルの上で戦闘機によって倒される物語。
 ゴジラ核兵器のメタファーである黙示録の怪獣だとすればキングコングは創世記の怪獣ともいえる。この映画はヒトラーのお気に入りでもあったらしい。

猿の惑星

 1968年、類人猿の映画を語る上で欠かせない作品が登場する。「猿の惑星」。原作はフランス人のピエール・ブール第二次世界大戦時にマレー半島でゴム園を経営していた著者が日本軍の捕虜になった時の経験を基にしているとも言われている(ブールは「戦場にかける橋」の原作者)。つまりここでの猿とは西洋文明を真似し、追いついた日本人のメタファーである。ただしただバカにしているわけではない。例えば原作では主人公が猿語を覚えるより早くジーラやコーネリアスがフランス語を覚えている。
 映画は予算の関係上*1、猿の都市がプリミティブなものになっているがチンパンジーを科学者、オランウータンを神学者兼政治家、そしてゴリラを軍人及び肉体労働者、とすることで別の人種メタファーになってしまった。以降このシリーズには東洋人よりもむしろアメリカ国内の黒人差別の寓話をとってみることになる。
 いかにもアメリカ的な(しかし厭世家でもある)チャールトン・ヘストン演じるテイラー率いる宇宙探査船が謎の惑星に不時着。この船はワープ機能を備えていないため地球では既に2000年以上の時が過ぎている。言葉を喋れない人類を見て「あれがこの星の人類なら俺達で簡単に支配できる」とつぶやく。しかしその野望は直後に馬に乗り銃を使うゴリラの軍隊によって破られる。のどを怪我したテイラーチンパンジーの科学者夫妻であるジーラとコーネリアスに保護されるが政治家であるオランウータンのゼイアス博士は「喋る人間」を危険視する。やがてこの星でもかつて人間は言葉を喋り高度な文明を持っていたことが明らかに。博士は「人間は邪悪な生き物だ。敵を殲滅すると今度は仲間同士で殺しあう」という。テイラーはそれでも「何故こんな上下逆さまな文明が誕生したんだ」と疑問を持ち猿達が「禁断地帯」と呼ぶ地域へ旅立つ。するとそこで発見したものは・・・
 有名すぎて今ではネタバレにもならない(DVDのパッケージにおもいっきり映っている)が当時の衝撃は凄かったのだろう。また、ジーラ、コーネリアス、ゼイアスの猿達各キャラも魅力的だ(猿には英国出身のキングズイングリッシュを使う俳優を起用し乱暴に米語を喋るテイラーと対比させている)。ともあれ、この映画は人種問題を表現した当時最良の映画となった。面白いことに撮影時、猿に扮した役者達はメイキャップをしたまま休憩時間を過ごしたがチンパンジーはチンパンジー、ゴリラはゴリラ、オランウータンはオランウータンで固まって過ごしていたそうである。

