The Spirit in the Bottle

旧「小覇王の徒然はてな別館」です。movie,comics & more…!!!

貴方の親愛なる隣人再び! アメイジング・スパイダーマン

 というわけで「アメイジングスパイダーマン」である。ご存知のようにマーベル・コミックスの看板作品「スパイダーマン」の映画化。原作は1962年に誕生。幾度かの映像化*1を経て2001年にはサム・ライミ監督によって映画化されている。その一作目から11年、シリーズ最後である「スパイダーマン3」から5年を経ての再映画化(余談だが「リブート」という言葉は個人的に響きが余り好きではなく使用したくない。また映画だけならともかく、長い原作があるのだから基準をライミ版だけに置くのはおかしい気もする)。

 例えば同じマーベルコミックス原作作品でやはりそれほど間をおかず、物語の連続しない再映画化作品にアン・リー監督作「ハルク」(2003)とルイ・レテリエ監督の「インクレディブル・ハルク」(2008)、あるいはジョナサン・ヘンズリー監督の「パニッシャー」(2004)とレクシー・アレクサンダー監督の「パニッシャー:ウォー・ゾーン」(2008)がある。これらはどちらも前作がそれほどヒットしなかったための仕切りなおしである。また、映画化における版権をマーベル・スタジオズに取り戻したことにおける再映画化という面もあるだろう。そして、この2つは「物語的には連続していない」にも関わらず、後者の作品ではそのオリジンを再び描くことをせずあっさり描写するにとどめている。それによってシリーズ一作目であるにも関わらず、アメコミ映画にありがちな「ヒーロー登場までの間が長い」という欠点を克服している。
 さて、本作「アメイジングスパイダーマン」において前シリーズに当たるサム・ライミ版はヒットしてないどころか大々ヒット作品である。なのでそれほど間が開いていないのに再び映画化する必要が有るのだろうか、という疑問もあった。実際、ギリギリまでライミ版に続く「4」なのか仕切り直しの1作目なのか分からない状態でもあった。とはいえ、人によっては10年なんてすごい前じゃん!という人もいるので(二十歳前後の人とかはそうだろうな)、この感覚は人それぞれだとは思うが。
 実際作られた「アメイジングスパイダーマン」はオリジン(スパイダーマンになるまで)をあっさり済ませるどころか、むしろより丁寧に描いている。幼少のピーターが両親により叔父夫婦に預けられるところを描き、また再び特殊な蜘蛛に噛まれ、力を得る。そして調子に乗ってチンピラ強盗を見逃した結果、自らの傲慢からベンおじさんを失う。勿論、原作ともライミ版とも違うが結構な時間をかけてどのようにしてピーターがスパイダーマンになったのかを描いていく。いやむしろ外見はスパイダーマンになっても当初はベンおじさんの復讐が目的であり、その志を復讐から犯罪者一般を相手に弱いものを力を持っている自分が守る、というのに至るまでを本作では描いているとも言える。
 先行上映で見たときはどうしてもライミ版と比べて見ている自分がいたため「テンポが悪いな」とか思っていたのだが、吹き替えで見た二回目は普通に単独作品として見れたため、そういうのを感じなかった。ライミ版を観ていて本作も観る、という人には鬱陶しい描写かも知れないが初めて見る人には問題のないテンポだと思う。
 監督はマーク・ウェブ*2(!)。監督作は「(500)日のサマー」。アクション畑でもSF畑でもないがピーターたち高校生の生活を丁寧に描いている。キャストはアンドリュー・ガーフィールドエマ・ストーン、リース・イーヴァンズの他に、ベンおじさんにマーティン・シーン、メイおばさんにサリー・フィールドというベテラン。グウェンの父親であるステーシー警部にデニス・リアリー。ベンおじさん夫婦はライミ版ではそれぞれクリフ・ロバートソンローズマリー・ハリス、ステイシー警部はジェームズ・クロムウェルが演じている。このキャスティングからも分かる通り、本作ではライミ版より全体的に配役がグッと若返っている印象がある。