 一般に黒人や東洋人を指して「猿」という侮蔑表現が使われることがある。しかし実は例えば黒人の類人猿に近いとされる要素はむしろ別だそうだ。パーマ、厚い唇、黒い肌に対してチンパンジーは直毛、薄い唇、白い肌が特徴である。まあだからどうだというわけでもないのだが。閑話休題
 シリーズは作品数を重ねてしかし、予算的にはどんどんジリ貧になっていくが人種問題というテーマはより鮮明になっていく。
 4作目となる「猿の惑星・征服」は一番政治色の強い物語。ワッツ暴動がモデルになっている。前作で未来からやってきたチンパンジー夫婦(ジーラとコーネリアス)の子供シーザー(マイロ)が主人公。宇宙からやってきたウィルスによって犬と猫が全滅。別の愛玩動物が必要になった人類は類人猿を飼い始める。最初はペットとしてだったが、やがて猿達が簡単な仕事が出来ることが分かるとその立場は奴隷へと変わっていく。シーザーは育ての親アルマンドを失い、ブレック知事(彼と前作「新・猿の惑星」に出てくるハスライン教授はドイツ語訛りの英語を喋ることで意図的にナチスとその行為であるホロコーストを想起させる人物設定になっている)の下で働くがやがて猿達の立場に異議を唱え叛乱を起こす。シーザーはテレパシーで他の猿達を導く。猿達は明らかに過去の黒人奴隷に見立てられており、彼らに共感を示すのは知事の側近で黒人のマクドナルドと育ての親であるサーカスのアルマンド(ヒスパニック系)だけ。
 シーザーは人類を制圧する。「かつて奴隷だったものの子孫として」マクドナルドがやりすぎだ、と言う。しかしシーザーは止めない。最初の試写ではここで終わるが劇場公開版では追加シーンがある。シーザーの恋人に当たるリサが(シーザー以外の猿としては初めて)声をあげる。「ノー」これはかつて奴隷である猿を人間が従える時に言われた言葉であったが、それが同胞のリサの口から発せられる。
 リサの声に我を取り戻したシーザーは「慈悲と共感を持って」人類と共存することを宣誓する。「今宵、ここに猿の惑星が誕生した!」
 「猿の惑星」は円環状の物語で、最後は猿と人類が共存している未来で話が終わる。「最後の猿の惑星」ラストでオランウータンの教師が猿と人類の子供達に「シーザーの物語」を話しているちょうどそのとき、宇宙ではテイラーコールドスリープに着く前にぼやいている。宇宙船が事故にあいテイラーが不時着する時までまだ1000年近く間を残して物語は終わるテイラーがやってくる地球は猿と人類が共存しているのか、それとも結局同じように猿が人類を抑圧しているのかは誰にも分からない*2。涙を流すシーザーの立像。

猿の惑星再び

 「猿の惑星」シリーズではほとんど軍人としての登場であり、猿の中でも悪役としての扱いが多かったゴリラ。しかし「最後の猿の惑星」の後、アメリカ人のゴリラに対する認識を変える研究書籍が登場する。ダイアン・フォッシーの「霧の中のゴリラ」である。これとその映画化である「愛は霧のかなたに」(シガニー・ウィーバー主演)によってゴリラは決して凶暴な生き物ではなく温和で優しい動物であることが周知となった。この映画では猿メイクの第一人者リック・ベイカーがゴリラの着ぐるみを手がけているが驚くべきことに本物とゴリラと着ぐるみが一緒に登場してもまったく違和感が無い。
 このゴリラに対する認知の違いは他の分野にも出ており、タカラとハズブロが「トランスフォーマー」シリーズの「ビーストウォーズ」を立ち上げる際、主要人物であるコンボイオプティマス・プライマル)が変身するリーダーにふさわしい動物を何にするか決める時に日本側がライオンを推したのに対してアメリカ側がゴリラを強く推し、結果コンボイはゴリラに変形することになった*3
 21世紀に入り、「猿の惑星」も新たに作り直されるときが来た。ティム・バートンの「PLANET OF THE APES/猿の惑星」である。一般にこの作品は評価があまり高くなく僕自身もティム・バートンの特色はあまり出ていない凡作だと思うがそれでも幾つか見るべきところはある。オリジナルの「猿の惑星」から飛躍した類人猿研究が反映されている。例えばチンパンジーの悪役であるセードは最初突然変異の白いゴリラという設定だったという。しかしメイキャップを手がけたベイカーの助言によってチンパンジーに変わったという。ゴリラが穏やかな生物だと分かる一方、チンパンジーが実はヒステリーを起こしやすい動物でゴリラと比べても凶暴であり、下手すりゃ共食いまでする生き物であることが分かったからである。セード将軍は冷徹な陰謀家である一方、ヒステリー気味の性格の持ち主であり、自分の野望のために他の猿を犠牲にすることにためらいは無い。
 一方、ゴリラはやはり従来どおり軍人として描かれているもののマイケル・クラーク・ダンカンのアターやケイリー=ヒロユキ・タガワのクラルなど冷静で頼りになる存在として描かれている。この映画版は原作に近い終わり方を見せる。さすがに時代は進んで猿を黒人・東洋人のメタファーとは見れなくなっている。その分リアルな類人猿としての描写が光る。
 そして間に2005年の「キングコング」を挟んで再び猿の惑星を訪れる時がやってくる。  

愛は霧のかなたに [DVD]

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創世記

 サンフランシスコ。アルツハイマーの父を抱えアルツハイマーの治療薬を研究するウィル。彼が新薬を投与したメスのチンパンジーは知能の発達を見せるが凶暴化して射殺されてしまう。彼女の子供を飼い始めたウィルだがシーザーと名づけられたその子供のチンパンジーは素晴らしい知性の持ち主だった。7年の後、ウィルの父親を庇って事件を起こしたシーザーは保護施設に移されてしまう。そこでの類人猿たちの扱いを見たシーザーは・・・

 原題は「Rise of the planet of the apes」、「猿の惑星の勃興」とでも言った感じか。例えば同じ「Rise of〜」と付く作品に「アンダーワールド3」があるがあれも虐げられていた狼男たちが叛乱を起こす話だった。「ライズ・オブ〜」という響きはそのままでも格好いいのにカタカナ邦題にならないね。
 映画は実質「猿の惑星・征服」のリメイク、という形なのだが最初の「猿の惑星」から流用したセリフ、名詞、シーンなどが多数ありこの作品単体でも楽しめるけど旧シリーズを見ているとより楽しめる作品になっていると思う。
 例えば、名前。シーザーがそのまま「征服」のシーザーなのは当然なのだが、母親のチンパンジーの名前が「ブライトアイズ」。これはジーラがテイラーにつけたあだ名だ。ここでは囚われ実験に使役されるものの名前であるが種は逆転している。
 立場の逆転、というのを一番反映しているのが類人猿保護施設のトム・フェルトン演じる青年(どうでもいいが彼は一生をマルフォイ役者として生きる決心でもしたのだろうか)だ。彼はシーザーを水責めにする。これは1作目でジュリアスというゴリラ*4が言うことを聞かないテイラーを水流で制圧するのシーンをそのまま再現している。勿論ここでも猿と人間の立場は逆転している。しかし一方でテイラーの印象的なセリフ、
「Take your stinking paws off me,you damn dirty ape!汚い猿め!さわるな!」

「It's a madhouse! A madhouse!皆イカれてる!イカれてる!(直訳すると「ここはキチガイ病院か!」)」
の二つのセリフ(字幕はDVDより)はジュリアスにあたるフェルトンが発している。
 そのほか分かりやすいとこではメスのチンパンジーでコーネリアスをもじった「コーネリア(だったと思う)」という名前が出てきたり、シーザーの相棒になるオランウータンの名前が「モーリス」でこれはおそらく1作目でゼイアス博士を演じたモーリス・エヴァンズからとっている。

類人猿革命軍の幹部達!左からモーリス、シーザー、バック、ロケット
 今回は人間が演じそれをモーション・キャプチャーでCGの猿に置き換える、という手段をとっている。これまでのように俳優に直接メイキャップを施しているわけではない。最初、CGで作られた猿は少し不自然でなのだが中盤(シーザーが3歳を迎える頃)にはそれが馴染んでくる。劇中で知性の発達と共に描写されるので違和感がなくなってくるのだ。シーザーを演じるのはゴクリ、キングコングでおなじみのアンディ・サーキス
 シーザーはクスリの結果、知性が発達した理由があるが、彼が保護施設で出会うオランウータン(先ほどのモーリス)が凄い。彼はサーカスにいた、という設定なのだが普通に手話でシーザーと会話できるのだ。彼のほうが凄くね?というわけでシーザーは彼を仲間にし、またゴリラに自由を与えることで舎弟にし、取り合えず施設のボスザル(ボノボ?)の座を奪う。そして自由に出入りできるようになると、ウィルの家からクスリ(さらに新しくなってガス吸引式)を盗み出し仲間に与える。このほかの猿に知恵を与える描写はテレパシーによるものだった「征服」の方が理屈はあってたような気がする。そして革命。
 シリアスなストーリーの一方思わず笑ってしまうシーンもあって、例えばシーザーがモーリスに木の枝を折って「一匹では弱いが束になれば強い」と説明するシーンでは思わず「お前は毛利元就か!」とつっこんでしまった*5。あるいは保護施設の所長(ブライアン・コックス!)がふと後ろを振り返ると綺麗に整列した猿が集会を開いているシーンなどは笑ってしまった。
 