ピーター・パーカー


 新しいピーター・パーカーはアンドリュー・ガーフィールド。ライミ版でピーターを演じたトビー・マグワイアに比べると蜘蛛に噛まれる前からそれなりに格好のいい美少年である。豊かな巻き毛と彫りの深い顔で、アメコミというより日本の少女漫画に出てきそうな感じ、というのは前に述べた通り。肉体的にも細身で蜘蛛に噛まれて体格が立派になった後も細マッチョという感じで、変身した後もそのスリムなフォルムはライミ版とは大分違う。コスチュームはライミ版より青みが強くなっており基本デザインは変わらないのに印象は大分違う。毎回思うんだけどスパイディのコスチュームって首のところで分割してるのにかぶると首元のラインにピッタリ沿って一体型に見えるのがよく分からない。実際はあくまで映画化用の演出なんだと思うが。ガーフィールドトビー・マグワイアと違って身体はコスチュームを着た状態でマスクを脱いでいるポーズが良く似合う。
 スパイダーマンの一番の特徴はその外見が(実はアメコミでは珍しく)フルフェイスのマスクをしていることある。顔をそのまま出していたり、少なくとも口元を露出していることが多いアメコミヒーローでは珍しい。我々はスパイダーマンと言うとスーパーマンバットマンに並ぶアメコミヒーローの代表みたいに思っているので変に思わないがアメリカンコミックスのスーパーヒーローとしては少数派なのだ*3
 90年代のアニメ版でピーターの声を担当した森川智之「とにかくスパイダーマンはひとりごとが多いよね」というようなことを言っていた。その本来無表情なマスクに反してスパイディはとにかく喋りまくる。それもほとんどは自分に語りかけるようなひとりごとだ。多分小さいころ友達いなかったんだろうなあ。ライミ版でもピーターは比較的よく喋っていたが、今度のピーターはよくしゃべる。映画ではいわゆる説明ゼリフに類するのかもしれないがそもそも原作にあるスパイディの個性なのだから構わない。これはより原作に近いと思う。
 ライミ版スパイディと原作の一番の違いは移動手段であり飛び道具であるウェブが噛まれた蜘蛛の影響で直接手首から発射されるオーガニック・ウェブであること。これはライミより先に企画に関わっていたジェームズ・キャメロンの発案で科学好きとはいえ一介の学生であるピーターが「人工蜘蛛糸発射装置ウェブシューター」を開発するというのは無理がある、ということで採用されたのだという。この設定は蜘蛛糸発射も超能力の一つということで一々説明をする必要が無いということと、(特に「スパイダーマン2」において)肉体的な能力の一つということでスパイディの精神状態を表現することに役だっている。有り体に言えば精神的に参ることでウェブを発射できなくなる=インポテンツ的な表現をしている。今作では原作同様「ウェブシューター」が採用されているがピーターが発射装置だけ自作しオズコープの人工蜘蛛糸をそのまま使用するという形になっている。

グウェン・ステーシー


 ヒーローの多分に漏れず、スパイディも過去に何人もの女性と付き合っている。ライミ版の映画では全然その辺は描かれなかったがJJJ*4の秘書であるベティ・ブラントもその一人。ほかにブラックキャットという女怪盗と付き合ったこともある。しかし、スパイダーマンの恋人と言えばまず第一にあげられるのはメリー・ジェーン・ワトソン(以下MJ)、次がグウェン・ステーシーだろう。MJはライミ版でもヒロインを務めた赤毛の女優志望。最終的にはピーターと結婚し(その後色々あって別れたりもしているが)誰もが認めるヒロインだろう。一方グウェン・ステーシーは金髪。MJ登場後にピーターが大学で知り合い、深く愛しあう。ふたりとも芯の強い部分では似ているがそれでもある意味対照的な存在だった。情熱的な赤毛のMJ*5を太陽とすればブロンドで静かに輝くグウェンは月、といったところだろうか。運命は1973年に訪れる。宿敵グリーンゴブリンに拉致されたグウェンはスパイダーマンの努力空しく命を落としてしまう。この展開は原作者スタン・リーが休暇を取っている間にその間を任されたライター、ジェリー・コンウェイが勝手にやってしまったことらしい。ヒロインの死という悲劇的な展開。しかしこの展開によってグウェン・ステーシーは永遠の存在となった。生きていたらどうなったか分からないが、もしかしたら最終的にMJに取って代わられピーターのとりとめのない過去の一分、その多大勢のヒロインの一人でしかなかったかもしれない。死者は無敵である。グウェンは死ぬことによって(そしてアメコミのキャラにしては珍しく生き返ることがない)MJの永遠のライバルであり、取って代わることの出来ない「スパイダーマン」のヒロインの座を占めることになった*6
 映画版に置いてグウェンは「スパイダーマン3」に登場している(演じているのはブライス・ダラス・ハワード)。しかしこの場合既にMJがヒロインとして確固たる地位を占めており、その存在は物語的にもピーター的にも当て馬でしか無かった。むしろグウェン的なものを感じさせるのは「スパイダーマン1」に置いてグリーン・ゴブリンに誘拐されジョージ・ワシントン・ブリッジから落とされるMJである。この展開は原作のグウェンの死をなぞっている。勿論ここではMJは無事助けられる。
 「アメイジングスパイダーマン」ではMJは登場せず、エマ・ストーンが高校の同級生としてグウェン・ステーシーを演じている。しかしMJと違ってグウェンには常に死の影がつきまとう。僕ははじめにヒロインがグウェンになると聞いてまず真っ先にその死亡シーンを思い浮かべた。同様の原作ファンも多いと思う。幸いにして本作では彼女は死ぬことは無かったが、原作同様父親のステーシー警部は死を迎えている。もしも次回作があればその時こそどうなるかわからない(まるで死を望んでいるかのようなファン心理!)。
 エマ・ストーンはとても美しく撮られていたが、個人的には「Easy A」や「スーパーバッド」における茶色〜赤毛のイメージが強いのでむしろMJにふさわしい女優である、と思っているのだが、優等生でしかし芯の強い美しい女性を上手く演じていたと思う。
 