 ブライトアイズに投与されたのとは別の更なる新薬を投与されたチンパンジーがコバというのだがこれが凶悪な面構え。「グレムリン」のストライプを思わせる一見して危険な奴なのだが、落ち着いているため被験体に選ばれる。彼は猿が叛乱した後もシーザーに素直に従うわけではない。この辺のコバを巡る物語は(あるのであれば)次回作で描かれるのかもしれない。
 
 人類側の役者はシーザーの飼い主でアルツハイマーの新薬の研究者ウィルにニューゴブリンことジェームズ・フランコ。そしてその恋人役にフリーダ・ピント。凄い美人でインド系というのはなんとなく分かるのだがどこかで見たことあるなあ、と思ったら「スラムドッグ$ミリオネア」のヒロインだった。そのほか、アルツハイマーのウィルの父親ジョン・リスゴー(【二回目鑑賞後の追加】シーザーが問題を起こすのはアルツハイマーが再発したウィルの父親が隣の家の自動車に勝手に乗って怒鳴られたからなのだが、そのきっかけになっているのは隣人の父親に対する「ノー!」と「ストップ!」なのである。これらは共に「征服」で奴隷としての猿をしつける時の言葉。そして「最後の〜」では人間が猿に対してこの言葉を使うことは禁止されている。シーザーはこの言葉(自分に対してではないが)で激昂し事件を起こしてしまう)
 そしてシーザーが引き取られ虐待される保護施設の所長がブライアン・コックス。コックスがこの手の役柄というとどうしても「X-MEN2」のウィリアム・ストライカーを思い出す。そしてその息子がマルフォイ。マルフォイはどこまで行ってもマルフォイなのだけれど先述した通り結構重要な役柄。
 ティム・バートン版で既にそうだったけれど人種問題のメタファーとしての猿、という描き方はほとんどされていない。動物パニックもの、という印象が強い。それを端的に象徴するのは人間側の一番の悪党(というほどでもないのだが象徴的に)が黒人であることだろう。
 
 「征服」のように類人猿という種全体が虐待されている、というわけではないが施設における虐待描写にじっくり力を入れているので猿達に十分に思い入れることが出来ていざ、叛乱というとき最高に燃える展開。特にシーザーを守って死んでいくゴリラ(ロケットだったか)は弁慶さながらで男泣き。シーザーが最初に喋る言葉は「ノー!」だ。(【2回目鑑賞後の修正】ゴリラの名前はバック。ロケットはシーザーに屈服したボスザルでした)
 結局シーザーたちは人間社会から隔絶したサンフランシスコ奥深くの森へ姿を消す。シーザーはウィルにここが自分の居場所だ、と告げ猿達の王となる。クライマックスの舞台であるゴールデン・ゲート・ブリッジが猿と人間の境界線として象徴的に映し出される。

 さて、ウィル一家の隣に住んだばかりに散々な目に逢っている人物がいる。彼は好奇心を持ったシーザーに小屋に入られ、痴呆を患ったウィルの父親に自家用車をボコボコにされた挙句、引きずり落としたところそれを見たシーザーの反撃にあい、さらにウィルの同僚にウィルスをうつされてしまった。それは類人猿には知性をもたらすが人類には死をもたらすのだ。彼の職業はパイロット。彼の次の行き先はニューヨーク。こうしてウィルスは地球上に広がっていく。その先は人類にとっての黙示録か猿にとっての創世記か。

*1:20世紀FOXは「クレオパトラ」の失敗で倒産寸前だった

*2:その後のTVシリーズでは人類は言葉を失ってはいないもののサルに従属する立場となっている

*3:ライオンに変形するコンボイは日本独自の「ビーストウォーズ2」で実現されている

*4:関連は薄いがフェルトンをジュリアス(役名は違う)に見立てるとシーザーと合わせてジュリアス・シーザーとなるのが興味深い

*5:毛利元就の三本の矢の逸話はあれはあれでモデルがあったと思うが