リザード=カート・コナーズ博士


 右腕をなくし、爬虫類の再生能力に目をつけたカート・コナーズ博士は、自らを実験台に手足を再生させる血清を飲んだ。数時間後見事に右手が再生されたが博士の全身は巨大なトカゲ男、リザードとなり哺乳類を絶滅させ、爬虫類の王国を築くことを目論む!
 スパイダーマンの悪役の中でもまんまトカゲ男に変身してしまうリザードはかなり特殊な部類に入る。彼はグリーン・ゴブリンやその他の悪党のように自分の意志でヴィランになるわけではない。ジキルとハイドのように悪人に変身してしまうのだ。
 リザードに変身する、カート・コナーズ博士はライミ版のシリーズにも登場する。遅刻ばかりするピーターを時には見守り、時には厳しく突き放す大学教授として。「3」では原作ではファンタスティック・フォーのリード・リチャーズが行ったシンビオートの解明にも一役買っている。演じていたのはディラン・ベイカー。いずれシリーズが進めばリザードとしてスパイディの前に立ちはだかると誰もが期待したが残念ながらライミ版ではかなわなかった。とはいえ晴れて新シリーズでヴィランとして登場することになる。原作では比較的初期から登場するキャラで、コナーズ博士そのものは決して悪人ではない、というところが他のヴィランとは違う大きな特徴だろう。
 「アメイジングスパイダーマン」ではリース・イーヴァンズが演じ、ピーターの父親と共同研究をしていたオズコープ(ノーマン・オズボーンが会長を務める会社)の科学者として登場する。コナーズ博士はトカゲ、ピーターの父は蜘蛛とそれぞれ題材は異なるが、他の生物の特徴を人間に適応することで病気や欠損の治療に役立てようとするがピーターの父親は研究の危険性に気づき、姿を消し事故死。コナーズ博士はそのまま研究を続ける(この辺の詳しいところは続編で描かれるのだろう)。またピーターの父親の研究もそのままオズコープで研究が続けられており、ピーターを噛んだ蜘蛛もその成果。コナーズ博士はどうやらノーマン・オズボーン(劇中のセリフから察するに重い病気か何かで余命幾ばくもない)の命令で治療薬を研究しているが最後の鍵が足りない。そこにかつての共同研究者の息子であるピーターがとある方程式(実は父親の置き土産)をもたらしたことで一気に研究が進む。しかし性急な結果を求められたコナーズ博士は自分に血清を注射してしまいそしてリザードに・・・
 リザードのデザインは人間の身体にちょんとトカゲの頭が乗った原作に対し、リアルな恐竜人間という感じである。人語を発したり、再び人間に戻ることなど考えるとこのほうがあり得るのかもしれないが、ちょっと物足りない。また見た目はトカゲ人間でも白衣とズボン着用がある種のアイデンティなのだが、白衣もすぐ破けて裸になってしまうのもちょっと残念かもしれない。
 

ベンおじさんは二度死ぬ

 そのほか、先程も述べた通り、ベンおじさんにマーティン・シーン、メイおばさんにサリー・フィールドという豪華コンビ。ライミ版を観た目には「どうせならいっそ、ベンおじさんが死なない展開でも良かったんでは?」などと思ってしまうがこれが初めてのスパイダーマンという人にはやはりこの展開で良かったのだと思う。「スパイダーマン」を通して語られるテーマ「大いなる力には大いなる責任が伴う」という言葉も形を変えて彼の口から語られる。
 グウェンの父親であるステイシー警部はデニス・リアリースパイダーマンをマスクの自警者として追う。ステイシー家の食事に招かれたピーターが「スパイダーマンは悪者なんかじゃない」というがステイシー警部は「同じような容貌の奴らばかり狙っている。どうせ復讐か何かに違いない」という。実際この時点ではピーターはベンおじさんを殺した犯人(結局捕まらなかったな)だけを追っている。本当にピーターがヒーローとして目覚めるのはこのあと、橋から落ちそうになる自動車に取り残された子供を助けた時なのだ。だからこそ後半オズコープ社に向かうスパイディに子供を助けられた父親たちがクレーン車で道順を示す描写が感動的なのだ。このスパイディを手助けするニューヨーク市民という描写はライミ版にもあった。ニューヨークをホームにしているスーパーヒーローはたくさんいるがこういう描写が似合うのはスパイディだけだろう。
 そのステイシー警部も最終的にはスパイダーマンとピーターを認めるが亡くなってしまう。
 
 ピーターやグウェンの通う高校の同級生で学園のいじめっこがユージーン・”フラッシュ”トンプソンでいじめを良しとしないピーターを標的にしたりするがやがてベンおじさんを亡くしたピーターを慰めたり、「スパイダーマンの第一のファン」になったりする。この展開は原作通りなのだが、もう少し、このフラッシュの変化を描いた描写があればわかり易かったかと思う。まあ本筋からはずれることになるのだが。この高校で力を手に入れたピーターがフラッシュをやり込めるときに、一緒にいたポスターを描いていたメガネ少女がなかなか可愛い。
 
 劇中で名前だけは頻繁に登場するがその人自身は劇中では登場しないのがノーマン・オズボーンである。ライミ版一作目のグリーン・ゴブリンでオズコープ社長。今回は出てきていないが後にピーターの親友となるハリー・オズボーンの父親でもある。ラスト謎の人物が出てくるが、彼がノーマンか?それにしては劇中の描写と矛盾するが・・・続編を乞うご期待!

 実は一回目(IMAX3D、字幕版)に観たときは僕自身ライミ版と比べながら観てしまったこともあって、ちょっと低評価だったのだが、二回目(3D吹き替え)で観たときは単独作品として改めて接し、評価が変わった。これは丁寧に作られているし、後半のアクション描写も見事。ぜひ劇場に見に行って欲しいと思う。

 一部で非難轟々の日本版主題歌(日本語版ではなくて日本版であるところが残念)だがSPYAIRの曲調自体はアメコミ映画によくある感じで格好良かったと思う。ただがっつり日本語でボーカルが入ってしまうと一気にガクッとなるのも確かなのだな。そしてオリジナル版ではここにCOLDPLAYが流れる、ということでやはりそっちが良かったよ・・・とは思ってしまう。ソフトではどうなるんだろう?

 ちょっとタイトル忘れてしまったけど、これかな?全然日本版主題歌とは雰囲気違う曲だね。
 
 そうそう!今回もスタン・リー御大は登場しました。学校でスパイディとリザードが戦っている時図書館でヘッドフォンしながら本をチェックしていて、」その後ろで繰り広げられている、激闘に気づかない、というもしかしたらこれまでカメオ出演したマーベル作品の中では一番美味しい役かもしれないなあ。
Excelsior!

*1:中には提携を経て作られた東映の「スパイダーマン」も含まれる

*2:スペルはMark Webb

*3:ウルトラマンがアメリカで余り受け入れられなかった理由にその超然とした態度と喋らないことがあったという

*4:不屈のジェイ・ジョナ・ジェイムソン。次回における登場が望まれる

*5:マーベルユニバースにはもう一人、情熱的な赤毛のヒロイン、「X-MEN」のジーン・グレイが存在する。もしかしたらスタン・リーの好みの女性のタイプは赤毛なのかもしれない

*6:ジェリー・コンウェイと作画を担当したジョン・ロミータ・シニアは長いことファンからグウェンの死について責められていたという。グウェンの死を歴史的な出来事として受け入れられるには「MARVELS」の発売を待つ必要があった